第六話



 クォンシュの都にある宮廷は、広大ではあるが華美ではない。かつては精巧で美しい美術品の数々が飾られていたが、現在それらは〝必要最低限〟に留められている。現皇帝リュセイ・トゥガ・クォンシュの命によるものである。

 何しろ先代の皇帝の遊興癖がひどく、国家費用を使われては困るからと、皇家の所有物の大半を抵当として売却してしまったのだ。それでも威厳と品位は保たねばならないので、残ったものである程度の装飾をしなければならなかった。幸いにも庭園は数多くの花が季節ごとに咲き誇り、宮廷の中をいろどると共に、庭園自体も貴族の社交の場として機能している。


 その、だだっ広いが豪奢ごうしゃさのない宮廷の中を、くるくると踊るように回り歌いながら移動する小柄な少女がいた。右手には黒い古木の大杖、薄絹うすぎぬを幾重にも重ねた軽そうな衣の裾と血潮の如き鮮やかで深い赤色の髪が舞い、白く細い四肢を飾る金属の腕輪や足輪が、楽器さながらしゃらしゃらと心地よい音を響かせる。白銀の宝冠は、位の高い術士であることを示している。


 正面からやってきた長身の男が、にこやかに話し掛けた。

「おはようアルマト、ご機嫌だね。よく眠れた?」

「やあ、我が父の加護を受けし子よ。この通りとてもよい目覚めだ」

 少女は進行をやめ、とん、と杖を着くとその周りを一回転して向き合った。

「先の大雨は大変だったな。お陰でキフィ川から都を守るのにだいぶん力を失った。しばらくは役に立たん。心しておけよリュセイ」

 あどけない顔をしているが、言葉遣いは大人びている。しかも皇帝相手に随分と偉そうだ。

 しかし皇帝リュセイは気にしない。

「心得た。……あぁ、そうだ、龍女アルマト。報告しておかなきゃ」

「何だ?」

「貴女が少し眠りについている間に、貴女の子息が妻を娶った」

「ん? 何て?」

「トウキが、嫁さんをもらったよ」

 少女――宮廷術士アルマトは、黄金をはめ込んだような目を輝かせた。

「本当か!」



     ◎     ◎     ◎



 皇帝の御前に出るには支度がいる。それこそ最高の装いで、持参する手土産もそれなりの品でなければ失礼にあたる。


「どうでしょうか?」

 マイラはくるんと回った。軽い裾が花が開くように広がる。新調した淡紅色たんこうしょくの単衣物は、飾り切りされた袖口が金糸で縁取られて華やかだ。元々着ていた、奥様のお召し物というには少々粗末な衣を簡単にたたみながらシウルは頷く。

「うん、丈も袖も丁度いいね、よかった。それに婚礼のときの帯と装束合わせれば完璧! あ、靴きつくない? 茶角の皮だから大丈夫だと思うけど」

「一応夜の間だけ履いてちょっと慣らしておきます」

「うんうん。髪飾りは明日届くとして……あとは、出発の前の夜に緋露ひのつゆで爪も塗ろうね」

 緋露は、元々古くは赤く発色する染草そめくさを煮詰めて作った液体だが、現在ではそれ以外の植物を使って作った青や緑や紫、だいだいなどのものがあり、爪に塗って乾かした後に木の実からとった油を重ねると色が定着する。ほんのりと透けるように色づくので、おしゃれに敏感な都の娘たちはよく使っているらしい――というのはマイラも知ってはいるのだが、如何いかんせんそんなものを塗ってもすぐ擦れて落ちてしまう生活をしていたので、馴染みがない。

「緋露……何だかすごく……女の子みたいですね……」

 シウルが声を上げて笑った。

「やーだぁ、マイラちゃんだって女の子だよ、出るとこ出るときは着飾んなきゃ! 身だしなみってのは鎧なんだからね!」

「鎧、ですか」

 椅子に座ってずっと黙って見ていたトウキを振り返ると、びくりとした。上手い具合に言葉が出てこないらしく、あ、とか、う、とか呟いている。話の振り方が悪かったか。

「あの、鎧といえば、旦那様はそんなにお体を鍛えていらっしゃらないのに鎧を着ても身軽に動いていらっしゃいますよね」

「ああ…………それは……そういえば、話して、なかった……」

 あの夜以来、トウキはマイラが嫁いでくる以前に使用していたという顔の左側だけ隠す形の仮面を着けるようになっていた。右半分の顔が見えるようになった為、表情がわかりやすい。しかし未だに少し俯いてしまい、目を合わせずに話すことが多い。

「俺は、多分、四分の一、龍だから……だと思う」

「たぶん、よんぶんのいち」

「本当かどうかはよくわからないが、俺の母は、この国を守護する赫き龍の娘……と、いわれている。年寄りに言わせればかなり昔から宮廷にいたらしいから、龍でなくとも、まぁ……魔物の類ではあるかもしれない」

「まもの」

 マイラは焦ったようにシウルを見た。

「シウルさん、私、すごい方のところに嫁いでしまったのでは……」

「だいじょーぶだよぉ、私もこいつがヒト以外の形になってるの見たことないもん。四分の一龍って、つまり四分の三はヒトだよ? 精々見た目よりちょっと力があってちょっと術が使えるくらいだよ」

「そういうもの……ですか」

 再度トウキの方を見ると、苦笑した。

「そのお陰で、薬を掛けられてもこの程度で済んだらしい。……とはいえ、ずっとヒトとして育てられて生きてきた。試してみたが何にも化けられない。……お前にとっては、つまらないかもしれないな」

「そんなことないです、何仰るんですか! ……試してみた、のですか?」

「子どもの頃に何度か」

「ふふ」

 もし本当なのだとしたら、彼にもそんな頃があったと想像すると微笑ましいし、冗談だとしてもそんなことを言える間柄になってきたのだとマイラは嬉しく思った。

「そんなことより! どうなの!」

 シウルがマイラの両肩を後ろから掴んで、トウキの方を向かせる。

「フィーメイと私の力作なんだからね⁉ 可愛いでしょ⁉ きれいでしょ⁉ 何か言いなよ旦那様!」

 トウキは口を引き結んだ。白い肌がほのかに赤らむ。

「あ、……その、そう、だな……うん」

「『うん』じゃない!」

「…………い、良い、と、思う、が……」

「『が』⁉」

「……その、それが、……全部なわけじゃ、ないだろう?」

 確かにそうだ。この上にもう一枚着て帯を締め、髪も結って飾りを付け、化粧もして完成形となる。マイラはくすくす笑った。

「そうですね。では、全部整ったら、また見ていただきましょう」

「……わざわざ、俺に見せなくとも」

「全くわかってないなこのボンクラ」

 にらむシウルを、まぁまぁ、と抑えて。

「旦那様と共に宮廷に入るときの私の鎧ですから。目を通していただいた方がいいかなって」

「…………別に、見ておかなくても」

 まだ言うか、とシウルが食ってかかろうとしたが、トウキは更に続けた。


「美しい、というのは、わかるから……その、当日でも、いいんじゃないかと……」


 出てきた想定外の台詞にシウルは思わず言葉を失い、


「ほぁ」


 マイラの頬が紅潮した。



     ◎     ◎     ◎



 クォンシュ帝国ウェイダ領国境警備隊の詰所は、マイラの故郷ファンロン王政国ツァスマ領と繋がる街道沿い、町外れの四方を農地に囲まれたところにぽつんとある。「ぽつんと」、とはいうが、警備隊は総勢百名、警備は常に三十人体制、十人が詰所で待機しつつ、馬や武器・防具の管理もしているので、建物自体はそれなりに大きい。しかも石造りで高い塀に囲まれ、敷地内には三ヶ所の見張り用のやぐらがあり、詰所というよりもとりでに近い。


 その門前に隊長たる雪獅子公がやってきたのは、夜遅くである。しかし警備担当の日ではないので武装はせず、腰に使い慣れた細身の剣を一振り提げているだけだ。

 到着を待っていたのかすぐさま門が開き、副官のチュフィンが迎え出る。

「大丈夫なんですかぁ? こんな時間に屋敷抜け出してきて。おっ、スニヤ~よしよし今日もいい子だな~」

「今を逃したら奴らに直接話す時間がない。すぐ帰る」

「可愛い奥様が待ってますもんねぇ」

「明日は橋の復旧補助申請の準備があるからだ!」

 玄関前で行儀よく座るスニヤにそのまま待つように指示して、詰所の中に入る。鼻をついた酒の匂いに、トウキは顔をしかめた。

「誰だ任務中は飲むなと言ってるのに」

 奥から、うわやっべぇ、という声と、慌てて何かをガタガタ動かす音が聞こえたかと思うと、急に静まり返った。チュフィンは苦笑しながら隊長の肩を叩く。

「まぁまぁ、今日の番の奴らはもう終わるんだし、ちょっとくらいはいいでしょ。こんな田舎じゃ楽しみなんて少ないんだから」

「どうせ俺が不在のときはいつも飲んでいるだろう。……交代の者も揃っているな?」

「今日はちょっと早めに来いって言っときましたからね。……集合!」

 それまでの軽い調子が一転、張り上げた声は、緊張感と共に詰所の全体に広がり響く。隊員は素早く玄関のすぐ隣にある広間に集まり、整列、一斉に左腕に着けた腕章に右手を添える礼をする。元々待機中だった者とこれから交代する者、合わせて五十名。皆トウキより若い。

 トウキが手を上げると、

「ちァっすたいちょー!」

「何の報せもなくいきなり来ないで下さいよ、びっくりしちゃうじゃないですかァ」

「隊長俺飲んでないですからねオリウとシェーダが」

「違うし持ってきたのオリウだし!」

「てっめ兄を売る気か裏切り者ォ!」

 途端に姿勢が崩れて騒がしくなる。とても国境の守護者たちとは思えない気楽さだ。

 しかしトウキは慣れている。呆れた溜め息をひとつ、つくだけだ。

「確かに体をあたためる程度なら許すと言ったが、この時期はまださほど寒くもないだろう。万が一のときに剣がにぶる、飲むなと言いたいところだが、どうせ聞くお前たちではないことは承知している。口うるさい奴がいない田舎に感謝して程々にしておけ」

 はぁい、と若き隊員たちの気の抜けた返事。こんなではあるが、隊員の構成は基本的にはあまり地位の高くない貴族や軍人の子息、その遠縁の者たちで、全員仕事は勿論訓練も真剣にやるし、それなりに腕は立つ。

「ときに」

 トウキが咳払いをすると、隊員たちは再度、きちんと整列して黙った。

「知っての通り、俺は少々都に行かねばならなくなったが、正式な日が決まった。二日後の朝に発つ。帰還は龍の眼の星が出る頃を予定している。留守の間、ウェイダ領国境警備隊の全権は副隊長のチュフィン・ロウに委任する。それから……術剣士隊『白梅はくばい』キクロ・オーギ隊長より通達である。ジェン・リビ・スキヌ次席の引退により『白梅』に空席ができた。試験の後皇帝陛下直々の審査があるが、入隊希望者は……」

 全員を見渡した後、嘆息する。

「いないか。『紅梅こうばい』はともかく『白梅』は剣士としてはかえって背負いたくない称号だからな」

「いや、そんなことないっすけどさァ」

「俺ら言うほど術使えないですからね、ウァルトぐらいだろ隊長より術使えんの」

「な~にゆってんだよぉ」

 チュフィンがけらけら笑う。

「俺も術なんてほどんと使えねーのに『白梅』末席よ? お前ら知ってんじゃん?」

「副隊長は剣で補ってるじゃないですかー」

「あっ! ってことは、隊長と副隊長一コ席順上がるんじゃねっすか?」

「静粛に」

 盛り上がっているところに、隊長の一拍。隊員がぴしっと並んで黙ったところで、話を続ける。

「いないならいないで構わない、『白梅』側にはそう伝えておく。今この場にいない者には」

 チュフィンが手を挙げた。

「言っときまっす。『白梅』入隊希望者がいたらすぐ連絡、でいっすね?」

「頼んだ。酒を飲むのには目を瞑るが、俺がいないからといって決して気を抜かないように。アデン・シェウ殿下を襲った賊はまだ捕らえられていない。ツァスマやチェグルから特に何の噂も流れてこないということは、まだ近くにいる可能性が高い」

 副隊長以下総員、一糸乱れぬ礼で了解を示す。

「……但し、無謀な真似はするな、」


「『己の命を最優先』!」


 全員が同時に口にしたのを見て、トウキは満足げに笑んだ。普段から言い聞かせている言葉だ。


 この者たちになら、安心して留守を任せられる。


「わかっているならいい。以上、解散! 第二班ご苦労だった、引き継ぎと片付けをちゃんとするように。第三班は速やかに各自配置に付け!」

「隊長~、都のお土産期待してますよォ~!」

「わかった、ゴユ酒でいいな。チュフィン、後は任せた」

「うぇーい、可愛い奥様によろしく~」

 玄関に向かうトウキが振り返らぬまま指を弾くと、水珠がチュフィンの顔面を襲った。

「ぶぇっ」



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