予兆 ④’

「ねえ、クウ」

「なーに?」


 学校からの帰り道、僕はクウを呼びとめ、何とはなしに聞いてみる。


「この村から昔、出て行った人がいるのって知ってた?」

「出て行った人? いや、知らないなあ。そんな人いるんだ」


 表情を見る限り、それは嘘ではないようだ。やはり有名な話ではないらしい。


「カズヒトっていう名前の人らしいんだけど。何でも、裏切り者扱いされてるみたいで」

「裏切り者? ほえー、怖いな」

「村を捨てた人には、この村は厳しいんだね」

「……んー、厳しいのはそれだけじゃないとは思うけど」

「え?」

「いんや、何でもない」


 ときたまクウは、真剣な眼差しになって全てを見通したような発言をするときがある。けれどもすぐにその言葉をなかったことにして、笑うのだ。

 だからこそ、その言葉は真実味を帯びるともいえる。


「……この村にいる人たちに対しても、村は厳しいとは思うよ、僕も」

「……ん」

「クウは、村を出たいって思ったことはあったりするのかな?」

「……考えたことも、あるにはあるけどね」

「あ、あるんだ……?」


 正直言えば、クウに限ってそんなことはないと思っていたので、かなり意外だった。


「やー、まあこのままじゃ医者継がなきゃいけないし。結婚するとしたらそのお相手も医者にならなきゃいけないわけでしょ? 流石にそれは厳しすぎるといいいますか。……ま、役割が振られてるところが特殊よね、この村は」

「うん。特にクウの家は、そう簡単に継げるものじゃないもんね」

「そう。そうなんだよ、ヒカル」


 どこか嬉しそうに、それでいて悲しそうに、クウは言う。


「馬鹿だよなーって思う。そこに関しては、ね。でも緑川家だから、仕方がないと思うしかないわけ」

「仕方がない、か……」

「うん」


 だからね、とクウは続ける。


「だから、村を出て行ったその人もきっと、厳しさに耐えかねて出て行ったんじゃないかって私は思うよ」





 クウと別れ、彼女が元気良く玄関扉を開けて家に入っていくのを見届けて、さて自宅に帰ろうというときだった。遠くの方からエンジンの音が聞こえてきたのは。

 やがて、一台のトラックの姿が視界に入る。それは、村で一台しかない、黄地家のトラックだった。


「病院から、帰ってきたのかな……」


 僕はそう独りごち、家へ帰るのをやめ、トラックの方へ近づいていった。

 トラックは黄地家の庭で止まる。庭が普段トラックを止めている場所だ。いつもは食糧や日用品を荷台に乗せているトラックも、今日はその背に何も乗せてはいなかった。

 エンジン音が消え、ガチャリと両側のドアが開く。運転席のドアからはタロウたちの父親が、助手席からはクウの父親が出てきた。タロウとジロウの姿はなかった。

 庭に車を止めて、二人とも出てきたということは、もう車は使わないのだろうか。そうすると、ジロウくんは村の外の病院に今もいるのかもしれない。そしてタロウも、つきっきりで見守っているのかもしれない。そう思うと、僕はズキリと胸が痛んだ。

 タロウたちの父親もクウの父親も、沈痛そうな面持ちをしていた。それはきっと、ジロウくんの病状を映したもの。絶望的な状況を、映したもの。だから、僕は尚更に祈りたくなった。今日紡いだ千羽鶴の思いが奇跡を起こすようにと、祈りたくなった。


「……大変なことになった」


 タロウたちの父親が言う。


「……すぐに、見つかるといいが……」


 見つかる? 何のことだろう。病気について話しているのとはニュアンスの違う言葉に、僕はそれまでの感傷が吹き飛び、疑問でいっぱいになった。


「……私のせいだ。何も言わないままの方がいいと、思ったばかりに……」

「いいや……あなたは違う道を選ぼうとした。それは……素晴らしい決断だったと思う」

「……それを、伝えていれば……」


 二人はそんな会話をしながら、黄地家へと入って行った。もう少し聞いてみたかったが、流石に家の玄関扉に張り付いて、聞き耳を立てること勇気はなかった。

 しかし、今の会話は何なのだろう。病気のことを話しているのだと無理に解釈しようと思えばできる。病巣が転移したとか、それを隠していたとか、そんなところか。でも、何となくそんな話をしているようではなかった。病気とは違う、別な心配をしているような印象だったのだ。


「……何を心配しているんだろう」


 そう呟く僕自身もそのときまた、得体の知れない不安感を抱かずにはいられなかった。

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