第2話:「朝ごはんはパン派? ご飯派?」

勘太郎かんたろう、起きて」


「んん……?」


 心地ここちよい声がして、そっと目を開ける。


「日曜だからってあんまり寝てると、なまぐせついちゃうよ?」


「ああ、そうだよな……んん!?」


 視界に飛び込んできた景色に心臓がねる。身体からだにバネがついているみたいにび起きた。


 なんせ、ずっと片思いしている相手がエプロン姿でおれの部屋にいるのだから。


「な、なに、いきなり大きな声出さないでよ……! ていうか起き抜けにあんまり動くと体に良くないよ、大丈夫?」


「いや、え、なんで……?」


 流れるように心配してくれるあたりどう考えてもこの女子は南畑なんばた芽衣めいその人なのだが、寝ぼけているためか、頭が状況についていかない。


「なんでって……、あたし、昨日から居候いそうろうさせてもらってるんだけど」


「居候……。そうだった……!」


 そんな衝撃的な事実を忘れていたわけがないのだが、現実感の無さと、寝起きの頭でついついとぼけた反応をしてしまった。


「本当に大丈夫……? 深呼吸したら?」


 そう言いながら芽衣はおれの背中を優しくさすってくれる。それが何に効くのかよくわからないが、なんだか心地ここちはよかった。


「あ、ありがとう。落ち着いた……」


「そ? よかった」


 芽衣はニコッと笑ってから、


「朝ごはん作ったから、冷めないうちに食べてよ」


 と言ってくる。


「え? 芽衣が作ってくれたの?」


「うん、そうだよ。居候いそうろうの身だから、それくらいやらないと。おじさんとおばさんも共働きだから休日くらいゆっくりしてもらいたいし」


「芽衣は、本当にいいやつだな……」


「い、いきなり何!? いいやつとかじゃなくて、義務だから、最低限の!」


 いきなり褒められたのが恥ずかしかったのか、赤面する芽衣。エプロン姿。可愛いな……。


「ちょっと、あんまジロジロ見ないで……。とにかく、起こしたからね。早く降りてきてよ? じゃあね」


 芽衣は居心地悪そうに身をよじってから、部屋を出て行った。





 金曜の夜は南畑家なんばたけ送別会のあと、芽衣は芽衣の両親と一緒に自分の家に帰り、昨日の日中にっちゅうに引越し作業をしたので、芽衣がうちで朝を迎えるのは今日が初めてだ。


 明日からは学校もあるし、大変だな……。いや、ていうか一緒に登校したりなんかするんだろうか……?


 そんなことを考えながら階段を降りると、焼いたトーストのいい匂いがした。ダイニングテーブルの上にはトーストとスクランブルエッグとウィンナーがワンプレートで載っている。


 おれの両親はちょうど食べ終わったところらしく、「美味おいしかった」とか「神」とか言いながらキッチンに食器を持っていった。


「ありがとう、芽衣」


 おれが椅子に座って深く頭を下げると、おれの向かいにキッチンからトーストを持ってきた芽衣が座る。


「あ、勘太郎に焼きたてのあげるよ」


「え、いいよ」


「いいからいいから」


 なんでもない顔をして、芽衣がおれの皿に乗っているトーストと今しがた自分のために焼いてきたであろうトーストを交換した。


「え、本当に悪いって。おれが起きて来るのが遅かっただけなのに」


「えー、いいのに。せめて今日くらいは受け取ってよ」


「ありがとう……!」


 目の前のトーストはめちゃくちゃ美味しそうだ。朝日に照らされているからか、これ以上なく輝いて見える。


「そういえば、勘太郎って朝ごはんはパン派? ごはん派?」


 芽衣がトーストにマーガリンを塗りながら首を傾げてくる。


「今日からパン派です……!」


 もともとおれは朝ごはんはご飯と納豆派だったのだが、芽衣が作ってくれたこの朝食がどう考えても世界一の朝食なので、今日からはパン派にくら替えだ。


「今日からって……?」


 芽衣が怪訝けげんな顔をしているが気にしない。


 おれもマーガリンを塗って、ウインナーと共に口に運ぶ。


「ねえ勘太郎、今日用事ある?」


「いや、別にないけど」


「食べ終わったら、荷ほどき手伝ってもらいたいんだけど……良い?」


「もちろん、そんなことでよければ」


「よかった!」


 芽衣は嬉しそうにニコッと笑う。




 食べ終わって早速芽衣の部屋に行く。


 ドアを開けると、花のような良い匂いが鼻腔びこうをくすぐる。


「昨日からしか住んでないのになんで良い匂いがするんだ……!?」


「いや、普通にフレグランス置いてるだけだけど……」


 と言いながら芽衣は机の上に置いてある花瓶みたいなのに刺さった木の棒の束を指差した。


「ああ、あれ匂いのやつなんだ……てっきり小枝こえだを飾ってるのかと」


「バカじゃないの?」


 おれの感想をあきれ笑いで一蹴いっしゅうしてから、


「それよりも、この段ボールだよ」


「結構な量だな……」


 机、ベッド、棚などの大きいものは定位置に収まっているようだが、床がほとんど積み上がった段ボールで埋まっている。入り口とベッドの間にギリギリ人が通れる小道があるくらいだ。


「これでも断捨離だんしゃりした方なんだけどね。家具とかは貸し倉庫借りてそっちに置いてるから、あたしのものしか持ってきてないし」


「そうなのか。まあ、とにかくガンガンやるしかないな。あれ、これちょっと開いてるじゃん」


 おれは腕まくりをして、まずは手近にあったダンボールに手をかける。


「ちょっと待って!」


 すると、その手の上から芽衣が箱ごと押さえつけた。


 同時、バランスを崩しそうになった芽衣の身体がおれによりかかる形になる。


 近い、良い匂いがする、柔らかい……柔らかい?


「な、なんだよ?」


 動揺しまくってそちらを見ると、目と鼻の先に芽衣のきれいな頬。いつもよりもほんのり赤くなっている。


「こ、これ、中身が下着だから……!」


「あ、ああ……ごめん!」


「ううん、あたしこそ、ごめん……! すぐに使うから、これだけ一番上に持ってきてたの……」


「そ、そうですか……!」


 自分の手と薄いダンボール一枚隔てた先に芽衣の下着があり、その上から芽衣めいの手がじかに触れているという、ある意味普通に下着を見るよりも刺激的な状況に置かれているということを知り、頭が沸騰ふっとうしそうになる。


「芽衣、わかったから、手を、離してくれ、大丈夫、けないから……!」


「あ、うん……!」


 そしてそっと芽衣が手を離して元の体勢に戻った。


「こほん……えっと、勘太郎はあの机の脇の段ボールをお願い。教科書とかもともと机に置いてあるものが入ってるから、机の上に並べてくれると嬉しい」


「わ、わかった……!」


 おれは段ボールをかき分けて乗り越えて数メートル先の机の脇の段ボールを開ける。


 教科書、参考書、辞書などの勉強道具や、ペン立てやコンパスなどの文房具、手帳や昔作ったであろう文集などを取り出し、机の上の棚に並べていく。




 一番最後。


 段ボールの底に、プチプチにくるまれて、何か硬いものがあった。


 プチプチから取り出すと、それは写真立て。


「芽衣、これって……」


 そして、その額の中には。


「うにゃ!?」


 おれがそれを取り出したことに気づいたのだろう。入り口付近から大きな声がした。


「あっ! 忘れてた! 違うから! 違うの、勘太郎! 聞いて!」


 そのまま一気に何故か否定語を連ねる芽衣さん。


「……何も言ってないけど」


「ニヤニヤしてるじゃん!」


「してねえよ」


 嘘だ。している。



 だって、そこには、小さな頃にキャンプに行った時に撮った、おれと芽衣のツーショットが収まっていたのだから。



「ずっと一緒にいるけど、おれと芽衣のツーショットってこれしかないんだよなあ……」


「なんで勘太郎までそんなこと知ってんの!? 違うの、勘太郎、あたしの写りがね、良いのがその写真なの! 勘太郎は関係ないの!」

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