最終話:「いってきます」

勘太郎かんたろうに肩車してもらっても、さすがにあのツリーのてっぺんの星には届かないね」


「そりゃそうだなあ……」


 成田なりた空港の出発フロアの真ん中あたり、芽衣めいが少しのけぞって見上げる先には大きなクリスマスツリーがそびえ立っている。おれが4、5人つらなって肩車したとしても届くか怪しい。


「あれって、今日が終わったらもう撤去するのかな?」


「だろうな。日付が変わった瞬間から謹賀新年きんがしんねんの飾りに一気に変えるんだと思う」


「うわあ、大変だね、空港の職員さんも。……じゃあ、あと6時間くらいかあ」


 気遣きづかい屋の芽衣はこんな日にも、身も知らぬ人のことを考えて代わりにため息をついていた。




 あの電話から時がって、今日はクリスマス。




 おれと芽衣は、国際線、約2時間半後にニューヨークへとつ便のチェックインカウンターに二人並んでいた。もう、列の先頭せんとうだ。


 これから飛行機に乗ろうとしている芽衣の手元(足元?)には、大きなスーツケースとその上に機内持ち込み用のカバン。


 そして、おれは肩がけのバッグをたずさえているだけだった。


「次のお客様、あちらのカウンターへどうぞ」


「はいっ」


 カウンターが2つほどほぼ同時にいたらしい。係員さんにうながされて、芽衣は謎に気合の入った感じでカウンターへと向かう。


「お客様もあちらへどうぞ?」


「……僕は、乗らないので」


 おれは頭を下げて列から外れる。


 カバンからパスポートを出したりわたわたしている芽衣を見ながらおれは、あの日、芽衣の部屋でした電話のことを思い出していた。





* * *


「あのね、あたし、ずっと前から、勘太郎のことが大好きなんだ」


「……!?」


 芽衣から、電話の相手とおれとに同時に伝えられた突然の告白に、おれは驚き過ぎて声も出なかった。


「うん、勘太郎と一緒にいたくて、嘘ついてた。でも、高校をこっちで卒業したいのも本当」


 呆然ぼうぜんとするおれを置いて、芽衣は真剣な顔で電話の相手と話を続けている。


「だから、その……え、け? 何? ん、冬休み?」


 芽衣は床に置いてある学生カバンから生徒手帳を取り出して、行事カレンダーのページを見る。


「えっと……終業式は12月25日だけど。……え、この日に? あたしが? ううん、別に今のところ何もないよ。……分かった、そうする」


 何かが決まっていく気配がある。漏れ聞こえてくる女性の声音は、怒っている風ではなさそうだった。


「うん、あたしからはそれだけだけど……えっと、それだけ? ああ、うん、冬休みにちゃんとは分かったけど……それまでは? いいの? いいんだ……分かった。ありがとう。んと、それじゃあおやすみ……じゃないのか、おはよう……もおかしいね。とりあえず、またね」


 迷いばしみたいな挨拶あいさつを終えてから芽衣が電話を切り、ふぅー……っと息をく。


「緊張したあ……」


「芽衣、その、電話の相手って……?」


 本当はそれより先に聞くべきことがあるような気もしたのだが、とりあえず、ほとんど予想のついている安全なところから質問した。おれの心臓は、まだドクドクと胸を叩いている。


「うん、ママだよ」


「そうだよな……」


 とはいえ、安全な質問のストックは一瞬で尽きてしまった。


「芽衣、その……」


 次には、もう核心かくしんをついた質問をしないといけない。


「いつからおれのこと……?」


「言ったじゃん」


 芽衣はベッドの上で体育座りをして、膝に自分の顔を半分うずめる。


「……ずっと前からだってば」


「そう、かあ……!」


 嬉しさが変な緊張感をともなって、左胸のあたりを中心に全身に広がっていく。少しだけ呼吸がしづらくなる。


 おれだってさすがに自分が芽衣にとって普通の友達以上の存在であることは分かっていたつもりだ。


 だけど、あまりにもずっと一緒にいたし、その上、最初から芽衣はずっとこういう感じだったから恋愛対象として見られているかは分からなかった。芽衣は一人っ子だけど、おそらく弟ができていてもこんな感じで優しいんだろうな、と思ってたし。


 だからこそ、あの日の告白はバンジージャンプでもするような心地ここちだったのだ。


「でも、なんで、おばさんと同時に……?」


「あたしが勘太郎に告白をしてからママとパパに伝えたら、告白がうまくいったとしたら、『両思いだから』で押し切ることになるし、うまくいかなくなったら『勘太郎がなんとも思ってないから大丈夫』で押し切ることになるでしょ? 逆に、先にママに伝えたら、きっとあたしは勘太郎にこの思いを自分で伝える前に、この生活が変わっちゃう」


「そうなのか?」


「そうなの」


 少し分からないところもあったが、芽衣なりの矜恃きょうじなのだろう。


「……で、おばさんはなんて?」


「冬休み、直接会って話そうって」


「そっか……結構、猶予ゆうよがあるんだな」


 まだあと1ヶ月以上ある。


「まあ、あたしがニューヨークに行ける期間で一番近いのはそれだしね。あとね、ママ、『パパとの賭けに勝った』って嬉しそうに言ってた」


「賭け……?」


「……分かってたんだね、きっと。全部。娘の恋路こいじで勝手に何をけてたのか知らないけど」


 芽衣はねたようにくちびるをとがらせる。


「……そっか」


 おれはすぅ……っと息を吸う。


「なあ、芽衣、」


「待って」


 芽衣が片手を前に出す。


「……告白の返事は、まだ、やっぱり聞くわけにはいかない」


「どうして……?」


「……全部ちゃんとしてからじゃないと、ずるいでしょ?」


「そうか?」


「……そうなの」


 そうしておれは2度目の告白のおあずけを食らうことになる。


* * *


「出来たよ、勘太郎!」


 初めてのおつかいを成功させた子供のような無邪気むじゃきな笑顔で、パスポートにはさまれた細長いチケットをかかげて見せてくる。


「おお」


「ん、どうしたの? ぼーっとして」


「……いや、なんでも」


 告白されたことを思い出していたと言うのもさすがに恥ずかしいので、咳払いでごまかす。


「で、次はどこにいくんだ?」


保安検査場ほあんけんさじょうだって」


 パスポートを持った手で『保安検査場』と大きく書かれた白い看板の方をす。


「……見送りの人はそこまでみたいだね」


「そっか」


「……行こっか」


 した方に向かいながら、


「勘太郎、なんか緊張してる?」


 芽衣が身体ごと首をかしげる。


「まあ、そりゃそうだろ」


「今から緊張しても、今から12時間以上あたし空の上だから何も起こらないよ?」


「そうは言ってもなあ……」


「あはは、勘太郎、あたしがいなかったらこの話誰にもできないもんね」


 芽衣の気持ちについては、芽衣の両親の意向もあって、うちの両親にはまだ話していない。南畑なんばたでの話し合いが終わってから、必要があればうちの両親とも話すらしい。そのことを考えると今から気が重いけど……。


 はあ、とため息をついた頃、保安検査場の列の前につく。


 そこで、芽衣は振り返ってこちらに向き直る。


「じゃ、ここでお別れだね」


「そうだな……」


 名残なごりしがっても仕方ないのだが、憂鬱ゆううつなため息をこぼすと、芽衣が困りまゆで笑う。


「なあに、その顔」


「……別に」


 ……これから頑張らないといけない芽衣を困らせている場合じゃないよな。


 それに、おれにはまだ、やらないといけないこともある。


「……ね、勘太郎、目つぶって」


 おれがカバンに手を入れようとすると、芽衣が不意にそんなことを言った。


「ん? いや、なんで」


「なんでも」


「いや、恥ずかしいだろ……」


「誰も見てないよ」


「見てるだろ、こんな列のまえで」


「いいから、早く」


 まったくおれる気配のない芽衣におれがしぶしぶ目を閉じると、かさかさと衣擦きぬずれみたいな音が聞こえる。


「……芽衣?」


 不安になったおれが声をかけた瞬間に。


「はい」





 ふわっ……と、首元がやわらかい感触で包まれる。





「目、開けていいよ」


「ん……?」


「うんうん、やっぱり似合うね」


 目の前には満足そうに笑う芽衣。


 おれはおれの首にかけられたものにさわる。


「これって……」


『せっかく似合うし勘太郎も気に入ってくれたのにね』


 それは、あの日hitonaヒトナでおれが巻いてみて結局値段が高くて買えなかったストールだった。


「メリークリスマス! プレゼント!」


「ありがとう……!」


 にこっと笑う芽衣が可愛くて、ついストールに顔をうずめる。そっか、こういう使い方も出来るのは便利だな……。





 ……そしたら、次はおれの番か。





「なあ、芽衣」


「ん?」


 おれはカバンから包みを取り出して、芽衣へと差し出す。


「え、勘太郎からもクリスマスプレゼント?」


 どうやって包んだらいいか分からず、だけど自分でせざるをえなかったので、100均で買ったラッピングの袋に入れて口を閉めてリボンを結んだだけの不格好ぶかっこうな贈り物。


「まあ、そんなもん」


 しかも、中身は金銭きんせん的価値のほとんどないものだ。


 芽衣からこんなに高価なものをもらってしまうなら、とりあえず安全策として別のものも買っておけば良かった気がする。


「わー、嬉しい!」


 受け取りながら歯を見せて笑う無邪気な表情におれの中の不安感が首をもたげた。


「いや、喜んでもらえるかわかんないけど……」


「勘太郎からもらえたら嬉しいに決まってるじゃん! 開けても良い?」


「お、おう……!」


 ニコニコ顔の芽衣が、下手くそに結ばれたリボンをほどいて、袋の中に右手を入れる。


 鼓動が早まる。……もう、祈るしかない。うまくいってくれ。


 そして、芽衣がその中身を取り出した瞬間。






 芽衣の顔から笑顔がせた。








「勘太郎、これ……?」






 おれは、その表情を見て、少しだけ安心する。






 芽衣の手には写真立て。





「この写真って……!?」



「うん」





 涙目で見上げてくる芽衣に、おれはそっと微笑ほほえむ。




 その写真立ての中に入っているのは、







「多分、世界でたった一枚の、あの時、芽衣が笑ってる写真」









 吹奏楽部の引退コンサートの後、笑顔の後に泣きそうになっているおれと、涙目のままきれいな笑顔を浮かべた・・・・・・・芽衣が向かい合っている写真だった。





 


「これ、どこで……?」


「……赤崎あかさきが、隠し撮りしてたんだって」


七海ななみちゃんが?」


「そう、」


 おれは芽衣の揺れる瞳を見て、ほっと息をつく。


「それが、おれが偽装彼氏を引き受けた理由」



* * *


 赤崎からの依頼を断って帰ろうとしたあの時のこと。


「勘太郎くん」


 歩き出したところを呼び止められる。振り返って見た赤崎はなぜか不敵ふてきな笑顔。


「これを見ても同じことが言える?」


「はあ?」


 赤崎が印籠いんろうのように胸元にかかげたスマホにうつっているものを見て、おれは目を見開く。


「お前、これ、まさか……!」




「そう、二人のつーしょ」「芽衣が笑ってる……!?」




 おれは赤崎のスマホに飛びつき、両手でつかむ。


「ちょっと、どうしたの……?」


「これ吹奏楽部の引退コンサートの時の写真だよな?」


「そうだけど……」


 画面をピンチして芽衣の表情を確認した。


「やっぱり、芽衣が笑ってる……!」


「笑ってる……? 何それ? 芽衣ちゃん、笑う人だよ?」


「いや、この日、芽衣は笑ってないんだよ……」


「そうなの……? えっと、とりあえず、私のスマホ、離してもらっても良いかな?」


「ああ、すまん……!」


 身をよじる赤崎に注意されて我に返ったおれはそっとスマホから手を離して、1歩下がった。


「とにかくその様子だと、この画像は私が思ってたよりも勘太郎くんにとって価値のあるものだったみたいだね」


「うん……。もしかして、これがもらえるのか……?」


「私の彼氏役をやってくれたら、契約満了時、報酬としてちゃんと渡しますよ」


 その不敵ふてき妖艶ようえんな笑みに、おれはほいほい釣られることにしたのだ。


「……交渉成立だ」


* * *


「その時はなんでこんなの持ってんのか全然分からなかったけど、幼馴染萌えだったからってことか……」


 その日まで自分だけのものにしてたのは、自分に関係ない写真を撮ってることで、幼馴染萌えだってことがバレないように、ということだろうか。


「すごいなあ、七海ちゃん……! こんな瞬間、あったんだ……!」


「赤崎が言ってたけど、本当に一瞬のことだったらしい。自分だから撮影できたとかなんとか」


「そっかあ……。勘太郎は、この日もちゃんと『処方箋しょほうせん』してくれてたんだ……!」


 涙を瞳いっぱいにためた芽衣が感慨かんがい深げに息をはきながら、写真立てごと写真を胸に抱きしめて、おれを見上げる。


「これ、大事にするね、勘太郎」


「おう、貴重な笑顔のワンシーンだからな」


「うん、それもだけど、それよりもね」


 そして、涙目のまま、きれいな笑顔を見せてくれる。






「勘太郎とのツーショットが、嬉しい」






 その芽衣があまりにも可憐かれんで、おれは少し泣きそうになる。


 向かい合ったおれたちはきっと、芽衣が胸に抱いている写真の中とほとんど同じような構図になっているのだろう。


「うへへ、嬉しいなあ……!」


 シュークリームを食べた時みたいにはにかんだ笑みを浮かべる芽衣を見て、おれはいよいよたまらなくなってくる。

 

「芽衣……」


 ……まだ、触れ合うわけにもいかない。


 ……まだ、好きだと言うわけにもいかない。らしい。


 じゃあ、おれの中に湧き上がったこの感情をどう外に逃せばいいのだろう。


 すると、


「ねえ、勘太郎。家族だったら、こういう時、どうするかな?」


 不意に芽衣が謎の問いかけをくれた。


「こういう時……?」


「クリスマスプレゼントの交換して、中身もすごく嬉しくて、ちょっとの間だけど、離れ離れになる時。家族だったら、さ」


「ん……?」


 おれがその質問の意味を理解できないままでいると、


「……ん」


 おれの胸元から腰の辺りまでに、柔らかな重力がふわりと巻きついてきた。


「芽衣……!」


「……ハグくらいは、きっとするよ。それが家族でも、家族じゃなくて、ただの幼馴染でも」





 芽衣が、おれにぎゅうっと抱きついている。


 その事実に身体中が甘い警報を鳴らす。






「……芽衣」


「んー……?」


 芽衣のハグに押し出されて、声が出てくる。


「芽衣が帰ってきたら、今度こそ、おれの話、聞いて欲しい」


「……うん、分かった。三度目の正直だね、たくさん待たせてごめん」


「いや……ありがとう」


「ありがとうはこっちのセリフだよ」


 ……おれからは芽衣の表情が見えないけど、いつもみたいに下唇を噛んでいるのだろう。


 言いたいことを言えて、やっと脳に少し酸素の回ったおれが、芽衣のの肩に手を回して良いか迷い始めていると、


「勘太郎」


 もう一度、芽衣がおれに呼び掛けた。


「これまでそうしてたみたいに、来年も、その先もずっと、ずっと、何十年も、勘太郎と言いあえると良いなあ」



 そして、ずっとおれが片思いしてた幼馴染はそっと身体を離して、ニコッと笑って、しっかりと呟いた。




 最近おれたちの間にも定着したその定型句は、それでも今だけはこれまでよりもずっと特別な響きを持ってずっしりと、少しだけ寂しい雰囲気ふんいきを伴っておれの胸に届いてくる。



 


 だけど、それを言う時は、その後に「ただいま」と「おかえり」があるってことだから。



 だから、おれもしっかりと芽衣の目を見て返した。












「いってきます、勘太郎」


「いってらっしゃい、芽衣」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る