距離

「っ、お邪魔しまーす……。」


「邪魔するなら帰れや(笑)」


恐る恐る彼の家に入った。強ばっていた顔を見られたのか、茶化してくるH。少し汚れてしまった靴を脱ぎ、並べ、家に入る。洗面所を借り、手を洗う。そして久しぶりに見るこの部屋は程よく散らかっており、緊張しているわたしに安堵をもたらした。


…散乱している教科書に、ノート。


教科書やノートを見たわたしは、ため息をついてしまった。中学を卒業したわたしは、彼と一緒の高校に行けなかった。M、Nも彼と一緒の学校なのに、だ。当時、わたしなりに悩んだ末、本当に行きたかった高校だったのだが、「偏差値を下げてまで友達と一緒の高校へ行くな。」と親、先生からの猛反対があった。友達と一緒という理由だけで行きたかったのでは無いので、必死にお願いしたが、大人のプレッシャーに負けてしまった。


――最終的に願書を出したのは縋る思いで、彼の高校から一番近い高校だった、


その選択が後の人生を左右することになる、のはもう少しあとの話。


見慣れない教科書や体操服に泣きそうになる程、寂しさを覚えた。

そんな様子を見ていた彼は


「まや、学校楽しい?」


と、一言。


実の所、特別仲がいい友達がいる訳でもなく、陰キャとして過ごしていたわたしは理想的なJKライフを送ることが出来ていない。一人だけ、毎休み時間話すようなクラスメイトが居たが、わたしのことを「自分より下だ。」と直接言ってくるような人だった。わたしは上辺だけでも人前で友達を名乗る者としてどうかと思った。元々その男友達(?)はクラス内で孤立しており、自己紹介で話していた趣味が見事に合ったので勇気を振り絞って話しかけた結果がこれだ。他にも数人の女友達がいたが、どれも上っ面の付き合いで、遊びに行ったり、毎日連絡を取ったりはしなかった。

正直楽しくない。嫌気がさしそうだった。全て吐き出したかった。


でもわたしはHに、


「たのしいよ!!」と、言ったのだ。言ったのに。


「あー、もう。まじで無理すんなよ…。全然学校での話聞かないし、俺が呼んだら声のトーン上がってすぐ来るじゃん。まやがたまに学校の話すると思ったら、話してる時めっちゃ嫌そうな顔だし、なんかあるなら話聞くから。」


全部Hは知っていた。


涙が一滴。


あれ、私泣いてる。

あ、今は私…?私か。そう、私なのだ。わたしが辛くて泣いたのだ。正直、私も辛い。

甘え上手なわたしが泣いたのだ。


涙を拭い、目を擦る。


「ほら、俺いるし大丈夫だから。」


「あ、なんか寒くね?リビング行こ、リビング。床暖房あるしさ。」


「…うん。」


素っ気なく返事をし、鞄を置き、上着を脱ぐ。まだ五月なので少し肌寒い。


「ありがとう。」と、微笑んだ。


「おう。」


それから話を小一時間聞いてもらった。泣きそうになる私を慰めながら、真剣に、時に笑いに変えて、それでもHは絶対に馬鹿にせずに、最後まで聞いてくれた。


そして私が自然に笑うようになる頃、彼はリビングの明かりを消す、カーテンを閉める。家の鍵、ロックがかかっていることを確認しに行き、床暖房のスイッチをつける。布団を敷き、筋肉質な腕をのばし横になる。そして一言、


「こっちおいで。」


…いつの間にか用意されていたコンドームとローション。Hの可愛い顔を横目に抱きつくように、私も横になる。彼と目があう。そして肩が強ばる。私と、好きな人の心臓の音が聞こえる。その音が重なった時、はち切れそうな緊張感と、少しの恐怖、そしてわくわくしたような、好きな人と抱きついているという、嬉しいような、恥ずかしいような感情が交差していき目を逸らしてしまう。…彼に頭を撫でられるのが好き。彼の匂いが好き。包容力のある腕に、少し硬い身体、ゴツゴツした大きい手に、ふわふわした髪が好き。好き、好き。大好き。愛してる。愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる。どんどん音が大きくなる。血液の流れがはやくなる。気持ちが高ぶる、と同時に


「…ん。?」


彼の顔がいつもより近い。息があたる。唇に、その感触は残る。分からない、何があったのか。彼は私が困惑する前に


もう一度、顔を近づけた。今度は頬を触りながら、近づけるようにして。


口の中に柔らかい何かが入る。意識が飛びそうだ。眠たくなるような、甘い甘い味。

息が止まる。苦しい苦しい息が出来ない。呼吸の仕方を忘れたように、私もそれを彼の口に入れてみた。彼はその綺麗な目を開けて、少し驚いた顔をしながら私の目を見た。そしてまた目を瞑り、交わした。


私はHと初めてのキスをした。私にとっての、ファーストキスだった。

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