02. 家探し(1)

 改めて部屋の中を調べると決めたは良いが、置いてある家具はベッドを除くと空の本棚とワードローブくらいしかない。

 それでも他に見ておくべきものはある。外の景色だ。


 窓があるのは二ヶ所。一枚は出窓、もう一枚はベッド脇の高みから見下ろす小さめの窓。出窓はともかく、ベッドを踏み台にできるこちらの窓なら頑張れば外を覗けるだろう。

 毛布から抜け出たカスミはその窓に近寄り見上げてみた。

 小幅に開いたカーテンの隙間からは燦々さんさんと朝日が降り注いでいる。目覚まし時計代わりにカスミの眼を眩ませたのはこれの仕業に違いない。


「んっ……しょっと」


 慣れない小柄な四肢を操り、窓枠にかけた手を辿って目一杯に背伸びをしてみる。徐々に上がっていく目線が丸太の壁を超えると、そこから覗き見えたのは青空に茂る樹葉の群れ、一面の森だった。

 どうやらこの部屋は地面よりもだいぶ高いところにあるらしく、窓からの目線は木々の背丈に近い。濃い緑は遠目に隙間の無いほどの密集具合で、目の前にあるというわけでもないのに妙な圧迫感を覚えるほどだ。


「もう、ちょっと……」


 そのまま力尽くで身体を引き上げ強引に首を伸ばしてみると、下にも広がった視界に映ったのは人工的に均されたであろう新緑の芝生。木柵が森との境界に並び立ち、ちゃんとした敷地を成しているのが見て取れる。


 そこまでを把握したところで腕力が限界に達したカスミは、無理することなく潔く窓枠から手を離す。着地した足元の柔らかさに少したたらを踏んだがなんとか堪え、口からふぅと一息。

 突然の無理に両手が痺れてしまったようだ。カスミはじんじんと鈍く唸る両手を労るように揉みつつベッドの端に腰掛けると、僅かに視線を落としたまま思い耽っった。景色から得た情報の咀嚼のために。


「うーん……わかんない」


 けれど得られた情報といえば、この部屋から見える景色だけではわかることが少ない、という残念な事実だけ。

 ここがどんな地域なのか。どんな人が周りにいてどんな生活をしているのか。外を見ただけではそういったことが全く伝わってこない。リーセの『文明が足踏みをしている』という言葉がどの程度を指しているのかも不明のままである。


 そもそも、今にして思えばリーセの説明はかなり不足しているのだ。

 権限がなくて説明できないと言っていたが、カスミの立場からすると転生先の身体や場所に関しては事前説明に含むべき情報でしかない。ただでさえ右も左もわからぬ新しい人生なのだから、せめて幼女に転生するというような今後に大きく影響する部分についてはあらかじめ知っておきたかったものだ。

 だからといって、情報が少ないと今更ひとり愚痴って何が解決するわけでもないのが辛いところだが。

 今すべきは考え込むことではなく、知ることである。とにかく自分の目と足で情報を集めなければならない。


「……よしっ」


 カスミは小さな拳を握り気合を入れると、ベッドから飛び出すように床に降り立った。幼女の身体ではベッドの乗り降りですら勢いが必要なのだ。

 ベッドの影に見つけた布製のルームシューズを拝借し、ワードローブの前に立つ。この部屋で見るべき物と言えば唯一この簡素な家具くらいか。

 いざ開けようと取っ手に手をかけたところで、「何か変な物でも入っていたら……」と不格好にも腰が引けている自分に気付いてしまったカスミだが、どうせ誰も見ていないのだからとすぐに開き直るとそのまま一息に開け放った。


 真っ先に中から現れたのは部屋のものとはまた違う濃い木の香。お香のように深みのある、それでいて癖の少ない香りだ。虫よけも兼ねているのかもしれないが、衣類に付着しても気に障らないだろうその気遣いはカスミにとっても好ましいものである。

 肝心のワードローブの中はというと、部屋の広さ相応の大きさはやはり容量もそれなりで、転生前のカスミの自宅から衣類を持ち込んだら半分も入りきらない程度か。

 しかし今あるのはハンガーに掛かるワンピースと長丈の羽織物、それとタイツやベルトなどの小物が詰まった蓋無しの小箱ぐらいだ。一番欲しかった下着の類が見当たらないのが残念の極みである。

 何にせよ上着だけでも着替えがあるのには助かった。ネグリジェでは外に出るにも憚りがあるだろう。身体は六歳でも中身は十六まで成長した精神を有しているのだから。


 カスミは早速とばかりにワンピースが掛かるハンガーへと手を伸ばし、しかし一瞬だけ動きを止めると、小さく呻きながらつま先立ちで懸命に手を伸ばし始める。

 この短い時間で何度小さくなった身体に振り回されれば良いのだろうか。

 どこか納得いかない不満を抱えながら攣りそうになるほど背伸びをしたカスミだったが、手が届いたのはそれから何度もジャンプを繰り返した後のことだった。


「はぁはぁ……はぁ~。やっと取れた」


 突然のちょっとした運動に乱れる息を整えながら服を広げてみると、夜空のように深い色をしたワンピースは装飾もなく地味でありながら、痛みや汚れは見当たらなかった。着るのには問題無さそうだ。サイズもちょうど良い。


「一度脱がなくていいのはちょっと助かったかも」


 ハンガーに掛けたまま操作制御マニュピライズを呼び出して、ふと湧いた安堵にぽそりと呟く。

 着替えの一瞬だとしても知らない部屋で全裸になることに抵抗があるのは正常な反応だろう。

 しかし操作制御マニュピライズであれば肌を晒す時間など僅かたりとも無い。アイコンパレットを操作した次の瞬間にはカスミはワンピースを纏っており、反対にハンガーに掛かる服はネグリジェへと変わっていた。

 見た目にちょうどだと思っていたワンピースは、実際に袖を通すとやはり脛に届くくらいの丈に収まっている。身幅がゆったりとしていることもありひらひらと素肌に触れる感触がどうにもこそばゆい。


「あ、ベルトもあったっけ」


 そういえばと思い出して箱から引っ張り出した細い革ベルトで腰を締めてみると幾分か動きやすくなった。元々付属品だったのだろう、同じ革製のポーチもあったのでせっかくだからとベルトに通して腰にぶら下げる。

 ついでに見つけた黒タイツも履いてみると、こちらも誂えたようにピッタリ。ゴムではなく膝上で紐留めするタイプで、初めて足を通すものだから操作制御マニュピライズでなければ少し戸惑ったかもしれない。

 これで一通りの着替えは済んだが、残った羽織物も気になるところだ。ネグリジェが掛かったハンガーを戻すついでに、そちらも着てみることにする。

 最初の一着は確認のためにわざわざ手に取ったが、これからは取り出さず直接操作制御マニュピライズで着替えて良いだろう。そうすれば毎回息を切らすようなことも無いはずだ。


 それもこれもインターフェイスが使えるおかげである。

 焦りのままつい呼び出した個人記録パーソナライズが普段通りに使えたので大丈夫だとは思っていたが、転生後も前世の電脳世界と変わらずインターフェイスを使えるとわかったのは大きな安心材料といえる。

 カスミに取ってインターフェイスが使えない生活など考えられたものではない。せいぜいが年に一度の防災訓練で体験するくらいだが、それですら毎年辟易としていたのだから。


 そうして瞬時に纏った一着は、フード付きの真っ黒なローブであった。

 カスミの感覚としては馴染みのある種類の衣服でもある。普段着としてではなく演劇やコスプレの衣装としてだが。

 上から下まで隙の無い黒に染まったローブは、ワンピースに比べデザイン性に一工夫あるようだ。袖口は肘から先が大きく広がるパゴダスリーブだし、胸元には銀色のチェーンの留め具が付いている。それこそファンタジーの衣装そのものといった風情で、カスミはひと目で気に入ってしまった。


「うん。着替えは完璧だし、他に見るとこは無いかな」


 フードを被ってみたり結局脱いだりと着心地を確かめたカスミは、そろそろこの部屋から出てみることに決めた。他の部屋も調べなければならないし、それが終われば家の外へも出たいところだ。


 だが、いざドアへと向かうその歩みが進んだのは僅か二歩だけ。ワードローブの隣、空の本棚に引き止められて。

 尤も、空の本棚というのは正しくなかったらしい。一番下の段、今のカスミでも少し腰を屈めなければ覗き込めない位置に、本を一冊見つけたからだ。

 濃褐色のハードカバーは手に取れば存在感があるが、本棚の底で身を潜めるように隠れていては見つからずとも無理はないだろう。ページ数も二○○は無さそうで厚くはない。

 装丁はなかなか立派である。革、しかも合皮ではなく本革で作られたろう表紙は、文字と装飾を刻まれ重厚な雰囲気を醸し出している。

 とはいえ、しかし。


「う~ん。読めない」


 知っている言語ではなく、表紙のタイトルらしき言葉が一文字も読めない。背表紙の文字と照らし合わせることで左から右に書かれていることはわかったが、それだけだ。

 ただ、内容はさておき、カスミは思う。


「コスプレの小道具としては完璧じゃないかな、これ」


 もう一度個人記録パーソナライズを開き並べてみる。

 個人が自由にデザインを変えられる個人記録パーソナライズは、カスミの趣味に合わせて重厚な本を模している。西洋の古書を参考に。

 ただし本の形をしているのは見た目だけで、本質は電脳世界のインターフェイスそのまま。重さも無ければページも無限で、手で持つ必要すら無いのだから雰囲気作りにしか効果がない。

 そしてその雰囲気こそをカスミは重視していた。伊達にコスプレ好きではないということである。


 そのカスミ渾身のデザインにも負けず劣らず、知らない文字の本は充分にカスミの琴線に触れるものだった。

 自分が寝ていた部屋の本棚に入っていたのだ。服と同じくこれも私物かもしれない。

 そう思うとなんとなく得した気分になり、鼻歌交じりで本を開いてみる。

 文字が読めないことはわかっている。しかしこの素敵な――内容は知らないが見た目が素敵だから多分中身も素敵な――本を読まずにいられるだろうか。いや、無理だ。

 カスミは本気でそんなことを考えながらパラパラとページを捲った。


 しっかりとした装丁なだけあって、片手で持っているとずっしりと重い。

 ページはコピー紙などに比べると厚く、少し黄みがかっている。初めて見る紙だ。

 ページを捲る度に不思議な匂いが顔を撫でる。恐らく本の匂いだろうが、本物の古書に初めて触るカスミにはそれが何由来の匂いかすらわからない。

 流し読みで目に入るほとんどは文字だが、所々には小さな挿絵も。異世界だろうとさすがに絵までわからないということはないが、瓶や棒といった道具の説明や図形の解説ばかりで、やはり文字が読めなければその意味まで理解することはできそうもない。

 わかったのは物語の本ではなさそうだということくらいか。何某かの教本や学術書といった趣だ。


 そうして何ページか読むでもなく眺めて、雰囲気は満足いくまで味わったと本を閉じようとする寸前。ページに描かれた小さな挿絵が目に入り、カスミは息を呑んだ。

 描かれていたのは図形だ。一つの円の中に縦横無尽に線が走る、芸術性すら感じる幾何学的な図形。

 これをカスミの持つ前世の知識に当てはめれば。


「魔法陣……?」


 カスミはようやくこれが何の本なのか理解した。


「こ、これ魔法の本だっ!!」


 きっとこの本は魔法に関して書かれたものに違いない。付け加えれば、挿絵から判断するに魔法の薬の作り方や魔法の使い方を記した教科書である可能性が高いだろう。

 この事実はカスミに取って極めて重大事である。


 転生する際のリーセの発言にあった『魔法が存在する世界』という言葉はカスミの印象に強く残っている。それだけ心躍る一言だったし、転生に初めて前向きになれた瞬間でもあった。

 その魔法に触れられる機会がこれほど早く訪れるとは、僥倖以外の言葉では言い表せない。ただでさえ素晴らしい本だと思っていた一冊が、どんな宝石にも勝る最高の宝物の如く輝いて見えるようだ。

 一気に最高潮まで気分が高揚したカスミは、鼻息荒く手にした本を掻き抱き、感情を爆発させた。


「だから、読めないんだってばーっ!!」


 結局のところ、知らない文字で書かれた本では如何に興味があろうと読めはしない。

 そんなことは本を手にしたときからわかっていたが、魔法の教科書へと早変わりした興奮が一瞬だけそれを忘れさせた。反動で思わず憤激したとして誰が責められよう。

 宝物は小道具へと逆戻りし、けれども簡単に諦められるわけではない。挑むように見つめたカスミは決意を秘めることもせず言葉にする。


「……ふんだ。絶対いつか読んでやるっ」


 そのためには準備が必要だ。

 個人記録パーソナライズの基本機能であるメモ帳を開く。本の中身を転記するために。


 転記といっても手書きではない。メモ帳には写真や動画として情報を記録する機能があり、紙に書かれた内容であればそのままコピーもできる。メモ帳とは名ばかりの、総合的な情報記録媒体である。

 そのメモ帳に内容をすべてコピーしておけばいつでも読むことができるし重さも無くなる。カスミは意気揚々とコピーを始めた。

 作業自体は一瞬だ。開いた個人記録パーソナライズのページが勢いよく捲れる三秒足らずの間の出来事である。


 無事にすべてを転記し終えた魔法の本を本棚に丁寧に仕舞う。一番下の段ではなく、目線辺りにある段へ。

 ついでに他に見落とした本が無いこともしっかりと確認しておく。魔法の本がもう一冊あったのに見逃した、なんてことがあっては悔やむに悔やみきれないだろう。

 そうして充分に確認を済ませると、今度こそこの部屋で見るべきものは見尽くしたはずだ。


「うん。もうこの部屋はいいかな。よーし、他の部屋にも何かおもしろいものがありますように」


 他の部屋ではまた別の魔法関連の本や道具が見つかるかもしれない。

 そんな心ときめく期待に背を押され、カスミはドアを一気に押し開き外へと踏み出した。

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