第162話 クレオパトラ、ナサニエル・グリーンを語る…その②
流石にこの状況でこれ以上の追撃は無理と、ようやく判断したコーンウォリスは
行軍を停止、ノースカロライナ北部のヒルスボロ市で兵を休めたが、時既に遅し、
この時を待っていたグリーンはバージニア民兵と合流し、4500の兵で、
再びコーンウォリスの前に現れた。
両軍はグルフォード市の郡庁舎の近くで激突した。グリーン軍は4500、イギリス軍は2100と、数ではグリーン軍が大きく上回っていたが、グリーン軍の主力は訓練不足で素人同然のノースカロライナとバージニアの民兵3000、信用が置けるのは1500程の独立軍正規兵しかいなかった。対するコーンウォリスの主力は歴戦の
イギリス正規兵2100、練度を考えると数的優位程グリーン軍が優勢という訳では
なかった。地形は両側が森に阻まれた、細長い地形。独立軍後方には起伏があり、
前には広場がある丘があった。グリーンは3列に軍を展開し、
最初の1列にノースカロライナ民兵、2列目にバージニア民兵、
最後の3列目に自らの正規兵と砲兵を展開した。
この時グリーンは民兵に対し、「敵が150メートルまで接近したら、
3回撃て。撃ったら、後ろの列と合流するか、逃げても良い」と言った。
当時の銃の射撃速度だと、3回撃ったら敵が目の前に迫る形になる。
故に素人兵には「3回撃てば逃げられる」と教えて、
心理的な恐怖心を減らす工夫をしたのじゃ。碌に給料の支払いもない、
素人民兵に多くを期待せず、実現可能な範囲で出来る限り有効に使う事を
きちんと考えておる。現代でもこれが出来ぬ経営者や管理職は多いの。
一方のコーンウォリスは「グリーン本隊を逃がさない」事を第一と考え、
「民兵を早期に蹴散らし、敵軍本隊を逃がさずに壊滅させる」事を主目的として、
魚鱗型の陣形を取った。さらにコーンウォリスは、「民兵はすぐ逃げる」という
既成概念から、正面から銃剣での単純な突撃を命じた。
こうしてイギリス軍はノースカロライナ民兵と正面から激突したが、
グリーン将軍の指示が効きた民兵は弾を込め、3回撃つ事に夢中であり、
普通なら1回撃って逃げ出す者も大勢いる所、イギリス兵は次々と
撃ち殺されていった。結局殆どの民兵は3回撃つとパニックになり、
銃を捨てて逃げ去ったが、その頃までにイギリス軍はかなりの損害を受けていた。
イギリス軍は続いてバージニア民兵とも正面衝突し、同様の展開で、
更なる損害を受けた。
この後、3列目の独立軍正規兵と衝突したイギリス軍は猛烈な斉射を受け、
多くの死傷者を出していったが、コーンウォリスは甚大な損害を顧みず、
自軍の大砲を至近距離からイギリス軍と独立軍が入り乱れた場所に撃ち込み、
更に突撃を命じて必死に勝利を掴もうとした。
これに対しグリーンは、名騎馬隊長チャールス・リー大尉命じて
軽騎馬隊を迂回させ、コーンウォリス軍の腹背を突く。
しかし、さすがは歴戦のイギリス正規兵、何とか持ちこたえ、
これも決定打とはならなかった。最終的にグリーンは撤退を命令、
独立軍は統率の取れた動きで整然とバージニア州境へと後退した。
独立軍を追撃する余力は、もはやイギリス軍に残されていなかった。
この戦いは最終的にイギリス軍が独立軍の陣営を奪い、
独立軍が退却した事から、「イギリス軍の勝利」ではあった。
しかしイギリス軍は代えの効かない500の正規兵を僅か数時間の戦闘で失った。
対して、独立軍は死傷者300、その他に90名が敵の捕虜となったが、正規兵の被害は200名未満だった。甚大な被害を受けたコーンウォリスは、最終的にこの地域からの撤退を決断し、補給の効く海岸沿いへと逃げ去った。
全ての野戦で敗北したグリーン少将は、最終的にコーンウォリス将軍の
イギリス軍を退却させ、ノースカロライナを奪い返したのじゃ。
その後コーンウォリスは「バージニア州がグリーンの力の源」と考え、再び主力で
バージニアに攻め入ったが、多くの民兵やゲリラに苦しめられ、もはや戦局を動かす事はできなかった。その隙にグリーンはノースカロライナに残されたイギリス軍残党を撃破し、ノースカロライナ州は独立軍の統治下へと戻った。バージニアで孤立したコーンウォリスは、イギリス海軍の支援による再起を目指していたが、
独立軍と同盟していたフランス海軍によってそれは阻止される。
最終的にコーンウォリスはグリーン軍とフランス陸軍に包囲され、
ワシントンが指揮した「ヨークタウンの戦い」に敗北、降伏し、
アメリカ独立戦争は終結へ向かう事となった。
結果だけ見れば、グリーンは単独で一度もコーンウォリスに勝っていないが、
最終的に負けたのはコーンウォリス…グリーンの優れた戦略眼の勝利であった。
36計逃げるに如かず…負けるが勝ちを絵にかいた様な展開じゃな。
今日でもグリーン少将は、アメリカ軍人や歴史家に高く評価され、
ワシントンに次ぐ、【アメリカ独立第2の功労者】とされておる。
当時の戦いの常識にとらわれず、正規軍・民兵の連携を考える頭脳、
補給戦を中心に練られた優れた戦略、打ち続く敗北にも兵の士気を高く維持する
卓越した統率力、そしてそれら全てがアメリカ独立軍の最終勝利に不可欠であった。
そうしてロードアイランド州議事堂の正面には、
今もナサニエル・グリーン少将のブロンズ像が聳え立つ」
ここまで一気に話し終えたクレオパトラ先生は、少し間を置くと言った。
「さて、少々長くなったが、これより今の授業に関しての
質疑を受け付けるとしよう。姓名を名乗るのじゃぞ」
「出席番号1番、穴山信君です。当時の常識から見れば、グリーン少将は連戦連敗に見えた様に思うのですが、なぜ彼は更迭されなかったのでしょうか?」
これを聞いたクレオパトラ先生はにこやかに微笑んで言った。
「それは現場の実戦指揮官とその組織のトップが意思疎通を徹底させ、
目的と目標をしっかり共有しておったからじゃな。
アメリカ合衆国初代大統領のワシントンは、それだけの人物であったのじゃろう。
先の見えぬ馬鹿供はいつの時代にもおる。
実際、連戦連敗にしか見えないグリーンを更迭すべきという意見は、
当時も相当あったが、ワシントンはそれを全て押さえた。
目的はアメリカ独立軍の勝利、目標はイギリス軍の補給途絶による徹底的な消耗、
ワシントンは、少ない戦力でそれを為すには、グリーンの戦略以外にない事を
良く理解しておった。
この補給を元にした大戦略は、独立後のアメリカ軍の基軸をなす思想となる。
これ以降のアメリカは科学的思考に基づき、対外戦争において
補給が継続出来ない様な戦いをしていない。
先の大戦における日本軍…特に海軍の補給軽視の姿勢を見るに付き、
その数百年前のグリーンが如何に先見の明を持っていたか…。
これを知るだけでも大変な価値がある。そしてグリーンは、過去の偉大な書物の
読書によってそれを身に付けたという事もな。現場とトップの意思疎通の大事さと、
戦略、戦術目標の共有に関しても、それが出来ておらぬ組織は今も
世の中に腐るほどある。このワシントンとグリーンのタッグによる
偉大な勝利は、改めて、賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶという、
ビスマルク閣下の言葉を思い起こさせると思うのう」
ここで授業の終了を知らせるチャイムが鳴った。
歴史は膨大な成功と失敗の蓄積であり、これを学ぶ事によって、
人は現在と未来の危機や問題を解決する事が出来る。
人間ひとりの経験などたかが知れているが、数千年に及ぶ人類の経験から
あらゆる事を学べるのは、本当に幸せな事なのだ。
クレオパトラ先生の今日の講義は、
それを改めて俺(大橋)に認識させてくれるものだと思った…。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます