第9話 深夜の露天風呂

 私の住んでいる町の近くには有名な温泉街がある。その温泉街の外れには、宿泊しないでも利用することのできる大きめの温泉施設があり、夜遅くに峠道を走ってその温泉に行くのが楽しみな時期があった。

 ある雨の夜遅く、いつものようにその温泉施設を利用していたときのことだった。身体を洗った後、露天風呂に浸かった頃には小雨も本降りになろうという頃だった。

 二、三人の若者が、ひさしの下で仰向けに近い姿勢で暗い雨空を見上げている私のそばで話し始めた。背中越しに聞くともなしに彼らの話を聞いていると、ひとりが話し始めた。


「こないだのクリスマス。俺、彼女にフラれてしもうて、バイト終わってから友達のパーティ誘われてたのに足が重かったわぁ」自嘲気味に話す彼の声は、その容姿とは違って思いのほか誠実そうな口調だった。それを聞いた友人達も口々に同情しているようだった。 

「そんでな、そのまま友達の家と反対方向にふらふら自転車で走ってて、知らんマンションの前で自転車停めてん。そしたら、なんか知らんけど登ってみようと思ってん」

「寒いのに、なんで唐突にそんなん思ったん?」友人のひとりがそうたずねた。

「そうやろ?でも、そん時はフラれて何も考えられへんかったから、登ったら頭冷やせていいかと思ってん」

 「そーなんや、そうかも知れんな」みんな口々にそう言った。

「そんでな、屋上あがろうと思って扉開けたら鍵あいててん。だから、そのまま、屋上出て、柵のとこまで行って夜景眺めてたら涙出てきてな」彼はそこまで言うと口をつぐんだ。

 背中越しに聞いていた私も含め、彼の友人達も聞いては行けない事を聞いているような気まずさが漂った。


「いや、違うねん、そういう話と違うねん」不意に笑いながら彼が言うと、背中越しに聞いていた私も思わず振り返って身を乗り出しそうになった。気になる。

「ケータイが急に鳴ったから出たら、パーティに先に来てる友達からやってん。

「お前今どこなん? みんな待ってるよ」

「ごめんな、今バイト終わってちょっと寄り道しててん」

「え、なんて? ちょっと、聞こえへんねんけど」

「今な、寄り道してて」

「え、道が? ちょっと聞こえへん。○○ちゃんも先に来てお前待ってるから」

「へ?○○?」


「その瞬間、俺気づいてん。俺、フラれてなんかなかった、って言うかそれ俺の思い込みやってん」

「えぇぇ!? なんやねんそれぇ?」背中越しに聞いていた私も危うく突っ込みそうになった。

「どういうことなん?」友達が口々に彼に問い質すと彼は笑いながらこう言った。

「いや、バイト終わって最初は愉しい気分で自転車こいでたら、急に寂しくなってそう思い込んでもうてん」

「なんやそれは、可哀想な話しかと思ってドキドキしたわ、ホンマ」友人達が口々にそう言うと、彼は嬉しそうに照れ笑いしているのが背中越しに私にも感じられた。


 ひとしきり続いた笑いが収まると、彼が不意に低い声でこう言った。

「話しはここからやねん。友達の家に着いて玄関開けたらその友達が言うねん」

「おそかったなぁ。電話全然聞こえへんかったやん。お前の後で女が『落ちろ、死ね、落ちろ、死ね』って狂ったように叫んでたけどあれ、なに?テレビ?」


 聞くんじゃ無かった。

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