第17話 災害の元凶

「——いや。持っていて正解だ」


 騒動の中でも、ルクスの静かに憤怒に燃えた声は届いた。

 シアが顔を覆いかけていた手を退かすと、そこには相変わらず全身が崩れかけたルクスがいる。

 歪みの中心は魔石を仕舞った懐。動作が始まったお陰で、どこに魔石を入れているのか一目でわかった。魔石が入っているのは胸元の右ポケットだ。


『グオオオォッ!』


 ルクスの視線が魔力の歪みへと逸れた隙を狙い魔獣が飛びかかった。大胆にも真正面から牙を向けてくる。それほど今のルクスは油断だらけだった。

 しかしルクスの反射神経も鈍ってはいなかった。すぐに魔獣を見やると、まるで飛んできた小石でも避けるように、上半身だけを軽く傾ける。

 その判断が魔獣に一撃を許した。噛みつきが届かないと判断した魔獣は即座に攻撃法を変え、綺麗なカーブを描いた鉤爪のついた前足でルクスの胸元を切り裂く。


「ルクス!」


 咄嗟にシアは叫んだ。が、肩に入った力はすぐにふっと抜ける。

 切り裂かれたのは衣服だけ。そこから出血はなかった。代わりに別のものが胸元から外へと飛び出す。むしろシアはそちらの方に目を奪われた。

 胸ポケットが破れると中に入っていた魔石が落ちていく。言わずもがな、それはすでに吸引を始めており、ルクスの体も少しだけ引っ張られていた。


 それを無視してルクスは構えていたロングソードを下から斜め上へと斬り上げる。刃先は真っ直ぐ魔石に向かうと直撃し、破裂音を響かせながら粉砕する。

 砕け散った魔石からは内包されていた魔力が放出した。事情を知らない者ならば、魔力はこのまま魔道具へ引きつけられると考えるだろう。だがそうはならない。


 解放された魔力は空気中に蟠ると、そのままロングソードに――ガリアの細胞を有した贋造物へと吸収された。

 その勢いでルクスは魔獣を切りつける。闇色の靄によって視界を遮られた魔獣はその一撃を避けられなかった。


『ギャイイィン!?』


 鋭い刃は毛むくじゃらの腹を掻っ捌いて贓物を撒き散らす。死骸が血液をぶちまけながら地面に転がる頃には、ロングソードの準備は整っていた。

 吸収された魔力は乾ききった赤黒い表面をなぞると、禍々しく浮き出ている血管から内部に浸透した。特に柄から切っ先にかけて伸びる闇色の大動脈を流れるときは鈍い闇色の輝きを放ち、より鮮明に内部に魔力が流れていることがわかる。

 それこそ輸血された血潮が流れるが如く、カラカラに乾いたミイラの肉体が潤いを得て復活するように、全体に行き渡る様子がはっきりと見えた。


 供給量が増えるほど鼓動は強くなり、少しずつ心拍数が上昇する。すると乾燥していた人工の筋肉組織は、復活植物が水を得て蘇るように潤いを取り戻していった。

 萎んでいたせいで今までそれとはわからなかった棘や鱗や被膜らしき部位も、命を吹き返したように膨れ上がり、鋭さや強度が上がって禍々しさが一層際立つ。

 まるで武器が、本当に生きているのではないかと見紛うほどに。


 お陰で刃先にべっとりと着いた血糊も、より筋肉質になった刀身と魔道具の発する赤い光に溶け込んで、一目でそれと判別できなかった。

 それでも見た目のおどろおどろしさは隠せないが。

 元の形より大きくなって大剣に近い形になったロングソードを構えながら、ルクスは周囲を見やる。そして自分でも狼狽しているとわかるほどに息を呑んだ。


 少し目を離している隙に、村中が血祭りに上げられていた。

 血の濃い匂いが充満し、今もそれが上がっていく。少し目を動かせば死んだ村人の肉に食らいつく魔獣が視界に入り、各地で臓腑と血液の水溜りができあがっている。

 それでも被害は小さい方だった。ほとんどの者が重軽傷で済み、ギリギリのところで生き永らえている。

 だが失った命の数は決して少なくない。


 次々と襲いかかる絶望の中でも村人は存命を諦めることはなかった。いつの間にか村人たちは畑や農家から桑などの武器を手に取り、魔獣に応戦している。女子どもは各家に避難し、しっかりと中から鍵をかけて防御に徹していた。

 しかし魔獣の数が減ることはない。それどころか周辺の木々の間から少しずつ姿を現し、加勢していった。まるでなにかに引き寄せられるように。


 その原因に心当たりがあったルクスは急いでシアに向く。すると向こうもこちらを見ており、二人の視線が交差した。

 が、ルクスはもう一つの視線に気づく。

 今なおコーランを宥めるシアの後ろから魔獣が迫っていた。迷いなく一直線に突き進んでいるところを見ると、ターゲットがシアであることは一目瞭然。


「シア、伏せろ!」


 今日一声を張ってルクスは叫ぶ。

 その緊張感が伝わったのか、シアは即座に言われた通りコーランを巻き込む形で思いっきり頭を下げた。すると丁度シアの背後から飛びかかる魔獣が丸見えになる。

 今走っても間に合わないことはルクスにもわかっていた。だから走る代わりに一歩大きく踏み込むと、ロングソードを持った腕を振り上げる。

 そしてそのまま地面に叩きつけるような勢いで、武器を思いっきりぶん投げた。


 今や大剣と化したソードはでかい振れ幅で回転すると、ブォンブォンと多くの空気を切り裂く音を立てながら、強靭的な勢いで魔獣目がけて飛んでいく。

 鋭い牙がシアの頭に食らいつく直前、太い切っ先が魔獣に突き刺さった。

 到底刃物が肉を切り裂いたとは思えない肉や骨が潰れた凄まじく大きな音と、頭上の尋常ではない風切り音で、その勢いがどれだけのものかシアに伝わる。


 あまりに重く生々しいグロテスクな音量にシアは背筋を凍らせた。一瞬遅ければ自分が死んでいたかもしれない恐れを超えた瞬間だった。


「な……っ!?」


 恐ろしさのあまりシアは一気に血の気が引く。ルクスに文句を言う気持ちよりも、後方でぐちゃぐちゃになった魔獣の死骸を見たくないという怖気が勝り、シアはそれ以外の反応ができない。だがルクスにとっては好都合だった。

 ルクスはすぐにシアの方に駆けつけると、目も当てられないほど悲惨な状態となった魔獣の死骸から武器を引っこ抜く。いったいどのくらいの重量と勢いだったのだろうか、切っ先は魔獣を貫通して地面に減り込み、土が掘り返される音は重々しかった。


「コーランと村長を連れて家の中に避難しろ。俺は元凶をどうにかする」

「へ? 元凶……?」


 未だ思考を混乱させているとルクスが呟いた。突然の物言いにシアが青い顔のまま呆然としていると、ルクスはこの状況を作り出した原因について説明する。


「魔獣の群れが現れた原因がわかった。あれだ」


 言ってルクスは視線だけで方向を示す。

 そこには今なお深紅の光を放射し続ける魔道具が起動を続けていた。魔獣の出現で忘れていたが、確かそんなものがあったことをシアは思い出す。


「村長が魔道具に俺たちを排除するように願ったのを覚えてるか? 魔獣が湧き出したのはそのあとだ。タイミング的にも一致してる」

「で、でも村長がお願いしたのは私たちを消そうとしたことでしょ? じゃあなんで村の人たちも一緒に襲われてるの!?」

「さっき魔道具の水晶が割れたのを見ただろ? 多分あのとき故障したんだ。現にさっき村長たちが魔道具を落としたときに水晶にひびが入ったのを見た。だからコントロールが効かなくなって魔石を持つ村人たちを誰かれ構わず吸収したんだろう。そして大勢の犠牲を出したから魔道具の威力も上がり、村長の願いを叶えようと今も魔獣を湧かせ続けてる」

「それって、じゃあ魔道具は今もずっと暴走してるってことっ?」

「魔獣どもは俺が引きつける。その間に逃げ遅れた人を頼む!」


 答える代わりにルクスはそう告げると、号哭とともに狂犬さながらに横から突進してきた魔獣に蹴りを入れた。

 魔獣は小さく呻きながらも地面で転がって体勢を立て直すと、低く唸って再び飛びかかろうと牙を剥き出しにする。


「わかった! ルクスも気をつけてっ」


 ルクスが臨戦態勢に入るとすぐにシアも頷いた。眼前の魔獣に怯えるコーランをどうにか立ち上がらせながら、今なお放心状態のまま沈黙している村長を引き連れて避難する。

 魔獣たちもルクスが一筋縄ではいかない相手とわかったのだろう。今まで村人たちに牙を剥いていた群れは、徐々にルクスへと集まり始めた。

 そして誰の目から見てわかるように、あからさまに魔道具の周囲に陣取る。それが魔獣たちの知能によるものなのか、魔道具の洗脳なのかは知り得ない。


 なんにしてもやることは一つ。ルクスは再びロングソード改め大剣を構えると、魔獣の群れに突っ込む勢いで、魔道具目がけて直走った。

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