第118話 教養授業27限目。鈴音先生、5つの後悔を語る…その②

その④

【友人と連絡を取り続ければ良かった】

その例のひとりとして、筆者はエリザベスという女性のケースを挙げています。

エリザベスは40歳の頃からアルコール依存症となり、55歳を迎えた時、

死の淵に瀕していました。家族はエリザベスの酷い病状を知っていましたが、

アルコールを無理やり止めさせただけで、本人には伝えていません。

そんなある日、エリザベスは筆者にこう訴えます。


「どうして私は良くならないのだと思う?お酒を飲んでいないのに、

どうして日に日に弱っていくの?」


「私はもうすぐ死ぬんでしょう。いわゆる、くたばるって事ね。

天使と飛んで行くとか、言い方なんてどうでもいいわ。

死ぬのね。私は死ぬのよ!そうでしょう?」


かつてエリザベスは、酒を飲む事によって、自分に自信を得ていました。

酔っている時だけは、自分の意見を大声で主張出来る為、終いには酔った状態で、友人や家族達にかなり辛辣で嫌味な事も言う様になりました。

彼女の良き友人達は、彼女の状態に気付き、彼女の有様に心を痛め、

彼女にそれを気付かせようとしました。

しかし彼女はそれらの助言を傲慢に撥ねつけ、

ついには最後のひとりの友人も遠ざけてしまったのです。


結局彼女の周りに残ったのは、酒を通じて繋がっている

かりそめの友人だけでした。そして酒での縁が切れた時、

彼らはエリザベスの側を離れていったのです。


家族によってアルコールを完全に断たれた事で、

ようやく明晰な精神状態に戻ったエリザベスは、

死の一週間前、筆者に懇願します。

「ねえ、私、かつての良い友達と別れてしまった事を、

本当に後悔しているの。電話で少し話をするだけでいいわ。

昔の友達の何人かと連絡を取って貰えないかしら」

筆者からこの事を聞いた彼女の家族は、

「今一番大事な事は、エリザベスの気持ちが楽になる事だ」、

そう言って、エリザベスの願いをかなえるべく奔走します。


それから2日後、

健康で優しく美しいふたりの女性が彼女の元へやって来ました。

ひとりはエリザベスの街から車で1時間程の街に住み、

もうひとりはクィーンズランド州サンシャインコーストから、

わざわざ飛行機に乗ってやって来たのです。

そのふたりはエリザベスの傍らに座り、優しく話しかけました。

筆者とエリザベスの夫ロジャーは、

邪魔しない様に静かに部屋を出て、嬉し涙を流します。

ふたりの女性は2時間程エリザベスと共に居ました。

様々な会話に花が咲きましたが、

エリザベスの心は明るく平穏を取り戻したものの、

体の方がすっかり疲れ切っているのを見て、

ふたりは部屋を後にしました。


その翌日、エリザベスは筆者に語ります。

「ねえ、あなた、一番大切な友達とは連絡を取り続けてね。

ありのままの姿を受入れてくれる友達が、最後には一番大切なのよ。

日々の生活に流されないで。

その人達の居場所が分からなくならない様にして。

それにいつも感謝している事を伝え続けて。

弱い所を見られるのを怖れないでね。

私は自分の酷い姿を知られたくなくて、随分時間を無駄にしてしまったわ。

死を目の前にした私が言っているのだから、間違いないわよ」


その⑤

【幸せを諦めなければ良かった】

その例のひとりとして、筆者はローズマリーという女性のケースを挙げています。

彼女は若くして結婚したのですが、その結婚は不幸なもので、

彼女は精神的にも肉体的も虐待を受けました。

しかし、当時は離婚がまだスキャンダルだと考えられていた時代であり、

街では名家だった家の名誉を守る為に、彼女は離婚を機に、

街を離れて一からやり直さざるを得ませんでした。


それからの彼女は、自分の誇りを取り戻す為、

家族に認められる為に、優秀な頭脳を駆使し、

激務を重ねる事によって昇進を重ね、

ついには国際的な企業で経営者の一員となったのです。

人の上に立つ立場になったローズマリーは、いつしか

高圧的な態度で部下を従わせる様な人物になっていました。

そうしてそれは引退して老人ホームに入った後も変らず、

ヘルパーに対しても同じ様な態度を取り続けたのです。

ある日、彼女は筆者に酷い態度を取り、威圧的な

個人攻撃をして来た為、ついに筆者は彼女に最後通牒を突きつけます。

「もっと人に優しく接する事が出来ないのであれば、もうここには来ない」と…。

それを聞いたローズマリーは筆者に悪態をつきます。

「出て行って!もうここには来ないで!」


この言葉を聞いた筆者は部屋を出て行き、

暫く経ってから紅茶のポッドを持って、

再びローズマリーの元を訪れます。

「終わりましたか?」

筆者の問いかけにローズマリーは答えます。

「私は怖いし、寂しいのよ。だから置いて行かないで欲しい。

あなたはどうしていつも幸せそうなの?私はそれが癪に障るのよ。

私は毎日イライラし、日々衰えていくのに…」


それに対して筆者はこう答えます。

「私は毎日幸せになろうとしています。もちろん、そう出来ない日もあります。

あなただけじゃなくて、私も他の人達も大変なんです。お互い違いはあっても、

辛いのはみんな同じです。だから毎日辛い事や、嫌な事を考えるのではなくて、

出来るだけ毎日、こんな良い事があったと考えて、

それに感謝する様にしているのですよ」


この筆者の答えに、ローズマリーは言います。

「幸せになりたいけれど、どうしたら良いかわからないの」

筆者は優しく彼女を諭します。

「まずは1日30分で良いから、幸せな振りをしてはどうでしょうか?」

きっと楽しくて、本当に幸せになれるかも。

微笑むという動作をする事で、実際に気持ちが変わるらしいですよ。

しかめ面をしたり、何かに文句を言うのを1日30分でいいから止めて、

何か素敵な事を言い、庭の景色を眺めたりして下さい。

微笑みを絶やさない様にね…」


ローズマリーは最初こそ少しためらっていたものの、

日ごとに警戒心が薄くなり、頻繁に笑顔を見せる様になり、

やがては声を上げて笑う様になりました。

そうして死が迫りつつあったある日、筆者にしみじみと語ります。


「私、もっと幸せに過ごせば良かった。

なんて惨めな人生だったのかしら。

名家の家名に傷を付けた私には、

幸せになる資格なんてないと思っていたのよ。

でもそれは、自分で選んでそうしているのね。

自分にはその資格がないと思ったり、

他人の意見に引きずられて幸せになれずにいるなら、

それをやめればいいのよ。そんなの、本当の自分じゃないでしょう?

みんなこういう自分になろうと思うだけでいいのよ。

ああ、どうしてもっと早く気付かなかったのかしら?

何て無駄な事をしたんでしょう!」


母上様のこの言葉が終わった後も、教室は暫くの間、

シーンと静まり返っていました。

やがて授業の終了を知らせるチャイムがなります。


「今日の授業を通じて、皆さんの心の中には、

色々な想いが沸きあがって来ただろうと思います。

各自その想いを大事に胸に抱いて、じっくりと時間を掛け、

自分なりに考えて欲しいと思います。皆さんはまだ若い。

でもこれらの事を考えるのに、早すぎる年齢ではありません。

それでは今日の授業はここまでと致しましょう」


起立!礼!

それが終わると春風の様に母上様は教室を出て行かれます。

誰にでもいつかは必ず訪れる死。

私もこの教室にいる皆さんと、いつかはお別れしなくてはなりません。

最後になって後悔しない様に、日々毎日を精一杯、

笑顔と感謝を忘れずに生きて行きたいですね。

それは決して容易い事ではないのでしょうけれど…。



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