第123話 きさらぎ駅へGo!…その④


「え?…そ、それは…

既に時雨さんはお亡くなりになっているという事なのですか?」

卑弥呼は驚いて思わず声を出した。


「死んだのかどうか、わらわにも分からぬ。

ここに来る前と体は何も変わらぬでな。

眠くもなれば、腹も空く。こうしてお主に蕎麦を出す事も出来る。

死んだ人間に、普通この様な事は出来まい?

だが、この場所、ここは浮世とは違う。それは確かじゃ。」


「どうやってそれを知ったのですか?」


「わらわがここに来てすぐ、わらわの部屋に忍び込み、

屋敷抜けをさせようとした娘…その娘が来てわらわに言った。

【あなたは自死しようとする咎を犯しました。故にその咎を償うまでは、

ここを離れる事は出来ません】

つまり、今のわらわは咎人。罪を償う為にここにおるという訳じゃ」


「どうして!だって、時雨さんは何も悪くないじゃないですか?」


「最初はわらわもそう思うたの」

時雨は少し悲しそうな笑いを浮かべると、調理場に向かい、

お盆に急須と茶碗二つ乗せて運んで来た。

卑弥呼の茶碗に急須でお茶を注ぎながら時雨は続けた。


「しかし、時が経つにつれてその考えは変わっていった。

ここではわらわと同じ様な咎人が何人も暮らしておる様じゃが、

咎人同士は会う事が出来ぬ。眼に姿も映らなければ、声も聞こえない。

わらわの咎について話した娘は、時折ここに来て話を聞いてくれるがの。

それ以外はお主の様な迷い人が時々来るくらいじゃ。

それ以外は本当にひとりぼっち。来る日も来る日もひとり孤独に過ごす事になる。

これがどれ程辛い事なのか…。孤独の辛さ、その悲しさというものを、

わらわはここに来て初めて知った。

そうして、何故自死が大きな咎となるか…という事もな」


「確かに自殺は悪い事かもしれませんが、

時雨さんにはやむにやまれぬ事情があったと思います」

卑弥呼は語気を強めた。


「お主はまだ若く、経験も少ない故、わからぬかもしれぬが…

本当の孤独というものを知って、人は初めて人と人の繋がりの大事さを悟る。

世界はの、人と人の繋がりが全てと言っても良いのじゃ。

孤独が長く続いた時の人恋しさ…辛さ。これは経験してみねば分からぬじゃろう。

人はのう、ひとりでは生きてはゆけぬ。

自死とは、その人と人との繋がりを、自ら断ち切る行為じゃ。

それは人である事を拒否したに等しい。

故に、わらわはここに閉じ込められた。


時雨は、ここでひと口お茶を啜って間を置いた。


「浮世にはのう、老若男女、色々な者が暮らしておる。

その中には、わらわとは比較出来ぬ程辛い状況で苦み生きる者もいる。

五体満足で食うに困る事もなかったわらわは、

辛さをただ、ただ、他のせいにしておった。

しかしのう、ものは考え様じゃ。

あの頃、男共は皆わらわの体に執着しておった。

わらわはそれを利用して、男共の心を取込み、手玉に取る事も出来たであろう。

そうして、あの屋敷から抜け出す手立てを作る事も出来たはずじゃ。

確かに男共の欲望は醜いが、その時のわらわは、

その男共の弱い心を掴む事まで考えなんだ。

つまり、わらわは、自ら自由になる手立てを持ちながら、

それを使おうとはしなかったのじゃ。

悪いのはわらわではない、全て肉欲まみれの男共じゃと」


「それはそうかも知れませんが…でも…」


「それだけではない。生まれたわらわを育んでくれた両親や、

周りの者達は、わらわの事を想い、心配し、ゆく末を案じておったはずじゃ。

わらわの命はわらわだけのものではない。それは過去から連綿と続く、

多くの命の営みに紡がれたものなのじゃ。


故に人はどの様な状況であっても生きる事を諦めてはならぬ。

たとえ泥水をすすり、草を食んでも、人は生きる事を諦めてはならぬ。

お主がここに来たのも何かの縁であろう。

この事、しかと心に刻むが良い。

それを疎かにした報いを受けておる者の姿を、良く見ておくのじゃ」


やがて話題は移り、それから卑弥呼は、時雨に古い時代の色々な話を聞いた。

元々由緒正しい歴史ある家に生まれた卑弥呼は、歴史が大好きだったし、

古い時代にどの様な摩訶不思議な事があったのか、興味は尽きなかった。

卑弥呼の質問に、時雨はひとつづつ丁寧に答えてくれた。


「現世の世は科学技術が進み、夜もすっかり明るくなった。

多くの者は、全て科学で解決出来ると思うておるのであろう。

しかし、お主がこの地に来た事でもわかる通り、

科学技術で全てが解明出来る訳ではない。

その昔、夜がもっと暗く、静寂に支配されていた時分には、

今より遥かに多くの摩訶不思議な者達が跋扈(ばっこ)しておった。

それには良いものも悪いものもあった様に思うの」


時を忘れて時雨の話を聞いていた卑弥呼だったが、

やがて時雨が優しく諭した。

「そろそろ夜も更けた。今宵はここに泊まっていくが良い」

時雨はそういうと、卑弥呼を家の二階の部屋にいざない、

そこにひと組の布団を敷いた。

「すまぬが布団はひと組しかない。今宵はわらわと一緒に寝ておくれ」

こうして卑弥呼は、その晩時雨と一緒の布団に入る事になった。

布団に入って暫く経ってから…卑弥呼は何やら熱い吐息をうなじに感じた。

ゾクゾクッとする感じが、うなじを介して全身に広がる。

すると時雨が小さく呟いた。

「わらわは男共のみに抱かれたわけではない。

女の中にもわらわを好くものが大勢おった。

それで色々教えられての。今宵は楽しもうぞ」


その夜、その小さな家の二階の小部屋では、

2人の娘の色香ある声が、夜遅くまで響いたのだった…。

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