第二十六話



 チュフィン・ロウとナルテア・ツェイリーの試合の前日──


「例のブツです」

 都を出て二日、夕食の直前に到着したばかりの事務補佐役ルコ・ナンヒが、数枚の書類を食堂の卓上に丁寧に置いた。トウキは呆れた顔をしながらそれを引き寄せる。

「その言い方はどうなんだルコどの」

「間違いではありますまい」

「それはそうなんだが」

 トウキの正面、ルコの隣に座ったマイラが吹き出す。ルコも格式高い家の子女ながらに普段から市井で暮らしていただけあり、チュフィンとはまた少し違ったふうだが言葉遣いが随分とくだけている。

「……それにしても、よくこれだけ調べたな」

 書類の内容はとても詳細だ。想像していたよりもはるかに情報量が多い。ルコは表情を全く変えることなく応えた。

「調べ物は得意ですし、難しいと思ったら父の名を出せば大抵のことはイチコロです。ナンヒの子に生まれてよかったとつくづく思います」

「…………ルコどの。一体どんな調べ方を」

「使えるものはどんどん利用すべきです、トウキ様」

「そうか、うん、……それでルコどのがやりやすいのなら、いいんだ、うん」

「恐縮です」


 元々術士院を出るのと挨拶回り、そして引っ越し準備とでルコの着任が予定より遅れていたのだが、トウキはそんな彼女が都を出る前にと急いで連絡をとって頼み込み、都の出身だというナルテアのことを調べさせていた。自分を慕いついてきてくれた部下といつも身の回りのことをしてくれる少し生意気な妹分の力になりたかったのと、ナルテアが何度かチュフィンとやり合っているのは見てきたが、とてもただの平民とは思えない身のこなしをしていた(何しろ、国境警備隊で一番剣の腕の立つチュフィンを素手で相手取っているのである。)ので、ウェイダの豪農ツェイリー家に婿に来る前に何をしていたのかがわかれば攻略しやすいのではないかと考えてのことだ。ちなみに、その案を出したのはマイラである。

 

「初仕事だというのに優秀な娘御にこんなことをさせてしまってナンヒ長官に申し訳ないな……長官は、何か言っていなかったか?」

「いいえ、特には。ただ『任されたからには務めを果たせ』と。母は大喜びでしたが」

 言われてはっとする。ルコも適齢とされる貴族の娘だ。

「お、俺はっ、ルコどのを迎え入れるつもりは」

「大丈夫です。母は長兄が生まれる直前まで父の補佐官を務めていたので、私も同じように女の身の上でやりがいのある仕事ができるというのが嬉しいみたいで。兄たちも『頑張ってきなさい』と。親戚衆には変な期待をしている人もいるようですが、家族がわかってくれていますから」

 クォンシュはどちらかというと男社会の傾向がみられるが、ルコの実家は理解があるようだ。家長で司法院の長でもあるテアス・ナンヒが公平性を重視する人物であるから、その教えが行き渡っているのだろう。

「そうか、よかった」

「私の敬愛するマイラ様の大事な旦那様とそうなるのは、私は絶対嫌ですし」

 言われて、向き合って座る夫婦は顔を見合わせるが、夫の方はすぐに目を逸らし、妻の方は照れ臭そうに笑った。

「へへ」

「私は結婚が女の幸せだとは考えていません、が、あの男の子のようだったマイラ様が、殿方に嫁いでこうやって奥様として幸せそうになさっている。これはこれで素晴らしい。ええ、実に、感慨無量です」

 何と返していいのか、

「あ、あぁ、う」

 トウキは口ごもり、

「そう! そうなんです! ルコ様、私旦那様に嫁いでよかったって思います!」

 マイラは手を叩きながらにこにこと笑う。ルコの表情はやはり変わらないが、どこか満足そうにうなずく。

「私が男であったならマイラ様に求婚していたところですが、そうでなかったのが残念です。……あぁ、拝見したかったですね、マイラ様の花嫁姿」

「とってもきれいなの着せてもらったんですよ。ウリューカ姉様が、刺繍ししゅうをしてくれて」

「ウリューカ様が。それは、さぞ見事でしたでしょう」

 盛り上がりを見せる(しかし言葉の割にルコの表情はほとんど変化がないのだが)娘らに少々たじろいでいるトウキに、

「婚儀の日のことだったらオリウが映写珠に記録してますよ旦那様。借りてきましょっか」

 助け船を出すように、豊かに実る麦の穂色の長い髪を緩く編んだ女中が卓の角にパンを盛ったカゴを乗せた。

「はーい、どけてどけてー。もうごはんですよぉー」

 言われてマイラとルコは茶器を移動させ、トウキは書類をひとまとめにして手元に寄せた。他の卓でも食事の準備が始まっている。

「頼めるかフィーメイ」

「了解っすぅ。……そっか、明日チュフィンさんとツェイリーのおっちゃんの試合……今から対策練るって遅くなーい?」

「全くの無策よりは幾分マシだろう。……あぁ、そうだ、後でチュフィンが来る」

「あー、詰所から直接来るんじゃごはんまだかな? じゃあ何か食べられるもの用意しましょっか。お酒はいいですよね明日に響くし。じゃ、あたし今日これで上がるんで伝えてきまっす。おつかれっしたぁ!」

 台所に向かう女中を見送りながら、ルコは感嘆する。

「連携が、取れていますね」

「うちは他に比べて屋敷が小さいから、人も時間を決めて最低限の数で回している。……給金のことも関係しているから、そのあたりはまた後で説明しよう。とりあえず先にこの問題を片付けないと」

 書類を手に取って見る。

「元軍人、しかも特別機動部隊……成程、素手で武器を持ったチュフィンともやり合えるわけだ」

「旧姓はニルダ。実家は都の商家ですが、父親の代で潰れています。イノギアのチハネ・コヤールの乱、ご存じですか?」

「俺が生まれた頃のことだ、そんなに詳しくはないが」


 隣国イノギアで起きた、チハネとコヤール二人の大臣による内乱である。貴族だけでなく平民も多く関わっていたといわれ、平定されるまで十年以上かかった反乱だ。やっと収束し始めたと思われた頃に宰相の娘との縁談がトウキに持ち込まれたのだが、それから間もなくして宰相の娘は病死し、入れ替わるようにクォンシュで帝位継承争いが始まった。その流れから、宰相の娘の病死も本当に病死だったのかと一部では疑問視されているらしい。


「その際にコヤール家に深く関わっていた商家がナルテア・ツェイリー……あぁ、当時は旧姓でしたね。そう、ナルテア・ニルダ……の、実家の最大の取引先だったようで、その影響で廃業、一家は離散。その際にナルテア・ニルダは軍を辞めています」

「そのまま軍属していれば生活に困らないどころか実家も立て直せただろうに」

 特別機動部隊は高い戦闘能力を求められる精鋭部隊だ。日々の訓練はきついがその分給金はいい。

「隣国の反乱に深く関与していた家と関わりを持っていた家の出と知られれば、嫌な噂も立ちましょう。……で、その後はちょっと特殊な酒場の用心棒をしていた」

「特殊な、酒場?」

「はい。男性が女性の服装で接客をする、結構古くからあるお店です。嗜好しこうの客層からの熱い支持で長く続いているそうです。そう遠くはないせい──というわけでもないようですが、術士院にも知っている、通っている人がちらほらいました」

 変わった店の話に、案の定マイラが興味津々な顔で身を乗り出した。

「ルコ様、行かれたのですか!?」

「話を聞きに、少しだけ」

「マイラ。話の腰を折らない」

 夫にたしなめられて、残念そうにはぁいと返事をしておとなしく元の姿勢に戻ると、

「マイラ様。後日ゆっくり、お話しましょう」

 ルコがそっと手を添える。マイラにすぐさま笑顔が戻った。

「はいっ!」


 それを見たトウキは安堵に似た感情をおぼえた。やはりルコはマイラのいい友人になれる。どこかの廻者まわしものとは違って。

 ここしばらくマイラと過ごす時間で薄々感じていたことだが、自分が話を聞いてやるだけでは彼女には物足りないだろうと考えていた。彼女には、刺激が必要だ。


「話を戻しますが」

 調査資料の一枚を手に取り、ルコは向き直った。

「元軍人ということですから、やはりキクロ様や将軍にお話を伺ってみるのも手かと。軍は剣士隊とは別の組織ですし、トウキ様もチュフィン様もそのあたりのことはお詳しくはないでしょう」

「確かにな……しかし、これから二人に訊くのか……」

「と、なると思いまして、キクロ様からこれを預かって参りました」

 卓上に置かれたのは、てのひら大の映写珠。転がり落ちそうなところを、マイラが受け止めた。

「旦那様! やっぱりルコ様はとっても、とっても優秀な方ですね!」

「ああ、そうだな」

 二人が素直に褒めるものだから、流石のルコも、

「恐縮です」

 照れたか、僅かに目を伏せた。



     ◎     ◎     ◎



 クォンシュ帝国将軍ゲンカ・ツォウ・クォンシュ曰く。


「特機隊は武器を使用する他の部隊よりも力と速さを重視する。何せ基本的に徒手で武器を持った者を相手にすることを想定した部隊だ。確かに武器がある方は間合いを取れるが、攻撃範囲が限られているし、振りの分遅くなるから距離を詰められたら弱い。特機隊はそういう隙をつくのが上手い――んだが、逆に言えば引っ掛けには弱い。まぁ、そういうものも力業ちからわざで強引に何とかしてしまうから特機隊たる所以ゆえんなんだがね。そうでなければ軍の精鋭は務まらない。……しかしね、チュフィン。私は、お前なら充分渡り合えると思っているよ」


 クォンシュ帝国軍総事務長キクロ・ファローシェ・オーギ曰く。


「要は一瞬でも気を逸らせればいいのさ。といっても、彼らはそういうことにも対応できるようにと鍛えられているはずだから、その“一瞬”に更に何とかしなければならないわけだけど。なに、僕たち術剣士にとっては実に簡単なこと……あぁ、いや、そうだ、アレだね。相手はチュフィンがするんだったっけねぇ、あっははは。……でも、勝ってくれなくちゃ困るよ? 相手は確かに特機隊出身、だけど野に下って随分と経っているわけだから、そんなのに負けたら師たるゲンカ様と僕の名を汚すことになる。ふふ、わかっているね、フィー。どれだけ強くなったか、次に会えるときを楽しみにしているからね。…………えっ、何、リネア。あれ、来月だっけ? うそぉ」



「……ったくよぉ、無茶言いやがるお師匠どもだ」

 昨晩の言葉を思い返し呟きながら、チュフィンは剣を構え直す。さやが固定されている分重さが増しているから、振り回し続けるにも力がいる。ナルテアの素早く力の籠もった攻撃を受けるので精一杯だ。試合が始まりそう時間は経ってはいないが、もう息が上がり始めている。


(術……せめてトウキ様ぐらいに使えればなぁ……)


 トウキも術に関してはごく平均的な腕ではあるが、それでも呪文の詠唱を省略して水の珠を作り出すことができる程度には使いこなしている。

 以前、どうすればそうできるのかと問うたら、どう説明したものかと少し思案した後、


「水とか火なんかの気を……こう、まとめる? ように? 思い浮かべれば、いい……のかもしれない……?」


 と、首を傾げながら手振りを交えて、何やら曖昧かつ感覚的極まりない言葉を返されたのだが、全く理解できなかった。恐らくトウキ自身もよくわかっていないのだ。きっとそれこそがトウキの持つ『龍女アルマトの息子としての能力』なのだろうから感覚的でいても仕方がないのかもしれないし、その“感覚が理解できない”ということが己にとっての壁なのだとチュフィンは思う。


 チュフィンはここ一年ほどで三回、ナルテアに負けている。


 初戦は相手の実力が全くわからないまま素手で挑んで完敗し、二回目からは「あんたも自分が一番得意なものでかかってきなさい」と言われて剣を使うようになったが、どうせ自分は子供だまし程度でしか使えないからと術は使わずにいた。


 しかし、自分は術剣士なのである。


 世間ではいとわれているが、チュフィンは術剣士というものを嫌ってはいない。寧ろ誇らしいとさえ思う。剣士からみれば術に頼るのは卑怯だと映るのだろうが、術具が剣であり、それを武器とする術士というだけの話ではないか。

 それに、今回は師たちの助言もある。上官も敵がどんな相手であるのかを調べてくれた。


(俺だって、一応キクロ様と陛下に認められた術剣士なんだからな!)


 今回はイケるはずだ。そのためには全力でいく。

 それが自分の誇り、そして敵として立ちはだかってくれているナルテアに対する礼儀である。


 柄を握る手に力が入ると、ふぉん、と、剣の先が何かの力の影響を受けたように僅かにぶれた。ナルテアはそれを見逃さず、


「そこよ覚悟なさい若造ォッ!!」


 一気に踏み込み、石のような拳をチュフィンの腹部に打ち込もうとした、ところへ。


「そーォはっ、いくかぃっ!」


 チュフィンが剣を思い切り地面に叩き下ろしたことにより、そこを中心に爆発したような強い風が巻き上がる。ツェイリー家の家と倉庫が爆風に唸る。ナルテアは体勢を崩し、よろめいた。

「くぉっ……生意気ね万年ヒヨッコ術剣士のくせにやるじゃな……いぃ!?」

 そこにいたはずのチュフィンの姿がない。今の剣の振り、そして風からして──


「上!」


 見上げると、見事なまでに晴れ渡った空の青の中に、軽武装の剣士が打ち上がっている。観客たちは歓声を上げる。ナルテアの初手を食らったときよりもはるかに高い。


「そっちこそ覚悟しやがれお義父とうさん! くらえ必殺のォ!」

「どさくさに紛れてお義父さん言うんじゃないわよ!」

「義理の息子斬り義理だけにイイィッ!!」


 上空から、チュフィンが力の限りに剣を振りかぶる。


「あんたほんと愚かねそんなわかりやすく真っ直ぐ落ちてくるなんてまた打ち上げてほしいっ……てぇ!?」


 再度、チュフィンの姿が瞬時に消えた。敵の姿を完全に見失い、ナルテアは慌てて上空を見回す。が、


「なんつってぇ!」


 チュフィンは既に、ナルテアの背後にいた。気付いたときにはもう遅い──


「どっせぃっ!」


 チュフィン渾身の跳び蹴りが、背中に炸裂する。蹴り飛ばされた大きな体躯は想像以上の飛距離を保った後、地に沈んだ。それまで両者の気合いと互いに送り合う罵声、そして観客の声援とで騒がしかったその場が、しん、と静まり返る。

 倒れ込んだナルテアの後頭部に斬れぬ切っ先を押し当て、勝者は、


「よっしゃ勝ちイィあああぁぁ……」


 咆哮したかと思えば、急に力尽きて崩れた。


 黙って試合を見守っていたトウキは、燃え尽き横たわる二人の男のかたわらに立つと、嘆息する。

「全く。あんな戦い方をすれば気力が切れるに決まっているだろう」

 マイラも夫に駆け寄る。

「チュフィンさんは、そんなに強い術を使ったのですか?」

 赤髪の領主様は、その場にいた男衆に声を掛けて呼び寄せ、戦い終えた男たちをそれぞれ搬送するように指示した。

「あれは風の術だな。まず己の体を打ち上げるのに強いのを一発、そして下降するときに加速するのに横に薙ぎ払いつつ一発。……恐らく、目くらましも使ったはずだ。目くらましの術は難しくはないがあれだけの速さの風と同時に使うなんて俺でもできない芸当。ナントカ斬りとか誤魔化して発動をほんの一瞬ずらしたんだろうが……」

「旦那様は、あれを全部見ておわかりになったのですか!?」

「何の術をどうやって使ったのかは『見る』ことができる。龍女の血のお陰だろうな。……が、残念ながら、同じように術を使いこなせるわけじゃない」


 残った観客の目が一斉に領主の方へと向く。気付いた領主様は、弱く笑う。


「まぁ、これは、チュフィンの勝ち……でいいんじゃないか」


 下った判定に、その場にいたほぼ全員が沸いた。

 唯一、エシュだけが、安堵したように深く長く息を吐いていた。




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