第四話



 トウキ・ウィイ・アヴィロは、国境警備の任に赴いた翌日の日没前に帰ってきた。戻るのは夜と言っていたはずなのだが、恐らくしなければならない話をマイラにするべく少し早めに切り上げてきたのだろう。

 しかし帰宅したトウキは挙動不審だった。いつ切り出そうか、どう言おうか、熟考しているのだとありありと伝わってくる。帰宅を早めたのは、こうなることを自ら予測していたのかもしれない。

 マイラと共に着替えを手伝っていた侍女シウルが見かねたのか、

「言うならさっさとはっきり言いな!」

 と、かして強く背中を叩いたが、

「あ、えと、う、湯を」

 口ごもった挙げ句、そそくさと浴室に逃走してしまった。シウルは全く、といきどおりながら、外套を手早く丁寧にたたむ。マイラはトウキが湯浴み後に着る衣を用意しながら苦笑した。

「シウルさん、あまりきつく当たられては」

「そんなこと言ってたら、あいついつまで経っても何も言わないよ。そのうちこっちだって『早く何とかしろ』って言われるようになるんだから」

 言われる、と繰り返し、マイラは首を傾げた。

「どなたからか、何か?」

「呼び出されてるんだよ、都にいる誰かに。嫁さん連れて出てこいって」

「都にいる、誰か」

「マイラちゃん、自分の結婚のこと、どんなものなのかはわかってるでしょ? あいつも一応元々の身分は高いから、勝手によその国の姫様をお嫁に貰うわけにはいかないってんで、陛下におうかがい立ててお許しいただいてるわけでさ」

「報告が必要なのですね」

「そう、それ。こんな田舎だから婚儀に呼ぶのは難しいけど、それとは別にちゃんとお披露目ひろめはしなきゃね」


 つまりそれは、クォンシュの都に行けるのではないか――マイラは一瞬、盛り上がりかけたが、しかしトウキはあの様子からみるに都に行きたくないのではと思い返す。何しろ怪我を負い、追い出された地。苦い思い出どころではない。

 きっと、都に行くと言えば好奇心旺盛なマイラが喜ぶとわかってはいるが、強い拒否感も出てしまって、葛藤しているのだ。自分のことを考えてくれているのは嬉しいが、反面苦しめてしまっていると思うと、マイラは申し訳なく感じた。


 この件は、どこまで強制力があることなのだろうか。


 ファンロンよりずっと大きな国の都。

 行ってみたい気持ちは確かにあるが、あのようになってしまうトウキのことが心配だ。


「都にいる誰かって、どなたかはわからないのですか?」

 それが皇帝陛下でなければ、理由を付けて回避できないだろうか。

「心当たりはたくさんいるけど」

 言わないあたり、誰なのかはシウルにもわかっていないらしい。


 皇帝を除いて真っ先に思い当たったのは、トウキの両親だった。


 父のゲンカ・ツォウ・クォンシュは先帝の実弟で、将軍にして皇帝直属剣士隊の長。母アルマトは宮廷術士。

 共に皇帝の傍にあらねばならない重臣ゆえに都から離れるのは難しいらしく、先の婚礼では会っていない。


「ご両親でしょうか」

 親としても離れた地に暮らす息子のことは気がかりであるだろうし、身分的に皇帝に仕える者としてもの申してきている可能性もある。

「それもあり得る。特にアルマト様なんて、息子に嫁だなんてはしゃいでるだろうね」

「はしゃぐ」

 想像できない。赤い髪の美女だと聞いたことはあるが、何せあの物静かなトウキの母である。

「うーん……やっぱり、皇帝陛下、ですかね……」

「多分……や、でも、無理に出てこいとは言わないかなぁあいつは。トウキに甘いし。会いたがってはいるだろうけど」

「えっ?」

 意外な言葉にマイラは目をぱちぱちさせた。確かトウキは、今の皇帝と争った結果この僻地に飛ばされたという話だったはずだ。しかもよりによって皇帝を「あいつ」だなどと。

 察したか、シウルは笑った。

「あぁ、そうだよねぇ。……ほんとはね、トウキとリュセイ、すっごく仲いいんだよ」

「え」

「何せ先代の皇帝は噂通り放蕩野郎だわ皇后とは仮面夫婦だわでね、前の陛下の弟……トウキの父親のゲンカ小父様が、トウキと一緒にリュセイの面倒も見てたんだ。だからほんとに兄弟みたいに育って……何であいつらがそうなっちゃったかっていうとね……周りが、そういうふうにしちゃったの」



     ◎     ◎     ◎



 『周りがそういうふうにしちゃったの』


 シウルの言葉の意味を考える。


 トウキも、皇帝――当時の皇太子も、争いたくなんかなかったのだろう。


 本意でなく、権力争いに利用されて不仲にさせられてしまったのだとしたら。

 その結果、こんなことになってしまったのだとしたら。


(何という仕打ち!)


 腹立たしい。トウキが都を嫌う理由も理解できる。そんな者がいる場所に行きたいだなんて思えないだろうし、また変なことに巻き込まれたくもないだろう。


(でも……)


 同時に、仲のいい友人が、そして両親がいるところでもある。


(これは大変複雑な問題なのでは……)


「……何か……?」

 我に返る。寝台の上、正面に座る夫をじっと見ているうちに、思考の海へ沈んでいたらしい。

「いえ、その……何でも、ありません」

「……シウルから、どこまで聞いた?」

「え」

 トウキは溜め息をつく。

「あいつは昔から遠慮がないから、どこまでも喋りそうだ」


 シウルは代々皇帝の侍従を務めているオーギ家の娘だそうで、トウキがウェイダに飛ばされた際に臣下代表として付いてきたのだという。幼い頃から付き合いがあるという二人の普段のやりとりは、まるで姉弟のようだ。

 主従という関係の割にあまりにも親しげであるし、おどおどしながら話す印象の強かったトウキがシウルに対して――シウルだけではなく、よく見れば他の家人に対してもだが――流暢りゅうちょうに話すのを見たときは少し驚いたものの、それだけトウキが信頼をおいている人物なのだとマイラも安心して接している。


「あ、えっと……私はファンロンの者でしたから、旦那様が、その……」

「リュセイと争って追い出されたと聞いている?」

 皇帝を呼び捨て。突然の不敬にぎょっとしたマイラを見たトウキは、


「ははっ」


 笑った。


 想定外の事態の連続に、マイラは困惑する――こんなふうに笑うこともあるのか。いや、旦那様だって人間、こういう面もあったりするだろう。何より笑っている、声を出して。さらけ出してくれている、これはいい傾向、のはずだ。

 驚きもあり、嬉しくもあり、また顔が見えない相手の考えが全く読めないことから何と返していいのか、混乱しながらも思考を巡らせていると、

「そう、だな……」

 小さくつぶやいたトウキから笑顔は消え、また考え込んでしまった。マイラは、思い切って踏み込んでみることにする――今なら、少しくらいは。

「陛下とは、大変親しくされていたと聞きました」

「……兄弟みたいなものだった。シウルと、シウルの兄も。いまだに気に掛けてくれている」

 何となく、安堵した。彼にはちゃんと味方がいる。

「そうなのですか。……あの、都へ、行くのですか?」

「……行かなければ、ならないだろうな。何せ皇帝直々のお達しだ。無理して来なくてもいいとは言っていたが」

 呼び出したのは皇帝だったか。しかし掛けられた言葉からして、本当に仲はいいのだろう。それでも渋るということは。

「行きたくなさそうです」

「ああ…………行きたくない……行きたくない、行きたくない」

 呪詛じゅそとなえるように三回繰り返した。これはなかなか由々しき問題なのではないか。

「あのっ、……どうしても、なのですか?」

「ウェイダに来てからこれまで、……十二年間、十回以上、呼び出しを断っている……今回ばかりは……」

「旦那様……それは……それは……行かなきゃダメなのでは……」

 まさかの白状内容に血の気が引く。いくら仲のよい皇帝が大目に見てくれているのだとしても、流石に周囲が許すまい。よく今までとがめられなかったものだ。一応皇家の出身であることへの配慮――というより、れ物扱いなのかもしれないが。

「私たちの婚姻は国交に影響するものです、陛下のお立場が」

「うぅ……そうだな……そうなんだよなぁ……」

 俯いて苦悩する。そんなにもか。

「……お訊きしても、よろしいでしょうか」

 どうにか、何とかならないものだろうか。マイラは膝を進めた。

「何故、都へ行きたくないのです?」

「怖い」

「怖い」

「……また、薬を浴びるようなことになったら、と思うと、怖い」


 少しずつ、言葉がこぼれ出していく。


「この、火傷やけどあと、は、リュセイが狙われたときに、咄嗟とっさに」


 寝間着ねまきの胸元を少しだけ開く。

 焼けただれた左胸は、凸凹でこぼことした肉が引きり赤黒く変色している。普段は衣や髪で隠されているが、首にも痕がある。顔だけではなかったのか。


「……でも、また同じことができるかわからない。俺は、表向きは皇帝の敵だ。リュセイの暗殺未遂事件で罪はないと認められた。帝位の継承権をなくすために、頼み込んで皇家の者の地位も名も剥奪してもらった。リュセイも考えてくれて、都から離れた、この辺境の地に置いてくれた。が、それでも未だに俺を担ぎ上げようとする者は残っているし、奴らはリュセイの命を狙うだろう。……この国の皇帝はリュセイだし、俺は皇帝直属の剣士隊の隊員ひとりだ、まもらなければならない、わかってはいる、それでも、……死にたくない」


 その一言は、マイラの心に突き刺さった。


 彼が今、必死に願う、ただひとつのこと。


「次にリュセイの身に何か起こりそうになったら、俺は逃げてしまうかもしれない。すごく熱かった。痛かった。怖かった。死ぬかと思って、死にたくなくて、そんなのが何日も続いて、どうか、しそうで……でも、リュセイに、俺と同じ思いはさせたくない、させてはいけない、ちゃんと護りたい、とも思う。……本当は嬉しいんだ。会いたい、帰ってこいって言ってもらえるのは。でも、……俺が、リュセイの傍にいなければ、遠くにいれば、何も起こらないはずだから……」


 夜の闇に消えそうな程小さな声と節くれ立った大きな手が震えている。

 顔を見せるまでには至らない、が、これでも彼にとってとても勇気のいる告白だっただろう。


 つらいことを思い出させてしまった。

 ずっと奥にしまっていたことを吐き出させてしまった。

 軽率だった。


 しかし。


「旦那様、もういい、結構です、もう、それ以上は」

 夫の寝間着の前を整え直し、膝立ちになって、頭を抱えるように抱き締める。

「教えて下さって、ありがとうございます。……でも、旦那様。これは行かなければ」

「う」

 ぎゅ、としがみつかれる。歳の割に子どものようだ。ぽんぽんとあやすように、添えた手で軽く肩を叩く。

「私も一緒に参るのですから、安心して下さい。絶対に、旦那様をお守りします」

「そんな、同じ目にうようなことがあったらっ、」

 慌てて顔を上げたせいで、頭巾が落ちた。深く鮮やかな赤色の髪が露出する。金属の仮面の奥の目は、本気で案じてくれている。

「もし薬をかけられたら、旦那様とお揃いになりますね」

「そんな揃いはいらん!」

「でも、やっぱり、行かなければダメですよ旦那様。死にたくないのなら尚更です。びっくりしちゃったじゃないですか、そんなに呼び出しを断ってるだなんて。不敬で死罪を言い渡されたらどうするんですか?」

「しざ、い」

 びくっとした。繊細なかただ、マイラは思う。だがそう気遣ってもいられない。下手をすれば本当に命に関わる。

「そうですよ。私、ようやく嫁げたのに未亡人とか、最悪共に死罪とか嫌ですよ」

「それ、は……」

 俯いてしまった。再度抱き締め、髪を撫でる。スニヤの鬣よりも艶やかで、するすると指通りがいい。

「要は私をお見せすればいいだけなのでしょう? 今の貴方は国境を守護する者、クォンシュの平穏を守る為には長居はできないと言って、陛下にお会いしたらさっさと帰ってしまえばいいのです。嘘ではないのですから。きっと陛下もわかって下さいます」


 事はそう単純ではないだろう。それはわかっている。

 が、ここは何とか立ち上がってもらわねば、と思った。

 奥ゆかしく繊細な夫には誠心誠意をもって接していきたいが、心を鬼にして尻を叩くのもまた妻の務めである。


 と、


「……ふ、ふ」


 かすかな笑い声と共に、トウキの手が徐々にほぐれる。

 おびえが弱まっていくように。


 かと思ったら、抱き締め返してきた。鎧を着て剣を取る者の割にさほど鍛えられてはいない体だが、力は強い。


「名ばかりとはいえ、仮にも剣士隊の末席にある者が十以上も下の妻に守られるなど、立つ瀬がなくなってしまう」

「護身用の短剣みたいなものだと思って下さい」

「頼もしいことだ。……不思議なものだな、まだ知り合って間もないというのに、こんな、ことを……話してしまった……変な話をしてすまない……つい……」

 また落ち込んだ。しかしそんなに深刻そうでもない。マイラは笑う。

「身近な方にはかえって話せないこともあるものですよ」


 出会ってまだ日の浅い自分に打ち明けてくれたのは、妻であるからというよりも、昔からの彼を知る者ではないからかもしれない。

 それでも、十年以上も抱えているものを、少しでも軽くできただろうか。


 そうだったらいい、とマイラは思った。


 離縁されない限りは、一生一緒にいるのだから。


「共に生きましょう、旦那様。せっかく生き延びたんですから」

「そう、だな。…………マイラ・シェウ、妻になってくれたこと、感謝する」

「こちらこそ、行き遅れを拾って下さってありがとうございます」


 そう言って、顔を見合わせた瞬間――


「あ」


 頭にくくり付けていた紐が緩んでいたのか、仮面が落ちる。



 夫婦は、同時に、静止した。



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