03. 記憶探し(2)

≪すみません、霞さん。どうやら私が知っているよりも複雑な状況になっているようです。そのインターフェイスとやらについて、もう少し詳しく説明していただけますか?≫

「詳しくですか。そう言われてもなぁ……あ、もしかして!」


 どうやら謎の声の主はインターフェイスについて詳しく知らないらしい。

 そんな人間が世の中に存在していることに霞は驚いたが、その驚きがある閃きへと繋がり手を打った。


「インターフェイスを知らないってことは、もしかして外の世界の方ですか? 電脳世界に入っていない人がまだ少しいると聞いたことはありますけど」


 義務教育の過程で習う知識によると、管理された地下空間に肉体を保管した人類が電脳世界に生活の場を移して八○○年以上、未だに大気汚染と磁気嵐に覆われ海の一滴まで干上がった地上に住み続けている人々がいるのだという。

 そういう人であればインターフェイスを知らなくても仕方がないのではないか。霞はそう考えた。


≪外の世界から来たと言えば、そうですね≫

「やっぱり! 会うのは初めてです、わたし。それであなたは――」

≪リーセヴィニアナティラストニア≫

「はい? リーセヴィ……?」

≪リーセヴィニアナティラストニア。私の名前です。長くて呼びにくいですよね。他者から呼ばれるときはリーセヴィニアと略されることが多いですが、霞さんはリーセと呼んでください。敬称もいらないですし普段通り気楽に話してくれて結構です。特別ですよ≫

「ありがとう、ごさいます? じゃあ、わたしのことは……カスミでいいよ、リーセ」

≪はい。よろしく、カスミ≫


 やたらと長く耳馴染みの無い名前だ。日本語で会話をしているが日本人ではないのだろう。もしくは長く電脳世界外で生活していたことで文化が変化したか。

 何にせよその長い名前を覚えきる自信が無い霞は申し出通りにリーセと省略して呼び、言葉遣いも崩すことにした。特別と言われたのには理由もわからず困ってしまうだけだったが。

 代わりに自分も愛称で呼んでもらおうかと考えてみたものの、霞を〝すみちー〟と呼ぶのは瑠依菜だけであり、初対面の相手から呼ばれるのには何となく抵抗がある。かといってリーセを真似して頭だけを残すと〝カス〟と呼ばれることになってしまうので、結局無難に呼び捨ての〝カスミ〟へと着地した。


「えっと……それでリーセは電脳世界に関して聞きたいんだよね? わたしも知ってるのは学校で習ったことくらいだけど、それでよければ」

≪お願いします≫

「それじゃ、まず……わたしたちの身体はちゃんとリーセたちと同じ現実の地球にあるけど、人生を送るのはネットワーク上に作られた仮想の世界の中なの。人が住めなくなった地球じゃなくて、安定していた頃の地球を再現した電脳世界ね。本物の地球とほとんど変わらないから実感は無いけど」


 電脳空間にあって物理現象を網羅した仮想の地球は、バタフライ効果に代表されるカオス理論すら完璧にシミュレートする。〝誰かがくしゃみをしたせいで火山が噴火した〟というような、因果関係に一見繋がりがなくても実際の地球であれば起きたはずの現象は漏らさず再現してしまうのだから、もはや地球そのものと言って差し支え無いだろう。

 その上で実際に再現された環境はまともに生物が生息できなくなった現在の地球ではなく、そんな現在へと繋がるターニングポイントだった二十二世紀前後の地球だ。

 そこで生活を始めた人類は、着実に近づく滅亡を全力で遠ざけようとしながら新しい可能性を模索し続けている。いつか過酷な現実の地球環境に適応した人類が誕生するか、環境を戻すための決定的な技術が生まれることを夢見て。


「そのために現実の地球では使えない便利な機能が電脳世界には追加されてるんだけど、それをひっくるめてインターフェイスって呼んでるの。正式にはなんて言ったっけな。確かエクステ……エクセ? エクなんとかインターフェイスだったと思う。道具を自動で動かしたり実体のある映像を作るのも、インターフェイスの中の操作制御マニュピライズっていう機能だね」

≪さっき見た妖精が出現したり、一瞬で着替えたりする現象ですね≫

「うん。インターフェイスの操作は指とか声とかいろんなコマンドでできるんだけど、道具にアクセスするのはさっきみたいにアイコンパレットを指で操作するのが基本かな。あとは自分の情報を見たりお役所の手続きに使えるインターフェイスもあって……あれ? 出ない?」

≪どうしました?≫

「おかしいな。個人記録パーソナライズが出ないの。こっちは考えるだけでも呼び出せるインターフェイスなんだけど」


 実際に見せたほうがもっと理解できるだろう。そう思った霞だったが、思考だけで表示されるはずのインターフェイスがうんともすんとも言わずに戸惑う。

 こんなことは十六年間生きてきて初めてだった。


≪ああ、少し待ってください……はい、これで使えると思います≫

「あ、出た」


 リーセの声を合図にもう一度試してみると、今度は差し出した手のひらのすぐ上に見覚えのある重厚な革張りの本が出現した。妖精のときと同様、淡い光が瞬時に形を変えるように。


 電脳世界で生まれた瞬間から誰もが例外なく使えるインターフェイスは、使えないという状況になることが非常に稀だ。過去には技術的なトラブルなどでそれなりにあったようだが、最近では犯罪者にでもなって制限が掛けられたときくらいのものだろう。

 そのインターフェイスが使えなかったことも不思議だが、リーセが何かしら処理を施したことで使えるようになったというのもまた不思議である。

 いったい何をしたというのだろうか。


≪その本もインターフェイスの一種なのですか?≫

「……え? あ、うん。個人記録パーソナライズは身体情報とか環境情報を見たり、メモ帳なんかに使えるインターフェイスね。毎日使うし人と見せ合うことも多いから一番目にするかな。だから見た目にこだわる人も多いし、わたしも自分でデザインした本の形にしてる。基本はただの板みたいなシンプルな見た目なんだけどね」


 掲げた個人記録パーソナライズについて説明しながらも、リーセのしたことの謎が霞の頭から離れない。

 そうして一度不思議に気付いてしまうと、他のことに優先され深く考えてこなかった部分にも意識が向いてしまう。暗闇に囲まれたこの場所もそうだし、記憶から再現されたという映像――今は止まったままだが――もそうだ。

 それらがいったい何なのか。考えてもわからないその謎の答えは、結局のところ一つに集約している気がした。

 即ち、失われた記憶へと。


「ねえ、リーセ。電脳世界について知りたいことがいっぱいあるんだろうけど、今はわたしの記憶を優先していいかな。大事なんでしょ?」

≪おっと、これは失礼しました。確かにそれが先決でしたね。いろいろと興味深かったもので≫

「あとで質問にはまた答えるから。わたしからもいろいろ質問するかもしれないけど」

≪ええ、きっとそれが必要になるでしょう。では残りも少ないようですし、一気に記憶を進めましょう≫


 その言葉と同時に止まっていた映像が再び動き出す。騎士服に着替えた映像の霞が妖精と並んでポーズを決め、その姿を瑠依菜がやんやと囃し立てている場面から。

 記憶の残りが少ないということは、もうすぐ全ての記憶が取り戻せるということだろう。霞は気を引き締めて続く映像に目を凝らした。


『それで、どう? 騎士と妖精の雰囲気出てる?』

『バッチリ。これぞファンタジーって感じ。すみちーの狙い通りじゃないかな、コレ』

『だったら嬉しいな。妖精女王役としてもね。ちなみに妖精の国のシーンでたくさん妖精に囲まれると、こんな感じ』


 瑠依菜扮する騎士が初めて妖精と出会うのは妖精の国にたどり着いた時だ。気に入られイタズラされてしまうのが始まりである。

 そのシーンを演出するため、霞が操作制御マニュピライズから妖精の数を増やしていく。二人、三人、四人と。

 しかし五人目まで増やした時、映像を見ていた霞の目には不意に妖精たちの姿がブレて二重になったように映った。

 それはきっと目の錯覚や気のせいではない。なぜなら当時も同じように見えたのだから。


『ん? なんか今変にブレて……』

『あ~! 女王さまだ~!』


 違和感を言葉にしかけた霞を遮り女王と呼んだのは、出てきたばかりで楽しげに飛び回る男の子の妖精だった。透明の翅を震わせ霞の周りをグルグルと勢いよく回っている。

 さらにはその様子が呼び水になったのか他の妖精までもが姦しく騒ぎ始めた。


『ホントだ! 女王さま、あそぼ~!』

『かくれんぼ? おいかけっこ?』

『こっちの子にイタズラしてい~い?』

『ぼくがさいしょに見つけたんだぞお!』

『おいかけっこ?』

『女王さま、ハネな~い』

『あのさ、すみちー。設定はよくできてると思うけどこんなに騒がしいと演技に集中できないんじゃない?』


 あまりの騒ぎように瑠依菜が苦笑しながら当然の問題点を指摘する。

 そもそも妖精たちは舞台装置であり、分類としては背景や小道具と同じなのだ。それが自由奔放に騒ぎ出しては邪魔でしかないだろう。

 しかしそんなことは霞にも当然わかっていた。


『それはそうなんだけど……そもそもわたし、しゃべるように設定してない』

『え?』


 霞は困惑のまま事実を告げた。

 当たり前の話である。演劇には台本があり、台詞が決まっている。背景にアドリブを許すことなどあり得ないのだ。

 それに。


『それに、なんでわたしを妖精女王って呼ぶんだろ。役の設定もまだだし、今わたしが着てるのも騎士服なのに』

『そういえば、たしかになんで――』


 同じ疑問に小首を傾げた瑠衣菜の言葉は、しかし最後まで紡がれず、代わりに映し出されたのは一面の暗闇。

 食い入るように映像を見つめていた霞は暗転中だと思いかけたが、円形の白い床と篝火があることに気付いて考えを改めた。

 そこがどこかなど、中央にいるであろう人物を探すまでもなく知っている。


「この場所だ」

≪はい。これで記憶は繋がりました≫


 繋がった、と言われても霞自身にそんな感じは全くしていない。会話の途中で突然この場所に切り替わってしまい、むしろ記憶が飛んだという最初の印象を補強したとすら思える。

 そんな霞の戸惑いを余所に画面役をしていた光の渦はみるみる小さくなっていき、そのまま消え去ると辺りに深い暗闇をもたらした。

 光の反動で最初よりも増した暗さの中、霞は釈然としない気持ちをどうにも抑えられず口にする。


「なんかすっごく中途半端なんだけど、あれで記憶は全部なの? 結局なんでここにいるかわからないままだし……」

≪死んだからです≫

「はい?」

≪あなたは今の友人との会話を最後に死にました。カスミ、今ここにいるあなたは生前の身体を再現した姿に過ぎないのです≫

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