第6話 猜疑心

「ちょっとルクス。さっきのなんなの?」


 夕食を済ませ、通してもらった貸し部屋でくつろいでいたときだった。ルクスが寝支度を整えているとシアが不機嫌な顔で睨んでくる。

 主語のない問いにルクスは眉を寄せた。


「さっきっていつのことだ? 森で置き去りにしたことか?」

「そっちじゃなくて!」


 本人に自覚がないなら埒が明かないと、シアはルクスに詰め寄る。


「宿泊のことよ! 明らかに怪し——きゃっ!?」


 シアが声を張って抗議を始めた刹那。ルクスは即座にシアを部屋の隅のへと引っ張ると、滑らかな動きで背後に回り込み、後ろから抱き締める形で密着した。

 右手でシアの右手首を掴むと、シアの左腕ごと巻き込む形でその口元を左手で塞ぎ、拘束が解けないようギュッと抱いて全身をくっつける。

 そして止めに、耳元で甘く一言。


「——しーっ……」

「ん~~~~ッ!? ふっ! んふぅ……っ!?」


 耳たぶにルクスの唇が触れそうなほど近い距離。耳をくすぐる甘い吐息と、なるべく抑えられたからこそ妖艶に響く小さな一言に、シアは一気に顔を耳まで赤くした。

 シアは突然にことにパニックになると、拘束を解こうと身を捩った。それを抑えようとルクスの抱擁に更に力が加わる。

 シアのすらりとした背中にルクスの厚い胸板が、引き締まったヒップに広い腰が、これでもかと強引に押しつけられた。

 やがてルクスは掴んでいたシアの右手ごとシアの細い腰に回すと、より深く互いの体温を感じるほど、更に体を密着させる。


「シア、暴れないで……」


 必死の懇願ゆえに艶めかしく聞えた二言目が、シアの脳を痺れさせる。

 全身が熱いのは、ずっとくっついているからだろうか。そんな思考を放棄してしまうほど、シアは目をとろんとさせる。そしていつしか抵抗をやめた。

 ルクスは最早完全にシアを抱き締めた状態で幼馴染の脱力を確認すると、こちらもそっと力を緩めた。そしてシアの顎に手を添え、顔をこちらに向かせる。

 必然的に上目遣いになったシアは、小さく開けられたピンクの唇から火照った吐息を漏らす。それを確認すると、ルクスもそっと顔を近づけた。


「今日、ここで泊まること……」

「……うん。ルクス。私もね、実は……っ」


 慎重に続けるルクスに、シアも頬を染めて、ルクスの手に自らの手を重ねる。


「拒否してたら、村人に襲われてたかもしれない」

「どうせそんなことだろうと思ってたのよおおぉぉぉ——ッ!!」


 告白するルクスに、シアはあらかじめ添えていた手でルクスの手首を掴むと、そのまま背負い投げの要領でルクスを投げ飛ばし、思いっきり床に叩きつけた。


「カッ……ハアァッ!」


 一切受け身を取ることなく背中から激突したルクスは、そのあまりの衝撃の強さに大口を開けて呻きを漏らした。

 一瞬にして肺の空気がすべて吐き出され、鈍痛で呼吸もままならなくなる。


「どうしたんですか!? 今凄い音が…………て。ええぇッ!?」


 ドアが開くとコーランが飛び込んできた。余程音が大きかったのだろう。両目は驚きで見開かれ、そして床で大の字で転がるルクスに当惑する。


「ごめんねー騒がしくしちゃって。でも大丈夫よ。このバカが転んだだけだから」

「転んだ……っていう恰好なんですか? なんか息するの苦しそうですけど……」

「打ち所が悪かったのねー可哀想に。コーランもこうならないように、家ではあまりはしゃぎ回らないようにね。こんなのになっちゃうわよ?」

「あ……はい。気をつけます」


 コーランはシアから妙な圧力を感じると、早々にドアを閉めて退散した。

 なんとか誤魔化すとシアはふう吐息を吐き、じろりと床に倒れたルクスを見やる。


「いつも言ってるけど、あんたその思わせぶりな態度いい加減やめなさいよ! あんたの性格知ってる私ならまだしも、他人にやったら本気で訴えられるわよ!?」

「ぐふっ……。なにに怒ってるのかわからないが、それなら平気だ。俺はお前以外の傍にいたいとは思わない。いつも俺に見えてるのはシアだけだ」

「だーかーらぁっ、それをやめろっつってんでしょうが!」


 平気な顔で小っ恥ずかしいことを言うルクスに、シアはベッドの枕を手に取って思いっきり投げつけた。真剣な瞳で見つめながら言うのだから、なおたちが悪い。

 その度にシアの心臓が跳ね上がり、カァっと顔を熱くさせるのが常だ。

 だが表面上はこうして怒りつつも、特別扱いしてくれて自分だけを一途に思い、大切にしてくれるのが内心嬉しくて仕方がないのは、シアだけの秘密である。


「まったく。これじゃあ本当に他の人垂らしかねないじゃない……」

「垂れるとはなんの比喩だ? 俺はまだ垂らすほど老いぼれてないぞ」

「いやそういう意味じゃねえよ。はぁー、ったく……。あんたは気にしなくていいの。それより、さっきのどういうこと?」


 乙女の個人的な悩みを、まるでわからないと首を傾げるルクスに、シアは心底うんざりしてため息をつくと、強制的に会話を切った。

 それからすぐに真面目な表情になると、先程ルクスが声を抑えて話していたことと関係があることを察し、シアは小声でぼそぼそと促す。

 ルクスはまだ立ち上がれないのか、床に転がったまま説明した。


「気づかなかったのか? 今日一日、ここに来たときから、ずっと村人全員に監視されてたんだぞ」

「監視って……っ。村の雰囲気がおかしいってことには気づいてたけど。まさか」

「雑木林から戻ってこの家に上がるときもそうだった。家の窓から頻りにこちらの様子を窺ってる村人を何度か見た。当然目を合わせないようにしたが」


 そこまで聞くとシアは突然ハッとし、慌てて窓に寄った。そして少しだけ開いていたカーテンを見ると、窓の外を見ないようにして完全に閉める。


「だからさっき壁の方に行ったのね。外から部屋の中が見えないように」


 先程のルクスの行動にシアは合点が行った。ルクスは頷く。


「あのときこの家に上がらなかったら、そして村長たちの宿泊の誘いを拒否しても、俺たちは襲われてただろうな」

「それって、この周辺に増えた魔獣絡みと関係あるのかしら?」


 村人たちから恨まれることに心当たりがないシアの思考は、最近この地域を脅かしている魔獣騒動へと結びつく。その推測は必然的なものだった。

 そしてルクスもシアの鋭い指摘に目を向ける。シアの推測はルクスも一度考えたことであった。依然として起き上がらぬままルクスは懐を弄る。


「シア。これを見てくれ」


 言いながらルクスは、鈍く昏い輝きを放つ宝石を懐から取り出してシアに見せた。シアは眉を寄せてじっと見入ると、すぐにそれの正体を見破って目を見開く。


「これは……魔石?」

「さっき森で魔獣を倒したとき、近くに落ちてたのを拾ったんだ」

「……っ! それって、じゃあまさかっ」


 なにかを悟ってシアが息を呑むと、ルクスは首肯して先を続ける。


「さっきコーランに雑木林に連れて行かれたときだった。あの先にあるという禁足地に近づいた途端、この魔石が仄かに熱を持ったんだ。服の中からでもわかるほど強い反応を示してた。そして村長や村人たちのあの様子……シア、この村はなにかを隠してるぞ」


 そう告げるとルクスはシアを見つめた。その確信に満ちた視線、そして違和感のあるマルカ村の様子とルクスの持っている魔石に、シアも同じ結論に至る。


「怪しい場所は魔石が反応した禁足地しかないわね。でもどうするの? 監視があるなら下手には動けないし、だからって朝まで無事でいられる保証もないわよ?」


 だがその後の反応は違った。こんな状況でもシアは落ち着き払い、冷静に今の状況を分析して今後の行動のことを考える。そして八方塞がりであると解を出した。

 そんなシアの考察を、ルクスはむしろ逆手に取った打開案で制する。


「監視をつけてるってことは、まだ俺たちに手を出す状況じゃないってことだ。むしろ動くなら今しかないだろう」

「ちょ、ルクスそれ本気? まあ考えようによっちゃそうかもしれないけど」


 賭けとも取れない提案にシアの瞳が不安に揺れる。


「だが動こうにもまだ早過ぎる……。村人が寝静まった頃合いを見計らって出るぞ」


 言いながらルクスは部屋の時計を見た。丑三つ時まではあと数時間ある。

 それまでの間、ルクスとシアは準備を整え、今後の方針について話し合った。

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