第二話



 大陸屈指の大帝国クォンシュの西南端に位置する領地ウェイダ――そこに向かう隣国ファンロン王政国ツァスマ領主の娘マイラ・シェウ・ルヨ・ファンロンの輿入こしいれ一行は、張り詰めていた。

 マイラがウェイダ領主トウキ・ウィイ・アヴィロに嫁ぐきっかけとなったのが、「使者としてクォンシュに来訪していたマイラの父が帰路にて賊に襲われたところを、橋が壊れたと報告を受け見に来たトウキに助けられた」という話なのだが、また出没しないとも限らないからとトウキが護衛を兼ねた迎えを寄越したと思ったら本人までもが同行してきてしまい、マイラの乗る馬車に雪獅子ルイツでずっと横付けして離れないのである。


 大事にされている、と見えなくもないが──


(ずっとあんななのかな……疲れないのかな……)


 護衛の者たちはウェイダ領の国境警備隊の隊員だそうで、皆歳若い。彼らは作りは簡素ながらも、美しい彫金細工の入った防具と鉢金はちがね、そして黄色に近い若草色のよく目立つ腕章を祝いの礼装の上に着けて、各々の得物である剣や弓、槍を携えている程度なのだが――トウキ・アヴィロだけは初対面のときと同じく全身鎧に剣を提げ、ガッチガチの武装をしているのが少々異様だ。騎乗している雪獅子も、立派な面甲めんこうと肩・臀部でんぶを守る鎖帷子くさりかたびらを着せられている。


(あの下に礼服? 後で着替えられるのかな……お手伝いした方がいい? あっ、でもまだ夫婦じゃないから失礼にあたる?)


 馬車の小窓からこっそり覗き見、もとい観察しながら、マイラは思考を巡らせていた。何しろ暇なのだ。ウェイダのアヴィロ邸に到着するまで、まだしばらくかかる。


(雪獅子……すごく、きれい)


 普段は鎧など着けないだろうに、主同様にそれを苦としない軽い足取りで歩く雪獅子は、時折主を気にして頭を撫でられている。その指の間からはみ出る被毛は、見るからに長めの毛の一本一本が細く、ふんわりとやわらかそうだ。雪降る山岳地帯を棲息地とする獣ゆえの特色である。


(触りたい……なぁ! 仲良くできないかなぁ……)


 うずうずしながら熱い視線を向けているのに気付いたか、雪獅子と目が合った。興味ありげにじっと見てくる。やや緑がかった金色の瞳が宝玉のようだ。

 相手は獣、こたえるはずもないとわかっているが思わず手を振ると、また雪獅子はトウキに何かを訴えかけるようにちらちらと振り向く。そして、一人と一頭で、一斉にマイラが覗いている小窓を見上げてきた。

「はっ……」

 少しの驚きと恥じらい、そして気まずさを感じたが、考えてみれば別に悪いことをしているわけではない。マイラは思い切って小窓を全部開けた。

「あのっ、……お疲れでは、ないですか⁉」

「――、――」

 走る馬車の音とかぶとに遮られて声が聞こえない。

「えっ?」

 と――冑の、口元の部分を少し開けて。

「そちらは」

 よく通る声。以前聞いたものよりも幾分高い。

「あ、はい、大丈夫ですっ」

「一刻もすれば着く」

「はいっ」

 隙間から見える口の左端に金属片と火傷やけどあとのようなものが見え、どきりとした。冑を被っているのに更に傷痕を隠しているのか。これ以上見ていたらそれについて何か言ってしまいそうだと考えたマイラは頭を下げて、小窓を閉めた。

「……まだ、痛む、かなぁ」

 顔の傷は消えにくい上に目立つ。あれほどまでに隠すとあれば、きっと――


(見られたくないんだろうな)


 膝を撫でる。この日の為の特別な布地は、とてもなめらかで最高の肌触りだ。


 寄り添えるだろうか。


 わざわざ迎えを寄越しその上みずからもついてきた彼が、本当は嫌だったかもしれないのに口元をさらしてまで声を掛けてくれた彼が、野心を持ち皇帝とやり合った男だとはマイラには思えなかった。



     ◎     ◎     ◎



 婚礼の儀式自体はそう長くはない。結婚する両者のどちらかの家の玄関の前で向かい合って立ち、両手で相手の首から両肩、上腕を撫で下ろした後、手を取り己の額に当てて天の神と地の神に誓いと祈りの言葉を述べ、そろいのものを一つ持つ。儀式自体はそれだけだ。頭は心、胴は生命、それをつなぐ首に触れ、下に流す所作しょさは時間が流れるさまを示し、手を取り神に報告し、同じものを持つことで相手を〝これから先、共に生きる伴侶〟と定めるのである。

 夫婦になった証に持つ揃いのものは、特に決まりはないのでそれぞれで違う。一般的には装飾品が知られるが、衣類を同じ布地で仕立てたり、同じ意匠の食器で食事をとるようにする夫婦もある。裕福であっても貧しくあっても等しく伴侶となれるよう、共にあるという気持ちを忘れぬよう、天の神と地の神が話し合って定めたのだといわれている。結婚の証としては一つだが、睦まじい仲であると幾つか揃いのものを持つ夫婦もいる。


 儀式的には問題はないものの、流石に甲冑のままではよくないと考えたのだろう。婚礼の儀の際、トウキは白の衣に、裾に黒と金の刺繍の入った煤色すすいろの装束という礼装に着替えてきたが、やはり顔は全体的に隠され――口回りだけが出ている仮面を着け、頭部は頭巾ずきんで覆われていた。その厳重さ、「可能な限り見せたくない」という気概を感じたマイラは、相手から言及されない限りは触れないでおこう、と再度心に決めたのだった。



 儀式が終わり、祝宴の準備中。控え用に宛がわれた部屋でマイラが慣れない化粧を四苦八苦しながら直し終わったところに、


「マ、イラ、どの」


 小さく小さくトウキに呼ばれた。化粧直しが終わるまで待っていたらしい。その声にはどう呼んでいいのかの迷いがみられる。何しろまだ初対面含め会うのは二回目である。

 招かれたので同行すると、屋敷の奥の方へと向かい、そこそこの広さの部屋に入るよううながされた。大きな寝台の存在感、ここは夫婦の寝所らしい。調度品は質が高いもののようだが、意匠は至って控えめで品がよい。寝台の傍らの花瓶に活けられた淡い青紫の蜜花みつばなの香りがふわりとただよう。

「……これを」

 布張りの小さな箱を差し出された。開けてみる。


 はさむように着ける作りの、白銀の耳飾りだった。透き通った薄水色の石がひとつ、光を含んできらめく。冷え込んだ朝に見られる細氷をぎゅっとまとめ固めた結晶のようだ。石の切り方と磨きが工夫されているのだろう。そういえば、この石の有名な産地がウェイダ領内にあったはずだとマイラは気付いた。


「……揃いの、もの……なんだが、その……剣とか弓とか、手を使うことが多いと……アデンどのが」

 邪魔にならないものを、と気を遣ってくれたらしい。しかもこの言い方、剣や弓や畑仕事を続けてもいいということか。

 大事にされている、とマイラは思った。国主の一族の者同士の婚姻なのだから当たり前なのかもしれないが、そういえば雪獅子の面甲も同じ石で飾られていた。つまり彼の相棒ともお揃いなのだ。これは喜んでいいのではないだろうか。

「ありがとう、ございます。あ……双方で決めることなのに、任せきりになってしまって申し訳ありません」

「いや……嫁入りの準備は、大変と聞くから……こちらこそ、勝手に用意してしまって……」

 落ち着いた声色こわいろ。やはり冑を被っていたときは少しくぐもっていたし、馬車と並走していたときは声を張っていたのだ。とすれば、これが素の声か。

 露出する範囲を少しでも減らそうと顔周りの髪も伸ばしているようで、頭巾の隙間から濃い赤の髪がさらりと揺れ落ちる。どこかで見たことがある色だ。確か、姉が嫁ぐ際に着た装束の最上の赤。あれと同じだ。


 受け取った耳飾りと同じものを持っているはず。

 合わせたら、どんなに美しいだろう。


「あの」

「……何か」

「これと同じものをお持ちなのですよね? もう着けていらっしゃいますか?」

「ああ」

「……見せてほしい、って言ったら、怒りますか?」

 口が、どう言葉をつむごうか迷うように僅かに動く。困らせてしまったようだ。マイラは慌てて頭を下げる。

「ごめんなさい変なこと言ってっ、あ、その、顔のことじゃなくて、ですねっ」

 しまった、言ってしまった。触れないように、触れないようにと考えていたのに、逆に考えすぎてしまっていたか。顔がカーッと熱くなる。


 しかしトウキはというと、


「あ、その……いや、そうか」


 意を決したかのように、頭巾に手を差し入れて、右耳が見えるように、掛かる髪を除けた。一粒の石が、夕焼けの中の星のように輝く。

「その……髪で、隠れて、見難みにくいとは思うが……ちゃんと、しているから……」

 安心してほしいと言いたいのか。マイラの焦りがもう一段階上がった。

「いえ、ごめんなさい、そういう意味じゃなくてですねっ、あの、私ほんとに失礼なことを」

「……いずれ、」

「え」

 トウキの手が、持たせたままの小箱から耳飾りを取り、マイラの左側頭の髪をそっと上げる。マイラは目を閉じた。露出された左耳に意識が集中する。


 金具の冷たさ。剣を取る者らしく少し硬い手の感触。

 少し緊張した息遣いが近い。


 不思議と、気持ちが落ち着いていく。

 つい先程の儀式よりも、もっとそれらしい行為のように思えた。


 耳の上の方、耳輪じりんの部分に、耳飾りは取り付けられた。ゆっくり目を開けて触れてみると、トウキが狼狽うろたえる。

「あ……痛かった、か」

「いえ、大丈夫、です」

「はっ……あ、その、勝手に着けてしまってすまないっ、嫌なら外していてくれて」

「嫌だなんてそんな……ふふ」


 何だか、嬉しくなった。


「これで、本当に夫婦なのですね」


 笑いかけると――トウキの口が、何か言おうとして、きゅっと締まった。

 言葉を探している。


(これは……照れてる……? なんて奥ゆかしい……)


「旦那様、奥様」

 侍女が呼ぶ声が聞こえた。二人で同時にはっとして、

「はい」

「今行く」

 同時に応え、顔を見合わせる。トウキの口が歪み、マイラは吹き出す。

「参りましょう!」

 手を引いて寝室を出る。手が耳に触れたときよりも熱くなっている、気がした。


 宴の支度が整った広間に入る直前に、繋がれた手が少し、ほんの少しだけ、強く握られる。


「……その、」

「名前で呼んで下さいませ、旦那様」

「マイラ、どの」

「『どの』いりません」

「…………マイ、ラ」

「はい」

「顔……」

 耳飾りを着けるときに言いかけていた言葉の続きか。隠された顔を見上げる。

「はい」

「…………あ、えぇ、と……」


 言いたかった、決意したかったに違いない。


 が、まだ、踏み切れない何かがあるのだろう。


 マイラは握られた手に、反対の手を添えた。


「ゆっくりいきましょう、旦那様」

「……すまない」

「大丈夫、大丈夫ですよ」



 トウキ・ウィイ・アヴィロ、二十九歳。

 マイラ・シェウ・アヴィロ・ルヨ・ファンロン、十八歳。


 二人の繋がりは、まだ始まったばかりだ。



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