第29話:『キミにお母さんと呼ばれる筋合いはないわよ?』

 手持ち無沙汰ぶさたになり、リビングでスマホをいじる。


 芽衣めいは芽衣のお母さんからかかってきた電話を取って、自分の部屋に引っ込んでいた。


 さっきのちょっとした事故がまだおれの心臓をバクバクと言わせていたし、なんだか芽衣のお母さんからの電話が『監視してるよ?』というメッセージのようにも感じて、ぼんやりと罪悪感が残り、居心地が悪い。


「はあ……」


 ため息を漏らした頃、芽衣が階段から降りてくる音がする。『終わったか?』とそちらを見ると、芽衣がおれにスマホを差し出した。


「……ママが勘太郎かんたろうに替わってって」


「……まじか」





「……もしもし」


 おれはスマホを受け取って、自室に入る。


「え、ここですればいいじゃん」と芽衣は戸惑っていたが、怒られるなら、そういうかっこわるいところを見られたくはなかった。


『勘太郎君! どう? 元気?』


「はい、元気です」


 思ったよりは明るかった芽衣のお母さんの声を聞いて、小学生時代の朝の会での点呼てんこのように返事をしてしまう。(地域差があるらしい)


『そっかそっか、良かった! って、いつから敬語なんか使えるようになったの?』


「結構前から使ってますけど……。それで、どうしましたか?」


 どうやら怒ってるわけじゃなさそうだが、それでもわざわざおれに替わった用件を聞くまでは気が気じゃない。


『どうしましたか、ってほどのことはないんだけどね。ただ、芽衣が迷惑かけたりしてないかなって思って。今電話してても、自分では『ちゃんとしてるよ』って言うんだけど……客観的に見てどうかな?』


「ああ、そういうことか……! そんな、全然大丈夫ですよ!」


『なんか突然声が明るくなったね?』


「いえ、なんかいきなりおれに替わりたいって芽衣に言われて、何か怒られるのかなってちょっとビビってたので……」


『……怒られるようなことをしたのかしら?』


「してませんっ!!」


 急に冷え切った声に慌てて否定すると、電話の向こうから笑い声が聞こえた。


『あはは、冗談冗談。でも、ほんとに芽衣は大丈夫? 何か直して欲しいところとかあれば私から伝えるけど?』


「いえ、本当に大丈夫です。どちらかというとちょっと気をつかわせすぎちゃって申し訳ないと言うか……。もっと自分の家だと思ってくれてもいいのに、と思うくらいです」


『あはは、まあ、芽衣は気遣い屋さんだからねえ……。でも、そうだなあ、勘太郎君から見て、元気そう? 寂しがってたり、する?』


 その質問につい笑みがこぼれる。


 結局、娘が迷惑をかけてないか、ということが気になっているようなフリをして、娘自身の元気を案じているのだ。


「そうですね、少なくともおれの前では元気です。ホームシックで、部屋で一人声を殺して泣いてたりしたら分からないですけど……」


『詩人だね、勘太郎君』


「やめてくださいよ恥ずかしい……」


 たしかに声を殺して泣くとかはあんまり言わないだろうけど、他の表現が浮かばなかったのだ。……あれ、生粋きっすいのポエマーなのか?


『まあでも、勘太郎君が一緒にいれば大丈夫そうだね』


「いえ、僕なんか全然……」


『そんなことないよ、勘太郎君は昔から芽衣が泣いた時の処方箋しょほうせんなんだから』


「泣いた時の処方箋しょほうせん?」


 なんだそれ? おれは顔をしかめて聞いてみる。


『あれ、勘太郎君には言ったことなかったっけ?』


「多分聞いたことないと思います」


『そうかあ。あの子昔から、どんなに泣きじゃくってても、勘太郎君が目の前にいくと、絶対笑顔になるでしょ? 赤ちゃんの時からそうだったから、本当に泣き止まなくて困ったときは諏訪家すわけにお邪魔して勘太郎君に会わせてもらったもの。あれは本当に助かったわ……』


「はあ、そうなんですか……?」


 初耳である。赤ちゃんが泣いた時には色々なませ方があるとよく聞くが、自分がそのツールになっていたことがあったなんて……。


『だから、うちのパパとよく『勘太郎君は芽衣の泣いた時の処方箋しょほうせんだね』って言ってたの』


「……詩人は、お母さんの方じゃないですか?」


 なんだか意外な角度から持ち上げられて照れ臭かったので、鼻の頭をかきながら茶化ちゃかした。


『あはは、そうかもね。……いや、キミにお母さんと呼ばれる筋合すじあいはないわよ?』


「すみません、おばさん」


『……やっぱりお母さんでいいわ。おばさんより全然いい。むしろ勘太郎君が息子ってすごくいい。というか居候いそうろうさせてもらってるおうちの御子息ごしそくに失礼よね』


「はいはい……」


 よくこんなに冗談がすらすらと出てくるものだ。こういう奔放ほんぽうなお母さんのもとに生まれたものだから、逆に芽衣は気遣い屋になったのかもしれない。似たもの親子と同じくらい、お互いの性格でバランスを取っているような親子だっているだろう。


 脳内で少々失礼な分析ぶんせきをしていると。




『……ねえ、勘太郎君。芽衣のこと、よろしくお願いね』



 突然、少し真剣な声で芽衣のお母さんが告げたので驚いてしまう。


「はい?」


『……今回、うちのパパは仕事の都合だけど、私は私のワガママで海外に来ちゃったから、芽衣には申し訳ないことしちゃったなって思ってて。そんな私のワガママの迷惑を勘太郎君におっかぶせるのも違うって分かってはいるんだけど、でも……』


 言いよどむ芽衣のお母さんの言葉をさえぎる。


「えーと、まあ、おれに出来ることはやります」


『そう……本当に、ありがとうね』


 なんだかしんみりしたトーンになって居心地悪いので、


「まあ、今は処方箋しょほうせんとやらの効果はないと思いますけど」


 と冗談ぽく伝えた。


『あら、何言ってるの? 処方箋しょほうせん、今も効果あるでしょう?』


「え?」


『だって、ついこの間だって……』


 そこで突然音声が途切れた。


「あ……?」


 画面を見ると、真っ黒。どうやらスマホの電源が落ちたらしい。


 たしかに電池残量少ないってさっき芽衣が言ってたな……。





 おれがリビングに戻ると、芽衣がテレビの前のソファに座ってそわそわとしていた。たしかに、スマホを取り上げられて母親と友人が二人で話している中一人にされてたら、そんな顔になるよな……。


「ごめん、途中で電源切れちゃった。お母さんに謝っておいて」


「もう、長電話するからだよー……」


 と、芽衣が不安な顔をしながらスマホを受け取る。


「……それで、なに話してたの?」


 じとっと見上げてくる。


「別に。『芽衣は元気?』って聞かれたから『元気そうですよ』って答えといた」


「それだけ……?」


「うん。ああ、あと、おれが『芽衣の処方箋しょほうせん』とかなんとか」


「はあ!?」


 芽衣が頓狂とんきょうな声をあげて、顔を真っ赤にする。


「うわあ、最悪だ……! ママのばかぁ……!」


 そして頭を抱えてソファの上にうずくまってしまう。


「大丈夫か……?」


「大丈夫じゃない! ていうか、む、昔の話だからね!?」


「はいはい……」


 それでもおれはやっぱり、にやけてしまうのをめられないまま。


「勘太郎、にやにやするなぁっ……!!」


 涙目でこちらを見上げてくる芽衣が全然笑ってくれないあたり、やっぱりもう処方箋しょほうせんの効き目は切れているらしいけど。

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