応援コメント

第51話 2023年元旦…如月邸にて…②」への応援コメント

  • 僕の故郷は越後の端っこですが、維新当時は天領で(松平家の飛地)会津藩の預所でした。当然、戊辰戦争では幕軍側です。ただ、僕の故郷での西郷さんの評判はそれほど悪くありません。(長岡藩士の子孫である僕も含め)西郷ファンは大勢います。西南戦争で明治政府に楯突いたからですかね。僕は維新十傑の中では小松清廉先生が一番好きです。小松先生がもう少し長生きされていたら、日本はかなり変わっていたでしょうね。小松先生がイケメンだったかどうかは、意見の分かれるところかも… 

    作者からの返信

    小松さんが維新で演じた役割は、
    とても大きかったはずなのですが、
    今でも彼の業績を研究している研究者は稀なのだそうです。

    明治維新に関しては、従来の定説とは
    また違う真実が隠されている様に思います。それに日が当たる時が来れば良いなぁなんて思ってしまう今日この頃です。

  • 小松帯刀、画像検索してみました。
    いわゆるジャニーズ系のイケメンではありませんが強い意志を感じさせる男の顔でした。
    彼に限らずあの頃の人達は面構えが違います。
    時代がそういう男たちを育てたのでしょう。

    明治維新は無血革命と教わりました。
    しかし理屈や論理ではなく、お互いに血を流さないと感情の持って行き場がなかったのだと思います。

    この時代は本当に面白いです。
    幕末の志士たちの活躍を知ると、自分も感化されます。
    彼らの殆どが剣術を修めていた、というのにも憧れました。
    自分が居合を習っていた時、歩きながらすれ違いざまに相手を斬る練習をしたことがあります。
    気分はもう、人斬り半次郎か人斬り彦斎。

    今、wikiで調べたら小松帯刀さん、示現流の使い手だったんですね。
    さすがです。

    作者からの返信

    明治維新前後に薩摩長州と会津藩はお互い
    斬り合った間ですから、怨恨があるのは
    理解出来るのですが、その大元締めである
    徳川慶喜を許したのだから、会津藩とか桑名藩も
    許されてしかるべき…当時もそういう考え方は
    あって、会津と戦う事に反対する人は居た様ですが、
    薩長はそれを押し切って開戦してしまいます。

    会津での白虎隊や婦女子自決の悲劇は、
    本当は防げた話でした。
    またこれら東北諸藩の優秀な人材も、
    ただ東北出身であるというだけで疎外した様なので、
    当時の明治政府の中枢にいた薩長の狭量さが、
    そののちの日本の針路を誤らせる原因に
    なった様に思います…。

    西郷さんって、調べると物凄く戦争好きな
    武闘派です。はっきり言ってヤバい人です。
    過大評価された歴史上の人物のひとりでは
    ないかと私は思います…。