天地 ②

 情けなく尻餅をついて、俺は動けなくなってしまう。

 だって――だってそんなの、仕方ないじゃないか?

 俺の眼前に、あまりにも凄惨な光景が広がっている。

 数多の鳥たちに、その身を食い千切られた――ジロウくんの、死体が。

 骨だけになった、死体が……。


「ひっ……」


 思わず、後退りする。

 目の前の光景を、受け入れられず。

 何だこれは?

 ジロウくんが死んだという現実以上に、この光景が受け入れられない。


「何だよ……何なんだよ、これ……!」


 体が震えだす。その震えを止めようと、自分の体を掻き抱く。

 それでも、震えは止まらない。



 そんな声が聞こえた。冷たい、刃物のような声。

 声のした方を見る。すると、遠くにあるあばら屋から、彼がこちらへ歩いてきていた。

 そう――タロウが。


「ちょう……そう……?」

「それが……それが、この村の葬儀なんだ」


 無機質な声で言うタロウの目は、クマで黒くなり、泣いていたせいなのか、赤く腫れ上がっていた。


「鳥に死体を食わせることで、その死体を骨だけにして埋葬する。……それが、鴇村で行われている死者の葬儀。ずっと昔から続いてきた、方法なんだ」

「う……嘘、だ……」

「嘘じゃないんだ、ワタル」


 そうとも。嘘なわけがない。

 だって、ジロウくんは。

 こうしてここで、鳥たちにその体を啄(ついば)まれて。


「う……」


 押し寄せる吐き気を、懸命に堪える。

 代わりに涙が出た。


「……鳥葬とは、チベット仏教が行うことで有名な葬儀の方法だ。遺体をできるだけ自然の処理に任せるという考えの下、鳥に遺体を食べさせる。現地では、遺体を解体、粉砕し、骨まで食べさせるんだが、この村ではそこまではしないらしい。こうして鳥葬台……何とも悪趣味に思えてしまうが、これに遺体を磔にして、鳥……主に森に棲むカラスに食べさせているんだ。古くからこの森のカラスは人を襲うカラスだったそうだから」


 淡々と、タロウは俺に説明する。そんな彼は、無残に食い尽くされた弟の死体を前にして、落ち着いていられる冷徹な人間――というわけでは決してない。彼はもう、心を擦り切らせすぎて、ボロボロになり果ててしまっているのだ……。


「こんな……こんな、鳥に食わせるなんて恐ろしいこと……」

「確かに殆どの人は思うだろう。だが、現実に鳥葬という文化は世界の一部地域で存在している。もちろん、日本でこんなことをしてしまえば死体損壊の罪に問われるだろうが、この村では昔から行われてきた、とても自然な葬儀なんだ。鳥とともに生きる村の、自然な葬儀」

「でも、でもさ……」

「分かってる。……俺たちにしてみれば、これは恐ろしい方法だ」

「……タロウ……」

「分かってるんだ……」


 目の前に、磔にされたジロウくんの白骨死体。

 それを見つめながらタロウは、ようやく一筋の涙を零した。


「……これが、墓地への侵入を制限していた理由。死者の葬儀の真実だ。そして……古くからの言い伝えの真実」

「……あ……」


 ――人は死んだら、鳥になるのよ。


 母さんの言葉が、脳裡に浮ぶ。

 幼い頃。何度も聞かされた鳥に関する知識。

 そしてまた、鴇村の鳥に関する言い伝え。

 言葉の数々が、溢れてくる。


 ――アカハラはね。おなかが赤いからそういう名前がついたそうよ。


 ――コマドリはあんなに小さいのに、声が馬の鳴き声みたいに大きいの。それで、駒鳥っていうのよ。


 ――トキはね、真白な鳥のイメージだけど、繁殖期だけは翼が黒くなるの。それに、羽の裏側は綺麗なピンク色をしてるのよ。


 ――そうそう、トキはカラスを打ち払う存在ということで、昔から信仰の対象になっているの。とはいっても、色や性格が正反対ってだけみたいだけどね。


 ――相合鳥って知ってる? この村に伝わる相合傘みたいなもので、鳥のマークの下に恋人同士の名前を書くとね。二人は永遠に結ばれるんだって。お母さんも実はね、書いたことあるんだ。


 ――人は死んだら、鳥になるのよ。鳥になって、大空へ羽ばたいていくの。お母さんはトキになりたいかな。やっぱり、トキは綺麗で、象徴的だものね――


 。それは、とても素敵なファンタジーだと、思い込んでいた。

 母さんの優しい声色とともに記憶された、単なる言い伝え。昔話。

 それが、まさか。

 そういう意味を持つだなんて。


「鳥になるってさ……鳥に生まれ変わって、空に飛び立っていけるんだって、そんな素敵な意味を持つ言い伝えなんだって……思ってたのに」


 強烈な眩暈。信じてきたものの崩壊。それに怒りが沸きあがり。


「何なんだよこれは!」


 鳥の血肉になる。言い伝えの持つ、本当の意味。

 多くの人が知らない、死後に待つ儀式。


「何なんだよこれ……これを……父さんが……赤井家が、ずっと続けてきたっていうのかよ……」


 そう。

 これを担うのは、赤井家だ。

 村で葬儀を任されている赤井家の、役目。

 だから。

 ここにジロウくんの遺体を磔にしたのは。

 俺の親父。


「……お前にとっても、辛い現実だろうな。……だからこそ知っておいてほしかったんだ、この慣習を。いずれは伝えられることだろうが、それよりも前に、見ておいてほしかった」


 タロウはこちらを真剣な表情で見つめている。俺はそれを見つめ返す気力もない。


「古くから伝わる村の慣習だ。首を突っ込まない方がいいという思いも、いくらかはある。だが……俺は考えるべきなんじゃないかと思っている。果たして村の慣習というものが、このままでいいのかどうかを。それは鳥葬であれ、他のことであれそうだ」

「他のこと……?」

「ああ。例えば、知っているか? 緑川家にはもう、医者はいないということを」

「え……?」


 タロウは、こともなげにとんでもないことを口にする。


「医者であり続けることを強制されても、実際には狭き門だ。取れなくてもおかしくはない。そうだろう? それでも慣習だからと、その家に医者を続けさせる。……完全に悪習でしかないはずだ」

「……マジかよ……」


 それが本当なら、まさに悪習だ。それに、今タロウが口にしたことは、そのまま今回のジロウくんの死の原因にもつながるのではないだろうか?


「……ジロウくんの治療が遅れたのも、じゃあ……」

「……緑川家が知識不足で、ジロウの病を特定できていなかったという理由も……ある」

「……そんな……」


 あまりにも酷い。その慣習のせいで、一人の少年の命が零れ落ちていってしまったなんて。

 救えたかもしれない、尊い命が。


「……そんなの、おかしい」

「……そう、思うか」

「だって、だってさ……そんなの、あんまりじゃねえか……。ジロウくんは、村に殺されたようなもんじゃねえか……殺されてからも、こんな……こんな方法で……」


 もう、堪えきれなかった。

 半ば倒れるようにして、俺は座り込む。


「……俺も、そう思う」


 タロウは、相変わらず悲しげな瞳を潤ませて、そう言った。


「……立てるか、ワタル」

「……」


 タロウは、手を差し伸べてくる。


「もう一つだけ、案内するところがある」

「……どこへ……?」


 情けなく上ずった声で、俺が尋ねると、タロウは囁くように告げた。


「何故赤井家と真白家が、天の家、地の家と呼ばれているか……それが、分かる場所だ」

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