第二十九話



「あねう…………ギャァァーッ⁉」

 国境のウーリュン川を橋ではなく小舟を使ってを渡ってきた公子ドウジェは、迎えに来た姉を見るや嬉しそうに駆け寄ろうとしたのだが、そばに座っている大きな牙を持つ漆黒の獣が目に入った途端、血相を変えて逆走した――しかし、小舟は既に岸を離れてツァスマ側に向かいつつあり、飛び乗ることもかなわない。川べりで泣きそうな顔をしながら黒牙獣ワラウスと舟とを交互に見る少年に、ウェイダの職人たちは苦笑いしている。

「ドウジェ。大丈夫だからおいで」

「だっ、だって、それっ、」

「大丈夫」

 マイラの手招きに、ドウジェは黒い獣をじ、と見た。確かに唸り声ひとつ上げずに、姉のかたわらでおとなしく座っている。きらきらした石の付いた銀と青の紐を組んだ首輪をしているその上品ともいえるたたずまいは、何年か前にツァスマに現れ何軒もの家を荒して追い払われたのと同種の獣とは思えない。

「姉上……この、これ……なに?」

「名前はレイシャ。女の子」

「おんなのこ?」

「いろいろあってね。友達なの」

「ともだち……」

「レイシャ、この子はね、ドウジェ。私の弟なんだよ」


 少年と獣は、相手を凝視する。


 黒牙獣はとても怖い動物――散々そう教えられてきた。


 しかし、「かっこいい」とドウジェは思った。


 何しろ大きいし、見るからに強そうな牙もあるし、真っ黒い。男児の心を間違いなくくすぐる。自分に危害を加えないのならば、少々怖いながらも憧れる、そんな存在になってしまうものだ。


 レイシャはというと、「何かマイラと似ている」と思った、のかもしれない。

 元々姉弟は腹違いの割に容姿がよく似ているのだが、特にまるくて大きな深い青色の目はそっくりだ。いつもはすぐに目を逸らしてしまうところを、観察するようにずっと見ている。


 姉の言うとおり、大丈夫なのだろうか。ドウジェはゆっくり、ゆっくり、覗き込むように顔を近付ける。

 レイシャも威嚇いかくはせず、鼻先を伸ばし匂いを嗅ぎ、ふすっ、と息を吐いた。


「ひぁっ」

 びくつきながら身を引いた弟に、マイラは笑った。

「珍しい、レイシャが全く唸らないなんて」

「姉上、触っても、平気?」

「どうかなぁ。この子気難しいんだよね」

 頬に沿わせるような形で、そっと手を差し出す。慣れていないのにいきなり上から撫でようとするのはよくないというのは、以前姉から教えてもらった知識である。が、レイシャは小さくうなった。仕方がないので手を引っ込める。

「ダメかぁ」

「でも、初対面でこれなら仲良くなれるかも。焦らないでいこ」

「うん」

 ドウジェは、レイシャとは反対側のマイラの隣に回ると、姉の手をぎゅっと握りながらくっついた。マイラの体を挟んで、レイシャと見つめ合う。何だかんだで互いに興味津々だ。

 そこへ、白い獣を伴い左半面を仮面で覆った赤い髪の男がやってくる。

「ドウジェどの、ようこそクォンシュ側へ」

「あにうえ!」

 瞬時に明るい顔になり、義兄に飛びつく。補修工事の現場に何度か足を運んでいて、顔を合わせるうちにトウキに懐いたらしい。姉しかいない彼にとって、義理の兄ができるというのは嬉しいことなのだろう。

 そしてトウキの方も、妻によく似た無邪気な男の子が慕ってくるのは悪い気はしないようである。

「また、また、遊びに来てもいいですか⁉」

「来たばかりだというのに随分と気が早い。勿論こちらは構わないが、貴殿もツァスマを継ぐ者。そう遊んでばかりいるのもあまりよくないのでは?」

「父上が、学んでこいって言いました。義兄上あにうえは短い時間で立派な領主になったからって」

「買い被られているな」

 抱き上げていた義弟を下ろし自嘲するように苦笑するトウキの横から、雪獅子ルイツスニヤがひょこっと出てきてドウジェに全身を擦り付けるように歓迎を示した。こちらも何度か接触している。

「スニヤ、スニヤ、遊びに来たよあははははくすぐったい」

「外出するときに必要ならスニヤを頼るといい。但しその際は姉上と共に、な」

「はい、ありがとうございます!」

 遠くから、領主様と呼ぶ声が聞こえた。トウキはスニヤの頬を掻くように撫でる。

「マイラ、スニヤ、ドウジェどのを宜しく頼む」

「わかりました。ドウジェ、スニヤ、行こ。待たせたねレイシャ、帰ろう」

 ひょ、とレイシャの背に乗り、弟と雪獅子を振り返る。ドウジェもまたスニヤにまたがろうとしたが、少しもたついてしまった。黒牙獣より一回り大きい雪獅子は馬よりは小さいし、乗りやすいようにとトウキがくら手綱たづなも着けてくれてはいるが、馬に乗るのとはまた少し勝手が違うのだ。着替えの入った荷袋も背負っている。と、


「レイシャ?」


 マイラを乗せたままのレイシャが近付いて、鼻先を使いドウジェの尻を押し上げる。マイラは、大きな目を益々大きく見開く。


「レイシャ。手伝ってくれたの?」


 少し呆れたかのように、そしてマイラに返事をするように、ふん、と息をついたレイシャは歩き始めた。いつもより軽い乗り手がちゃんと乗れたか確認したスニヤも後を追う。

 ドウジェとスニヤが横に並んだところで、マイラはレイシャの頭を撫でた。

「ありがとうね、レイシャ」

「ありがと」

 ドウジェも礼を言う。レイシャは一瞥いちべつもしないが、小さな耳がぴこぴこ動くのが見えた。

「姉上」

「なぁに?」

「レイシャと仲いいんだね」

「……うん」


 ドウジェは羨ましく思った。



     ◎     ◎     ◎



 その日の夕食時は大変に盛り上がった。何しろ普段のアヴィロ家には大人といっても歳若い層しかいない。最年長でも侍女長シウルがもうすぐ三十一になるぐらいだ。しかも屋敷で働いているのは女性が多く、皆奥方様との関係も非常に良好であるので、婚儀の際以来の来訪になる奥方様の弟君おとうとぎみは当然歓待かんたいされた。


 と、いうよりも――


「ね、ね、ドウジェ様、おかわり、おかわりは⁉」

「いっぱい食べて下さいね、この麦鳥奥様が昨日から頑張って仕込んだやつですからね! ねぇー! パンないよそっちのこっち回して!」

「へぇ、スニヤ借りてここまで来たんですかぁ! いいなぁフッカフカで気持ちいいでしょあの子ー」


 モテモテだ。さもありなん、マイラは長い髪を切り男物の衣を着れば少年に見えるだろう容姿をしているが、彼女にそっくりなドウジェはつまり髪を伸ばし女物の衣を着れば少女に見えてしまうくらいの、少年にしては可愛らしい顔立ちをしているのである。しかも、


「はい、鳥とパンもう一つずつ下さい! スニヤすごくいい子ですね、私の馬より扱いやすかったです」


 姉同様弟も明朗で歳の割にしっかりしており、食べっぷりもいいので、侍女・女中のお姉さんたちはとにかく可愛がりたくて仕方がない。ドウジェも受け入れてもらえているのが嬉しいようで、ずっとにこにこしている。

「俺が相手をしなくても大丈夫そうだ」

 笑いながら言うトウキの杯に、マイラが酒を注ぐ。

「明日はロナル鉱山に行ってきます。モーフェンを見たいと言うので」

 領地北方の鉱山には、虹色の鱗の龍・シュオが預けていった石を食べる仔龍がおり、モーフェンと名付けられ鉱山で作業員たちに育てられているのだが、その噂が徐々に広まりつつあるようで、鉱山の看板龍を一目見られたらと訪れる観光客も出始めているらしい。問題が起きたような話は今のところ聞こえてこないので、鉱山作業員たちもモーフェンも上手い具合にやっているようだ。

「ああ、気を付けて。……そういえば、ちょくちょくロナルの町に行っているそうだが」

「はい。すごくいいものを作っています」

「すごく、いいもの」

「はい。出来上がったらお見せしますね」

「そうか、楽しみにしている」

 姉夫婦のちょっとした会話を聞いたドウジェは、不思議そうな顔をした。

「義兄上は、姉上に何も訊かないんですか?」

「何を?」

「姉上が、何してるか気にならないんですか? 父上ならどこで何してるか全部訊きます」

 マイラはツァスマにいた頃の己の行動を思い出したか少し気まずそうに目を伏せ、トウキはそんな妻の様子を見て笑いをこらえる。

「俺は保護者ではないからな。それに、マイラはちゃんと、自分が何を考えて何をしたか、話してくれる」

「そういうものですか?」

「他の家ではどうかはわからない、が、少なくとも俺は妻を縛る気はない。貴殿の姉上は、自由であってこそだ」

 義兄の言葉に、少年は今度は難しそうな顔になって、考え込んでしまった。隣に座るマイラが覗き込む。

「何か、あった?」

「…………姉上」

「なに?」

「お」

「お?」

「おっ、……お嫁さんがっ、決まるかも、しれないっ……」

 弟の、おそらく思い切った重大発表に、

「そっか、もうそんな話が来る歳か」

 姉はあっさりと応えた。周囲のお姉さん方は、おぉ、と歓声を上げる。

「どうしよう⁉」

「でも、婚儀はまだまだ先でしょう? ファンロンは結婚できるの十四からなんだし」

 結婚できるのは十四歳からであるが、貴人の息女は大体遅くても十七までには何とかして嫁がされる。十八まで独り身だったマイラが行き遅れ扱いされていた所以ゆえんである。一方、男子は特にそういう扱いはされない。

「相手はどなたか聞いた?」

「多分、多分ね、ユイナ」

「ミュジンおじさまのところの? 同い年だし仲いいでしょう? よかったね」

「うん……」

 何やらもじもじながら、義兄をちらちら見ている。


 マイラは、一口パンを食べ、噛みながら少し考えて、飲み込んでから夫の方を見た。


「旦那様。後でちょっとお願いしたいことがあります」


 きりっと真剣そのものの妻の表情に、


「……わかった」


 何となく、彼女の言わんとするところを察しながら、トウキは頷いた。



     ◎     ◎     ◎



 初めての一人の遠出で高揚しているのか、ドウジェは一つだけ小さなあかりをけた薄暗い客室の寝台の上でごろごろ転がっていたのだが、そこへ開扉かいひの合図がきた。返事をすると、赤い髪と金の目が隙間から覗く。

「眠れなさそうだなドウジェどの」

「義兄上」

 ぴょんと寝台から飛び降り、迎え入れる。義兄は茶器の乗った盆を持っていた。

「もう少し大きかったら酒にしたんだが」

「お酒はまだ早いです」

「うん、だから、蜜茶を用意してもらってきた。これなら体が温まる」

 まだ夜と朝方は冷える。ドウジェは気遣いに頭を下げながら、

「貸して下さい、おれ……私が、入れます」

 盆を受け取ろうとしたが、

「客人に茶を入れさせるなど」

 トウキはそう言って卓の上まで持って行く。そしてわんに注ごうとして――


「あっ」


 勢い余ってこぼした。片手に茶出し、片手に慌てて盆の上から取った布巾ふきんを握り、しかし拭くでもなくただ狼狽うろたえる義兄に思わず吹き出す。

「義兄上、やったことないでしょこういうこと」

「そ、そんな、ことはっ」

「座って下さい」

 ドウジェのそれより大きな手から布巾をそっと取り、こぼれた茶を拭き取って、茶器の乗った盆を自分の方に寄せる。碗に花蜜の入った甘い茶を注ぎ、添えられていた王玉柑ギポカの絞り汁を少しずつ落とすと、甘酸っぱい香りが湯気に乗って漂った。

「どうぞ」

 椅子に座ったトウキは苦笑しながら受け取った。

「……すまない、ありがとう。手際がいいな」

「できることは自分でやりなさいって父上が言います。お茶の入れ方も母様に習いました。うち、この家より人少ないし」

 ドウジェも椅子に腰を下ろした。

「義兄上は、リュセイ陛下と同じくらい身分が高かったんだから、お茶は入れてもらう方だった、でしょ?」

「そういえば茶なんて入れようとしたのは初めてだ。しかも入れるのに失敗した。俺もマイラに教えてもらわないといけないな、見よう見まねではダメだ」

 顔を見合わせ、

「ふひっ」

「ふ」

 笑って一口、蜜茶を含む。花蜜の甘さと王玉柑の酸味に、薬草茶の香ばしさとほんのりした苦味。風邪封じとして広く知られているが、王玉柑も通年で手に入りやすく味がいいので、蜜茶は夏場でも冷やしたものが好んで飲まれる。茶でなく花蜜で作られたゴユ酒と混ぜると大人向けの飲み物だ。

「……義兄上は、」

 碗の中の蜜茶を見ながら、切り出す。

「姉上と、仲良くできてますか?」

「どう見える?」

 問い返されて、今日見た姉夫婦の様子を振り返り、首をくりくりと何度もかしげ、考えた。容姿だけでなく一生懸命さが顔に出るのが妻に似ているとトウキは微笑ましく思う。

 しばらく思考を巡らせたドウジェは、

「……いい感じだと、思います!」

 言葉はつたないながらも、元気に答えた。

「ふふ、いい感じ。うん、そうか。そうならいいんだが」

「違うんですか?」

「貴殿の姉上は、とてもよくしてくれている。ありがたいと、思う」


 そのときのトウキの表情は、言葉の通りの嬉しさと、別の何かを含んでいるのをドウジェは察した。


 丁度手の中の碗に入っている蜜茶のような、あたたかくて、ちょっぴり酸っぱくて、甘いもの。


「義兄上」

「ん?」

「姉上のこと、好きですか?」

「えっ」

 子どものど直球な質問に思わず碗を取り落としそうになる。幼き義弟はにやぁ、と笑った。

「好きなんだぁ~」

「へっ⁉ ぃやっ、そ、そのっ、…………え、と、まぁ、その、」


 おろおろしていたかと思えば、だんだん照れる様子に変わっていき――そして、


「……そう、だな……うん……」


 観念したか、はにかみながら、認める。


 その反応に、何故かドウジェも気恥ずかしくなった。

 同年代の友人たちは、違うとかそうじゃないとか、そんなことを言うのに。


 大人はこういうものなのだろうか。大人になったら、こんなふうに言えるようになってしまうのだろうか。


「……姉上、あんな、男みたいなのに?」


 そう、何度も言われていた。「男だったら」。

 ドウジェも思ったことがある――姉上が男だったら、きっと自分よりもずっとずっと立派な跡取りになっていたはず。


「ラテューは剣や槍を振るうし、キシカもいかずちの弓を持つ。スニヤ……シュナも、雪山で生き抜く知恵を授けてくれる。みんな女だ。マイラと同じ」


 確かに、暴風の女神も雷霆らいていの女神も、武器をたずさえ、しかもとてつもなく強いとされている。雪の女神スニヤには知恵の神という側面もあるし、法を守る神も女性神だ。カミとヒトは違うと言う者もいるかもしれないが、それでも武器を持つ女神も賢者や識者の守護をする女神も意外と多い。


「口うるさく、ないですか?」


 姉はいろんなことを知っている。それは学ぼうと努めているからだ。ドウジェもわかっている。これまで姉が教えてくれたことは何故か面白かったし、今でもちゃんと覚えている。役に立ったことだってある。

 それでも以前、聞こえてしまったのだ。姉の縁談の相手が「あれこれうるさい」「知りすぎていて疲れる」と言っていたのが。


「俺も、ぼんやりしているからな。いろいろ言ってもらえるのは助かる。これでも頼りにしているんだ。それに、マイラが見て、感じて、考えたことを知ることができるのが……楽しいし、嬉しく思う」


 もしかしたら、義兄が姉に向ける気持ちは、ものすごく大きくて、でも強いわけじゃなくて、ほわっとあったかくて――上手く言葉にはできないが、そんな感じなんじゃないか、と、ドウジェは思った。


「義兄上」

「何だ?」

「大好きなんですね、姉上のこと」

 一瞬詰まったが、やはり照れ臭そうに少し笑いながら、トウキは声をひそめた。

「姉上には内緒で頼む」

「何でですか?」

「ちょっと、恥ずかしい」

「……はいっ」

 自分よりも、姉よりも、ずっと大人の義兄にも、やっぱりそういう気持ちもあるのだと、九歳の少年は少し安心したらしい。その様子にトウキも安堵する。

 ほんの少しだけ、でも普段は大事にしまってある(つもりの)自分のことをさらけ出した。彼もきっと話してくれる。トウキはドウジェの表情を見て確信し、話題をドウジェ自身のことに移す。

「ドウジェどのは、その、えぇと、相手のことは、よく知っているんだろう? 仲もいいと」

 碗を置き、うーん、と唸りながら、腕組みをする。子どもらしく、ちょっと生意気で、可愛らしい。

 と、卓に突っ伏した。

「好き、とか、そういうのはわかんない、ですっ」

「そういう感情ではないか」

「嫌いじゃないけど」

「うん、それなら、やりやすいだろう。よかったじゃないか」

「そうかなぁ。……結婚したら、ずっと一緒にいるんですよね?」

「夫婦によるな。いろいろ事情があって別れてしまうこともあるし、身分がある家の者同士なら、仲が悪くても表向きだけ夫婦、なんて場合もある。……ドウジェどのは、どうしたい?」

「喧嘩とかは、したくないです。父上と母様は、再婚同士だけど、ちっちゃい頃から友達で、仲いいって」

「そういうふうになりたい?」

「…………なれますか?」


 上げられた真剣で、でも不安そうな顔は、やはりマイラにそっくりだ。


 しかし、似ているのは顔だけではない。彼も同様によく考える子だ。マイラとは腹違いの姉弟だというがここまで似ているということは、二人とも父方の血を強く引いているのだろう。しかも貴人の子息ではあるものの、茶の入れ方や、おそらく他にも「自分でできること」は自分でやるように教えられ、それが身についているはずだ。自分のように「してもらって当たり前」という顔はするまい、とトウキは思った。


 彼女と同じように育てられたのなら、きっと。


「貴殿なら、大丈夫だ、ドウジェどの」


 卓の上の小さな手に、己のそれを重ねる。

 夜空色の目に、星のような光が宿る。


「ほんとですか?」

「そうやって、相手と上手くやっていきたいと考える。それができるなら、多分、大丈夫……だと、思う」

「多分」

「多分」

 一時の沈黙の後、


「んひっ」


 ドウジェは、笑った。

「姉上みたいなこと言うんですね、義兄上」

「えっ」

「ありがとうございます、うひひ、っししっ」

 また卓に伏して、笑いながらぐねぐねうごめく。トウキは納得した。

「ドウジェどの。相手の何某なにがしとかいう娘御のこと、好いているんだな」

「違う違うそうじゃないですぅっ。…………あにうえ」

「ん?」

 顔だけをトウキの方へ向けて、にやつきながら口の前で人差し指を立てる。

「内緒っ、ですっ」

 トウキも同じ仕草で応じた。

「わかった」



 そんな、少年の、将来共にあるだろう少女を想う心が、翌日ちょっとした事件を起こしてしまおうとは、このとき誰も知る由もなかった。




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