第76話:「……今日の夜10時くらいに、あたしの部屋にきてもらえる?」

「……ただいま」


 一人で玄関を上がり、ダイニングにつながるドアをあけると、


「か、勘太郎かんたろう!? お、おかえり……!」


 リビングにいた制服のままの芽衣が、慌てたように目の前に置いてあるノートパソコンを閉じた。


「パソコン?」


「て、ていうか、駅着いたら連絡してっていったじゃん!」


 おれの質問を無視した芽衣に、顔を赤くして怒られてしまう。


「ああ……、それは本当にごめん……」


 それもこれも外でスタンバっているあの名女優のせいなのだが……。


 玄関口までついたところで赤崎は「芽衣ちゃん呼んできてもらってもいいかな?」と何を企んでるのかよく分からないスマイルでめいじてきたので、スマホを人質ひとじちに取られたおれは素直にしたがっている状態である。



「あの、芽衣?」


「……なに?」


 おれの顔を見るなり、芽衣はすぅっと目を細める。


「……何ですかその目は?」


「勘太郎がそういう表情かおするときは言いにくいことがある時の顔だから」


「よくおわかりで……」


 見透かされている……。


「それで?」


 鼻で息を吐いて、「言ってごらん?」と、芽衣が先をうながす。


「芽衣に用があるってお客さんが外で待っているんだけど……」


「あたしに用がある人が諏訪家すわけに来たの……?」


「そうなりますね……」


 おれが目を泳がせていると、「そっか」と、芽衣が立ち上がってこちらに近寄ってくる。


「……勘太郎、話してくれたんだ。ごめんね、嫌な役回りさせちゃって。七海ななみちゃん、怒ってる……?」


「なんで赤崎だって分かったんだ……?」


「それはさすがに分かるよ」


 ハの字眉で笑って、おれの横を通り抜けて、玄関のドアに手をかける。


「おい、芽衣」


「今度はあたしの番だよね」


 理由は自分でも分からないまま呼び止めるおれに、ちょっとかっこいい笑顔を向けてから、ガバッと玄関のドアを開けた。


 そして。





「七海ちゃん、ごめん!」

「芽衣ちゃん、ごめん!」





 その瞬間、芽衣と赤崎が同時にお互いに頭を下げる。


「「いったぁ……!」」


 1秒後、我が家の玄関先で頭をおさえてうずくまる女子二人の姿があった。


 ……勢いよく下がった頭と頭がごっつんこして頭突きのしあいになってしまったらしい。


 芽衣はちょっとかっこいい感じだったし、赤崎もびっくりさせるとかなんとか言ってたのを知ってるからこそ、なんて声をかけていいか……。


「えーっと……もしかして二人、入れ替わった?」


「「何言ってるの……?」」


 異口いく同音どうおんで返ってくるので、入れ替わってる可能性は排除できないままだったけど。







「芽衣ちゃん、ちょっと話したいんだけど、出てこられるかな?」


 それぞれが自分の頭を撫でて痛みが引いた頃、赤崎が芽衣に声をかける。


「うん、大丈夫だよ」


「いや、家の中で話せばいいじゃん。外、寒いから……」


 おれが意味がわからずにドアを押さえて赤崎を迎え入れようとすると、


「芽衣ちゃんと二人で話したいんだよね」


 と言い返されてしまう。


「え、なんで……?」


 さっきまでの話は全部聞いたんだけど……。


「……なんでも」


 その強い眼差まなざしにおれは嘆息たんそくをして、


「じゃあ、おれが外出てるよ。二人は中で話せって」


 と靴を履く。


「勘太郎、そしたら部屋で音楽でも聴いてて? それでいい? 七海ちゃん」


「うん、大丈夫」


「いや、おれがいると思ったら気が気じゃないだろ。おれ、盗み聞きするかもしれないじゃん」


「大丈夫、勘太郎はそんなことしないよ」


 芽衣のそんな信じ切った目つきをみたらそんな気を起こしてても出来なくなってしまう。


「……分かったよ」


 おれは吐いたばかりの靴を脱いで玄関に上がり直す。


「うんうん、やっぱりいいなあ……」


 ……おい、赤崎。芽衣にはまだネタバレ前だろ。






 部屋に戻って、カバンを置いて、Bluetoothのスピーカーをオンする。


 暇だし漫画でも読むか、と本棚を物色して、「あ、『もう一度、恋した。』を読めばいいのでは?」と思い立ち、一階にいる芽衣に連絡をしようとして気づく。


「赤崎にスマホ渡しっぱなしじゃん……」


 でも、もう重大な会話が始まっているかもしれない。


 おれはため息をついて、PCを開いてスピーカーに接続した。






 Youtubeとかを見ながら適当に時間をつぶしていると、


「勘太郎ー?」


 2、30分くらいしてから、芽衣めいが部屋まで呼びにきてくれる。


「話、終わったのか?」


「うん。七海ちゃんのこと、駅まで送ってくる」


「おれも行くよ」


「うん……ありがとう」


 おれは一度脱いでいたブレザーを羽織はおって下に降りた。





 3人で連れ立って最寄駅の秋ヶ瀬あきがせ駅まで向かう。


「こういうところで育ったんだね」


 とか、


「あの公園に何か思い出ある?」


 とか、もうどうせバレてるからとばかりに、赤崎はおれたちから幼馴染の思い出を聞き出そうとする。


 そんなこと言われても、そんなに全部の場所に思い出があるわけでもなければ、公園はおれたちが高校生になってからできたものだったりして、赤崎の望むものはほとんど提供できなかったけど。




 諏訪家は駅からそう離れているわけでもなく、割とすぐに最寄駅の改札に到着する。


「あ、そうだ。勘太郎くん」


 改札の前でくるりとこちらに向き直る赤崎。


「うん?」


「これ、返すね」


 おれが首をかしげると、赤崎がカバンにいれっぱなしにしていたらしいおれのスマホをそっと取り出して、おれの制服の胸ポケットにすっと入れる。


「おお、やっと帰ってきた……」


「あはは、何その反応」


「ちょっとスマホのない生活に慣れかけて退化するところだった」


「それはある意味進化かもね?」


「いや、なんで七海ちゃんが勘太郎のスマホを持ってるの……?」


 おれの右側から芽衣がいぶかしげな目線を寄越よこしているが、それを無視して赤崎はおれの胸ポケットを右手で押さえながら少し背伸びをして、その唇をおれの左耳に近づけてくる。


「……ここに、約束のものはちゃんと入ってるから」


「え?」


 耳元でささやかれて、ほうけた声が漏れ出てしまった。


「……今日までありがとうね、勘太郎くん」


「……おう」


 だけど、続いた真剣な声は、しっかりと受け止めてそっと返す。


 それは、きっとおれと赤崎の『お別れ』を意味する言葉だったのだろうから。


 おれの耳元から顔を離すと、にこっと満面の笑顔を作り、


「じゃあね、芽衣ちゃん、諏訪くん・・・・


 そう言って改札の方をむき、振り返ることなくホームへの階段を降りていくのだった。






「赤崎と何話したんだ? って、おれが聞いちゃいけないからおれは外してって言われたんだろうけど……。ただ、おれは赤崎のしようとしてたことは聞いたんだけどなあ」


 2人で諏訪家に戻る道中で、おれはダメ元で芽衣に質問してみる。


「うん、ほとんど勘太郎に聞かせてもいい話しかしてないよ。まあ、一個だけ二人きりじゃないと出来ない話もあったけど……。でもね、そのためにふたりきりになったわけじゃなくて、多分、七海ちゃんはあたしたちのこと、すっごくよく分かってくれてるんだと思う」


「どういう意味だ……?」


「なんて言えばいいんだろう。その、あたしと勘太郎が両方いるところで言っちゃいけないこと、分かってくれてるんだよ」


「……そうか」


 それはきっと、『おれが芽衣のことを好きだ』っていう事実だろう。


 それを芽衣の前でおれが明言しないことでギリギリ成立しているこのきわどい関係を赤崎は理解してくれているのだ。そこらへんをうまくぼかしながら、説明してくれたのかもしれない。


「あのね、あたし、夏織かおりちゃんが誘ってくれてるバンド、やっぱり断ったほうがいいかなって思ってる」


 芽衣は唐突とうとつにそんな話題を出してくる。


「それは……どうして? せっかくだからやればいいのに」


「その、ね……最後まで出来るか分からないし」


「ん……?」


 その言葉に不穏ふおんなものを感じて、おれはそっと眉をひそめる。そして、すぐに、芽衣がその話をいきなり切り出してきた理由を察することになる。


「卒業とか、夏織ちゃんの出ようとしてるコンテストまでだって……」


 真顔で芽衣はつぶやいた。


「……日本にいられるか、分からないから」


「まさか、芽衣……」


「ねえ、勘太郎?」


 おれが息を呑むと同時、芽衣がおれの名前を呼ぶ。


 そして、困りまゆで笑った。


「……今日の夜10時くらいに、あたしの部屋にきてもらえる? おじさんとおばさんにはバレないように」







 そして、22時。


 珍しくダイニングでお茶をしている両親を尻目に二階へと抜き足差し足で上がる。


 そして芽衣の部屋に行き、小さくドアをノックした。


「……どうぞ」


「……失礼します」


 おれがそっとドアを開けると、制服姿でも寝巻きでも部屋着でもない、普段着の芽衣がベッドに座っている。


「あ、ここに座って」


 芽衣の方を向いているイスをされて、そこにそっと腰掛ける。


「それで?」


 まだ全貌ぜんぼうはよくわからないが決意の香りだけはしかとするこの部屋で、おれは一生懸命自分の脳と心臓をなだめていた。


「あのね、勘太郎」


 芽衣は続ける。


「あたしは、勘太郎の今の気持ちを知らない。あの日、言おうとしようとしてくれてた言葉も、結局知らないままにしてる」


「うん……」


「だけどね、今日、七海ちゃんと話して、やっぱりずるはしちゃいけないって思った」


「そうか……」


 頷きながらも、その意図いとをおれはまだ理解できていないままだった。おれに告白をしなおせという意味、ではなさそうだけど……?


「でも、もう、どっちに・・・・先に伝えてもズルになっちゃうから、同時に伝えることにした」


「うん……?」


 やっぱり分からないおれがまゆをひそめていると、芽衣はスマホを取り出してポチッとタップしたかと思うと耳にあてる。


 スピーカーホンではないが、静かな部屋にいつもとは違うしたしみのない呼出音が響くのが聞こえてきた。


 数秒後、電話相手が出た気配がする。


 芽衣の耳元からは、女性の声。


「もしもし、朝早く・・・に電話してごめんね。……うん、元気。ちょっと、どうしても伝えとかないといけないことがあって」


 そこまで言うと芽衣は目を閉じて、服の胸元むなもとをしわになりそうなほどぎゅうっとつかんで深呼吸をする。


「あのね、あたし、」




 そして、芽衣は目を開き、真剣な顔でおれの目をじっと見つめながら、もう引き返せなくなる言葉をしっかりと、はっきりと、口にする。


















「ずっと前から、勘太郎のことが大好きなんだ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る