第22話 村人の怒り

 腹の底から響いた声には底知れぬ殺意がメラメラと燃え上がっていた。どの村人よりも厳つく短気な巨漢は、今回行方不明になった被害者の家族の一人である。

 その怒りようは、他の被害者たちの肉親の誰よりも群を抜いて大きかった。

 凡人であれば身を竦ませてしまう威圧に、しかし村長は光沢の消えた黒い瞳で巨漢を見やると、ため息に近い声量で呟く。


「それで気が済むなら好きにすればいい。私は抵抗せんよ……」


 覇気も反省の色もない、流れに身を任せるだけの身勝手な返答は、巨漢の燃え盛る憤怒に油を注ぐだけだった。

 巨漢は額に青筋を浮かべると、村長の胸倉を掴んで引き寄せる。


「今まで安全圏でみんなが消えて行くのを見てただけのお前らには、俺たち下々の気持ちはわからねぇだろうな。女房とこれから産まれるはずだった子どもを失った辛さがわかるか!? ええ!」

「大事な人を亡くしたのが自分だけと思うな。私も先程妻を目の前で亡くしたばかりだ」


 言い返すつもりはなかった。ただ受け入れがたい現実に耐えられず、不満の一つでも言いたくてぽつりと漏らしただけ。

 しかしそれは、結果的に逆切れのような形になってしまう。


「なに被害者ぶってんだ!」


 当然その態度は巨漢の怒りを買った。巨漢は怒鳴り散らすと村長の腹に前蹴りを食らわす。村長は小さく呻くと地面に倒れて体をくの字に曲げた。


「ただ殺すだけじゃ気が収まらねぇ。嬲り殺しにしてやる!」


 我慢の限界だった。巨漢は木材を両手に持ち替え、渾身の力を込めて振り下ろす。

 その刹那、視界の端に小さな黒い影が飛び出した。

 だが最早一度振り下ろされた腕を止めることはできない。巨漢は全力の一撃で目下の村長へと木材を叩きつける。


「やめてえぇ!」


 声が響くのと木材で殴りつけたのは同時だった。そこでようやく巨漢は、飛び出してきた小さな影の正体に気づいてギョッとする。


「うぎゃあああぁぁああぁぁあぁあああ!」


 村長を庇う形で覆い被さったコーランは背中に強烈な一撃を食らうと、絶叫を上げてひきつけを起こした。激痛で体は勝手にピンと張り、ガクガクと細かく震える。


「な、なんだこのガキ!? いきなり出て来やがって!」

「コーラン!?」


 当惑する巨漢を前に村長はすぐさま飛び起きると、激痛のあまりひきつけを起こす我が子に寄り添った。

 本当は抱き締めてやりたかったが、いかんせん縄で縛られていて腕の自由が利かない。代わりに口を使って急いで息子の服を捲ると、木材の叩きつけられた背中を見る。


 それまで血色のいい肌色をした背中が数秒ごとにじんわりと赤くなっていった。やがて内出血したように真っ赤に染まると、更に濃さを増して赤黒く変色する。

 もしかしたら骨まで行っているかもしれない。村長は今や悲鳴を上げずに目前で悶絶する息子を見て、凄まじい恐怖に駆られて真っ青になった。


 また、コーランの悲鳴は他の重役たちを折檻していた村人たちにまで届き、その尋常でない絶叫に隣地を一時中断させた。小さい子どもの悲鳴に誰もが何事かと振り向く。


「なんて無茶なことをするんだ! ああ、酷い痣だ……」

「だ、だって……お父さんがみんなのために頑張ってたって、知ってるから……っ」


 本当はこうして喋ることすら億劫なほど痛いだろう。それでもコーランは自身を心配する父を見て、どうにか思いの丈を打ち明ける。


「それに、僕もお父さんがやってることを知ってたのに、みんなに黙ってた……。だから、僕もこうされて当然なんだ……」

「……ッ」


 息子の言葉に村長は息を呑むと唇を噛んで俯いた。そのタイミングでコーランは村長から視線を外すと、当惑して棒立ちになった巨漢へと目を向ける。


「おじさん。おじさんから大事なお嫁さんを奪っちゃってごめんなさい。僕たちのせいでみんなを消しちゃってごめんなさい……っ。今みたいに叩いて、少しでも楽になれるなら、全部僕が叩かれるから! だから、これ以上誰も殺さないでください! また人がいなくなるのはやだよ。もう怖い思いはしたくないから、だから……!」


 苦痛の表情で涙ながらに懇願するコーランに、村人たちは困窮の面持ちで互いに顔を覗き合った。事情を知る関係者とはいえ、一人の少年を誰が集団で折檻できよう。


「バカなこと言ってんじゃねぇぞクソガキ! お前一人だけで罪が償えるとでも思ってんのか? とっととそこを退け! さもないともう一発食らわすぞ!?」


 元々自己主張が激しいのか、巨漢は声を凄ませると、わざと足元に木材を振り下ろして威嚇した。が、それでもコーランは村長から離れない。


「殴っても構いません! だって僕も知ってて今まで無視してたんだから。だからお父さんを殴りたかったら、まずは僕を殴ってからにしてください。でも、僕がここを退く前におじさんの気が済んだら、もう誰も叩かないと約束してください。そうすればいくらでも僕を蹴っても殴ってもいいです! だから、もうこれ以上誰かが傷つくのは……っ!」


 怯えるどころか、むしろ強気でそう宣言すると、コーランは一層強く自分の父親を抱き締めた。ギュッと目を閉じたまま震える体は、打撃に耐えられるよう力んでいる。


「こ、のぉ……いい加減にしやがれぇ!」


 まざまざと見せつけられる親子の縁に巨漢は嫌気が差す。名状しがたい感情が心に蟠ると、それを振り払うために木材を目前の親子に振り被った。

 そして木材の折れる激しい音が静まった周囲に響く。

 先程から三人しか会話を交わしていなかった現場では、自然全員の視線が一点に集中される。すると再び場が静まり返った。


 巨漢の叩きつけた木材は地面を深く抉ると、元々痛んでいたのか、その一撃で真ん中から真っ二つに折れた。

 対する巨漢はその場に膝をつくと、両手をブランとさせて呆然とする。

 今までの怒りはどこへ行ったのだろうか、巨漢は事切れたように沈黙すると、やがて震える口を開いて、ただ一言だけそっと言葉を紡いだ。


「——男の子だったんだ」


 突然電源が切れたように沈黙したかと思えば、不意に呟く巨漢に、村長とコーランは目を見開いたまま硬直する。なおも巨漢は語った。


「もしかしたら、今日にでも女房の陣痛が始まって生まれたかもしれない。本当なら今頃俺の腕の中にいて、女房と一緒に二人とも抱き締めてたはずなんだ……なのに!」


 叫びながら私怨の眼差しを、目前でお互いを支えるように寄り添う二人に向ける。

 そこに本来なら同じように抱き合っていた自分たち家族の未来が重なると、今まで憤怒と憎しみに燃えていた瞳は悲しみに染まり、溢れ出す涙に濡れていった。


「どうしてお前には息子がいて、俺にはいないんだ!? 俺にはもう誰もいない! 女房も子どもも亡くして、俺はこれからどうやって生きて行けばいいんだよ!?」


 巨漢がまともに言葉を発せたのはそこまでだった。魂の叫びを上げ終わると巨漢はその場に蹲る。両手で地面を何度も殴りつけ、大声で咽び泣いた。

 大の、それも大柄の男が声を上げて泣く姿は、それだけで自分たちがどれほどのことをしでかしてしまったのかを、重役たちに苦しいほど痛感させた。


 家族を奪われたのは巨漢に限ったことではない。その事実は重役たちに、肉体的に折檻を受けるよりも何十倍に、心に耐えがたいダメージを与えた。

 女房というワード、そして今しがたコーランに木材を振り上げる巨漢を見て息子まで失うかもしれなかったという恐怖を覚えると、さすがの村長も堪えた。


「済まない、みんな……本当に申し訳ないことをした……」


 村長は声を震わせると、ようやく本来なら先に言うべき言葉を口にした。

 罪悪感に瞳を潤ませると起き上がり、縄で縛られた状態のまま正座して地面に頭を擦りつける。強く押しつけられた額からは、底知れぬ後悔が窺えた。


「なにも言い訳はしない。許してもらうつもりもない。だが、なぜこんなことになったのか、その経緯だけでも言わせてほしい。そのあとならどんな罰でも受ける。だからせめて、その時間だけでも与えてくれ。頼む……っ」

「お父さん……」


 大勢の前で土下座をする父親にコーランは涙を流した。だがそれは羞恥や嫌悪によるものではない。ただ、こんな結果を招いた運命が悲しくて涙したのである。

 なにはともあれ、これ以上事態が悪化しないこと認めるとシアは安堵した。その横でルクスは、あたかもこうなることを知っていたような様子で直立していた。

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