14.きっかけ

 フォグが森に行っている間、カスミもただ待ち惚けしているわけではない。魔術の練習に勤しんだり食事の改善に挑戦したりと、やるべきことは尽きない。

 せっかくできた相棒が離れてしまうこの時間が寂しくないわけではないが、それもたった一時間足らずの間のこと。普段通りに過ごしていればあっという間に過ぎていくもので、気が付いた時にはパンパンに膨らんだ麻袋を持ち帰ったフォグがそこにいるのだ。それもどこか誇らしげな様子で。

 そんなフォグをカスミはいつも心からの笑顔で迎え、ご褒美にその黒い羽毛を全身撫で回してあげている。実はご褒美と言いつつもカスミの方がつるりとした感触に病みつきになっているだけという面もあるが、お互いに喜んでいるのだからコミュニケーションとして間違ってはいないのだろう。


 これが日々過ごす内に出来上がっていた流れで、今日もそうなるのだとカスミは疑っていなかった。フォグが飛び立ってまだ十分も経っていない今、さあまた魔術を練習しようと庭に降り立つまでは。


「あれ? もう帰ってきたのかな」


 高木に囲まれたこの庭からでは、見上げても空はそれほど広くない。そのため飛んでいるフォグの姿も少し遠ざかるだけで木々の峰に隠れてしまうのだが、今日はいつもより小粒サイズの黒い鳥影がもう見えていた。ちょうどフォグを助けに向かった時と同じ方角に。

 遠い距離でも見えるということは高い位置を飛んでいるということがわかる。そしてその理由はどうやら咥えている細長い拾い物にあるようだ。


 風に棚引くそれは遠目に正確な長さはわからずとも二メートルは超えるであろう布の帯。普段と同じく空と木の狭間を飛んでいれば葉や梢頭に引っ掛かっていたに違いない。

 そんな状態の布なのだから言うまでもなくやたらと目立つが、敢えて視線を外してみれば小さく丸まったままフォグの足にぶら下がる麻袋も目に留まる。一度も広げられた様子がないことから布だけ拾ってとんぼ返りしたとしか思えず、予定より随分早い帰還というのも納得いくというもの。


 だとして、あの帯状の布は何なのだろうか。

 手で額にひさしを作り首を傾げるカスミの目に、フォグの姿がどんどんと大きくなっていく。


「おかえり、フォグ! 今日は早かった……ん?」


 声が届く距離に来たところで出迎えたは良いものの、ひらひらと舞う布の細部が見えたことで語尾が困惑へとすり替わった。

 それ自体は使い込まれた印象があるだけの単なる薄茶色の布。しかしカスミが気になったのはその一部が大きく赤く染まっていることだ。

 滴り落ちるようにじっとりと湿った赤と言えば、真っ先に思い浮かぶのはやはり血の色。


「もしかして、これ包帯?」


 シェルターの支援物資にあるそれよりも粗雑な布地は、端々が薄汚れていることもありお世辞にも清潔とは言い難いが、特徴を当てはめてみると包帯以外に考えられそうにない。

 その包帯はフォグがくちばしを開くと思ったよりも真っ直ぐに落下し、カスミの足元に折り重なるように着地した。微かに鉄錆のような臭いを風に残したのは血を吸って間もない証拠か。


「フォグ、これどこで……ううん、それより……近くにケガした人がいるってこと!?」

「ピー! ピー!」


 慌てつつも最も単純で最も重要な推測を問いかけると、フォグは強い返事を返してカスミの頭上を旋回し始めた。初めて見るその動きはまるで、いや、間違いなくカスミを急かしている。

 伊達に言葉抜きでフォグと意思疎通を行えるようになったカスミではない。その動作は何を要求しているのか、理解はすぐだった。


「待って待って! それって、そこに行けって言ってる? 助けろって?」

「ピー!」

「そんなこと、急に……」


 当然だと言わんばかりに声を発したフォグと地面の包帯に何度も視線を走らせ、カスミは心の中で悲鳴を上げた。「人に会いたいとは思ってたけど、こういうんじゃないっ!」と。


「ピー! ピッピー!」

「~~っ! もうっ! とにかく助けに行けばいいのね? 案内してくれるのね?」

「ピー!」

「わかったから、お願いちょっと待って! すぐ準備してくる!」


 言うが早いか、カスミは慌てて付いてくるフォグを尻目にバタバタとリビングから家の中に飛び込んだ。

 平和な日常から一転、降って湧いた事態に混乱を禁じ得ないが、ようやくこの世界の人との邂逅の機会を得られたことは理解できていた。その機会が失われる可能性があることもまた。


 言葉を持たないフォグに詳細を語る術がない以上、問題の人物がどんな怪我をしているかまではわからない。どの程度まで処置済みなのか、何か治療に必要な物があるのかなども同様に。

 そもそも使われたばかりの包帯がここにあるという状況がおかしいのだ。さすがにフォグが無理やり引ったくってきたわけではないだろうが、かといって妥当な理由もすぐに思い浮かばない。

 明らかに判断材料が不足している現状。それでも確かなのは、助けに行くべきだとフォグが判断していることである。背中を突かんばかりに急かすほどに。

 カスミに取ってはそれだけでも全力を傾けるに足る理由だ。決して長いとは言えない付き合いだとしても、それを言い訳にしないくらいにはフォグを信じている。

 元より、見ず知らずとはいえ大怪我をしている人がいて、助けられるかもしれないのに引っ込んでいられるほどカスミは冷淡でもなければ肝が太くもない。そうでもなければあの時目が合ったからといってフォグを助けはしなかったろう。

 今回も結果としてフォグに引っ張られる形になっているだけで、そうでなくても結局は救助を最優先に動いていたに違いない。

 心と行動が一致した今の状態は、半ば思いつきのように森に踏み入った前回とはまったく異なっている。迷う必要の無い意思はカスミからあっさりと戸惑いを消し去り、目的の物へと速やかに導いた。


 まず向かったのは暖炉の脇。そこにはキッチンから運び込んだ干し肉入りの木箱が置いてあるが、今重要なのは中身ではない。箱はただの机代わりであって、その上で作っている物こそが必要だった。


「治癒ポーションは……よし、できてる。こっちのは……あ、魔力を込める前だっけ。じゃあ、持っていけるのは、えっと……治癒と魔力回復ポーションが三つずつと、解毒が二つかな」


 作っていたのは〝ポーション〟と呼ばれる特殊な水薬。

 前世でポーションと言えば香水などの水剤や、神話や物語に出てくる水薬を指すことが多かったが、この世界でも後者とほぼ同じような物として存在している。立ち所に傷を癒やしたり魔力を回復してくれる魔法の霊薬だ。

 そんな不思議で便利な薬はこういう時にこそ打って付けだろう。カスミは完成していたポーションをベルトに付けた革ポーチに入れていく。特別大きなポーチではないが、小瓶の八本ぐらいならばなんとか納まりそうだ。はち切れる寸前にはなるだろうが。


「とりあえずこれだけあれば十分かな。念のため〝錬金術〟を練習しておいてよかった。操作制御マニュピライズで自動化できたのも助かったし」


 ポーションは単純な調合だけで生成することはできず、〝錬金術〟という特殊な技術が必要となる。

 魔力を用いて素材の特性を強める錬金術は、薬効を極めた薬の精製を最も基本的な軸として、熟練者になると魔導具までも製作できるという幅広い可能性を有している。

 では、なぜそんな技術をカスミが習得しているのか。


 魔法という超常現象を内包した薬を作ることは、即ち〝を扱う〟であるところの魔術に他ならない。つまり、『初級魔術入門書』に記載があったのだ。

 といってもレシピがあったのはポーションを代表する薬効の三種、〝治癒〟〝魔力回復〟〝解毒〟の中でも初歩的な物だけ。もっと効力の高い薬や魔導具を含む薬以外の物に関しては存在の紹介に留まるのみであった。


 それでもいつか外に出るなら覚えておいた方が良いだろうと、カスミは少し前から陽が落ちた後や雨が降って外に出られない時を中心に錬金術を試していたのだ。

 幸運なことに載っているレシピは比較的手に入りやすい素材を組み合わせたものが複数パターンあり、フォグが収集してくる自然素材だけで作れるものも含まれていた。

 工程も草をすり潰したり液体を煮詰めたりといった面倒さが目立つ程度の単純さで、道具すらも余った食器や支援物資で代用できるものばかり。

 いくら初歩とはいえ想像以上の低難易度に躓くこともなく、むしろ理科や化学の授業でやったちょっとした実験のような新鮮で懐かしい感覚のせいで郷愁に浸る暇まであったほど。


 しかもそれだけでなく、カスミはその単純な工程を操作制御マニュピライズで半自動化することに成功していた。

 操作制御マニュピライズは物体を遠隔操作したり任意の動作を設定することができる電脳魔法インターフェイスであり、こういった作業とは抜群に相性が良い。少なくとも演劇の小道具として妖精を作るのと比べればはるかに簡単で効率的と言える。

 ただ操作制御マニュピライズでは魔力を操作することができないようで、そういった部分に関してはカスミ自身が手を出す必要があった。それでも時間をかけて行わなければならない下処理のほとんどを目を離している間に自動で終わらせてくれるのはありがたいことに変わりない。


「えっと、りんご味のラベルが治癒で、オレンジが魔力回復で、グレープが解毒ね。使ってもらうかもしれないしフォグもいちおう覚えておいて。ぜんぶ茶色いビンだけどラベルの色でわかると思うから」

「ピー」


 魔力を注ぎ込まれたポーションは劣化防止として密閉できるガラス瓶に詰め替えなくてはならない。

 手持ちで使えそうな容器として真っ先にペットボトルが頭に浮かんだが、ガラス瓶と指定されているからには代用を控えるべきかと悩んでいたところ、たまたま支援物資にガラス製で大きさもちょうど良い子ども用栄養ドリンクを発見したことで解決した。味付け毎に分類できる点も渡りに船と言える。

 栄養ドリンクそのものを飲み物としてだけ見ても、どこかわざとらしい人工的な甘みに目を瞑れば悪くない味だったので錬金術を始めたときから空き瓶の作り置きを兼ねてたまに飲むようになっている。桃ゼリーの美味しさを知った後でさえなければ毎日何本も飲んでいたかもしれないが、飲み過ぎは逆に身体に毒なのだから好都合な順番だったのだろう。

 ちなみにポーションは塗ることで効果を発揮する物もあるらしいが、カスミの作れる三種に関しては完全に内服薬だ。

 もちろん試飲済みだが、原料のせいか錬金術が未熟なせいか草の臭いがキツくて飲み辛く、しかも瓶に口を付けるとラベルの果物のイラストが目に入って舌が混乱するので、飲むときは目を開けずに一気飲みしようとカスミは決めている。


「あとは支援物資から新しい包帯とか消毒液とかを持っていけばいいかな。外だと新しく生成できないし。フォグにも少し持ってもらうね」

「ピッ、ピッ」

「え、ダメ?」

「ピー」


 大量の採集物を持ち運びできるはずのフォグは、カスミの頼みを困ったように拒否した。荷物が持てないわけではなく、持たない方が良いと言っているような雰囲気で。

 何か理由があるのかと疑問を口にしかけたカスミだったが、それよりも先にフォグが空中で何かを蹴りつけたり嘴で突くような動作を見せ始めたことでその必要を失う。


「んん? ……あ、そっか。魔物がいるかもしれないから?」

「ピ! ピピー!」

「うん、そうだね。できるだけ身軽な方がいっか」


 フォグの役目はカスミを案内することであり、必然的に木々が密集する森の中をずっと飛び続けることになる。それもカスミとペースを合わせなければならないのだから、荷物を持ったままでは難しいだろう。

 それに魔物と遭遇した場合は急いで上空に逃げなければならない。下草に紛れたり木の陰に留まれるカスミと違い、空中では身を隠すことができないからだ。ますます荷物を持つ余裕など無かった。


「せめてリュックみたいなのがあればわたしが持てたんだけど……防災リュックはさすがに目立つよね」


 両手がフリーになる入れ物で思い当たるのは支援物資内の防災リュックのみ。全体が光沢ある銀色で、その上何箇所かには蛍光板まで貼り付けられている。

 これは事故や遭難の際に見つけてもらいやすくするための装飾であり、できるだけ身を隠して行きたい現状とは真逆の用途だ。


「しょうがない。ポーションを一つずつに減らして、代わりに新しい包帯とか必要そうなのを選んでこっか」


 そうして空けたポーチの隙間に詰め込むように、怪我の治療に役立ちそうな物を入れていく。

 絆創膏にサージカルテープ、止血帯などいくつかの救命用品に加え、小型のナイフやピンセットなど二十五種の道具が一つにまとまったマルチツールナイフ、それから非常食のシリアルバーを三本入れたところで収納の限界がきた。風船のようにぱんぱんに膨らんでしまったポーチは丈夫な革製のおかげで破れる気配はないが、片方の腰に重さが集中してしまって如何にも歩きにくそうだ。

 それならばとポーチはベルトを滑らせ背中側に回し、代わりに保冷性の高い化学繊維製のペットボトルホルダーを付属のフックで腰に下げておく。差し込んだペットボトルはただの水だが、清潔な水は何にせよ有用なはずだ。無視できない重さであっても持ち運ぶ価値はある。


「あとは杖を持って……よし! これでいいかな?」

「ピー!」


 以前から魔物対策で医薬品について調べていたり森に入った時の脳内シミュレーションをしていたことが功を奏したようで、準備に要した時間は僅か五分足らず。無事フォグのお墨付きも得られたところでカスミは家を飛び出した。


 森の中に入るのはフォグを助けた時以来である。魔術を覚えたという自信だけを根拠にした結果、命をかけた鬼ごっこに参加する羽目になってしまったという、忘れられそうもない経験だ。

 いざ森と庭とを隔てる簡素な門の前に立ち、カスミは否が応でもその時のことを思い出して鼓動を早めた。

 しかし、それでも躊躇せず門扉に手をかけ、開いていく。

 怪我人がいるから急がなくては、という意識だけではない。もはや前回とは大きく異なっている状況が、立ち止まらせる理由をカスミから奪っていた。

 あれからずっと身を守る練習を続けていたし、ポーションまで携帯している。それらはすべて森に入ることを想定して準備していたものだ。

 そして何より──


「ピー!!」


 フォグがいる。同じ危険を経験し、それでも任せろとばかりにカスミを鼓舞してくれる相棒が。

 その小さくも勇ましい姿に、カスミは目を細めて小さく笑った。


「ありがと。でも、できるだけ静かにいこうね」

「ピ、ピ~……」


 気の抜けたような返事に今度はつい声を出して笑ってしまいながら、カスミは外へと大きく踏み出した。

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