04. 家探し(3)

 あれだけ歩き回っても人の気配はどこにも無く、生活感があったのは最初の部屋のみ。この家の住人はカスミだけ、というのはもはや確定事項と考えて良さそうだ。

 両親が不明だと知った時に危惧した、どうやって家族と接するかという問題はある意味解決したと言える。その代わり、六歳の幼女がたった独りで生きていくという別の大きな問題が生まれてしまったが。

 特に外から水を運んできたり、明かりのために火を作ったりするのに大人の助けが無いというのは無理があろう。生前の十六歳時分だったとしても自信はない。


「う~ん……考えれば考えるほど、深刻だなって感じ」


 カスミが転生した目的は何も第二の人生を楽しく謳歌することではない。この世界を救う、あるいは救うための情報を得るという使命がある。

 そんなことが本当に可能なのだろうか。そもそも生活できるのか。

 少しずつ蔓延る暗澹とした感情が気持ち悪く、遠くを見上げる。玄関の高窓の前で瞬く空気中の塵がやけに目についた。


 そうやって見るともなしに遠くを見ていると、視界の端に別の光が映ったことに気が付く。

 視線を下ろせばそこにあったのは一枚の姿見。玄関脇に飾られた大きなアンティークの鏡だ。


「あんな立派な姿見あったっけ? って、まだ玄関はぜんぜん調べてなかったね」


 カスミはともすれば根が生えてしまいそうな腰を上げ、姿見へと近づいた。鏡の世界の見知らぬ幼女を観察しながら。

 こうして転生して幼女となってしまった自分を見るのは初めてで、間近で見ても違和感が拭えない。嬉しくも悔しいのは、前世の幼い頃より今の方がはっきりと可愛いことか。


 ふんわりと緩いウェーブを描く肩までの髪は、黒にほんの一滴の青を零したような藍下黒あいしたぐろ。年齢を差し引いても艶があり、作り物かと思うような天使の輪ができている。ストレートだった前世より輝いているくらいだ。

 顔立ちは僅かながら前世の面影を感じられるが、目鼻立ちが整っているせいか西欧風の雰囲気もある。

 そして何より、前世ではお目にかけたことがないほどの美形だ。パッチリとした漆黒の瞳も、白雲のように滑らかな肌も印象的で、このまま素直に成長してくれるのならば将来はかなり期待できるのではないだろうか。

 暗色の衣服に身を包んだ、人形のように可愛らしい幼女。総じて客観的にそういった評価が妥当だろう。


 しかしそんな自分の顔をどれだけ見つめても、カスミの頭に浮かんでくる感想は「ずいぶんキレイな子だな」というどこか他人事なものでしかない。

 結びつかないのだ。目の前の顔と自分の顔が。今日からこの顔があなたです、と言われても困惑するしかない。


「本当に、違う人になっちゃったんだな……わたし」


 尤も、その困惑こそが〝自分は転生した〟という現実を思い知るきっかけになるとは皮肉なものだ。

 別人になったことが一目瞭然なれば、否が応でも理解してしまった。もう〝東條霞〟はどこにもいないのだと。

 次の瞬間、言い知れない寂寥感に襲われ目を伏せる。必死に頭の中から家族の、そして友人の顔を追い出していく。忘れたくはない。しかし今は思い出したくない。


「寂しいな……」


 それでも、つい口を衝いて出る本心。

 カスミは気付いていた。目覚めてから段々と増えていく独り言と、深く考え込むことを回避しようとする自分に。

 敢えて鏡に映る人物と視線を交わす。揺れる瞳が頼りなく、彼女は大丈夫だろうかと心配になる。これから独りで生きていくというのに。

 手を差し伸べると、固く冷たい感触が指先にぶつかった。どうやら鏡の世界の彼女に触れることはできないらしい。

 だから、代わりに口を開いた。


「がんばってね。カスミ」


 その語りかけと共に、カスミは手を引く。そして腰に両手を当てると、さも良いことを思いついたと言わんばかりに声を張り上げた。


「うん。コスプレと思えばいいかな! なりきるのは得意だし。木が生えた家に独り住む六歳の幼女のコスプレ。ふふふっ。変なの……あれ、でもなんかホントにやっていけそうな気がしてきた」


 精一杯の虚勢のつもりで発した宣言が自己暗示にでもなったのだろうか。〝カスミに生まれ変わった〟と考えるよりも、〝カスミのコスプレをして生きていく〟という考えは何だかしっくりくるように感じられた。

 それがコスプレという趣味に関わるからかもしれないと思うと、自分の本質が霞から変わっていない証明のようで嬉しいものだ。

 せっかく少しやる気が出たところで、カスミはこの気持が途切れない内に行動を再開することにした。


「そうと決まればやることやらないとね。えっと、まずは水場を探して、食料を確保して、それで魔法を覚え……る前に文字を覚えなきゃ。学校はあるのかな? あー、調べることがいっぱいっ!」


 独り言を絶やさぬまま姿見から身体ごと視線を外す。

 向かう先はもう決まった。今はそれでいい。


 とりあえず外に出てみるべく土間を見下ろすと、靴が一足だけ行儀よく踵を揃えていた。布製の地味な焦げ茶色の紐靴は子供にピッタリの大きさで、もしかしなくてもカスミの物だろう。

 カスミはスリッパを脱ぐと、上がりかまち――家と玄関の境いの段差――に腰を下ろし靴の操作制御マニュピライズを呼び出してみる。服を着替えたときと同様に問題なく使えるようで、紐を解く手間もなく履き替えることができた。

 立ち上がり、履き心地を確かめる。隙間も無く感触も悪くない。さすがに科学素材でできた現代的な靴とは比べ物にならないが、すぐに靴ずれしたり破れてしまったりはしないだろう。


 これで外に出られる。

 が、その前に気になる物が一つだけ残っていた。扉横の傘立てのような筒状の入れ物に挿さっている棒だ。それこそ最初は傘だと思ったが、近くで見ると開くような構造ではなさそうだった。

 疑問のまま引っ張り出してみる。杖だ。一端に向かい少しずつ細くなるよう削り出された一本の木の棒で、杖頭は丸く削られ、石突は尖った金具が覆っている。

 その杖を見てカスミは閃いた。


「魔法の杖って感じ!」


 木のままの杖頭には宝石がついているわけでも意匠が施されているわけでもない、ただの直杖。それでも魔法の杖だと思えばコスプレにはちょうど良い。

 念願の魔法の道具――っぽい物――を手に入れた嬉しさで興奮しつつも、今のところはコスプレ道具の範疇でしかない分、魔法の本に比べ多少なり落ち着ついたまま杖を確かめていく。

 この杖もカスミの私物と見ていいだろう。長さも重さも吸い付くように手に収まり邪魔にならない。

 カスミは石突でコツコツと石畳を叩くと、満足感に大きく頷いてから玄関扉を押し開けた。


「うわ……すごい森」


 外の景色を見た最初の感想がそれだ。

 部屋の窓から見た背の高い木々が、見える範囲すべてを埋める勢いで林立している。木の壁に囲まれていると言っても過言ではない光景だ。

 この地の植生は知らないが、どの木も高く青々としていて生命力に溢れている。

 気候も良いのだろう。日本での晩春のよう過ごしやすい空気を吸いながら、そう思う。


 玄関のすぐ外は屋根付きの縁側、つまりベランダも兼ねているようで、家の外壁に沿って大股三歩ほどの広さの木床が続いている。晴れた日には是非ここで昼寝でもしたいものだ。

 ベランダを降りれば木柵まで三十メートルほどの庭。と言ってもただの芝生といった様相で、花壇のような気の利いたものは存在しない。ベランダがある割には殺風景な庭である。


「余裕ができたら何か花を植えたいな。あ、野菜のほうがいいかも。きれいな花が咲く野菜なら完璧」


 これからの調査次第ではそうした家庭農園が必要になるだろう。森に囲まれているのだから野草や木の実は豊富だろうが、それだけでは満足な食生活に程遠い。

 それもこれも良いお店が近くにあるかどうか次第だ。食材だとしても種だとしても、そもそも調達先が無ければどうしようもないのだから。

 それを知るためにも、カスミはまず家の敷地より外に続く門へと向かうことにした。

 玄関先の簡素な段差をリズム良く下り、土間と同じ石畳でできた地面へと降り立つ。芝生を裂くように門まで続く小道だ。

 靴底に硬い感触を感じながら、ゆっくりと歩みを進める。閑静な庭の散歩を楽しんでいるというわけではない。幼女の身体では歩幅が短いだけだ。


「これから森の中を歩くことになったら大変かも。これだけ歩いたつもりでもまだぜんぜん……って、ふわぁ……外から見たらこんなことになってたんだ」


 あまりの歩みの遅さに道のりを振り返ってみたカスミは、その目で家の全容を捉え驚嘆した。


 家そのものはどこぞのキャンプ地か避暑地かといった趣の小綺麗なログハウスだ。濃い落ち着いた赤の屋根や二階の出窓、そして突き出たレンガの煙突はカスミの好みに合うし率直に素敵だと思う。

 だが最も存在感があり、最も衝撃的なのが中央を貫く巨木だ。

 鬱蒼と茂る青葉を帽子のように屋根に乗せ、まるで家を守るかのように聳立しょうりつしている。それでいて枝先は整えられたかのように秩序立っており、家の一部として完璧に調和しているのだ。

 加えて、向かって右端にある赤茶の巨木もまた圧巻である。なにせ太さは中央巨木を超えるのだから。

 ただし高さは屋根の傾斜の中腹辺りまでで、しかも蓋をするように家と同じ屋根が被せられている。葉の一枚も付いていないこともあってか、木の肌を剥き出しにして家の角を担っている割には生命力を感じないのが中央巨木との大きな違いだろう。


「こうやって見ると、ほんとに不思議な家。こんな大きな木を二つも家に使おうなんて、よっぽど変な人が家を建てたんだろうな。この森だと珍しくない木なのかな?」


 雄大に広がる森へ視線を戻し見渡してみる。目に見える範囲の木は背が高いものばかりだが、どれも種類からして家に使われている巨木とは違いそうだ。どれだけ成長しても似たようにはならないだろう。


 そうして遠くから森を眺めていたカスミだったが、ふと小さな違和感を覚えた。

 小道は一直線に門へと続いているが、その門から先には道が無いのだ。門を出ても森にぶつかるだけでは意味がないだろうに。

 カスミはその不自然さに誘われるように再び足を進め、門へと接近してみる。

 間近に見た門扉は木製ながら頑丈そうだが、肝心の閂は簡単な構造で外からでも開けられそうだ。


「こんな簡単な構造でだいじょぶなのかな……まあ、門だけの話じゃないけど」


 カスミがそう呟きながら視線で辿ったのは、敷地を囲む高さ一メートルほどしかない木柵。大人なら乗り越えるのも容易いだろう。わざわざ門を開ける必要もない。

 あまりの不用心さに不安を覚えたカスミは、慎重に門の周辺を調べることにした。その内余裕ができたら、何か補強を施す必要があるかもしれないと考えながら。


 そんな時だった。門の向こう、森の間際に一匹の小動物を見つけたのは。

 尖った耳、丸い茶色の体。どうやらウサギのようだ。こちらに背を向けちょこちょこと動いている。


「おおっ! この森、野生のウサギがいるんだ! もっと近づけるかな」


 思いもよらぬ動物との遭遇に興奮したカスミは、もっと近くで見てあわよくば触れたいと、門を開けてゆっくりと近寄った。

 転生してから初めての生き物だ。動物セラピーではないが、少しは癒やされるかもしれない。

 しかしさすがに野生動物らしく気配には敏感なようで、音を立てたつもりはないのに門を出てろくに近づく前にウサギはこちらを振り返ってしまった。


「……宝石?」


 するとじっとこちらを見つめるウサギの額に小さな青い宝石のようなものが付いているのが目に入る。ぴょんと伸びた長い耳やつぶらな瞳よりも、なんとなく目が行く宝石だ。

 異世界ならではのウサギなのだろうか。カスミは尚更興味を惹かれて一歩足を踏み出した。

 その直後だ。突然宝石が光り始めると共に、ウサギの足元の土が何やら形を作り始めたのは。

 誰かが粘土を捏ねているかのように形を変えていく土は地面から伸びていき、折りたたみ傘ほどの大きさになると、歪に尖った先端をこちらに向けて動くのを止めた。

 そしてウサギの宝石が一際光ったかと思うと――。


「ひゃっ!?」


 なんとその尖った土がカスミに向かって矢のように飛び出してきたではないか。

 反射的に動けたのは幸運だった。身体に引き寄せた杖が偶然に当たり、土の矢はパラパラと崩れ落ちていく。杖を持つ手にジンと衝撃だけを残して。

 何が起こったかわからないままカスミが呆然としていると、再度ウサギの宝石が光り、またも土の矢が出現する。今度は一つではなく、四つも。

 ここに至ってカスミはようやく、自分がウサギに攻撃されているのだと気が付いた。それも不思議な現象、恐らくは魔法を使って。


「ちょ、ちょっ! 何もしないって!」


 慌てて弁明するも、ウサギに言葉が通じるはずもない。無慈悲にも土の矢は形を整えるが早いか勢いよく飛んでくる。

 カスミが咄嗟に身体を縮めると、四つの内の二つは外れ、一つは杖に当たって砕け、最後の一つは右頬を掠めた。


「いっ!?」


 引き裂くような痛みに思わず顔を顰めて呻く。目の際を赤い色が横切った。

 血の滴だ。

 そう認識すると同時、カスミは振り返り一目散に駆け出した。訳のわからない恐怖心を原動に、もつれる足にも構うことなく。

 しかし開けっ放しだった門を過ぎようという時、握りしめた杖を門扉にぶつけてしまい、よたよたとよろけ、そのまま小道の端にころりと転がってしまった。

 ほんの短な距離で息切れする身体を叱咤しつつ、カスミは急いで頭を起こして振り返る。

 その時見えたのは、今まさに新しい土の矢が何本も飛んでこようというところだった。しかも一本はカスミの顔に向かって真っ直ぐに。


「――っ!」


 転がったままのカスミにそれを避ける術はない。額に吸い込まれるように飛んでくる土の矢をただ眺めて――目の前で崩れて土煙と化す瞬間を見た。

 前触れは無かった。直撃すると思っていた土の矢が何かにぶつかったように突如壊れたのだ。


 何が起きたかわからず目を白黒させるカスミにはお構いなしに、土の矢は新しく作られ何度も飛んでくる。しかしそれもすべてカスミに届くことはなかった。門の辺りに見えない壁でもあるかのように。

 何度繰り返しただろう。とうとう無駄だと悟ったのか土の矢は飛んでこなくなり、ウサギは静かにこちらを見つめるだけとなる。最初はカワイイと思ったつぶらな瞳が、今は何より恐ろしくて仕方がない。

 カスミはウサギの様子から目を離さないようにしながら、ゆっくり身体を起こして後ずさろうと――。


「――ぴぃえ!?」


 ビクリとして変な声で叫んでしまう。なにせどこからともなく現れた黒く大きい犬のような動物が、ウサギに思い切り噛み付いたのだ。

 不意を衝かれたウサギは抵抗する間もなく牙に貫かれ、ピクリともせずその犬の大きな口に収まっている。

 目の前で起きた衝撃的なその光景にカスミが戦慄していると、犬はウサギを咥えたままカスミをジロリと睨んだ。口の端から赤い液体をこぼしながら。

 正面から見ればこの犬もカスミの知っている犬とは大きく異る特徴がある。額の角と四つもある目だ。

 異形の犬は数秒だけカスミの方を見つめたかと思うと、ふいっと森の奥へと消えていった。あたかもカスミに興味がないと言わんばかりに、余韻も残さず。


 その後姿を見送ったまましばらくボーッとしていたカスミは、おもむろに立ち上がりローブを何度か叩いて土汚れを払うと、門をしっかり閉めてからノロノロと家の中へと戻った。そして後ろ手に玄関扉を閉めるとその場に蹲り、呟き始める。


「異世界こわい異世界こわい異世界こわい……」


 思っていたよりもハードな環境が外に広がっていることを痛感していた。

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