第一章 転生生活

01. 戸惑いの目覚め

 眩しい。

 霞が最初に思ったのはその一語だった。

 いつの間にか寝ていて、いつの間にか起きたらしい。瞼の向こうに感じる強烈な光に、ぼんやりとした頭でそう察する。

 降り注ぐ光は目を閉じていてもなお刺激的で、薄目を開けることすらままならない。それどころか物理的な痛みまで覚えてしまい、つい無意識に顔の前に手を翳してしまう。

 そうして作った影に隠れてみれば、知らず強張っていた眉根がようやく解けていった。


 いつもの霞ならば目が覚めたからといって、そのまますぐに起きることはほとんど無い。少し微睡んで、ついつい二度寝して。そんな寝起きが日常だ。

 しかしあまりに遠慮のない太陽のせいだろうか、今日の眠気は長居もせずに去っていった。した抵抗もなくゆるゆると瞼が開いていくという新鮮な感覚を残して。


「んあ……あさ?」


 霞が無意識に言葉を零しながら見たものは、水でぼかしたような視界とそこに映る肌色の影。翳したままの自分の手だ。

 その瞬間「わたしの手ってこんな小さかったっけ?」という疑問が脳裏をよぎるも、寝ぼけた頭はモヤが掛かったように不鮮明で考えがまとまらない。ふわふわとした現実味の無さがどうにも拭えないのだ。


 とりあえず深く考えることを後回しにした霞は、ろくに像を結ぼうとしない眼をぐしぐしと手の甲で揉んでみた。視界だけでも鮮明にしようと。

 すると動きに合わせて肌を撫ぜる毛布がやけにくすぐったく、おかげでこれが自分の毛布ではないと気付いた。ついでに背中に感じるベッドの柔らかさも頭を預けた枕の沈み方も、知っている感覚ではない。

 ならばいったいどこで寝ているのか。

 疑問に引っ張られるままおもむろに身体を起こし、それから残った眠気を追い出すための伸びを思い切り一つ。目尻が濡れるほど伸びたつもりが、思考に掛かったモヤは未だ完全に晴れた気がしない。


「ああ~……」


 意味もなく声を出してみる。何か重大な事を忘れている気がするもどかしさを音にして。

 それでも消えないは意識の隅に追いやり、目尻を指で拭い周囲へと目をやる。部屋隅に位置するベッドからは室内を一望することができた。


「うん。まだ夢の中かも」


 目に映るのは思わずそんな可能性を考えてしまうくらいには意外な風景。自分の部屋でないとは思っていたが、まさかのログハウスのような一室だ。

 太い丸太が剥き出しに積み重なる壁と木板が並ぶ天井は、木の香が満ちる八畳ほどの一人部屋。物は少なく、ベッドの他には飾り気のない木製のワードローブと、その隣にある空の本棚のみ。

 それが霞のいる部屋だった。


 自分がなぜこんな部屋で寝ているのか、霞には全く心当たりが無い。記憶にない場所に放り込まれる経験はつい最近もあったような気がするが、未だに自由にならない思考では思い出すことも叶わない。

 仕方なく霞は考え込むよりも先に家の中を見て回ることにした。毛布をめくりベッドから抜け出ようとし、おや、と止まる。


「ワンピース、というかネグリジェかな」


 霞が寝間着にしていたのは良家のお嬢様が着るような白いネグリジェだった。

 リボンとレース編みで可愛らしくも控えめに飾られたデザインは、やや少女趣味なきらいがあるものの、霞の好みにかなり近い。衣装製作の参考にしたいとさえ思うほどだ。その割に生地があまり良くないのが残念だが。


 つい趣味の方向に意識を引っ張られてしまい袖や首元を摘み上げしげしげと眺めていると、素肌に生地が擦れた感触が連鎖的にあることを気付かせた。

 慌てて胸元を開き、自分の身体を見下ろす。果たして、目に入った光景は感じた通りのもの。


「ま、まっぱっ!?」


 下着を何も着けていないのだ。見知らぬベッドで、素肌にネグリジェのまま寝ていた自分。その事実は得も言われぬ気恥ずかしさで霞を打ちのめす。

 いくら瑠依菜のように自信を持てるスタイルではないからといって、いや、自信が無いからこそこんな無防備な状態に気が気でなくなるのだ。もしこんな貧相な身体を他人に見られたらと思うと。


 そう、貧相な身体である。あまりに自虐的にも思えるが、自分の身体を見下ろす霞の頭に自然と浮かんだのがそんな感想だった。

 瑠衣菜や同じ学年の女子たちの体つきと比べて悔しく思ったことくらいはあるが、卑下したことまでは無い。だが今見ている自分の身体を何かに例えるならば。


「まな板だー!?」


 思わず天を仰ぎ思ったままの言葉を叫ぶ。

 確かに自慢できるような身体ではなかった。小柄だし、肉付きも理想的ではない。それでも年頃の女性らしい膨らみはあったはずだ。

 恐る恐るもう一度胸元を覗いてみる。やはり見間違いでも何でもなく、そこにあったのは定規がピタリと当てられるようなまな板、幼児のような身体だった。


「ぱ、【個人記録パーソナライズ】!」


 声に出す必要もないというのに、感情が促すまま大声で個人記録パーソナライズを呼び出す。すると目の前に革張りの重厚な本が出現し、そのまま独りでにあるページを開いて示した。

 そこに記されているのは、身体や住所などの霞に関するあらゆる個人情報。身長や体重といった基本的な身体数値は元より、血圧や血糖値などの目には見えないデータ、そして食事の履歴や学校の成績といった活動記録まで、おおよそ個人に関わる情報のすべてを網羅しリアルタイムに更新するインターフェイスである。


「えっと……年齢、六歳!? どこいったわたしの十年っ!!」


 その情報群の目を疑うような内容に、とうとう霞は頭を抱えて吠えた。なんと高校二年生だった自分がいつの間にか小学一年生にまで戻っているというのだ。

 何かの間違いだろうと思いたいところだが、霞の知る限り個人記録パーソナライズの表記が間違っていたという話は存在しない。


 霞はしばらく突っ伏すような姿勢のまま唸っていたが、なんとか気力で顔を上げると開いたままの個人記録パーソナライズを睨むように見据え、再びページの頭から目を通していく。するとそこに書かれているのは自分ではない自分の情報の数々だった。

 まず基本情報からしてすでにおかしい。氏名が〝東條霞〟ではなく〝カスミ〟になっているのはまだしも、身長や体重も六歳児に相応しいサイズへと縮小しており、職業欄ともなればなんと〝無職〟へと変わっている始末だ。せめて未就学児にしておいて欲しかったと微妙に苦い気持ちが滲んだのは現実逃避の一種だろう。


 あまりに記憶と噛み合わない自分の情報に、これではまるで別人になったようだと深く息を吐いた。生まれ変わりでもしたようではないかと。

 その瞬間だった。の頭からモヤが晴れたのは。

 そうして思い出したのは夕暮れの部室で瑠依菜と話したことや、暗闇の舞台でリーセと話したこと、そして自分が転生したことだった。


「転生……そうだ、転生したんだ、わたし。でも転生ってこういうこと? 思ってたのとちょっと違うような……」


 転生という言葉から、カスミはてっきり誰かの赤ちゃんとして誕生する瞬間から新しい人生が始まると思っていた。しかし実際の開始時点は少しだけ成長した六歳の幼女だ。

 転生は転生でも、記憶や知識、あるいは魂と呼ばれるようななにがしかがこの幼女の身体に後天的に宿るという形で転生を果たしたということかもしれない。

 新生児期間を十六年分の知識と自意識を持った状態で過ごすのは大変だろう。そう考えるとある程度成長してから意識が芽生えたのは渡りに船とも言えるが。


 だが、そうなるとどうしても気になる事がある。家族の存在だ。六歳になるまでの人生がこの身体にはあったはずなのだから、記憶に無かろうが少なくとも両親は実在するはずだ。

 こうしている間にも覚えのない家族がやってくるかもしれない。今のカスミに取っては他人に等しい家族が。

 あまり楽しくない状況を想像し、せめて事前に情報だけでも得ようと個人記録パーソナライズを操作する。本の形はしていてもインターフェイスであることには変わりなく、必要な情報を呼び出すなど造作もない。思考と共に紙面を指で触れれば後は自動だ。

 そうして開かれた戸籍や住居といった情報のページには当然血縁者の情報も記載されている、はずだったのだが。


「両親は……あれ、空白?」


 空白。そのまま素直に受け取れば両親がいないのに生まれてきたということになってしまう。

 さすがにそんなことは人間としてあり得ないだろう。今のカスミは異世界の人類ではあるが、そこまで前世と生態がかけ離れているとは思えない。

 しかし、これでは何も解決していない。親も必要とせずどうやって生まれたのか、という新しい疑問に変わっただけである。

 では他に何か手がかりはないかとページをつぶさに読み込んでいくと、他にもいくつか空白になっている項目を見つけた。生年月日や現住所、それに食生活の記録などだ。


 それらに目を通し、ふと閃く。


「もしかして、情報が足りないってことかな」


 身体情報や栄養状態などの測定はインターフェイスがリアルタイムで行うから問題ない。しかし経歴や活動の履歴となると話が別だ。インターフェイスが使えなかった過去の情報は如何な個人記録パーソナライズとてどうしようもないといことだろう。

 だとすると六歳になってからの転生も考えものである。

 健康な身体ではあるようだし、屋根がある家で寝起きしているのだから差し迫った危険は無いのかもしれない。

 それでも六年もの空白期間があるのは不安だ。例えばこの後両親と出会ったとき、どんな話をすれば良いのかもわからないのだから。


「ん~……とりあえず見て回る、しかないよね」


 何とも不確かな現状に、どうすべきかしばらく悩んではみたものの、結局のところ情報不足こそが問題であるのはわかりきっている。となれば自分の目を使って情報を増やすしかないだろう。

 カスミはそう結論づけると個人記録パーソナライズを消し、周囲をぐるりと見回した。まずは一度この部屋をちゃんと調べよう、と。

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