第16話 魔獣襲来
「!?」
胸が引き裂かれそうな痛々しい叫びにルクスは息を詰まらせる。みな自分のことで手一杯の中、誰かのために上げられた悲鳴を聞いたのはこれが初めてだった。
振り向いた先にいるのは、箍が外れたように絶叫するコーラン。
刹那、ドクンとルクスの心臓が痛いほど跳ね上がる。
その一跳ねは胸から全身にかけて引きつったような神経痛を伴い、体中の神経という神経を強く抓られたような、嫌な感じの痛みが走り抜けていった。
「行っちゃダメ、コーラン! 近づいたら呑み込まれちゃう!」
「いやだああああああああ! お母さん! お母さぁんッ!!」
抱き締めるシアの腕の中でコーランは大暴れする。引きつった絶叫を上げながら頭をめちゃくちゃに振り乱すと、シアの腕を引っ掻いて母のところに駆けつけようとした。
だがもう遅かった。すでに吸引は終わり、イルゼを取り込んだ二つの魔石が粉砕する。放出された魔力は宙を漂うと魔道具に吸い寄せられ、細胞組織に呑まれた。
対してルクスは、母親の壮絶な死に際に立ち会って発狂しているコーランを、必死に引き留めようとするシアの腕の中で泣き叫んでいる少年の姿を見て、凍りつく。
それは嫌でもルクスの思い出したくない記憶を蘇らせた。
赤い血溜まり。目前で息絶えようとする母親。成す術もなく叫ぶ子ども。理不尽な現実。
奇しくも遠い昔の記憶と、間接的ではあるが場面が一致した。そして泣き喚くことしかできないコーランと幼い頃の自分の面影だけがぴったりと重なる。
それら偶然の一致は、ルクスの精神に絶大なダメージを与える。
「あ、ああ……イルゼ……そんな……」
一方で、村長はあまりのショックに膝をつくと意気消沈してしまった。なんの反応も示さず、ただ漠然と先程までイルゼのいた空間を見つめて放心している。
シアはどうにかコーランを抑えるのに必死で身動きが取れない。そんな二人の周囲では今でも魔石が村人たちを襲っており、悲鳴が響いていた。
大半の者はなんとか生存できたが、それでも被害者は決して少なくない。
そこに更なる追い打ちが加わろうとは、このとき誰も想像していなかった。
『ウオオォォォ————ンッ!』
「!?」
突然どこからともなく獰猛な遠吠えが村全体に響き渡った。
それも一つではない。遠くの森から、あるいは建物の裏からグルグルと喉を鳴らす音が聞こえてくる。視界の端では複数の小さな影が動き回り、すばしっこい足音が周囲を徘徊していた。
「今の鳴き声……まさか!」
「ぐわああぁ!」
嫌な予感にシアが気を張ったときだった。近くから誰かの悲鳴が響く。そしてより近くに感じる敵意に体を強張らせると、急いでそちらに振り向いた。
四足歩行の魔獣が村人の喉笛を噛み千切っていた。
その種類は先日森の中でコーランを助けたときに遭遇したものと同じ。
口元は村人の鮮血でべっとりと血塗られ、灰色の毛並みが真っ赤に染まっている。鋭い牙はなおも喉笛に噛みついており、絶命させるまで放そうとしない。三本の鋭利な鉤爪のついた前足は獲物を取り押さえるために全体重がかけられている。
襲われた村人はすでに事切れていた。食い破られた首の皮膚からの出血も酷かったが、恐らく原因はショック死だろう。虚ろな目は虚空を見たまま沈黙し、痛みも苦しみも感じていない。
気づくと魔獣は十数匹にも増え、そこら中で狩りを始めていた。
運よく魔石から逃れた者たちは、今度は突如村を襲った魔獣の餌食となっていく。泣きっ面に蜂なんて生易しいものではない。村は今、魔獣の群れに滅ぼされようとしていた。
母親を失って絶望に打ちひしがれていたコーランも、以前自分を襲った魔獣の出現にそれどころではなくなる。今やシアに縋りついて怯えていた。
「嘘……なんで魔獣がいきなり!? しかもこんな数——は!」
と、悲惨な状況に戦きながらもシアはハッとする。確かルクスも、コーランから預かっていた魔石をまだ持っていたことを思い出したのだ。
シアは急いでルクスの姿を探す。すると案の定、ルクスの懐からも闇色の魔力が湧き出していた。しかしルクスはそれを取り出そうとしない。
なぜならルクスは今、襲いかかる魔獣と交戦中だったからだ。
ルクスもこの展開は予想していなかったのだろう。また、魔石による騒ぎが起こっていた中で魔獣の気配を察知する余裕もなかった。四方八方から飛びかかってくる魔獣たちを、例の鼓動を打つロングソードでいなすだけで精一杯である。
ふとシアの脳裏に最悪のイメージが過ぎった。その予感を実現させるようにルクスからどんどん魔力が放出される。最早シアは黙っていられなかった。
「ルクス、早く魔石を捨ててーっ!」
全身全霊でシアは叫んだ。それと同時に魔石の吸引が始まる。
あまりにも耐えがたい運命にシアは悲鳴を上げた。受け入れられない未来を否定するために周りの音を掻き消そうとする。それでも魔石はルクスを呑み込み始め——
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