第十四話



 美術品よりも、花で飾られた宮廷。一見華やかにも思えるが、統治者がおわす場所としては異様であった。富を示すものがほとんどないのだ。

 長い廊下を歩きながら、仮面の男は、僅かに表情を曇らせつぶやく。

「ひどいものだな」

 斜め後ろに従い歩くマイラは、応えない。夫の言い方からして、以前はもっと絢爛けんらんであったのだろう。建物は大きいが、ファンロンの王宮とは比べものにならないくらいに


 この国――クォンシュが大陸でも屈指の国土と軍事力を持つことは確かだが、先帝の遊興のせいで皇家の財の半分以上を手放すことになったという話はあまりにも有名で、隣国、しかも国境に接する地に生まれ育ったマイラもまたそれを知らないわけではなかった。今の皇帝が即位してすぐに友好国や国内の貴族諸侯との関係保持に奔走ほんそうし、ここ数年でようやく安定させたのだ。

 この点についてマイラは何も聞いてはいなかったが、父アデンがトウキの元へ嫁がせるのを渋っていた理由はおそらくここにもあったと確信している。いくら大国の貴人相手の政略婚とはいっても、国主が不安定な国に娘を嫁がせたいと思う父はいない。


 謁見の間の前まで来ると、扉の両脇を衛兵がまもっていた。右側にいた男が明らかに嫌悪感を示す。真相を知らずにトウキをうとんじている者なのだろう。

 わかってはいる、皇帝の敵ではないのだと伝えたい気持ちはあるが、余計なことはしてはいけないとマイラは思った。初めて来たよそ者の自分の言葉に耳を貸す者はいないだろうし、夫の立場を悪くしてしまうかもしれない。悔しいし悲しいが、おとなしくしているしかない。


 少し距離を取った位置で立ち止まったトウキが、振り返らぬままマイラに小さく声をかけた。


「ここから先、俺が何を言われても顔には出すな。お前の気持ちはわかっているしありがたい、不満なら後で俺がいくらでも聞く。……頑張れるか」


 ややかすれた声。緊張している。


 本当は、心を痛めているだろうに。

 本当は、怖くて堪らないだろうに。


 静かにふるい立つ夫の面目を潰してはならない。マイラは、頷いた。


「はい」


 示し合わせるでもなく、夫婦は再度、同時に歩み出した。


     ◎     ◎     ◎



 広い、広い、白い石造りの謁見の間。大きな窓から入る陽光が、全体を明るく見せる。

 左側に腕章を着けた直属の剣士隊、右側に侍従と大臣たちが並んでいた。歓迎と敵意、相対する視線を感じる。

 ふたりの姿を見るなり、剣士隊の一番前にいる、やや灰がかった茶色の髪の男が破顔した。マイラは気付いた。あれが「旦那様の父上」だ。顔立ちそのものはそうでもないが、やわらかな微笑みは少し似ている。

 上段の間の玉座には、丈の長い明るい紫の上着をまとい、繊細な細工がほどこされた細身の金の宝冠をいただいた男。その右横には女性が二人と少女が一人、そして少年が一人、付き従うように立っている。妃たちと皇子か。


 トウキとマイラは、皇帝の御前まで進み出るとひざまずいて最上の礼をした。

 場が静まり返る。


「皇帝陛下にあらせられましては、益々ご健勝のこととおよろこび申し上げます」


 張り上げているわけではない、が、その空間全体に通る声。先程聞いたような緊張は全く感じられない。大丈夫だ。マイラは自身に言い聞かせる。

「このたびは婚姻をお許しいただいたこと、誠に恐悦至極に存じます」

 夫に続き、

「ファンロン王シュイリが姪孫てっそん、マイラ・シェウ・ルヨ・ファンロンでございます。以後お見知りおきを」

 名乗りを上げる。

 玉座の男――皇帝リュセイ・トゥガ・クォンシュは、表情を変えぬまま、

おもてを上げよ」

 のたまった。揃って顔を上げると、皇帝の表情が崩れた。人のさそうな穏やかな顔。こちらも少し雰囲気がトウキに似ている。

「全く。いくら呼んでも来ないくせに、珍しく連絡をよこしたと思ったらファンロンの姫と結婚したいだなんて。まさか引っ込み思案のお前が自分から妻を選んでめとるとは思わなかったぞ。……はぁん、言っていた割になかなか愛らしい女房どのじゃないかトウキ」

 文官と武官が正装で揃い、しかも嫁いできた異国の姫が挨拶に来ているにも関わらずしょぱなから随分と砕けた物言いに、その場にいた全員が驚いた。トウキも当然戸惑ったが、歪みそうな顔を何とか保ちながら、

「は……」

 何とか返答する。


 しかし皇帝は止まらなかった。


「なぁにが『は』、だ。気取きどるんじゃない生意気に。いくら表向きは臣に下ったとはいえよそよそしいにも程がある」

「……陛下。おおやけの場にございますれば」

「何を今更かしこまる必要がある? ここにいるのはお前の嫁さん以外、俺とお前が子どもの頃から知って…………あぁ、いや。うちの嫁さんたちは初対面か。剣士隊にも四、五人若いのがいたな……まぁいいか。よし、全員休め、楽にしていい。トウキ、それからそこのファンロンの姫、えぇとマイラどのといったな? 立たれよ。遠路えんろ遙々はるばるやってきたのにずっとそんな姿勢じゃ益々疲れるだろう?」

「陛下」

「命令だ。跪くな、立てトウキ・ウィイ。二度言わせるな、首をねてしまうぞ」

 言葉自体はきついが口調は厳しくはないし顔は笑っている。明らかに親しい者に対する冗談だ。仕方なくゆっくり立ち上がると、皇帝は更に軽口を叩く。

「うん。やっぱりお前は見目みめがいい。顔が半分焼けているのに着飾ると絵になる。龍女の息子も伊達じゃないな」

「……恐れながら陛下。勿体なきお言葉なれど、この場にそぐわぬ」

「そう言うな。お前は俺の自慢の弟分で親友。これまで散々な目に遭わせてしまった上、よくしてやれなかった。これからは目一杯甘やかしてやる」

 好き放題の皇帝陛下に、臣下たちがざわつき始めた。親ぐらいの年代の大臣の一人がいさめに入る。

「陛下、これはあくまでも公式な謁見。そのような」


 と――皇帝の目つきが、変わった。


「余に逆らうか」


 にらんでいるわけではない。

 が、口を挟んだ大臣に向ける目は、かけた声は、冷たい。


 たった一言、放っただけ。それだけで、大臣は青くなり、無言で下がった。


 トウキは察していた。静かに叱責しっせきされたのは、かつて皇太子派だった――トウキを排斥はいせきしようと躍起やっきになっていた貴族の一人だ。

 しかしこんな場でそのように強く当たるだなどと、皇帝のすることではない。一体何を考えているのか。これではまた派閥争いに火がついてしまうではないか。


 そんなトウキの心配をよそに、皇帝リュセイはにこりと笑いかけた。

「それはともかくめでたい。これで曖昧だったファンロンとの縁がちゃんとしたものになった。うん、実にめでたい。いいことだな」

「陛下」

 後方で時宜じぎを得るのを見計らっていたシウルが前へ出る。

「こちら、ファンロン王より贈り物でございます」

 小さな朱塗りの台に、鮮やかな空色の布に包まれた箱が乗っている。刺繍も入っていない無地のものだがつやのあるその布は、摘み取るとすぐに変色してしまうため染め物には向かないといわれる青蜜花ラジュレを用い特殊な技術で染め上げた織物で、ファンロンでは〝最上の青〟と呼ばれ宝石にも匹敵するほどに高価な生地だ。

 右側の先頭にいた侍従が出てきて受け取り、上段に上がって皇帝に捧げる。玉座の男はそれを遠慮なく開いていく。

「ファンロンの青、何度見ても美しいな。……あぁ、これは……すごいな、うん、見事だ」

 驚きと感激の入り混じった溜め息。白木の箱の中から取り出したのは、成人男性の拳よりも少し大きな、真っ赤な石。吸い込まれそうな濃い深い色でありながら、燃えるようなきらめきを内包している。

「こんなに大きな龍星石は初めて見た。濃い赤なのも珍しいな。……国の宝だったのでは?」

 自分に問いかけている――マイラは礼をしながら返答する。

「陛下のおおせの通り、これまでファンロンで産出した龍星石でも最大のものだとか。わたくしの輿入れが決まってから見つかったと聞き及んでおります。此度こたびの縁組に際して、大変縁起がよい、是非赫き龍の国の陛下にと、大伯父が持たせて下さいました」

「これがファンロンから出た……うらやましい限りだ。クォンシュは氷晶石はよく出るが龍星石ほど高価な鉱石はなかなか見ない」

「クォンシュの氷晶石も大陸随一の品質ではございませんか。手に入れやすい美しい石というのはそれだけ広く愛されるものです。……わたくしどもも、このように、ウェイダで出た石を揃いのものに」

 耳飾りを示すと、皇帝は嬉しそうな顔になった。

「ウェイダの氷晶石を着けて下さっているのか」

「急に決まった縁組でしたので、双方準備に追われてどのようなものにするのか話し合うことができなかったのですけれど、だ……トウキ様が、わたくしのことを思って作って下さったのです」

「へぇ」

 興味深そうにトウキを見る。目が合ったトウキは僅かに顔をしかめて、しかし無礼だととがめられないように無言のまま頭を下げる。皇帝は玉座の肘置きに頬杖をついてにやにや笑った。

「まだ何も言ってないぞトウキ」

「は」

「またそういう返事をする。……マイラどの。だがどうか末永くよろしく頼む。これでも心根の優しい子なんだ」


 そう言う彼もまた、トウキに声をかけるときは見守るようなやわらかい眼差しを送っているのがわかるし、表情は窺えないが、トウキもほとんど昔から見知った面々とはいえこんな大勢の前で幼い弟に接するような扱いをされて、さぞくすぐったい思いをしているだろう。


 この中にいる何人かは、この二人を引き裂こうとしていた。

 それでも彼らは互いを信じていた。


 直接会うのは十年以上ぶりだといっても、やはり仲がいいのだとマイラは感じた。

 その上で「頼む」と言われるのは嬉しいことだ。


「はい、勿論、存じておりますとも!」

 思わずいつもの調子で返事をしてしまい、はっとするが、皇帝は、

「明るいな。いい女房をもらったじゃないかトウキ」

 笑いながら返した。



     ◎     ◎     ◎



「何を考えている」

 小柄な少女を一人だけともなって控えの部屋へとやってきたリュセイに、トウキは詰め寄った。身分や年齢は勿論、直接顔を合わせていなかった時間の壁は感じさせない距離感だ。

「あんなところであんなことを言えば、またいさかいが起こるだろう」

「だからさ。ああすればあぶり出せる。俺たちが手を組むと不都合な奴らがわかれば、あとは叩くだけじゃないか」

 のんびり言う従兄いとこに唸りながら、トウキは額に手を当てた。

「やり方が……雑だ……」

稚拙ちせつだと感じさせられる方がいい。油断したところをぶん殴る、これも戦法だ。昔はできなかったことだけど今ならできる、そのためにしばらくおとなしくしてたんだからな。……一掃できたら、トウキ、お前をまたここに」

「悪いが戻る気はない」

「何で!」

「イノギアと同じてつを踏みたいのか? ここ数年荒れに荒れて今年の初めに王位に就いたのは四歳の子ども、デアーシュに攻め入られるのも時間の問題というじゃないか。皇帝が力を取り戻したとようやく皆が認めてきているのに内紛など起きてみろ、クォンシュは今度こそ終わる。それに、」

「それに?」

「死にそうな目に遭うのは二度と御免だ」

 リュセイはきょとんとした後、苦笑いした。少しだけ寂しそうでもある。

「ああ……そうだな、すまんすまん。俺もお前を失うのは嫌だ。にしても、お前、田舎にいるくせにいろいろ知っているなぁ」

「国境に接する田舎だからこそ聞こえてくる話もあるということだ」

「なるほど、お前をウェイダにやったのは正解だったな。……で、」

 満足そうな顔を、今度はマイラに向ける。

「……うん、まぁ、確かにうちのファーリに比べればたくましいなとは思うけど……ほんとに、馬に乗ったり剣を振り回したりするのか?」

「え」

 そういえば謁見のときもマイラのことを知っているふうなことを口にしていた――夫を見ると、目を逸らされる。一体何を皇帝に伝えていたのか。

「だんなさまっ」

 小声で訴えるが、当の旦那様はといえば変わらず目を合わせないように、そして笑いをこらえている。

「素早い上に両手で剣を使う。俺より強い」

「なぁっ⁉」

 マイラの反応を見た皇帝は声を上げて笑った。

「そうか、トウキより。一応『白梅』の所属剣士なのにな」

「お前が強引に入れたんじゃないか。俺は剣も術も人並み程度だぞ」

「術はともかく剣は人並みに使えれば上等さ。……ショウハ、マイラどのは、剣が、使える、そうだ。手合わせ、してもらったらどうだ」

「けん? お前、強い?」

 部屋の出入り口付近で控えていた少女は名を呼ばれると、ととと、とやってきてリュセイにぴったりとくっつき、興味深そうにマイラを見つめる。年の頃は十二、三といったところか、まだあどけなさの残る美少女だ。遠目からは黒く見えた夜空のような深い濃い青色の髪と抜けるように白い肌は、大陸北方に多い民族の特徴である。クォンシュとファンロンはほぼ同じ言語を用いているので話すのに何の苦労もないが、片言で話す彼女は少し離れた国の出身らしい。そういえば謁見の際に玉座の傍らにいた、ということは――

「ヴェセンのかたですか」

 マイラの問いに、リュセイは頷いた。

「これでも一応三人目の嫁さんでね。ヴェセンのリラダ王の姪で名はショウハ。先月嫁いできたばかりなんだ」

「左様で、ございますか」

 マイラはショウハに礼をすると、改めてゆっくりと名と出身、皇帝の従弟のトウキの妻であること、剣と弓をたしなんでいることを告げた。本は父の書斎まで漁ってたくさん読んできているので、ヴェセンの言語はほんの少しだけわかる。

 しばらくぶりに聞いた母国の言葉に嬉しくなったのか、ショウハの表情が輝くように明るくなった。リュセイの袖をぐいぐい引く。

「弓。へーか、おれ、弓、やる、たい」

 袖を引かれたリュセイは少女の頭を荒く撫でる。

「ショウハ。ちゃんと名乗りなさい。名前、言う。できるな?」

「ん。ショウハ。ヴェセン、王の、姉の、子。へーか、の、つま!」

 懸命に伝えようとしてくる小さな妃殿下の求めに応じて、マイラは握手した。可憐な容姿に反して掌はごつごつと硬い。けん胼胝だこがある。

 ヴェセンは国土自体は大きくはないが、男女問わず武器を取り他国の戦に助力することで成り立っている勇ましき者たちの国だ。そう聞くと荒々しい猛者もさのように思えるが、ヴェセンの女は美しく着飾ることで、武に優れた男を家長とする家の出身であることと、自身の強さを表すのだという。

 ショウハも、石の付いた冠につると花を模した髪飾り、ほんのりと透ける織物の飾り帯、纏う衣の刺繍までもが白銀で統一されており、星の精のような繊細な優美さがある。勿論強者たるヴェセン王の血縁であり、彼女自身もそう育てられ、それなりに腕が立つのだろうが、先帝の行いのせいで倹約を心掛けている皇帝リュセイが彼女自身とその祖国の文化を重んじその装いを許しているのだと思うと、トウキとの血の繋がりを感じるマイラである。

「ところでトウキ。帰る日を延ばさないか」

 戯れる妻たちを尻目にリュセイが言うと、トウキは思い切り、顔を顰めた。

「嫌だ。帰る。早く帰る。仕事がある。帰る」

「積もる話もあるんだし、ゆっくりしていけばいいのに」

「そう言って引き止めるつもりだろう、嫌だここは怖いから絶対帰る」

「帰るって……お前、そもそも生まれも育ちも都のくせに」

「お前がウェイダに行けと言ったんだろう今の俺の家はウェイダだ俺はウェイダで生きる俺はウェイダに帰る」

 あまりにもかたくなな従弟に、皇帝陛下は呆れて小さく舌打ちした。

「引き籠もりめ。……まぁ、術具を使えばいつでも話はできるけどな」

 二人が立ち話をしているのに気付き、

「お二人とも、座られたらいかがですか」

 マイラが椅子を勧めた。ショウハも理解できる言葉を聞き取ったか、空いている椅子を持ってきてリュセイの傍に置く。誇り高いヴェセンの民でありながらも懸命に添おうとしているのは、やはり丁寧な扱いを受けているからだろう。


「あぁ、ありがとう、ショウハ」

「よい!」


 皇帝と、二人目の側室。

 年齢こそ親子ほどに離れてはいるが、このふたりも確かにこういう形の夫婦であるのだ。


 そんなふたりを微笑ましいなと思いながらマイラは見ていたが、椅子に腰を下ろしたトウキはというと、尚も表情が晴れないでいた。


「そういえば、リュセイ。父上はともかく、龍女……母上の、姿を見なかったが」


 リュセイは、たった今言われて気付いた顔になった。


「…………いなかったな、そういえば」


 従兄弟たちは、向かい合って座ったまま沈黙したかと思うと、


「うわぁ」


 全く同じ言葉を、同時に、小さく漏らした。




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