第7話 祠

 深夜の雑木林は昼に訪れたときよりも一層不気味で、足場も心許無かった。

 なによりも、日中から気づいていたが、やはり周辺に一切の生き物の気配がないことがより不気味さを掻き立てた。

 聞こえるのは葉擦れの音と、二人分の小さな足音だけである。

 そんな中、シアは前を行くルクスについて歩きながら、とある提案をした。


「ね、ねえルクス? 深夜に動くのはいいんだけど、せめて明かりくらいつけない?」


 そう。ルクスたちは今、昼間コーリンと一緒に来た雑木林を、明かりもつけず、淡く足元を照らす月光だけを頼りに道を進んでいたのだ。


「どこに監視がいるかわからないんだ。この暗闇で明かりをつけたら、自分たちの居場所を知らせてるのも同然。向こうが飛び道具でも持ってたらいい的だ。だからなるべく目立たないようにした方がいい」

「うぅ。それはそうだけどさぁー」


 禁足地への道のり。シアはルクスの言い分を理解するも、それでもやはり人気のない夜の雑木林は薄気味悪いのか、その声にはいつもの覇気が感じられない。


「あ……っ」


 と、夜風に冷えたシアの指先に暖かな温もりが触れる。

 優しい感触に顔を上げると、いつの間にか横に並んでいたルクスが、そっとシアの手を握っていた。


「これなら怖くないか?」


 誰が聞いても無機質に響く落ち着いた声音。

 だが長年連れ添ってきた幼馴染だけは、その中に宿る慈しみを感じ取った。


「う、うん……大丈夫……。ありがと」


 ルクスの厚意にお礼を言うと、シアは先程とは別の意味でしおらしくなり、口をもにょもにょさせた。気恥ずかしいのかルクスを直視せず、上目遣いでちらりと見る程度。暗闇で表情までは見えなかったが、その頬は確かに赤くなっていた。

 そのまま二人は歩き続けると、やがて先程コーランに案内してもらった禁足地の前に辿り着く。

 すると不意にルクスは懐に手を当てた。シアはその意図を察する。


「どう? なにか感じる?」

「……いや。なんの反応もない」


 ここまで来たら日中のように熱を発すると思ったが、魔石は沈黙したままだった。


「あ、あの……」


 ルクスが訝しんでいるとシアが控えめに声をかけた。

 なにかとシアの方を見ると、今まで繋いでいた手がパッと離される。熱で火照ったのは魔石ではなく、シアの手の方だった。


「こ、こっから先はなにがあるかわからないし、動きやすい方がいいと思って」

「もう平気か?」

「うん、大丈夫。ありがとうね」


 まだ心配そうに顔を覗き込むルクスに、シアは優しく微笑みかける。

 それから二人は顔を前に戻した。眼前には木々が重なってできた洞穴。その先は月明りすら届かぬ深淵となっており、完全な闇が支配している。

 ルクスたちはどちらともなく歩きだすと、禁足地の境界へと足を踏み入れた。



 禁足地の空気は雑木林にいたときよりも一層緑の深い匂いがした。

 ここから先は道ではない分、一歩踏み出すごとに足の裏から草を踏む感触が伝わり、それだけで周囲が生い茂っていることがわかる。風通しが悪いのか肌は湿気でしっとりとし、視界が悪くても不思議と周囲に障害物がないことがわかった。

 最奥に着いたのは暗闇に目が慣れてきた頃だった。暗闇の中、まだ禁足地の境界からさほど離れていない場所に、小さな鳥居らしきものが視界に映る。

 二人は立ち止まる。そして鳥居の先にあるものを見ようと目を細めた。

 丁度そのとき、厚い雲に覆われた月が顔を出した。

 まるで二人の手助けをするように、斜め上から木々の間を抜けて月明りが差し込む。淡く心許無い明かりは仄かに周囲を照らすと、地面から突き出した太い根っこや、樹皮に這うようにこびりついた苔を晒す。

 そしてルクスとシアは、長年の年月で黒ずんだ鳥居の奥に、同じ月日の間放置されてたであろう、古びた大きな祠を発見した。

 祠には骨組みだけしか残っておらず、中央に取りつけられていたはずの扉はもちろん、壁にも穴が開いてしまっていて中が丸見えだった。昔は鮮やかだったであろう塗装も色褪せてほとんど剥げてしまい、酷く質素に見える。


「祠? なんでこんなところに……」


 疑問を口にしながらシアは鳥居を潜る。ルクスがあとに続いたときには、シアは祠の中を除いて調べていた。が、すぐに頭を引っ込めてルクスに向き直る。


「どうだ? なにか怪しいものはあったか?」

「特になにもなかったわ……今わね」

「どういうことだ?」

「これを見て」


 意味深な言い方をするシアに問うと、シアはすぐに祠の中を指した。

 枯れ葉と蜘蛛の巣だらけの中、不自然に埃が払われた箇所に、以前そこになにかが置いてあったであろう痕跡を見つけた。それもかなり新しい。


「やられたわ。先を越されたみたいね」

「この感じだと片づけたあとだな」


 ルクスは息をつくと魔石を取り出した。相変わらず熱は感じない。


「魔石も反応なしか……。この辺りも多分、もぬけの殻だろう」

「どうする?」

「ここにいても仕方ない。一旦村に戻ろう」


 言ってルクスは祠に背を向けると、鳥居を潜って再びマルカ村の方角を目指した。



 こう何度も村を行ったり来たりすると、さすがにルクスたちも地形に慣れてきた。なるべく周囲の死角になる建物や物陰を選びながら、足早に村長宅へと向かう。

 禁足地に向かったときもそうだったが、ルクスが確認する限り、周りに人の気配はなかった。

 その静けさこそが罠の可能性も脳裏を過ったが、致し方あるまい。ぐずぐずしていたらこちらの身に危険が迫る。だから今も二人は急ぎ足で戻っていた。

 やがて村長宅に着く。ルクスはドアノブに手を伸ばし——ぴたりと手を止めた。


「ルクス?」


 不自然に躊躇うルクスにシアは眉を顰める。しかしルクスはその問いには答えず、代わりに観念したというふうに息を吐くと、ようやくドアノブを捻る。

 扉が外側に開いた直後、中から漏れた仄かな明かりが伸びていき——


「これはこれは。夜分遅くに観光ですかな、お二人とも?」

「……っ」


 いつからスタンバイしていたのだろう。そこには村長が待ち侘びていた。

 手に持ったランタンに灯された横顔は半分陰に隠れ、照らされたもう半分には柔和な笑みが浮かべられていた。その絶妙に不気味さを醸し出したコントラストにシアは思わず身震いする。

 淡く揺れる明かりは影が蠢いているように錯覚させ、ただでさえ気味の悪い村長の親しげな声音と朗らかな笑顔を、より一層気味悪さを引き立てた。

 むしろなぜこんな時間に起きているのかと問い詰めたくなるルクス。しかしその考えも村長の横にある小さな影、コーランを見つけるとすぐに吹き飛んだ。


「コーラン……?」


 シアが呼ぶとコーランは居心地悪そうに目を逸らした。コーランは不安そうに父親の傍に寄ると、キュッと服の端を掴む。

 頭の冴えた目元を見る限り、どうやら村長と一緒に二人を待ち伏せしていたのだろう。

 いつまでも黙っているわけにもいかない。ルクスは速攻で思いついた嘘をつく。


「荷馬車の荷物を確認してただけだ。起こしてしまったのなら申し訳ない」

「荷物の確認! こんな夜遅くにですか? それもわざわざ二人で」

「俺一人じゃ判断できないことで、早急に対処が必要だったからな」

「ほう。荷物の確認にしては、随分と装備を整えているようですが?」

(鋭いな……)


 一筋縄ではいかない村長の洞察力にルクスは眉を顰める。だがルクスの平然を装う演技もなかなかのものだった。変わらぬトーンで虚言を吐き続ける。


「この地域は魔獣の目撃情報が多い。むしろ護身用に武器を持つのが普通だろう」

「ふむ。確かに一理ありますが……」


 まさかこちらの指摘を次々と理屈で看破されるとは思っていなかったのだろう。すぐにルクスたちがボロを出すと予想していた村長は、想定外の成り行きに口籠る。

 流れを断ち切るなら今だった。ルクスは村長が黙った隙に横を通り抜ける。


「余計な心配をかけてすまなかったな。引き続き休ませてもらうぞ」

「あ……っ」


 咄嗟のことに村長は短く声を出すことしかできなかった。ルクスが先陣を切って玄関を擦り抜けると、急いでシアもそのあとを追いかける。

 すぐに客室のドアが閉まる音がし、取り残される村長とコーラン。


「お父さん……」


 沈黙に耐えきれずコーランは父親を見上げる。

 だが村長はその呼びかけを無視すると、一人自分の世界に入り込んだまま、ギリッと奥歯を噛み締めた。

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