第161話 クレオパトラ、ナサニエル・グリーンを語る…その①
今週も金曜日3限目の授業が終わった。短い休憩時間の後、
4限目開始のチャイムが鳴ってまもなく、
教室に鈴音先生とクレオパトラさんが入って来た。
「起立!」「礼!」
挨拶が済むと、鈴音先生は教壇横にある教師用の椅子に座る。
今日はひさしぶりにクレオパトラさんが授業し、鈴音先生は聴講する様だ。
教壇に立った美しいクレオパトラさんは、いつものなまめかしい、
艶やかな声で話し始めた。
「今日は久しぶりにわらわの知る歴史上の興味深い人物…
アメリカ陸軍のナサニエル・グリーン少将について話してやろう。
こ奴とイギリスの名将、コーンウォリスとの戦いは、戦略と戦術を学ぶ上での
教科書的な具体例なのじゃが、残念な事に日本では殆どまともに教えておらん。
この話によって、戦術、戦略の使い分け、
人の使い方というものを学んで欲しいものじゃ。
日本ではあまり知られておらんが、アメリカはイギリスと独立戦争を戦った時、
実は敗北寸前のギリギリの所まで追い込まれておった。
1780年、アメリカ独立軍はコーンウォリス率いるイギリス軍に大敗し、南部戦線は崩壊寸前であった。出世欲の権化で軍事的才覚に欠けたホラシオ・ゲーツ将軍を南部総司令官などにしたからじゃな。こ奴はアメリカ独立軍の半分程のイギリス軍に
全軍崩壊する大敗を喫し、これにより、イギリス軍に対する組織的抵抗は、
ジョージア・北南カロライナで不可能になった。アメリカ独立側はそれでも私兵・民兵が散発的にゲリラ戦を展開しておったが、この時イギリス軍司令官
コーンウォリスは、アメリカ南部都市でほぼ完全な行動の自由を得たのじゃ。
この最悪の状況下で、ワシントンは最も信頼するナサニエル・グリーン少将を強く
大陸議会に推薦し、南部戦線総司令官の座にねじ込んだ。グリーンはアメリカ議会の汚職に批判的だった為、議員の多くに嫌われ、この頃閑職に追い込まれておったのじゃが、いつの時代も正論を堂々と張る者は損をしがちなのじゃな。
グリーン少将は当時38歳、大規模な軍の司令官をするのは初めてであった。
ワシントンがグリーンに目をつけた理由は、こ奴が「超」の付く歴史オタク、
特に戦史オタクであったからじゃ。裕福な鉄工所のオーナーであるグリーンは、
私財を投じてヨーロッパの高価な軍事歴史関連の書物を大量に輸入しており、
それは当時米国有数の軍事歴史書コレクションとも言えるもので、
しかも奴の頭の中にはそのほとんどの内容が入っておった。
加えて優れた分析能力、機転が利く鋭い行動力、既成概念にとらわれない柔軟な考え方、数学・文学の知識があり、民主主義を愛する政治視点、謙虚な性格もあった。
ワシントンは人を重用するにあたり、その人物の能力を見極める力があったのじゃな。当時ワシントンが自ら率いる北部戦線は膠着状態で、ワシントンは戦局を
打開する為、苦戦する南部戦線にグリーンを派遣、彼に期待をかけた。
だが、この時グリーンが使えた戦力は2500程、それも半分以上は経験不足の民兵、正規兵は1000程に過ぎず、対するコーンウォリスのイギリス軍はイギリス正規兵2000に加えて、イギリスに与するアメリカ人6000の戦力を有しておった。南部方面は独立軍側が圧倒的に不利じゃったのじゃ。
さて、この時のグリーンの戦略を一言で言うと、【相手の補給線を延ばし、断ち切り、決定的な敗北を喫しない事】だったと言える。兵力にも練度にも大差がある状況で、正面衝突などしても勝ち目はないからの。グリーンは独立軍の優位点とイギリス軍の弱点を看破しておった。
1.自軍は寡兵だが、南部は独立を望む民衆が多く、ゲリラ戦を展開している私兵団や民兵団が相応にいる。彼らは独立軍・議会を信用していないが、これと連携が取れれば戦力に出来る。
2.南部の道路は未発達であり、未開の地域も少なくない。故に道路を補給線として考えるより、川を補給線と考える。逆にイギリス軍を川から切り離す事が出来れば、彼らは補給問題にさらされる。
3.イギリス軍はマラリア等の米国・西半球に多い病気に不慣れである。
よって無理な行軍を強いれば、体力の低下に伴う病気の発生で、
その兵力を減じる事が出来る。
グリーンはこれらの考察から、
1の問題に対応する為、南部州政府に頻繁に報告を送り、政治的に接する事で関係を修復し、協力を促す政治的努力をすぐさま開始する。
早い話が、多くの人に会いに行き、おだてまくり、頭を下げて、下げて、下げまくった。州政府の要人だけでなく、有力な地方政治家、私兵団隊長、協力を得られそうな人物には平身低頭な態度で接した。
その努力が実り、グリーンに対して協力的な民兵や私兵団は増えていき、多くの協力を得られる様になり、独立派の多い地域では兵糧・弾薬等も調達に苦労せずに手に入る様になった。
2の問題、「川の重要性」は、イギリス軍を川から遠ざける機動と、自軍用の渡川・補給用の船の周到な用意。
グリーンは自分の戦略をこう表現した。【We fight, get beat, rise, and fight again.…我々は戦い、負け、立ち上がり、再び戦う】。敵をひきつけ、決定打を避け続け、病気と補給問題を起こさせ、消耗させる事。のちにあのナポレオンもこれと同じ手に引っかかってロシアに大敗するが、初めからこれを戦略と考えて練っているあたり、このグリーンという男、只者ではない。
1781年1月、グリーン少将は2500の兵を率いてノースカロライナ州からコーンウォリス将軍が駐屯しているサウスカロライナ州へと進んだ。この時彼は当時の軍事常識を破り、寡兵を更に2つに分け、1000の正規兵をモーガン准将に預け、自らは残り1500の民兵を率いた。モーガン隊は奥地の迂回路を、グリーンは本道を進んだ。
これに対し、コーンウォリスは定石通り、イギリスの歩兵主力を数の多いグリーンの1500の兵に差し向け、機動力が高い軽騎馬部隊をモーガン隊へと向けた。グリーンはモーガン隊の正規兵なら、敵の虎の子のタールトン軽騎馬部隊に勝てると見込んでおった。
グリーンの期待に応え、モーガンは地域の私兵や民兵とも連携し、総勢1800の兵でコーンウォリスの軽騎馬部隊1100に壊滅的な打撃を与えた。これを知ったコーンウォリスは慌てて標的を変更し、モーガン隊を追ったが、モーガンは急速に戦線を離脱し、北に向かった。これに焦ったコーンウォリスは、追い付く為に重い荷駄車を捨て、自軍の行軍速度を上げるが、この判断がのちに致命的になる。
このコーンウォリスの行動を知ったグリーンは、「コーンウォリスの奴が荷駄車を捨て、燃やした!ハマりやがった!」と歓喜した様じゃ。
一方、モーガン隊は巧に追撃をかわしながらグリーン本軍へと合流する。
総勢2500となったグリーン軍の後ろには、4500のコーンウォリス軍が迫っていた。
この時グリーンはまともに戦おうとはせず、コーンウォリス軍の一歩手前で
逃げ続け、兵の一部を殿に残し、「万が一敵が迫っても、急いで逃げれば本軍に追い付ける」と思わせる絶妙な距離感を保った。
コーンウォリス軍はグリーンを追い、北東へ、北東へと向かい、
これによって川から引き離され、補給線は伸び続けた。
この後グリーン軍は1781年2月1日から2月14日にかけて、コーンウォリス軍と
12回も戦い、その全てに敗れるが、適当に当ててはすぐに後退するという
後退戦を繰り返し、損害は軽微であった。
コーンウォリス軍は先に荷駄車を捨てた事が仇となり、長期間の機動で
川から遠ざかった事もあって、補給に苦しんだが、「目前の敵軍に喰らいついていて、勝ち続けているのに、むざむざ見逃す事はできん!」という考えに取りつかれたコーンウォリスは、グリーンを追い続けた。
目の前の勝利に溺れて、罠に嵌ったのじゃな。
後退を続けるグリーンは、最終的にノースカロライナを横断し、かねてより用意してあった船で友軍地域であるバージニア州へ渡り、増援軍や補給隊と合同した。
コーンウォリス軍は補給不足の強行軍がたたり、病気で倒れる者、兵糧不足により脱落する者、無理な正面突撃戦法の連続により死傷者が嵩み、「勝利し続けている」にも関わらず、いつの間にか2000の兵が離脱、戦える兵力は2000余りとなっていた。
その②に続く
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