第二十三話



「坑道は中で三方向に分かれているとさっき言ったな」

 鉱山の事務所兼土産物屋の休憩所の卓の上。作業員に簡単に描いてもらった地図を広げ、トウキは指差しながら説明する。

「一番深くて大きい穴は俺とスニヤで見てくる。チュフィンとウァルトは真ん中を頼む、途中に湖というか湯溜まりがあるそうだから、水の術が使いやすいはずだ。オリウ、シェーダ、イクレスは右、こっちは岩漿がんしょうから火を拾えるが、他の穴より足場が悪い箇所が多いらしい、くれぐれも注意を怠らないように。マイラとレイシャは俺と一緒に」

「異議あり! です!」

 マイラが勢いよく挙手する。一同はびくりとした。

「な、何だ」

「その分け方では偏りがあります。どちらも鼻が利く子なんですから、スニヤとレイシャは別々にした方が効率的です」

「この中では俺が一番剣が不得手、スニヤはいざというときの戦力として必要だ。レイシャもほとんどお前の言うことしか聞かないだろう」

「ですから。旦那様と私が別々の穴を行けばいいじゃないですか」

「な、ん」

 あぁ成程、とチュフィンも頷く。

「この場合はそうだな、……イクレス、お前スニヤと隊長まもれ。そんでウァルトはオリウとシェーダんとこ。奥様とレイシャちゃんは俺と一緒。こんなとこかな」

「何でそうなる!」

 国境警備隊隊長の抗議に副隊長は冷静に返す。

「スニヤとレイシャちゃんを分けるならこうなりますでしょ。奥様を足場悪い方に行かせるわけにはいかないし、イクレスはこの中じゃ俺の次に強い。連携とれるオリウとシェーダは一緒にしときゃ火力あるから支援役にウァルトつければ完璧。これが能力的に一番いい分け方じゃないですか?」

「ん、ぬ、」

「奥様と一緒にいたいって気持ちはわかりますがね」

 苦笑。

「安心して下さいよ、大事な奥様はちゃんと俺がお護りしますって」

 隊長は顔をしかめる。

「確かにお前なら剣の腕はこの中どころか警備隊一、妻を安心して任せられる――と言いたいところだがな、チュフィン・ロウ。お前はマイラに余計なことを言うからこの中では最も信用ならん!」

「えぇ!? ひどいな!?」

「うるさいお前はマイラに近付くな!」

「旦那様、そんなことを言っている場合ではありません!」

 マイラが強く袖を引いた。

「領内の鉱山作業員の皆さんが不安がっている、それを解決するのが領主たる貴方とその妻である私の務めです! さぁ、さっさと片付けて旅の続きを楽しみましょう!」

 若き夫人の力強くもっともな尻叩きに隊長はぐっと詰まり、副隊長は勝ち誇ったような笑顔になった。他の隊員たちも笑いをこらえている。

「そーですそーです。俺らは隊長と奥様のためにロナル観光を用意したんですからさ!」

 トウキはいつものように――いや、いつもより大きな水の球をチュフィンの顔にぶつけてやりたかったが、それをしたら益々マイラがチュフィンの肩を持ってしまうと考え、ぐっとえた。

「マイラに変なことしたらっ……おまえっ……エシュにあることないこと吹き込んでやるからな!」

「うわー隊長陰湿ゥ!」



     ◎     ◎     ◎



 均整のとれた長身に薄茶の髪に青みがかった明るい緑の目という軽快さを感じる色彩を持ち、さっぱりしていて軽口ばかり叩くので不真面目そうに見えるチュフィン・ワバール・ロウという男であるが、あのトウキに副官を任されるだけあってそのじつかなりしっかりしている、というのがマイラの印象である。


「あ、奥様、そこの段差滑りやすいから気を付けて下さい」

「はい」

「すみませんねぇ。手ぇ取って差し上げたいとこだけど、上官の奥方しかも隣の国の姫様にそんな軽々しく触れるわけにもいかないもんで。でもいざというときはご容赦下さいな」


 紳士的である、とも思う。


「構いませんよ。何度も言ってますけど、私も一国の姫というよりただの地方領主の元跡取りといった方が正しいですから、そこまで堅苦しく考えなくても」

「そういやそうでしたね。……ファンロンって、女性が領主になることもあるんですか?」

「私の生まれ育ったツァスマの先代領主が、祖父と今の国王陛下の腹違いの姉君、私から見た大伯母でした。男性顔負けの気丈な方だったとか」

「あっはは、奥様とおんなじだ」

「父の話では、私なんか比べものにならないくらい気性が激しかったみたいですよ。……でも残念ながら御子に恵まれなくて、可愛がっていた私の父を後継に指名したんだそうです。それ以前にも、領主として名前が残っている女性が何人かいますね。そう考えると女性の領主も珍しい、ってほどじゃ……ないのかな?」

「へぇ、すごいな。クォンシュは男子に継がせるのが普通、みたいなとこあるからなぁ。確かファンロンって女王様もいましたよね」

「でも跡取りは男子、って考えの人は、ファンロンにも多いと思います。私もどうせどこかに嫁ぐのに学なんか付けてどうする、なんてやんわり言われましたし」

「いーじゃないですか、ね~ぇ? 嫁ぎ先が嫁ぎ先なら話題が多い方が国交の役に立ったりするでしょーに」

「ね~ぇ」


 そして話すのが楽しい。彼と親密な仲であるというアヴィロ家女中エシュによると、「お喋り好きで話題が尽きない」のだそうだ。きっとエシュも彼と一緒にいるのはとても楽しいのだろう。


 そんな二人よりも少し先を行くレイシャが、先導するようにときどきどこそこ匂いを嗅いでは後ろを振り返る。負傷した足もすっかりよくなったようで、足取りが軽やかだ。

「……奥様。旦那様とはどうですかぃ」

 今のところレイシャに警戒の色が見られないためか安心したチュフィンは、静かに問うた。

「あの人、よくちっさいことでうだうだ考え込んじゃうし、一人で静かに困ってるでしょ。昔――顔があんななる前からああなんですけどさ」

「チュフィンさんは、旦那様のことよくご存じなのですね」

「ゲンカ様は俺の剣の師匠でしてね。つっても、術剣の方の素質もあるからってキクロ様にも教わるようになったんですけど。トウキ様もその、ほぼ同じ感じでお二人から習ってて。兄弟弟子ってやつです。だから『白梅』でも先輩と後輩、みたいになっちゃって」

 能力的な割り振りもあるが、二人で話すためにチュフィンは自分と組んだのだとマイラは察した。トウキと結婚してからまだ半年足らず、知らないことはまだまだ多いし、チュフィンも国境警備の仕事があるので、多少顔を合わせて言葉を交わすことはあってもゆっくり話をする機会はなかった。夫と仲が良く、夫のことを思い支えてくれる者の話を聞けるのはありがたい。

「嫁さん貰うことになった、なんて話聞いたとき、滅っ茶苦茶心配だったんですよね俺ら。しかも勢いで娘さん下さいって言っちゃったとか言ってオロオロしてるし、何やってんだこの人って」

「ふふ、そうだったんですか」

 娘を妻に欲しいと請われた父アデンも相当困惑していたが、請うた本人まで自分で言って困惑していたのか。しかしあのひとならそうなのだろうなと、おかしく思えて少し笑ってしまう。同時に、だから尚更大事にしてくれるのだろうとあたたかな気持ちになる。

「だからね、奥様が嫁さんに来てくれて安心したんです。さっきもそんなこと言ってる場合じゃないってちゃんと叱ってくれたでしょ。シウルねえさんや俺だと同じこと言っても全然効き目ないですからね、おとなしそうな顔して頑固だし」

「妻ですから。ちゃんと締めるところは締めなきゃなって思って」

「いいですねぇ! その調子でお願いしますよぉ! ……こっちは何もないんですかねぇ。レイシャちゃーん、どうー?」

 レイシャは耳を少し動かした程度で見向きもしない。

「んん~無視されるなぁ俺。やっぱり奥様の言うことしか聞かないかぁ」

「私は運よく仲良くなれましたけど、黒牙獣ワラウスはヒトとの関係が複雑だからなかなか心を開かないのかもしれませんね。レイシャ、何もおかしなことはない?」

 名を呼ばれたと小走りで戻ってくるが、特に周囲を気にしている様子はない。マイラが肩から斜め掛けに提げていた荷袋から水を入れた木筒と少し深さのある木製の皿を取り出し、皿に水を注いですすめると、レイシャはちゃくちゃくとおいしそうに飲んだ。進む穴は他の二つよりも岩漿から距離があるらしいが、ときどき通る風はほのかにあたたかい。

「水持ってきて正解でしたね、こりゃ戻る頃には汗だくだぁ。俺らもどっか泊まろうかな、部屋空いてるといいけど」

 チュフィンも自分の荷袋から木筒を出して一口水を含む。

「奥様。火とか熱とかに強い生き物って、何か知ってます?」

「うーん……こういうところに棲む獣でぱっと思い付くのはホヒカリネズミですけど」

 火山帯に住む、両手を広げたくらいの大きさの獣だ。しかしおとなしく臆病で、ヒトには近付かない。チュフィンは木筒を片付けながら頷く。

「でもホヒカリじゃ、化け物って感じじゃないですよね」

「ヒトにする悪さといっても、ごくまれに人里に下りてきてかまどの灰を散らかすぐらいですしねぇ。……あとは、そうだなぁ…………龍、とか?」

「りゅう」


 マイラとチュフィンは、沈黙した。

 あり得ない話では、ない。


 しかし龍ともなると、ヒトと同等かそれ以上の知能を持っている可能性が高い。あかき祖龍のように穏やかなものなら話し合って理解を得られることもあろうが、その娘アルマトのようなヒトに何かして面白がるような龍であるとしたら――


「…………もし、そうだったら、私たちだけじゃ敵わないので、様子を見て旦那様に報告しましょう」

「……そ、ですね」

 これはお喋りを楽しんでいる場合ではないかもしれない。二人は気を引き締め直し、再び歩き始めたレイシャに続いた。



 一方その頃、ウェイダ国境警備隊随一の息のぴったりさを誇る双子の兄弟オリウ・バンタールとシェスクリーダ・バンタール、そして彼らの後援を任されたウァルト・サミの三人はというと、チュフィン・マイラ班のちょっと嫌な予感を裏付けるものを発見してしまっていた。


「……ねー、オリウ。これ、このでっかいのってさ……足跡? じゃない?」

「っぽく見えるよなぁ……っぽく見えちゃうよなぁ……何か、奥に向かって一定の間隔で続いちゃってるっぽいよなぁ……」

 顔は瓜二つ、髪の長さで区別がつくようにしている兄弟が並んで穴の奥の方に目をこらすと、最後尾にいた少年が、己の肩ほどの長さのある杖のような形状の剣をぎゅっと両手で握る。

「オリウさん、シェスクリーダさん……これって、龍じゃないですか……?」

「ウァルトもそう思う?」

 オリウが問うと、少年はこくこく頷いた。

「絶対龍ですよぉ! ヤバいやつですよぉ!」

「ヤバいかな」

「龍は祖龍以外は大体ヤバいってうちの爺ちゃん言ってましたもん!」

「お前んち爺さん龍に何されたんだよ。……んー、これは、この先進むべきか、引き返して隊長に報告すべきか、だなぁ」

「引き返しましょうよぉオリウさんシェスクリーダさぁん!!」

 シェーダは全力で怯える後輩に苦笑いを向けた。

「ウァルト、お前、よく警備隊入れたな?」

「人間相手は平気なんです! 龍、龍はダメっ……」

「いやほんと、お前の爺さん龍に何されたの」


 そのとき、穴の奥から熱を帯びた強い風が吹き付けてきた。

 びょおぅ、と穴の内部全体に大きな音が響く。


「ぅびゃああぁぁぁ!!」


 ウァルト少年は悲鳴を上げながら来た道を全速力で逃げ戻っていってしまった。


 ぽつり、取り残されたオリウとシェーダは顔を見合わせる。


「どーするシェーダ」

「俺としてはもうちょっと奥行って見てきた方がいいと思うんだけど……ウァルトいないと何かあったとき困るし、一緒にいないと隊長に叱られるもんな。戻るか」

「はぁ~、龍に何されたんだよウァルトの爺さん……」

 二人はゆっくり、出口へ向かって引き返し始めた。

「ところでさ、シェーダ」

「ぅん?」

「さっきの…………鳴き声っぽくなかった?」

「そんな気はする」

「やっぱりかぁ」

「いるなこれは。間違いないね」

「龍なら隊長が何とかしてくれるんじゃねえ?」

「えぇ? 無理だろあの人じゃ」



 部下に噂されていたウェイダ領国境警備隊隊長トウキ・アヴィロであったが、別段くしゃみをすることもなく、雪獅子ルイツと部下と真面目に穴の調査をしていた。同行しているイクレス・ヴァヤリナは、警備隊に配された時期は一年半ほど前とまだ日は浅いものの、都出身のチュフィンの顔見知りで歳も近いということでそこそこ親しくしている。

「……奥様なら心配しなくても大丈夫ですよ隊長、フィーは絶対手ぇ出したりしませんよ意外と真面目だから」

 気を遣ってかイクレスがそう言うと、トウキは笑った。

「そんな心配なんかしていない、あいつはエシュがしっかり尻に敷いてくれている。問題はマイラの方。。…………今回の、この旅。仕組んだのはチュフィンだろう?」

 イクレスは弱く笑いを返しながら軽い溜め息をつく。

「さんざんごててるの何度も見てるし、隊長が都嫌いなのみんな知ってるんですよ。だから、都行きのとき、あんまり楽しめなかったんじゃないかなって言ってて」


 言われて思い返してみる。

 マイラが命を狙われたりさらわれたり黒牙獣を手懐けたり、皇帝が爆弾発言をしたり、母の妊娠が発覚したり、紹介された人材がある意味過激な人物だったり――短い期間にいろいろありすぎたが。


「…………全く楽しめなかった、ということは、なかった、かな」


 行く前に想像していたよりも、都行きは怖くはなかった。


 きっと、あの明るくて真っ直ぐな妻が共にいたからだろう。


 イクレスは、一瞬意外そうな顔をしたが、すぐ笑った。

「そ、ですか。……ま、でも、フィーだけじゃなくてみんなで話し合って決めたんですよ。隊長十年以上ウェイダにいるのに、ロナルの温泉入ったことないでしょ。領主なら領地のことちゃんと隅々まで知っとかないと。奥様にもずっと隊長のそばにいてもらうことになるんだから、ウェイダのいいとこいっぱい知ってほしいよなって」

「余計なことを」

 口ではそう言いながらも、警備隊の面々が頼りない自分を支えて立ててくれようとしているのは嬉しく思う。そしてイクレスも、上司の少し捻くれたところは理解しているので、言い返すことはない。

 警備隊の詰所でのやりとりとほぼ同じ、上司と部下の穏やかな談笑。


 そんな中、トウキに並んで歩いていたスニヤが、駆け出して周囲を見回しながら鼻をひくつかせ始めた。うぅん、と不思議そうな声が漏れ出る。


「スニヤ、どうした」

 警戒しているふうでもない、ということはつまり危険がない可能性が高いのだろうが、しきりに何かを気にしている。

 二人でスニヤに駆け寄ろうとした途中、イクレスが立ち止まった。


「隊長! これ!」


 拾い上げた、そのてのひらに乗るのは氷晶石、否、似ているが違う。


 もっと薄くて、なのに硬くて、よく見ると薄水色ではなく淡い虹色の輝きがあるそれは――



「それ……鱗……龍の……」



 上司の絶望したような呟きに、イクレスはごくりと生唾を飲み込み、


「え、えぇ~……」


 あたたかな坑内にも関わらず、寒気を感じたのだった。

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