第七話



「うん……よし」

 ウェイダとマイラの故郷であるツァスマを繋ぐ橋の架け替えには、国から補助金が出るとのことだ。今度の都行きの際についでにその手続きも直接してしまおうと、トウキは書類を作成していた。書類自体の枚数はそう多くはないものの、現地へ行って被害状況を調べたり、工事費用の概算を出したりと、面倒なことが多い。

 それだから、急遽決まった都行きに合わせて短い時間で処理するのは少々無理がある――かと思われたが、幸いなことに領主様は真面目に職務をこなす人物だった。領地の管理と国境の警備に忙しい中でも、橋が壊れた直後からコツコツと準備を進めていたらしい。

「あとは現状を映写珠えいしゃしゅに収めるだけだが」

 その隣に椅子を置いて、興味深げにずっと見ていたマイラが、期待に満ちた目で見てくる。

「……一緒に、来るか」

「よろしいのですか?」

「明日には発つから……その、写したら、すぐ帰らなければならないが」

 マイラの実家にまで足を伸ばし立ち寄ることはできない、と言いたいらしい。

「いえ、シェウの家は、いいんです。先日母と姉から手紙がきたばかりですから」

「手紙……何か、あったのか?」

「いえ、その…………母も、姉も……ちょっと、心配性なだけで」

 珍しく徐々に声が小さくなり、視線も逸らされる。その様子から、何が書いてあるかは大体予想ができた。婚礼の際に見たマイラの母と姉はたおやかで美しく、とてもマイラ同様直接馬を乗り回したり、剣や弓を取ったりはしそうに思えなかった。

「ふ、」

 思わず笑いを漏らすと、マイラがむくれた。

「何で笑うんですか」

「いや、……さもありなんと、な」

「私はいろんなことができるようになっておきたいのです」

「……やめるように、言われたのか」

「いいえ。……ただ、嫁いだのだから、妻としての立場をよく考えるように、と」

 立ち上がり机の上の映写珠を手に取ると、トウキはマイラに手を差し伸べた。

「それなら、問題ない」

 夫の手に己の手を重ね、少しだけ不安そうにマイラは見上げる。

「旦那様は、やめろと仰らないのですか?」

「己を磨く者に、そんなことを言うのは、無礼というもの。そのままでいい。俺も、日中はあまり相手をしてやれない。楽しいと思えることを、為になると思えることをできているのなら、それでいい。夜に話を聞くのも、楽しみにしている。……それに、」

 握った妻の手を引き上げるようにして立たせる。

「どうせ、やめろと言ったところで、隠れてやるだろう?」

「う」

 素直な反応。こういうところが好ましい、とトウキは思うのである。

「……外出の、準備を。早く出れば、早く戻れる。今夜は充分に休まなければ。…………馬でなくて、スニヤに頼ろう」

 雪獅子ルイツの背に乗れると聞いて、マイラの顔が明るくなった。

「はい!」



 マイラが肩から提げた小さな荷袋に映写珠と水筒と休憩時の軽食を入れ、それぞれ己の得物を腰に提げる。そんな二人の姿を見た雪獅子スニヤは、遠駆けできると知ってご機嫌な様子を見せた。グウグウと喉を鳴らしながら、二人に頭部を擦り付ける。雪獅子は神のでる獣といわれるだけあり頭がとても良いらしく、主たるトウキに近しくなったマイラにもすぐに慣れた。今ではとても仲が良くなり、時々マイラも被毛の手入れをしている。

「スニヤ。今日は私も乗せてもらうね」

 額にそっと口付けして、屈んだスニヤの背に乗る。トウキより小さく軽いマイラが後ろに乗るのでは、馬より速いスニヤが駆ければ飛ばされてしまうので、マイラの後ろにトウキが乗る。二人で手綱をしっかり握ると、スニヤがすっと立ち上がり、背の主人をちらりと見た。

「国境の橋だ。わかるな?」

 スニヤは了解したようにくるる、と鳴くと、ぐ、と一旦踏ん張って、跳躍するように駆け出した。景色の過ぎゆく早さと顔に当たる風の強さ。まるで飛んでいるようだ。

 こんな獣を手懐け――否、一応飼い主と乗騎ではあるが、友のように、兄弟のように、また親子のように接することができるトウキのことを、マイラはすごいと思っていた。そっと振り向いて、顔を見る。

「首を痛めるぞ」

「はひっ」

 半分露出した顔は、何度見ても麗しい。


 やはりこのひとは、本当に貴き龍の血を引いているのかもしれない。



     ◎     ◎     ◎



 クォンシュとファンロンを繋ぐ橋は、マイラの父アデンがクォンシュから帰る際にある程度通れるように補修され、マイラの輿入れのときも何とか通行できた。

 とはいえ、やはり現状では心許こころもとない。国境となっているウーリュン川は幅が広く水もさほど多くはないが、雨が激しくなれば平時の姿とは打って変わり激流へと変貌する。今の仮の橋では確実にまた流されてしまう。


 トウキが、掌に乗るくらいの大きさの透明な珠を両手の親指と人差し指で構えるように持ち、それを通して橋を眺める。映写珠は使用者の気力を吸収し内部に映像を記録する術具で、大きさによって容量が違うのだが、使用者が心身不安定だとはっきりと映し出せないので大きければ大きいほど扱いが難しくなる。

「流された橋のその前のものは、増水したら橋板だけが外れて水の抵抗を少なくして、橋脚きょうきゃく橋桁はしげたが残るというような作りをしていたそうです。橋板だけ都合できればすぐ使えますし。……わ、お水冷たいねスニヤ」

 水を飲むスニヤの横でしゃがみ手で水遊びをしているマイラに、トウキは頷いた。

「百年は昔の話だな。橋脚の跡がほとんどないということは、以前の橋は」

「記録によると木造でした。水に浸かるものなので、留め具も金属を使わなかったとか」

「よくそんなことを知っている」

 感心すると、マイラは手の水滴を切って腰に巻いた帯代わりの布で拭きながら立ち上がり、振り返った。

「実家の書斎に郷土史の本がありまして。橋だけじゃなくて、もう少し上流には小規模ながら堰堤えんていもあったそうですけど、かなり昔に作られたものなので、えぇと、確か……五十年くらい前だったかな? ……の、鉄砲水で崩れてしまったみたいです。それで降水時の水量がかなり増えるようになったんですね」

「確かに、大雨のときには信じられないくらいに増水するな。少なくとも橋脚は石で補強……それとも直接石を組んで……いや、職人に相談した方がいいか」

「ウェイダの石工はチェイウィンさんのところしかありませんから、これだけの幅の川に架ける橋を作り直すとなると他から職人を呼ぶ必要がありそうですね。国境だから、ファンロンからもお金も職人も出ますけど」

「そういえばウェイダは石工は一軒しかないな……都から戻ったら、忙しくなりそうだ」

 橋の様子を収めた珠をトウキから受け取り、荷袋にしまいながら、

「ふふ、ふふふ」

 マイラは笑う。

「……どうした?」

「お仕事のことになると、旦那様は少し饒舌じょうぜつになられます」

 言われてはっとする。そういえば難なく言葉が出てきていた。

「あ……いや、すまない、その、」

 別段美形という程ではないが、マイラに笑顔を向けられるとトウキは心の臓のあたりがきゅっと締められるように感じていた――それは、決して悪い気分ではないのだが、しかし、同時に言葉が思い浮かばなくなってくる。

「……こんなことを、言っても、……お前がすらすらこたえるから、つい……」

 話すにしても、もう少し違うことがあるだろうに。焦る頭で必死に話題を探すが、思い浮かぶのはすぐ目の前にある壊れた橋、未だ捕獲できない賊、来年の税。恐らくどれを振っても賢い彼女は難なく乗れるのだろうが、こんなのは夫婦が二人きりで少し遠出した先でする話ではないということは、いくらこれまで女っ気がなかったトウキであっても十二分に理解できる。わかっている、これはシウルに知られたら絶対に叱られるやつだ。

「…………すまない……」

 思わず両手で顔を覆って俯く。突然悲観に入り込んでしまった夫に、マイラが慌てた。

「何故落ち込むのです、落ち込むところではありません旦那様、大丈夫、大丈夫ですから」

「しかし……もう少し、何か……その、お前が、喜びそうなことを…………言えれば、いいんだが」

「どんな内容でも、私は旦那様とお話できれば嬉しいんです。お仕事の話だって、私がお相手して何かお役に立てればいいのですけど」

 顔を覆う手を強引に引き剥がしてそのまま握る。

「……やっぱりそれって、生意気でしょうか」

 先程彼女が言った領地の石工の件は、一応領主であるから把握はしていたが、昔の橋や堰堤の話は少なくともトウキが知らなかったことである。何しろまだウェイダにやってきて十二年しか経っていない。右も左もわからないような状況から何とかやってきて、ここ数年でようやく領地や領民のことが何となく掴めてきたところだから、そういった資料がどこにあるのか、そもそも存在しているのか、誰か知っている者がいるのかも把握できていない。

「……いや、……さっきの橋の話は、いい情報だった。助かる」

「左様でございますか」

 にこっと笑う。そこだけが一瞬光るように。


 胸が締まるようになるのに、何度でも見たいと思う。


「ただ……」

「はい」

「補助金が増えるかどうかは別として、計画と概算は見直しと訂正が必要だな」

「はゎっ?」

 それまでの笑顔が一転、

「あっあっ、うぇっ、ご、ごめんなさい旦那様っ、私、余計なことをっ」

 書類のほとんどが書き直しだ。明日には都に向けて出発しなければならないのに、トウキの仕事を増やしてしまった。マイラはひどく困惑するが、

「いや、大事なことだ。ここを通る者の命がかかっている」

 トウキは気にしない。寧ろ気付きがあって本当にありがたいことだと思っていた。

 改めて、揃って橋を眺める。

「お前が嫁いできたことで、この街道も重要な道になった。しっかりと、建て直さなければ」

「……そう、ですね」

「一休みしたら戻ろう。石工と大工に話を聞きたいし、寝るまでに書類を何とか……できるか……いや、しなければならないか……少し、手伝ってもらっても、いいか」

 再度、笑顔が輝いた。

「はい!」



     ◎     ◎     ◎



 職人たちの話を聞くために町を経由して、屋敷に戻り、すぐさま書類の作り直しを始めた。夕食を手早く済ませようとして焦ったあまりに夫婦揃って「行儀が悪い、消化にもよくない」とシウルに叱られ、順に入浴と翌日の準備を整えてあとは寝るだけにしてから、また二人で執務用の部屋に籠もって過去の資料とにらめっこ、計算を繰り返す。

「旦那様は、このようなことをいつもお一人でされているのですか?」

 最終的な確認をする頃には、もう夜はだいぶん更けていた。茶器を片付け始めながら言うマイラの顔は不満そうだ。

「大体は、そうだな」

「事務のお手伝いは、」

「税の公布のときは計算の早いチュフィンの手を借りる、が、それ以外は……まぁ、俺の下で働こうと考える者は、余程でなければまずいないだろうさ」

 これも帝位継承争いに巻き込まれた弊害か。まことに腹立たしい。マイラが膨れていると、トウキは弱く、笑う。

「それでも十二年、何とかなってきた。問題ない」

「あんまりです! 領地の管理も国境の警備も丸投げだなんて!」

「それが、力ある者に逆らった結果。とはいえ俺は直接的な首謀者というのでもなかったし、龍女アルマトの息子であること、何より……リュセイを助けたから、で済んだ。命があるだけありがたい」


 それは、諦めの中の希望だったのか。


 いろいろな要素が重なって、持ち上げられて、助かって。


「旦那様!」

 勢いよく机に手をつくと、トウキはびくっとした。

「な、何だ、どうした」

「是非私にお手伝いさせて下さい!」

「え……い、いや、しかし」

「これでも元々領主の跡取りとして育てられています、父の下で多少は学びました。ツァスマとウェイダでは勝手が違うとは思いますが、」

「いや、その、そうじゃない、そういうことじゃない。そんなことをしたら、その……お前が、好きでしていることの、時間が」

「私のことよりも貴方のことです!」

 憤っているせいかいつもよりも強い調子の妻に、トウキは少しだけ、戸惑った。

「…………気持ちは、嬉しい、が、……できれば、そのままでいてもらえたらと、思う」

「何故です?」

 机の上のマイラの手に、それよりも大きい手が重なる。

「お前が、昼間の橋の話のように、俺の知らないことを知っている、それは、いつも自由にしているからだ、と、思う。だから、……マイラ、お前は、縛られない方がいい。口を出すな、と言っているわけじゃない。必要なときは、頼らせてもらう」

「でも」

 僅かに躊躇ためらった後、

「……実は、」

 トウキは切り出した。

「今度の都行きで、とある人に誰かいい人材はいないか、訊いてみようと思っている。顔が広いから、滞在中に誰かしら紹介してもらえるかもしれない。そのときは……一緒に会ってみてほしい。お前の持つ目と知識は、確かで貴重なものだ」

 手に力が入った。本当は嫌だろう都行きだが、彼なりに頑張ろうとしているのか。そんな中で信頼してもらえているのだとわかると、

「はい。わかりました」

 マイラは嬉しくなった。そっと手を引き抜いて、トウキの手に触れ返す。

「茶器を片付けて参ります。旦那様は先にお休みになって下さい」

「……ああ」

「旦那様」

 部屋を出る直前に立ち止まり、振り返る。

「何だ」

「旦那様は、その……都に行きたくないのでしょうけど、私はちょっと、楽しみにしてしまっているのです」

「だろうな」

 完成した書類を紙の袋に収めながらトウキは笑う。

「だから、すぐには帰らずにいようと思う。街も見たいだろう。少しなら、案内できる」

「あ、いえ、そんなっ……だって、旦那様はっ」

「行きたくないのは確かだが、街には俺も少し用があるし、」

 部屋の灯りを消して部屋の出入り口に並んで立つと、指先でなぞるように、マイラの髪を撫でた。

「優れた妻を迎えたと自慢しに行くのだと思えば、そう悪くはない」

「ほぁ」

 マイラは照れるあまりに思わず茶器の乗った盆を取り落としそうになった。



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