雪獅子公の右腕編

第五十四話



 ウェイダ領の領主の館からほど近い場所に、一軒の家が建った。脇には馬小屋と物置小屋、裏手には井戸と洗い場を備え、更に程よい広さの庭を柵で囲ったその新築一戸建ては、とある一組の夫婦予定者たちのために作られたものだ。

「堪らんな」

 見つめながら呟く副官に、トウキは呆れた顔をする。

「どういう感想だ」

「いや、だって。こんなでっけえ買い物したの生まれて初めてですもん。これに、これから、俺と、エシュが住む……堪らんじゃないですか」

「…………よくわからないが、嬉しい、ということだな」

「へへ」

 チュフィン・ワバール・ロウは両手を高く揚げ、その場でくるくると回った。


「やっとエシュを嫁さんにできる! ラゲとも一緒に住める! ぞ!!」


 そんな歓喜に満ち溢れる彼の元に、


「領主様、副長さん、こんにちはーっ。あ、おうちできたんすね!」


 少年のようないでたちの元気な少女が駆けてきた。職場の部下たちによく似た顔のその彼女は、名をパディカという。ウェイダ領の術医師バンタール家の末娘で、十五歳になったばかりだ。

「ようパディカ、どうだ立派なもんだろ」

「お~、立派なもんすね~! じゃあエシュ姉ちゃんとの結婚ももうすぐだ!」

「そうなるな!」

「や~、めでたいな~! …………あっ、そう、手紙! 手紙だよ副長さん」

 大きな肩掛けかばんから、丸めて蜜糊付けで留められた書簡を取り出し、チュフィンに渡す。パディカはこの近隣に住む年頃の娘としては珍しくアヴィロ家で働かず、ウェイダ領内で書簡や荷物を届ける仕事に就いている。

「都の印が付いてるね。実家からじゃない?」

「えぇ~、わざわざ見放した家出息子に手紙なんて…………うっわ、ほんとに実家うちからだ」

「開けてみろ」

 お互い様だがこれまで何の音沙汰もなかった家からの連絡――チュフィンが自らついてきたとはいえこんな辺境の地に連れてきてしまったという事実は、トウキに彼の家に対する後ろめたい気持ちを抱かせ続けている。何かあったのではないか。心配してうながすと、

「……ごめんパディカ、これ送り返して」

 チュフィンは書簡と送料分の金をパディカに手渡した。トウキとパディカは、同時に、えっ、と声を上げた。

「みっ、身内に何かあったんじゃないのか!?」

「そうだよ副長さん! 一応ちゃんと開けてみた方がっ」

「違う、そういうんじゃない、全然心配ない。です」

 普段はほがらかな表情が、鋭く締まる。

「急ぎだったら知り合いの術士に頼んで転移術使ってでも直で来るはず。そうじゃなくてのんびり運ばれてくる書簡こんなの出してきたんじゃ、どうせろくでもないことしか書いてないんだから。ほっといて大丈夫大丈夫」

「チュフィン」

「トウキ様」

 ふう、と軽く溜め息をつくと、いつもの調子に戻った。

「知ってると思いますけど。家族ってのはね、仲いいのばっかりじゃないんですよ。……さ! 仕事行きましょ仕事! さっさと行かないとあいつら酒盛り始めちゃいますよ!」

 すたすた領主の館に向かう。今日は共に夜勤の日だから出勤も昼過ぎからでゆっくりだ。

 突き返された書簡を鞄に戻しながら、パディカはチュフィンを見送る。

「ほんとに、副長さんってご家族と仲悪いんすね」

「らしいが……とはいっても、なぁ……」

 家出同然で出てきて十数年経った末息子にわざわざ書簡を送ってきたともなると、緊急性はないにしろ何か重要なことが書かれているのではないのか。しかし、本人でもない自分が封を開けて読むわけにもいかない。


(そのまま送り返せば本人が読んでいないことはわかる……また送られてきたらそのとき考えればいいか……?)


「パディカ」

「はい」

「次にチュフィン宛ての書簡が来たら、本人に渡す前に教えてほしい」

「ダメっすよ!」

 パディカは腕組みをして領主様を叱った。

「お手紙や荷物は本人に渡すって決まりがあるんすから!」

「俺が先に開けて読むとかそういうことじゃない。来たら来たと教えてほしいだけだ。それならいいだろう?」

「う~ん」

 首をかしげ、考える。

「まぁ、確かに……それなら……いいのかな?」

「次に同じようにあいつの実家から書簡が来たら、ちゃんと受け取らせて読ませる。その方がお前が送り返す手間もなくなる」

「それなら受け取らせてよぅ」

「一度送り返して、あちらの反応を見たい。大事なことなら、また送られてくるはず。今回はすまないが返送してくれ」

「う~ん……そっか、そうだね。わかったよ。じゃあ、また来たらお知らせするね!」

「頼む」

「はぁい! ……あ、そうそう、奥様にもお手紙あるんだ。お屋敷にいるかな?」

 鞄から先程チュフィンに渡したものよりも一回り大きい書簡を取り出す。見たことのある紋章の押された金粉の混じる蜜糊は、ある程度の財力か身分がある者しか使用しない高級品――こちらも実家からか。

「残念ながらマイラは今日は朝からロナルに行っているな」

「えっ! ロナル!? う~ん、そっかぁ……ロナル……今日そっちユゼ兄ちゃん担当なんだよなぁ、もう行っちゃったかなぁ」

「夕方には戻ると言っていた、先に他を回ってきなさい。今日は俺は帰らないから、届けたらタシアに送ってもらうといい」

「うん、ありがと領主様! じゃ行ってくるね!」

 手をぶんぶん振って走っていくパディカを手を振り返しながら見送り、姿が見えなくなったところで、はぁ、と溜め息をつく。

「忘れていたが……あいつも結構な地位にある貴族の家の生まれだったなそういえば……」

 いつも気安く接してくるチュフィン・ロウは、あまりにもこの片田舎の領地と住人たちに馴染んでしまっている。そういえば、以前このウェイダの地に骨を埋めるつもりだとかそんなことも言っていた。


(とはいえ、だ……)


 元々チュフィンは皇帝直属の剣士隊の一員として皇帝リュセイの命を受け、トウキの監視役という理由をこじつけられた護衛として付けられた立場である。リュセイがトウキの身を案じているからこそ十年以上もそのままそばに置かせてくれているが、本来ならいつ都に戻れと言われるかもわからないのだ。


 そのまま考え込んでいると、


「たーいちょっ! 遅れますよ!」


 肩を叩かれる。振り返るとチュフィンが自身の愛馬ラゲとトウキの馬シャンドをいてきていた――その後ろから、白い大きな獣がとことこ軽快に歩いてくるのが見える。

「チュフィン。スニヤがついてきてるぞ」

「えっ、……あっ。スニヤ~、今日は留守番って言ったろ~」

 追いついたスニヤがご機嫌そうにラゲとシャンドの周りをぐるぐる回るが、二頭はいつものことだと気にしない。種族は違うが同じ馬小屋で共に暮らして裏手の小さな放牧場で駆け回っているので慣れている。

「連れて行きます? どうせ腹減ったら自分で帰るでしょ」

「まぁ、そうだな」

 近付いてきて撫でてほしそうに見つめるスニヤのたてがみを荒くかき回し、トウキはチュフィンから馬の手綱を受け取った。

「さて、行くか」

「はい」



     ◎     ◎     ◎



 その頃マイラはというと、ロナル鉱山の麓にある温泉街のとある工房にいた。

「………………どうでしょうか!」

 横から壮年の男が覗き込む。

「うん、初めてにしちゃいい出来、いや……驚いたな。結構器用だな奥様?」

「ほんとですか?」

 今度はマイラより少し年上くらいの男が反対側から見る。

「わ、すっげ。俺が始めて五年くらい経った頃より上手うめェ」

「それは大げさだと思います」

「いや、実際そうよ。奥様俺より才能あるんじゃねーですかね? よし、じゃあ仕上げだ! こっからはちょっと難しいから、あとは親父に任せちゃって下さい」

「はい! ありがとうございます!」

 奥から工房の主の細君が顔を出す。

「奥様、お昼抜きでずっと作業してたからお腹空いてるでしょ? 今ヨズ蒸したの、お茶入れるから食べてって! ほらあんたたちも手洗ってきな!」

「ありがとうございます!」

 職人親子と裏口から出て、井戸の揚水機ようすいきぐ。ポルシという木から取れる樹脂と灰と水を混ぜ、更に花蜜を少し加えた練り石鹸で手を洗うと、汚れがよく落ちる上ちゃんと保湿もされる。

「わ、これいい香りですね」

 揚水機の傍に置いてあった器から練り石鹸を指で掬ったマイラが目を輝かせると、工房の主人が笑った。

「だろぉ? 試しにビヤタの葉っぱをな、生のまんますり潰して入れてみたんだよ。この、爽やかな感じがいいよな」

「うちにもあるからやってみます! そっか、いろいろ香りを付けてみるのもいいですね!」

「ははっ、奥様はほんっと、何でもやってみたがるなぁ!」

 手がきれいになったのを確認し、腰に巻いた布で拭く、

「ちょっと、ウェイダの産業の活性化について本格的に考えたいなって思ってまして」

「成程、ここはチェグルと同じくらいの広さはあるけどチェグルほど栄えてねえもんなぁ」

「国境なので外国とやりとりするのは危ないですけど、国内向けのものを生産するには持ってこいの環境だと思うんですよね。数年前に東の方の領地でも成功したとか聞きますし」

「あぁ、テウガエな。あそこも領主の奥方様が思いついたらしい。いっぺん食ってみてぇもんだな、うめえ菓子だっていうじゃねぇか」

 クォンシュの東の海に面する領地テウガエは、小高い丘陵地となっているオントルが馬の産地として有名だ。ここ数年、天候の影響であまり生産がかんばしくなかったのだが、テウガエに多く棲息している草の付ける実を使った菓子を売り出してみたところ、名物として評判になっているのだという。それを考案したのが領主の妻らしい。

「そうなのですか! それはやり甲斐がありますねぇ!」

「おぅ、頑張れ奥様! 期待してんぞ!」


 はい、とマイラが返事をしようとした、そのとき――表から、何やら騒がしい声が聞こえた。聞き慣れない男の怒声だ。


「お? また喧嘩か?」

「いえ、あれは……ちょっと、見てきます」

 工房の前の通りまで急いで出て行くと、立派な馬車があった。その御者と思わしき男が馬用のむちを振り回しているその相手は、工房の前でおとなしく伏せて待っているマイラの友たる黒牙獣ワラウスレイシャ。

「なっ、なっ、なんだその目はっ! はやっ、はやくそこをどけっ!」

 獰猛なことで有名な獣を相手にしているせいか、声が上ずっている、が、レイシャはひとつあくびをすると、ふすん、と息をついた。呆れているようにも見える。

「退かんかッ!」

 鞭で打とうとしたその腕を、

「お待ち下さい」

 マイラは掴んだ。

「突然の失礼をお許し下さいませ。この子は通行の邪魔はしておりません。何故このような仕打ちを? そのままお通りになればよろしいでしょう」

「何だ貴様は!? このような無礼許されると思っているのかっ!」

「お答え下さい。何故、この子をそんなもので打とうとなさっているのです? この子は見ての通り黒牙獣、攻撃などしようものなら貴方も無事では済みません。それをわかっていらっしゃるのですか?」

 粗末な衣の娘から放たれる強い目の光に、男はひるんだ。しかも腕を掴む力も見た目からは想像がつかないくらいに強い。本当は只者ただものではないだろうことに本能的に気付いてはいるのだが、引っ込みがつかない。

「離せッ」

「お答え下さい」


 と、


「ティドラ。何をしているのです。さっさとその黒いのをわたくしの視界から退けなさい」


 馬車の小窓が開き、声の主が顔を出した。ふんわりとした巻き癖のある赤っぽい茶色の髪の若い娘。

 若葉のような色の大きな目が、マイラを見やった。


「わたくしの御者の邪魔をなさらないで下さいな」

 視線も声も冷たい。マイラはティドラと呼ばれた御者の腕をそのままに、娘の目を見返す。

「申し訳ありませんが、それはできかねます。この子は夜の乙女がつかわして下さった私の大事な友、長い時間ここでおとなしく私を待っていてくれただけなのに打ち据えられるなど納得できましょうか? そちらこそどうか、そのようなご無体な命はお取り下げ下さいませ」

 ティドラが慌てた。

「ぶっ、無礼者! この方をどなただとっ」

「どなたなのです?」

 今度は御者を見据える。敵意をマイラにも向けていると感じたか、レイシャも素早く立ち上がって並び、ティドラに対して威嚇する。

「どのような身分にあろうとも、このような真似が許されるなどということはありません」

「う…………」


 馬車の扉が開いた。

 娘が、降りてくる。


「よろしい、お教えしましょう。わたくしはサマラーシャ・ナウン・キルプ。財務大臣ゾマルス・ワドゥーゼ・キルプの娘です。わかりましたか? さぁ、そのグルグルうるさい黒いのをどこぞへ下げなさい。目障りです」


 見たところ、マイラと同じくらいの年頃のようだ。上から下まで見事な装いにこの言動。絵に描いたような、高い身分にある者の令嬢。どうやら親に甘やかされ育ったらしい。


 マイラは、ティドラの腕を掴んでいた手を離すと、その場に膝を着いて最上の礼をした。


「申し遅れました。わたくしはマイラ。マイラ・シェウ・アヴィロ・ルヨ・ファンロン。ここウェイダ領の領主トウキ・ウィイ・アヴィロの妻でございます。ようこそ、ウェイダ領へ」


 身なりの割に美しく整った礼、そして――名乗り上げられた名に、


「え」


 大臣の娘の表情が、固まった。


「…………い、ま、なんて、おっしゃいました?」


 マイラは顔を上げると、にこりと笑う。


「昨年隣国ファンロンより嫁いで参りました、雪獅子公トウキの妻でございます」



 サマラーシャお嬢様の顔から、血の気が引いた。




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