チュフィンの結婚編

第二十五話



「はいこれ、今日のお弁当。旦那様のこっち、あんたのこっちね」


 エシュ・ツェイリー、十七歳。

 クォンシュ帝国ウェイダ領領主トウキ・ウィイ・アヴィロの屋敷内において、侍女シウルの指示に従い炊事・洗濯・掃除を担う女中衆の中でも最も小柄だが最もやり手の少女である。


「はーい。いつもありがとうございまぁす」


 チュフィン・ワバール・ロウ、二十六歳。

 財務大臣補佐ヴォレイツ・スン・ロウの三男にして、クォンシュ帝国ウェイダ領国境警備隊副隊長を務め、警備隊の中では最も剣の腕の立つ(但し、ウェイダ国境警備隊の隊員は全員術剣士であり、術絡みの剣の腕に関しては下から数えた方が早い)男である。


「ちゃんと御礼してる? 食費旦那様持ちなんだからね」

「してるしてる、酒おごってるよ結構いいやつ」

「それだけ!?」

「いつも事務仕事無償で手伝ってるんだからいいじゃん」

「そう……それなら……よし!」

「あっ、いいんだ」

「労働してるならいいの。ほら時間時間。ラゲが早く行こって鳴いてるよ」

「おぅ、んじゃ行ってくるわ。…………ね、エシュ」

「何?」


 チュフィンは、馬の元へ行こうとしたのを引き返し、背の低いエシュに合わせるように少し身をかがめて詰め寄った。


「時は来た。と、思う」


 顔がとても近いというのに、エシュは照れるでもなく、腕組みをして考え込んだかと思うと、


「そう。自信の程はいかが?」


 小さく訊いた。チュフィンの視線が少し逸れるのを見て、目を細める。

「ないの?」

「そんなことはない。目標金額も余裕で貯まってるし、家建てられそうなとこも見つけたし」

「頑張ってよ、私のこと好きなんでしょ?」

「頑張るよ頑張るさ」

「是非そうして。じゃあ、伝えておくね」

「おぅ」

「ほんとに、いいね?」

「俺の全力見せつけてやるからな、惚れ直すがいいさ」

 手を振りながら、待たせている馬の方へと戻っていく。

 その姿が見えなくなるまで見送ると、エシュはそでまくり直し、屋敷の裏口へ向かう。

「よっし! 今日も一日気張りますか!」



 二人は、清く正しく交際している。



     ◎     ◎     ◎



 相も変わらず外を自由に駆け回る領主の奥方マイラであったが、領内北部にあるロナル鉱山の麓にある鋳物いものの工房から出てきたところに出くわした背が高く体格がいい男と目が合うと、にこりと笑った。

「あ、ナルテアさん、こんにちは。今日はおろしですか?」

 ナルテアと呼ばれた男は、引いていた荷車を一旦停めた。

「あらぁ奥様じゃない。そうそう、今日はね、麦の粉を卸しに来たのよぉ。ほら、この辺ってばヨズ作るお店でいっぱいでしょぉ? も~廻るとこいっぱいで大変よぉ。奥様はこんなところで何してるの?」

「えへへ、秘密です」

「え~、秘密なのぉ? 教えてよぉ私にも話せないことぉ?」

「う、う、……内緒ですよ? 誰にも言わないで下さいね? エシュにも言っちゃダメですよ?」

「言わないわよぉ絶対秘密! 約束!」

 相棒の黒い獣をその場に座らせマイラが背伸びをすると、ナルテアが奥方様が耳打ちできるように身を傾ける。

 内緒話を聞いたナルテアは、

「……あら! 素敵じゃない!」

 手を叩いて笑う、マイラも笑う。

「以前から考えていたんです」

「いいと思うわそれ! ほんと素敵よ! も~、領主様ったらこんないいお嫁さん貰えちゃったなんて果報者ねぇ!」

「……あの」

「なぁに奥様」

 マイラは、少しだけ申し訳なさそうな顔になった。

「ナルテアさんは、その、私の、こと、恨んでいるんじゃ……」

「え?」

「私が旦那様に嫁ぐって決まったとき、ナルテアさんが大きな声を上げながら倉庫の壁に穴を開けたって……エシュが昨日言ってて……」

 暴露されていた己の所業に、

「あンのクソ娘ェ!?」

 ナルテアが思わず絶叫すると、周囲を行き交っていた通行人がその声の大きさにびくりとして注目してきた。大柄な分尚更目立つ。慌ててマイラがなだめに入る。

「あっ、あっ、ごめんなさいナルテアさん違うんですエシュを叱らないで下さいエシュはただ雑談として話題に出しただけでっ」

「いやそこ責めてよ奥様責めなきゃダメなとこよ!? 無礼千万な農民野郎ってののしって斬るなり射るなりして下さい!?」

「そんなこと、するわけないじゃないですか」

 苦笑。穏やかな返しに、ナルテアは益々恐縮した。


 そう、本来ならば、相手はこんなに親しげに話し掛けることすらおそれ多い身分。

 しかも当時の自分の言動も、相手が相手なら処断されても文句は言えないようなことだった。あの性格だ、娘は洗いざらい話してしまっているだろう。


「ナルテアさんは、エシュの幸せを考えて、と思ったのでしょう?」

「……違うの奥様、私は、欲深いんだわ」

 臆しながらも自嘲する男に、奥方様は、笑い掛けた。

「ウェイダの農業と収益が安定しているのは、そんな貴方が引っ張っていってくれているからです。いいんですよ、貪欲にいきましょう!」

「も~! 奥様もっと領民に厳しくしなきゃダメよぉ!」

「恐怖で人を治めるのはあまりよくないです」

「『あまり』? 完全には否定しないのね?」

「時と場合によっては、力を示すようなことをしなければならないでしょうね。でも、今のウェイダにはそれが必要ありませんから」

 にこにこするその顔を見て、ナルテアは背筋に冷たいものが走ったのを感じた。

「そろそろ行きますね、早く帰らないとシウルさんに叱られちゃう。それでは失礼します」

 待たせていた黒牙獣ワラウスうながし立たせ、ひょいとまたがると、奥方様は颯爽と去って行った。長く美しい髪をたなびかせるその後ろ姿は、うら若き娘でありながらも勇ましさがにじむ。

「……はぁ。なるほど、ふわふわしてるようでいて、立派な為政者の血筋おひめさまだわね。男の子だったら、って誰もが思うわあれは。…………怖いわぁーっ。女の子で、お嫁さんに来てくれてよかったわぁーっ」

 一人身震いして、荷車を引いた。



     ◎     ◎     ◎



 今日一日の出来事を聞いたトウキはというと、

「何故そう何でもかんでも話してしまうんだいたたたたたた」

 寝台の上でお喋りする妻に足の裏を揉まれていたが、に力を込められてもだえた。しかし妻の手は緩まることはない。

「旦那様、ここが痛いのではお酒は少し控えられた方が、いいです、よっ」

「そんなにっ……うっ! 飲んでいな……いっ!」

「いいえっ、最近はっ、結構飲んでいらっしゃいましたっ」

「んぐァッ!! ダメっ、そこっ、やめっ!」

「今日はここまでにしましょうか」

 涙目になっている夫に、マイラは仕方なく按摩あんまをやめた。

「しばらくは代わりに薬草茶をお出ししましょうね、お腹を休めなきゃ。そもそも旦那様はお酒にはあまりお強くないのですから」

「酒飲みのファンロンの民からすればそう見えるんだろうが俺はそんなに弱くはない」

「そうなのですか?」

「そんなことより」

 起き上がり、向き合う形で胡坐あぐらをかく。

「ナルテアにそんな話をしたらまたエシュをめとれと掘り返してくるじゃないか」

「そうでしょうか」

 マイラが首を傾げると、大きな溜め息をついた。

「二十過ぎの男に十歳にもならない自分の娘をあてがおうとするような押しが強い男だぞ。……とはいえ、エシュ自身が壁になってくれてはいるんだが」


 エシュが「変に隠して後々厄介な話になるよりは」とマイラが嫁いできてから早々に明かしてきた話によると、エシュは九歳の頃に嫁入り前の修行という建前でアヴィロ家に女中勤めに出されたのだが、実のところは「何とかして娘を領主のお手付きにしたい」という父ナルテアの目論見もくろみであったのだという。しかし、そんな父親に乗せられもせず、幼きエシュはまず主人であるトウキにこういう事情が含まれていると報告したらしい。


 エシュ曰く、


「父はどん底から這い上がってきた過去があるそうで……あと、婿にしてくれた祖父に恩義を感じているみたいで、家を太く・大きく・強くするのに力を注ぐような人です。あの人は本当に、家のためなら何でもします。くれぐれも注意して下さい。何なら無礼を働いたら牢にぶち込んじゃっていいと思います。まぁ懲りないでしょうけど」


 ――まさか娘にこんなことを言われていようとは、ナルテアも想像してはいまい。


「エシュは、冷静ですね」

「だからチュフィンに気に入られた。最近は聞かないが以前は『あれはいい女になる』と事あるごとに」

「ふふ、そうなのですか」

「ただ……ナルテアがな」

 倒れ込むように横になったので、マイラは上掛けを引っ張って被りながら、トウキの隣に転がった。夜から早朝にかけて冷え込む時分だが、軽い割に保温性の高い羽毛入りの上掛けの中に一緒に入れば、互いの体温で布団の中はすぐにあたたかくなる。

「どうもチュフィンに吹き掛けているらしい」

「『お前なぞに娘はやらん』ってやつですね!」

「んっ、いや、そういうもの、なのかは……いや、そうなのか……そうか」

 トウキはときどき妻がよくわからないことを言うので戸惑うことがあるのだが、学ぶことを好む彼女がさまざまな書物を読んでいることは知っているため、多分そういうことなのだろうと納得するようにしている。

「……まぁ、ナルテアとしては不満なんだろう。ロウは都でも名の知れた家ではあるしチュフィンも嫡流だが、ていにいえば家出息子だからな。家も仕官の道も捨てて、よりによって術剣士として国境警備隊…………俺の、せいだ……」

 考えすぎて後ろ向き思考になってしまい顔を覆うトウキの手を、マイラは引き剥がす。

「違います。チュフィンさんは、来たくて旦那様と一緒にウェイダに来たんですよ。そう仰っていました。ご両親やお兄様たちと馬が合わなかったから丁度よかったって」


 大きなまるい目が、真っ直ぐ見てくる。

 これまで幾度もあったことだが、トウキは未だに慣れない。目を、逸らすように伏せる。


「…………そう、だろう、か」

「はい」


 就寝前のひとときになると、仮面は早々に外すようになっていた。

 焼けただれた肌を晒しても、マイラの態度は全く変わらない。どころか、心配もするが、興味深そうに触れてくることもある。


「旦那様」


 今宵も、両手が、左右の頬を包む。

 触れられた感触は違うが、感じる温度は同じだ。


 そこから移るように、ゆっくり、じんわり、顔全体が熱を帯びていく。


「貴方の傍にいる人は、みんな、貴方のせいだなんて思っていません。ルコ様だって、快く来て下さったんじゃありませんか」

 額同士を合わせてマイラは微笑む。これは少しでも動けば――


(く、くち、触れるっ……!)


 距離の近さに、ぎゅっと目をつむり、固まる。顔が熱い。歌うような、耳をくすぐるような、笑う吐息が聞こえる。


「ごめんなさい。私、貴方が優しくして下さるから、つい調子に乗ってしまうんです。私が落ち着くから、貴方がして下さるのと同じように、触れたり、ぎゅーってして差し上げたいなぁって、思ってしまうのですけど」


 トウキは目を開けた。

 舞い上がっている、と自覚した。


(……もしかして、)


 もう少し、詰めてもいいのだろうか。


「……ごめんなさい。困っちゃいますよね」

 離そうとした手を、

「こ、まらないっ」


 思わず両方掴む。まだ触れていてほしい。


「そのっ、……ナルテアが、何と言ってこようとっ……俺はその、エシュを、エシュは、チュフィンが、」


 緊張しているのがわかる。思考が、伝えたいことがまとまらない。

 違う、それもそうだが、そう言いたいのではなくて。


 しかし、


「はい。はい」


 マイラは聞いてくれている。こんな拙い言葉でも、理解しようとしてくれている。いや、きっと賢い彼女のことだから、理解もしている。


 それが嬉しいと思った。


 焼けた左頬に添えられていた一回り小さな右の手の、貴人の妻らしくない少し荒れた指先、短く整えた小さな爪。

 確かに美麗なものではないが、何と愛しいのだろう。


「……妻は、お前だけだ、マイラ」

 静かにそう言うと、マイラは――いつものように、「左様でございますか」と返してくるかと思っていたが、黙り込んでしまった。何かまずいことを言ったか、トウキは不安になる。

「あ、いやその、すまない、変なことを、」

「いえ……変では、ないです。嬉しい、です」

 僅かに伏せられた目。もしかして、照れているのか。


 普段見ない表情に、胸の奥がそわっとする。


 握っていた手を離し、抱き締めようとした、そのとき。


「お手洗い、行ってきますね」


 マイラは素早く寝台から抜け出し、寝室から出て行った。

 大きく深呼吸しながら、虚空に浮いた手を収める。顔の熱が徐々に引いていく。


 焦ったわけではない、が。


 ふと、自分で言ったことを思い返す。


「…………んっ?」


 妻は彼女だけだと告げた。その言葉は嘘ではない。トウキのことをよく知っているからよほどのことがなければそんなことは言わないだろうが、リュセイから側室を持たないかと打診されたとしても、きっぱり断る心積もりでいる。本心から出たものだ。


 しかしその言い方は、まるで愛をささやくようではなかったか。


「…………あっ!? あ、あっ!?」


 一度冷めたはずの顔が、また熱くなった。



     ◎     ◎     ◎



 チュフィン・ロウはどちらかというと長身であるし、龍の血を引くトウキ・アヴィロとは違い純粋なヒトの身で、剣をとる武官であるのでそれなりの体付きはしている。


 しかし、そんな彼の体が高々と宙に舞うほどの衝撃を与える者は、国境警備隊の隊員以外にも存在するのである。


「っしゃ、受けたァ!」

「愚か! 着地するまでが受け身よォ!」


 隙を突くように、跳躍したナルテアの長い脚が空を裂く。チュフィンは鞘から抜けないように固定してある剣で振り払った。その勢いを利用して体勢を整え、きれいに着地すると、

「随分なお出迎えですねぇ?」

 剣を構え直す。僅かに遅れて降り立ったナルテアも、

「ふ、腕を上げたわね若造。まぁこのくらいでやられてもらっちゃ困るけど?」

 チュフィンの方に向き直る。その光景を、ウェイダ領屈指の豪農・ツェイリー家の面々とご近所の皆さん、そして領主のアヴィロ夫妻が息をのんで見守っている。


「改めて!」


 チュフィンは鞘のままの切っ先を目の前の敵に向け、声を張った。


「お義父とうさん! 娘さんを俺に下さい!!」


 そしてナルテアも己が敵に返す。


「誰がお義父さんよ気安く呼ぶんじゃないわよ私を倒して奪ってみなさい!!」



 領主の名の下に行われるツェイリー家長女エシュの結婚を賭けた正式な試合が、広いツェイリー家の庭先で、今まさに始まろうとしていた。

 あたたかくはなってきたが春というにはまだ少し早い、よく晴れた日の昼前のことであった。




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