第四十話



 チェグル領主ツトゥの好意の申し出より二日後、ユーイは多忙なはずの主を連れてきた。


「ちゃんと直接話つけろ!」


 ほっそりとした体付きに見えるが、ユーイは力がある。同族の姉や弟との鍛錬を日課としているし、普段いつでも動けるようにと武器や薬品をいくつも仕込んだ上から女物の衣を着込んで、更に女装に違和感がないようにと派手に装飾品を着け、化粧もきっちりしている。いや、化粧は体力の件には全く関係ないのではあるが。

 一方のツトゥ・エンインは、三年ほど前に父の急逝により領主になった身である。それまでは父の補佐をしながら領主としての仕事を学んでいたが、父のように武芸を好んでいたわけではない。体付きも剣士としては細い方のトウキ(もっとも、彼の場合は純粋な人間ではないので、そもそも体の作りが少し違うようだが)と比較してもお世辞にもいいとはいえない。


 そんなであるから、ツトゥはまさにユーイに「引きずり出される」形でアヴィロ家の応接室に入室してきた。トウキと目が合うと、あわ、と口ごもる。

「わ、わを、お、おふぃしゃしぶりっ、ですっ、殿下っ、突然の訪問大変ご無礼をっ」

「ツトゥどの。私はもう殿下ではないと……それに先月の末にウーリュン川の現場でお会いしただろう、そんなに久しぶりでもない。あと落ち着いてほしい」

「はひ」

 屋敷に到着した当初から緊張し困惑し狼狽していたツトゥの様子を見ていたマイラが、温かい茶と共に別の碗を供した。

「ツトゥ様、こちら、お水です」

「あ、ありがとう、ございます」

 礼をして椅子に腰を下ろしごくごくと水を飲み干すツトゥの横から、ユーイにそっくりな女性が手巾しゅきんを差し出す。彼女こそが、ツトゥ・エンインの正式な妻であるヤルア・エンイン――ユーイの実の姉である。


「この度は弟の無理な申し出に合わせていただき、何と御礼を申し上げていいのか……」


 光を含むと輝く蜜色の髪に、晶玉の杯に入れた紫スモモの酒のような赤みの強い紫の目。抜けるような白さの肌に乗る化粧は最低限ながらに品がある。身のこなしや態度は貴人の妻らしく洗練されている“そこにいるだけで場が華やかになる美女”だが、とてもユーイと同業の者とは思えない。マイラはずっと見とれてしまっていた。ユーイもきれいだが、彼女と並ぶと少年らしさがにじみ出ているのがわかる。


 揃って頭を下げるエンイン夫妻に、トウキは笑顔で応える。

「いや、いいんだ、こちらもできれば直接話を聞けたらと思っていたし、ツトゥどのの自慢の奥方にもようやく会えた。少し忙しい時期だろうがさすがにすぐ引き返すのでは大変だろう、泊まっていかれるといい」

 是非そうして下さい、とマイラも手を叩いた。

「ユーイから今日いらっしゃるって聞いて楽しみにしてたんです。ゆっくりしていって下さいね」

「喜んで!」

 立ち上がったヤルアが茶を供し終えたばかりのマイラの手を取った。

「ずっと会いたかったの! ユーイがお手紙見せてくれてね、きっと気が合うって! えぇと、そっちの、ルコさん? だっけ? も、ほんとかっこいーねー!」

 それまで奥様然としていたが、一転しはしゃぐ姿はただの若い娘だ。マイラとユーイよりも五つも歳上だというが、きらきらと眩しい美貌と無邪気さが、年齢よりも幼く見せる。トウキの後方に立って控えていたルコが、恐縮です、と表情そのままに会釈したが、このヤルアという女性もルコの愛想のなさはあまり気にしないらしい。

「ふふ。ユーイとは正反対ね。……あーあ、明日には帰らなきゃいけないなんてつまんなーい。ねぇツトゥ、あたしだけ残っていーい? 三日くらい!」

 ツトゥは困ったように笑った。

「あ、うん……」

「もー、じょーだんよー。このクソ忙しい時期に一人にしないってば。また今度ゆっくり温泉入りに来ましょ、二人で」

「あ、うん……」

 今度は照れたような顔になる。大陸西方の民の血を引くというツトゥは肌の色が少し濃いのでわかりにくいのだが、恐らく赤くなっている。トウキはほんの少し、親近感を抱いた――いや、それはそれとして。

「話を、戻すが……ツトゥどのは、その……大丈夫、なのか?」

「はい」

 姿勢を正したツトゥは、真っ直ぐにトウキを見た。

「ユーイから聞いていると思いますが、うちにはこの、ヤルアがいます。弟も一人。まだ幼いですが、数年のうちには充分使えるようになりましょう」

 次に、横に立つユーイに目をやる。

「これは見た目の割に少し荒っぽいですが、ヤルアにも劣らぬ廻者まわしもの。仕事については保証致します」

「だァれがせっかちでそそっかしくて荒っぽいって!?」

「何だお前自覚してたのか」

「うっせえ」

 見た目は全く似ていないが本当に仲の良い兄弟のようだ。

「ユーイの腕を心配しているわけではないんだ。ただ……」

 トウキの言葉に、

「ユーイは、いいの?」

 ヤルアに手を取られたままのマイラが続ける。陰で動く者を得られるのは頼もしく喜ばしいが、二人を引き離してもいいのだろうか、というのは、ここ数日でトウキとマイラが二人で案じていたことである。特に、つい先日まで親友が愛していたシウルを長年借り受けてしまっていたトウキにしてみればとても気になってしまっているだろうことを、マイラは知っている。

 女装の美少年は、うーん、と唸った。

「ウェイダはど田舎だもんなぁ、チェグルと比べて」

「つまらないから嫌?」

「いや? そーんなことないけどー?」

 マイラの手を離したヤルアが、弟に近付いて両頬を摘まみ引っ張る。

「勿体ぶるんじゃないの嬉しいくせに」

「ぃっだだだ」

「嬉しい? そうなの? ほんとに?」

 マイラに迫られ姉に解放されたユーイは、痛む頬を撫でさすりながら口を尖らせた。

「俺、もう十九になるんだぞ。やっと独り立ちできるんだ、嬉しくないわけないじゃん」

 弟の肩を抱き寄せたヤルアがにこにこ笑う。背丈があまり変わらないから、まるで双子のようだ。

翼蛇ウォーサは本来なら十五で一人前扱いになるの。でもユーイはこの通り、せっかちでそそっかしくて荒っぽいくせに自惚れ屋でなかなか学習しないバカでしょ。どうしようかって何年も家族と長で話し合ってて、ようやくね。去年のアレは、ほんっと……よりによってあたしの目が離れてるときに……ツトゥから聞いてどうしようかと……」

 最初は嬉しそうにしていたが言ううちに目を伏せて嘆息してしまったその姿に、傍で成長を見守る実姉の苦労がしのばれる。トウキが返す言葉もなくただ苦笑いするのを見たユーイは、

「もっ、もう大丈夫だからなっ、『余計なことしないで主人の言うこと聞く』! 学習したからなっ!」

 少し焦ったようだった。断られたら独り立ちする機会がまた延びてしまうと考えたか、実力を疑われたくないらしい。必死に取りつくろおうとする友人にマイラは笑った。

「わかってる。貴方なら、ちゃんとできるよ。……旦那様」

「ああ」

 トウキはツトゥに頭を下げた。

「せっかくのご厚意、ありがたくお受けする」

「頭をお上げ下さい、でん……トウキ様。これはお詫びであり、こちらからのせめてもの御礼でもあるのです。あのとき訴え出られてしまっていたら、ユーイを失うところでした。貴方と奥方に救っていただいたユーイだからこそ、我々に対するような甘えた部分を出さずにお役に立てるはずだと、そう思います」

 そう語るツトゥ・エンインの顔には、ユーイに対する信頼が見てとれた。


 これは、「引き離してしまう」のではない。この二人なら、離れても大丈夫だ。


 トウキとマイラは確信した。



     ◎     ◎     ◎



「さっそくだけど、お願いがあります」

 夕食と湯浴みを済ませたツトゥとヤルアが休みに客室に入った後、マイラはユーイをトウキの執務室に呼んだ。もちろんトウキも同席している。ユーイはたのしそうに、おー、と応えた。

「いいねいいね、それでこそやり甲斐があるってもんだ。で? 何すりゃいい?」

「そんなに詳しくなくていい、ほんとに簡単にでいいから、イノギアとデアーシュの様子を見てきてほしいの」

「あぁ、今雲行き怪しいっていうもんな。了解了解。じゃ行ってくるわ」

 すぐさま部屋を出ていこうとするので、トウキが椅子から立ち上がり慌てて引き止める。

「ちょっ、待てユーイ、発つのは明日の朝でも」

「情報はナマモノだぜ雪獅子公。こういうのは命じられたらさっさと行って、新鮮なのを持ち帰る。廻者の鉄則だ」

「その前に、だ。話しておきたいことがある」

「何? 俺の可愛い嫁に手ェ出すなって? 出さねーよ安心しな」

「そっ、うじゃ、なくて!」

 照れる夫の様子に少しだけ笑いながら、マイラがユーイの両肩に手をかけて、トウキの前に連れて行く。

「これが終わったらすぐ行っていいから、もうちょっとだけ待って」

「ぅん?」

「まず、貴方の処遇。貴方の主人は、旦那様……トウキ・ウィイ・アヴィロではなく、私、マイラ・シェウ・ルヨ・ファンロンになります」

 鮮やかな赤紫の目が見開かれる。

「へぇ? まぁ別にどっちでもいいけどさ……理由は教えてくれるやつ?」

「ユーイ。貴方、旦那様と皇帝陛下のことは知ってる?」

 その言葉だけで、ユーイは納得した。

「あぁ……そっか、そうだな。廻者の飼い主が雪獅子公なんて知られたら、皇帝過激派が黙ってねーか」


 ユーイも生まれ育ちはクォンシュだという。皇太子暗殺未遂事件があった当時、マイラと同い年である彼もまだ幼い子どもだったが、周辺諸国にまで知れ渡るほどの事件は多少は記憶に残っており、また恐らくそういう生業なりわいをしている一族の間では語りぐさにもなっているのだろう。


「うん、わかった、じゃあそうしとこう。……でも、術か何かかけられて姫様の名前吐いちゃったらどうすんだ?」

「大丈夫」

 にこり、マイラは笑う。

「基本的にとがめられて貴方や私の身が危うくなるようなことはお願いしないつもりだから。つまらない?」

「いや? 俺をどう扱うかはあんたの勝手だ。あんたと旦那がいいならそれでいい。……話ってのは、これだけか?」

 姿勢を正したトウキが目を細める。

「お前、ここでもそれでいく気か?」

「ん?」

 数日前に遣いとして来たときは男の格好をしていたが、今日は華やかな女装、チェグル領主ツトゥの愛妾の姿である。自分の服装を確認して、ユーイはトウキを見返した。

「どっちがいい? この格好の方が姫様の近くにいやすいと思うけど。若い男が傍にいるんじゃ体裁ていさい悪くないか?」

「う、あっ」

 言われてみれば、そうかもしれない。護衛だと言えば済む話のようにも思えるが、マイラは剣も弓も使えるし、行動範囲もトウキが危険はほぼないだろうと許可している区域に限られている。何より黒牙獣ワラウスレイシャも付いている。

 どうすべきか――返答に窮したトウキが無言のままマイラに助けを求め、マイラも何と返せばいいのか迷っていると、紅は落ちたが美しい色と形のユーイの唇から大きな溜め息と苦笑いが漏れ出た。

「そうだな、じゃあ、そのへんは臨機応変にやってくわ。報酬はそっちに任せる、好きにしてくれ」

「任せる? 翼蛇は高いと」

「あー、こういう仕事じゃそう思われるか。高いのはお偉いさんの暗殺とかそういうでっかい仕事のときだけ、一族全体で動くからな。どうせ衣食住保証してくれるんだろ? 必要経費にちょっと足してくれるだけでいいよ」

「……そういう、ものか」

「そういうもんさ。定額にしたいってんなら、帰ってくるまでにそっちでいろいろ決めといてくれ、俺は大体何でも受け入れる。以上?」

「あと一つ、お願い。これを」

 そう言ってマイラが握らせたのは、先日ツトゥがユーイに持たせたものとよく似た、油紙に包まれた小さな書簡。封をした蜜糊には、紋章のような印が刻まれている。

「できたらでいいから」

 受け取ったユーイは、書かれた宛名を見ると、

「任せとけ、絶対届ける」

「無理しないでね。行ってらっしゃい」

 笑って手を振り、部屋を出ていった。

 椅子から立ったトウキが、マイラに近付いて、袖を摘まんで引く。


「何を、渡した?」


 それは、少し――本当に、ほんの少しだけ、拗ねているような、寂しそうな。


 自分よりも十一も上の夫の、歳の割に幼い行動に、マイラは何故か頬のあたりがぽぅっとあたたかくなるのを感じた。

 それは、熱が出たときや酒を飲んだときのものとは違う、何だか心地よい熱。


 自然と笑みがこぼれた。


「ごめんなさい、勝手なことを。……イノギアのツコラ様宛に、エシュの無事と、もうすぐ婚姻することを伝える文を。せっかくイノギアに行かせるからと思って、さっき急いで準備したんです」

 ユーイをイノギアとデアーシュに様子見にやるというのは、ルコも交えて事前に話し合って決めていたが、急に思い立ったらしい。

「今は特にとても大変なお立場でしょうし、……もしかしたら、別に知りたくもないかもしれませんけど」

 正直に話してくれたことに、トウキの表情がほぐれた。

「……そうか。いや、うん、きっと、喜ばれるだろう。ムドゥヤザどの……イノギアの宰相は、清廉な人物だと父から聞いている。二十年以上国が崩壊しないように一人で踏ん張っている方だ、何か一つでもいい話が聞ければ、少しは心が安らぐはず」

「はい。そうだと、いいですね」

 安堵と共に離れかけた手を取り、そのまま引き寄せるようにして、マイラはトウキに抱き付いた。一瞬戸惑った後、ゆっくり包み込むように受け入れてくれる体温が心地よい。

「旦那様」

「う、はい」

「……緊張なさってますか?」

「正直言うと、そうだな」

「やっぱり、私があんなことをしたから……!」

 後悔するような口振りだが一向に離れようとはしない妻にトウキは口元が僅かに笑んでしまう。

「うん、そう、だ、けど」

「次からは、ちゃんとやっていいかお訊きしますね」

「……俺も、その、耐え抜けるように、心をしっかり、整えていきたいと……思います……」

「逃げたくなったら、逃げていいんですよ」

 真剣な顔でマイラは見上げる。

「何日も会えなくなるのは、ちょっと寂しいですけど。でも、旦那様はちゃんと帰ってきて下さるので、」

「次は、逃げない」

 これまた真剣な顔で返すと、何となくおかしくなってしまって、二人で吹き出した。



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