7.婚礼(二)

婚礼の夜を含めて5日の間。

正清さまは、この内海庄に滞在されていた。


明日は、ご出立になられるという夜、お湯殿からあがられた正清さまに新しい小袖を差し出して、お着替えになる間、団扇で風をお送りしていると、それまではそういう時

「うむ」

とか

「ああ」

とか、仰るばかりでほとんどこちらを見ることもなかった正清さまが、その日は珍しくお着替えの手を止めてこちらを御覧になった。


「すまぬな」

「は、はい……あ、いえ」

ふいにそんな事を言われて、私は団扇を持つ手を動かしながら、頬を染めてうつむいた。


もう四日も夫婦として過ごしていながら、いまだに私は正清さまに直接話し掛けられると、恥ずかしくなってしまうのだった。


槇野は、私のそんな様子を見て

「まぁ、殿の御前ですと姫さまのお可愛らしくていらっしゃること!」

などと、あからさまに面白がっている。


それをわざと正清さまのお耳に届くようなところで、独り言めかして言うのだから始末が悪い。

夫婦の居間は、もとの私の部屋である西の棟の一角にあった。


「お疲れさまにございます」

酒器を手にとり、盃に冷酒を注ぐと、正清さまは一息に飲み干されて大きく吐息をつかれた。


「もう一献?」

と言うように小首を傾げると、

「うむ」

と鷹揚に頷かれる。

私はまたなみなみと盃を満たした。


いつもはそのまま、黙々と盃を重ねながら何やら思案をめぐらせていらっしゃる様子の正清さまの傍らで邪魔にならないよう控えながら、折をみて、追加のお酒をいいつけたり酒肴を運ばせたりして。


一刻ばかり過ぎた頃に、程よくお酒のまわられた正清さまが

「そろそろ休む」

と仰られるのを合図に、御膳を下げて、寝支度をして、一緒に寝所に入るというのがここ数日の定石となっていたのだけれど、今夜は少し違っていた。


その夜、正清さまは、いつもより少しお酒を過ごされた。


ご自分のお仕えしている義朝さまがいかに武勇に優れ、胆力に富み、どれだけ武門の総帥として相応しい素晴らしい資質を持った御方かということや、自分はそんな義朝さまの為なら、いつでも命を投げうつ覚悟が出来ていること……などを、これまでよりも熱い口調で延々と語られたあと。

いつもなら、そろそろ盃を置かれるという刻限に、その盃を私に差し出して


「佳穂、そなたも飲め」

と仰られた。

「わ、私がでございますか?」

「ああ。少しは飲めるのであろう」


盃を握らされて私は目を丸くした。

「存じません。婚礼の夜にほんの少し口をつけたきりですもの」

正清さまは、かぶりを振る私に構わず、盃にお酒を注ぐと、

「良い。こうしてそなたの酌で飲むのも、しばらくはない。少しつきあえ」

と、私の胸元に盃を押しつけられた。


そうまで言われて、断る口実もない。


「では……お相伴させていただきます」

私は軽く会釈をして、恐る恐る盃に口をつけた。

よく冷えたお酒は思ったよりも飲みやすくて、するりと喉を通っていく。


あとで、槇野に

「まぁ!なんてはしたない!!」

と叱られたのだけれど、私は盃のお酒を一息で飲み干してしまった。


正清さまは少し驚いたようなお顔をされて、そしてすぐに楽しげに笑われた。


「なんだ、そなたいける口ではないか」

「そ、そうでしょうか……?」

「ああ。良い飲みっぷりだ。もう一杯飲め」

「いえ。私はもう……。今度は私がお注ぎいたします。」


あわてて徳利を受け取ろうとするが、正清さまは承知なされない。

少し酔いが回られているようだ。


「いいからもう少し付き合え。夫のいうことは聞くものだ」


そう言われて再びお酒を満たした盃を差し出されて、私は仕方なくそれに口をつけた。


(夫と酔っぱらいには逆らわないのが利口、と母さまが仰っていたっけ。今みたいに夫が酔っぱらいになっている場合は、これはもう絶対に口応えなんてしない方がいいってことよね  )


そう思った私は勧められるままに、どんどん盃を重ねていった。




半刻ほどして。


「あぁ、酔った。少しばかり過ごした」

正清さまが、脇息を押しやり、ごろりとその場に横になられた。

昨日までのご様子からは想像も出来ないお行儀の悪さである。


けれど、嫌な気はしなかった。

私は急いでお膳や酒器などを片付けさせ、寝所の支度をした。

侍女たちが下がり、2人きりになると正清さまが言われた。


「佳穂、こちらへ来い」

言われるままにお側に寄ると、私の膝に頭をのせて、正清さまは、ほぅっと吐息をつかれた。

「そなた、見た目によらず酒が強いな」

「まぁ、恐れいります」

「一杯飲んだだけで、首筋まで桜色にしているから、すぐにでも潰れてしまうかと思うたが……なかなかどうして、それからが少しも乱れぬ。少しは酔わせてやろうと思うておったら、こっちが酔ってしもうたわ」

「申し訳ございません」

「謝ることではない」


正清さまは私の膝に頭を乗せたまま、はぁ……とまた一つ吐息を漏らして目を閉じられる。


「冷たいお水でも持って参りましょうか」

そっと尋ねてみると、

「いい。このままで」

というお返事がかえってきた。


(このままでって……)

着物越しに触れている部分の肌が熱い。

灯火のもとでこんなに近くでお顔を拝するのも初めてで。

お酒での火照りとは違う熱で、頬が熱くなってくる。


半刻ばかり、そのままでいただろうか。

(意外に睫毛……長い)

(あ、こんなところに傷……。やっぱり、実際に戦場に出たりなさるのかしら……)

正清さまの頭を揺らさないように身じろぎも我慢して、目を瞑られているのをいい事に、お顔をまじまじと見つめていると。


「佳穂」

うたた寝されているとばかり思っていた正清さまが、目を瞑ったままふいに私の名を呼ばれた。

「は、はいっ」

( ああ、びっくりした…!)


私の驚きをよそに、正清さまは、すっと膝から起き上がられると、先ほどまでのほろ酔い加減なご様子とはうって変わって、きちんと座って私に向き直られた。

私も慌てて居住まいを正す。


「そなたも知っての通り、俺は河内源氏のご嫡男、太郎義朝さまの乳兄弟であり、一の郎党だ。誰よりもお側近くお仕えし、忠義を尽くして参った」


「はい」

頷きながら、内心

(改まって何かと思えば、またそのお話……)

と可笑しかった。


ともに育った乳兄弟だから、一の郎党であるから、というだけでなく、正清さまは主であられる義朝さまに、心から尊崇の念を抱いておられるようだった。


「妻をめとった今とてそれは変わらぬ。俺の志は常に殿を御守りし、その御宿願である、源氏が武士の覇者となるその日が参るまでお側でそれをお助けすることだ。殿の御為ならこの命、いつでも投げ出す覚悟は出来ている。それゆえ……」


そこで言葉を区切ると、正清さまはまっすぐに私を御覧になった。

「そなたには苦労を強いることになるやもしれぬ。承知しておいて欲しい」


「はい」

こくりと頷くと、正清さまは、小さく笑われた。

それが、いかにも

『本当に分かっているのか、この小娘は』

とでも言うような感じだったので、私は少しムッとして口を開く。


「承知いたしております。私もこれでも武家の娘です。殿が、義朝さまのことのみを一途に思うて、お務めを果たせるように佳穂が及ばずながら一生懸命にお助けいたします」


「そうか」

正清さまはまた笑われた。

今度は先ほどよりも楽しげな笑い方だった。


「殿のこと一途で、その他の事は構いつけもせぬ、そんな夫でそなたは良いのか?」


「はい。殿が義朝さまのことのみを思ってお過ごしなら、その間、私は殿のことのみを思うて過ごします。殿は、御主家からのご信頼も厚い三国一の婿君さまだと母が申しておりました。そんな御方の妻になれて佳穂は果報者にございます」


正清さまは、ちょっと驚いたように瞬きをして、まじまじと私をみつめられた。


「佳穂」

「はい……えっ、きゃっ!」

ふいに腕を引かれて、抱きしめられて私は小さく悲鳴をあげた。


「…先年、殿のご正室、由良の方さまに若君がお生れになられた。殿には三郎君にあたられるがご生母のご出自などを考えれば、この若君がご嫡男の座につかれることはまず間違いないであろう」

「は、はい」


「俺の跡継ぎとなる男子は、そなたに生んで欲しい。佳穂。良き子を産め。その子はやがて若君のお側近く仕える、強き源氏の武者となろう。俺と、俺の父がそうしてお仕えしてきたように」


熱のこもった声で耳元で囁かれ、強い力で抱きしめられて、私はどうしていいのか分からずにひたすら身を固くしていた。


だって…、確かに武家の妻として『跡継ぎを産んでくれ』って言われるのは究極の愛情表現になるのかもしれないけれど。


まだ、新婚五日目の新妻としては、そんなことを言われながら抱きしめられて、いったいどんな顔をしてればいいというのか。

まさか「どんとおまかせ下さい!」と胸を叩いて言うわけにもいかないし。


けれど、どんな反応をすれば良いかなんてよけいな心配だった。

ご自分の言葉に触発されたのか、正清さまは、私を抱き上げると、そのまま次の間に用意してあった褥の上に運ぶと有無を言わせず押し倒した。


(え?……え!?)


急な展開に半ば呆気にとられているに私に、覆いかぶさるようにして抱きすくめると、慌ただしく小袖の襟元に手をかけられる。

そのなさりようは昨晩までと比べて、随分と情熱的……というか、まぁ有体に言えば乱暴で。

昨日までは一応、お気を遣われていたのだなぁ、と分かる。


それにしても……。

あんなお志だとか、源氏の宿願だとかいう固いお話のあとに、何故こんなに急にこのような御気分になられるのか。

殿方の考えることは本当によく分からない。


そして、良き子を生んで欲しい理由が、殿の若君の良い郎党になって欲しいから……って。


この五日間で嫌と言うほど分かっていたつもりだったけど。

正清さまにとっては、ほんとに、本っ当に、義朝さまが一番大切なのね……。


とりあえず重い……。

あと、強くつかまれ過ぎて腕が痛い。


そんな事を考えられたのはそこまでで。

その後に性急に続いた、正清さまのいくつかの動作が、私の頭からもよけいな思いを押し流していった。

別れを明日に控えて、名残を惜しむ間もないくらいだと思っていた秋の夜は……結構長かった。


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