第89話 クレオパトラ、阿片戦争について語る。

水曜日の3限目の授業が終わった。短い休憩時間の後、

4限目開始のチャイムが鳴ってまもなく、

教室に鈴音先生とクレオパトラさんが入って来た。

「起立!」「礼!」

挨拶が済むと、鈴音先生は教壇横にある教師用の椅子に

座る。今日はクレオパトラさんが授業し、鈴音先生は聴講する様だ。

教壇に立ったクレオパトラは、いつものなまめかしい、

艶やか声で話し始めた。


「今日はお主達に歴史上の有名な戦争、阿片戦争について話してやろう。

同時に一般的な日本人や高校生の学ぶ歴史の内容がいかに

薄っぺらいものなのか、認識して欲しいと思うのじゃ。


阿片戦争(あへんせんそう)は、お主達の一般的認識では、

日本の幕末の頃、大英帝国が清に阿片を無理矢理

売りつけようとして起こした侵略戦争…というものであろう。


しかしのう、事はそんなに単純なものではない。

そもそもこの時代、阿片は英国では嗜好品、清では薬じゃ。

よって両国とも一般に流通しており、禁止などされておらなんだ。

お主らは現代の精製された強烈な阿片を有害な麻薬として認識して

おろうが、そもそもこの時代の阿片は精製がさほどよくない。

じゃから、阿片の吸引で、日常生活に異常をきたすような

重度の中毒者など殆ど生まれなかった。


このことはタバコを例にとるとわかりやすいの。

ニコチンを精製したものは、少量でも即死に至る劇薬じゃ。

じゃがタバコを吸ったからといって、ショックで死ぬ者はおらぬであろう。

それと同じじゃ。要するに当時の阿片は、英国ではタバコと同じ嗜好品として、

清では鎮痛用の薬としての扱いじゃった。

この時代には麻薬などと言う概念もないしのう。


当時、英国と清は貿易をしておったが、

英国では清の陶磁器やお茶が大人気でな。

それで清から陶磁器やお茶を大量に輸入しておったのじゃが、

英国からは清に輸出する産品が無かった。

英国商人達も色々努力はした様じゃが、

清の規制や文化の違いもあり、英国産品は清では売れなかった。

この為、英国は清との間で大きな貿易赤字を出した。

支払いを貿易産品ではなく銀で行ったものじゃで、

銀の流出による銀価格の高騰を招き、大問題になったのじゃ。

それはそうじゃろう、陶磁器やお茶はいくらでも増産できるが、

貴金属の銀は量が限られる。


そんな折、英国は清で少しづつ売れ始めた英国産品に気付く。

それが阿片であった。当時英国産の阿片とは、

植民地であったインドのベンガル産であったが、

ここの阿片は他国の阿片より質が良く、効果も高かったのじゃ。


それで英国は貿易赤字解消の為、清に積極的に阿片の輸出を行う様になった。

繰り返して言うが、この当時阿片は禁止薬物ではない。

清は1729年、1780年、1796年に阿片輸入禁止令を出しておるが、

これは清国内で役人が阿片の国内販売を独占する為に出した法律で、

形だけのもの…役人に賄賂さえ払えばいくらでも輸入できたのじゃ。

清の国内産の阿片は品質が悪く、人気はなかったしの。

この時代の清は国内も荒れておったから、

怪我や病気の鎮痛剤としての阿片は需要も高かった。


さて、そうこうする内に貿易は清の入超…清の方が英国に対して

貿易赤字を出す様になってしまった。売りより買いが増えたのじゃな。

入超分の支払いは銀で行ったから、今度は清側で銀価格の高騰が起き、

問題になる。これに腹を立てた当時の清の皇帝、道光帝は、

林則徐という役人を抜擢し、きやつに英国産の阿片輸入を取り締まる様、命じた。


林則徐のやり方はもうめちゃくちゃじゃ。

きやつは上海港に向かうと、いきなり上海港に停泊中の英国船の積み荷であった

阿片1,400tを全て海に投棄し、同時に英国産阿片の輸入を禁じた。

碌な話し合いもなしにじゃ。英国の商人にとって積荷は重要な財産、

それをいきなり全部海に投棄されては船員の給料も支払えず、

帰国する費用もままならない。

これに腹を立てた英国の船員が、酔ったあげく清の一般人を殴り殺すという

事件が起きる。そしてこれを口実に林則徐は益々過激に

英国産阿片を取り締まった。ここで皆に理解して欲しいのは、

きやつが取り締まっておるのは英国産の阿片であって、

他国や清の国内産阿片ではないという事じゃ。


この事件が起きた1839年当時、

広東で清との貿易を行っていた英国人、チャールズ・エリオットは、

この清の弾圧に身の危険を感じ、当時広東に居た全ての英国人達と共に、

この頃ポルトガル領であったマカオに逃げる。

ところが林則徐はマカオを強制封鎖し、更に英国人の財産を奪った。

恐怖に駆られた英国人達は沖合に停泊していた英国船に避難する。

普通の貿易商人、民間人にこういう行為をするのは、当時としても異常じゃ。

ところがその時、偶然英国の戦艦2隻がマカオにやって来ての。

この戦艦は6等級戦艦で、英国戦艦としては小型の部類であったが、

清の海軍に対抗するには十分な力があった。


にも関わらず林則徐は、清国軍船29隻を持ってこの英国戦艦に戦いを挑んだ。

結果は圧倒的…清側の軍船29隻は壊滅…英国戦艦は1隻が損傷したものの、

もう1隻は無傷…。当時の清国海軍の弱体ぶりがうかがわれるの。

この結果にも関わらず、林則徐は道光帝には勝利したと嘘の報告をしておる。

彼の為に弁護するなら、当時の清では敗軍の将は死刑が当たり前…。

これではまともな報告が上がるはずもない。林則徐は正義の人などと

後年言われておるが、きやつは典型的な清の役人で、

英国産以外の国の阿片は賄賂を取った上で流通させたりしておるから、

とても清廉潔白な人物とは言えぬな。


さて、英国に帰ったチャールズ・エリオットは、

英国議会にこの清の暴挙を報告し、英国は清に対して開戦を決定。

1840年、陸海軍部隊を編成して清に侵攻、

天津沖に進軍、舟山諸島を占領する。


すると清の道光帝は、原因を作った林則徐を直ちに解任し、

英国との交渉を開始する。しかし清国軍の実力を知らぬ道光帝は

高飛車な態度に出て、戦争は再開される。


翌1841年になると、英国軍が廈門(あもい)、舟山(しゅうざん)、

寧波(ねいは)と広州半島の主要都市を占領。

1842年には上海と北京への補給路である鎮江を陥落させ、

首都北京の喉元に迫る状況となる。さすがに負けを悟った道光帝は、

英国戦艦コーンウォリス上にて、南京条約を締結する事を認めた。

弱体な清軍は連戦連敗じゃな。


ちなみにこれら一連の戦闘の間にも、休戦交渉が持たれたりしたのじゃが、

その都度清側は英国との約束を反故にして、いきなり奇襲をしかけたりしての。

連戦惨敗しているにも関わらず、道光帝には勝利の報告があがるばかり。

当時の清の内情とはこういうものであったのじゃ。

英国はその気になれば、北京まで進軍して、清を滅ぼす事も可能であったろう。

しかし、あえてそれをしなかったのは、これがあくまで貿易紛争だったからじゃ。


南京条約の結果、清は英国に2,100万ドルの賠償金、香港の割譲、

阿片貿易の再開を飲まされる事になる。


これが阿片戦争の実態じゃ。

当時の阿片は通常の流通品で、禁止などされておらなんだ事。

英国側が終始話し合いで解決しようとしたにも関わらず、

清側は一方的な弾圧を行い、約束をことごとく反故にした事。

これらの事実は普通学校では習わぬであろうし、そもそも知らぬ教師も多い。

ウィキペディアに書かれている内容も嘘じゃしな。

誰かが意図的に改変している様じゃ。


当時の英国は確かに外道ではあったが、常識も持っておった。

それが証拠に、この約20年後に起こる薩英戦争は1回の局地戦で終息し、

その後英国は薩摩を支援する様になる。

英国には話が通じる相手と、そうでない相手を見極める力があった様じゃ。


わらわが知る中国は唐の時代、貞観政要などに見られる優れた政治を

行う大国であったが、その後時代が下るにつれ、

賄賂の蔓延る悪しき独裁帝国へと変貌していった。

21世紀に入った今はどうかのう?わらわには益々悪化している様に

見えるがの…。


今日の授業でお主達が、表面的な歴史事象のみ暗記する事の

無意味さを悟ってくれる事をわらわは祈っておる。多くの歴史上の

事実には、奥深い要因が隠されておるものじゃ」


ここで授業の終了を告げるチャイムがなった。

クレオパトラさんの世界史に関する授業の奥の深さ…

表面的な暗記の無意味さ…本質は何か?を見極める事の大事さを、

俺(大橋)は、改めて思い知るのだった…。

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