第155話 偉大なるご神託。

西暦2025年の1月初頭。

某C国のトップを務める金周平はイラつきを隠せないでいた。

日本に存在する不老不死の女性種族…八百比丘尼の生きたサンプルの入手が、

中々上手くいかないからである。入手できればそのサンプルを元に不老不死の技術を

手に入れ、自らの権力を永遠のものにしようと考えていたのだが、

八百比丘尼と目星をつけた女性に対する日本側のガードが殊の外固く、

実力行使が全て失敗したからである。


八百比丘尼のひとりと目された、早苗事業学校の教師の中で明らかに他と異なる特徴を持つ女教師、如月鈴音と、その娘の強奪作戦は、護衛の陸上自衛隊特選軍にことごとく阻まれた。世界中の軍隊の中でも、最強と言われる陸自特選軍…頭脳、体力、精神力、技術力に特に優れた者の中から選抜、訓練され、1週間に渡る不眠不休の

地獄の行軍すらクリアする彼らに、生半可な工作員の襲撃など敵ではなかったのだ。


「かくなる上は奥の手を使うアルネ!」

金周平は外相の王黄を呼び出すと、

引き出しから取り出した封書を叩きつけ、大声で厳命した。

「日本政府にこれを突きつけるアル宜し!これを内密にする代わり、

生きた八百比丘尼を引き渡すアル…と!」


「ハハッ!」


外相、王黄は畏まって一例すると、封書を押し頂き、その場を下がった。

封書の中身は見ないでもわかる。

【ハニー・トラップリスト…アルネ】

日本政府の要人や外務省の中には、かねてよりC国に篭絡された者が多数いる。

そうしてその証拠…ハニー・トラップの要員によって撮影されたあられもない姿の

画像、映像、録音データが、C国にはいくらでもあった。

封書の中身はそのデータの一覧である。こんなものを日本のマスコミに漏らせば、とてもではないが、政権は持たないだろう。自民党の支配すら瓦解するのではないか?


それから数日後、外務省を通して極秘裏にC国から送られてきた【ハニー・トラップリスト】を一読した日本の岸和田首相は頭を抱えていた。その中には多数の現役閣僚、議員、外務省職員、経済界の要人らの名前があったからだ。岸和田首相もそれとなく情報は得ていたものの、日本政府と経済界が、これ程C国に篭絡されているとは思ってもみなかった。


【これはどうしたものか…とても私の一存では判断出来ない】

では、C国の要求に応じて、八百比丘尼の娘を差し出すのか?

何の罪もない八百比丘尼の娘を、こんな裏取引に使いなどすれば、それこそ歴史に残る国辱であろう。無節操で愚かな男どもの為に彼女達を引き渡すなど、真っ当な政治家のする事ではない。それに八百比丘尼は歴代天皇家と固い絆があり、天皇家の庇護の元でその長い歴史を刻んでいる。当たり前だが、天皇家に何の断りもなく、この様な事は進められない。


翌日、岸和田首相はひそかに内閣情報局の吉田局長を訪ね、

内々にこの事を相談した。

岸和田首相の話を黙って聞いていた吉田局長は、話を聞き終えると言った。

「それで、首相はどの様に進めようとお考えなのですか?」


岸和田首相は苦悶の表情で答える。

「それが判断出来かねるから、こうして相談に来ているのだ。今後の日本の政治、

外交全般に関わる事であるからして…。この様な事、閣内で公にすれば、

C国に引き渡そうとする輩が必ず出るであろうし…」


それを聞いた吉田は微苦笑して言った。

「相談するなら八百比丘尼の村長(むらおさ)のひとりである、如月鈴音様にするべきでしょうが、彼女がこんな話に同意する事など、端からあり得ませんな。他の事情ならともかく、こんな醜聞の発覚を防ぐ為に八百比丘尼の娘を犠牲にするなど、論外でしょう。これはもはや良き機会と捉え、日本の膿を出し切る事に使うべきです。その為に政権のひとつやふたつ潰れたところで、なあに、返って日本国の為になる。岸和田さん、吉田松陰はかつて弟子にこう言ったそうだ。【男児、生きて大業の見込みあらば、いつまでも生くべし。死して不朽の見込みあらば、いつでも死ぬべし】、今は不朽の名を遺すべき時ではありませんかな?」


それを聞いた岸和田首相は、部屋の窓際まで歩き、寒々とした外の景色を見つめてのち、暫く瞑目した。やがて清々しい表情になると彼は言った。


「そうですな、吉田さん。そもそもこんな事は相談するまでもない。

私は決心が付きましたよ」


岸和田首相はそう言うと、部屋を後にした。


その日の夜、C国の金周平は、自室のベッドの上でうなされていた。

現実としか思えない、非常にリアルな夢…。その夢の中で、彼は大きな大木に粗縄で縛りつけられており、彼の前には、どす黒い漆黒の暗闇の中、美しい見事な金の髪飾りに純白の小袖、際立つ真紅の緋袴…日本の巫女の盛装をした、眼を見張るほど美しい女性が、周りに多数の巫女を控えさせて立っていた。


やがて彼女は金周平の目の前までゆっくり進むと、彼の眼を暫く見つめ、

それから威厳と怒気を含んだ声音で、彼にはっきりと呟いた。


【我が名は市杵島(イチキシマ)。

愚かな人間如きが、我が娘に傷を付けるなど笑止。片腹痛いわ。思い知るが良い】


それから金周平は無限の暗黒の底へと止めどなく落ちていった。

底なしの暗黒世界にただひたすら落下していく。

凄まじい恐怖に、彼は全身に壮絶な脂汗をかいて眼を覚ました。


翌朝、彼は傍らの者に尋ねた。

【市杵島(イチキシマ)】とは何者か…と。

傍らの者はすぐにスマホを操作して詳細を調べ、報告した。

「同志金周平、【市杵島(イチキシマ)】とは、

【市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)】と思われます。

日本の土着信仰上の有名な女神で、宗像三女神と呼ばれる神のひとり、

絶世の美女であり、日本国皇室と日本国民の守護安寧を司り、海を支配する女神」


それを聞いた金周平は全てを悟った。


岸和田首相は腹を括っていたが、結局、C国からハニー・トラップリストが公開される事はなく、何事も起こらなかった。そしてこれ以降、C国からの八百比丘尼強奪作戦も鳴りを潜める事になる。なぜその様な事になったかはわからなかったが、岸和田首相の心は晴れやかだった。


何故なら彼は、もはや死して不朽となる覚悟を決めていたからである。

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