第10話 教養授業3限目。鈴音先生、八百比丘尼を語る。

月曜日の3限目の授業が終わった。短い休憩時間の後、

鈴音先生が教室に入って来た。4限目、今週の教養授業の始まりである。

起立!礼!いつもの鈴音先生の透き通った優しい声が響く。


「今日は転入生も入ってきたことですし、少し趣向を変えたお話をします。

HRの時に転入生の2人は、私の娘だという話をしましたが、

皆さんはそれにしては、私の見た目が幼なすぎると思っていませんか?」


「思う~~~~~!」

教室中が派手にシンクロしながらこだました。

「HRの時も話した通り、女性に歳を聞くのは失礼です。私は自分が何歳とか、

おおやけに公言するつもりはまったくありません。

ですが、今からするお話は少しは参考になるかも知れませんね…」

鈴音先生は、少し間を置いてから話を続けた。


「皆さんは八百比丘尼の伝説を御存知ですか?」

「八百比丘尼???」教室が一瞬ざわつく。

「さほど有名な話ではないので、今から私がお話しましょう。

権威ある学者の皆さんが調査された結果によれば、この八百比丘尼の伝説は、

日本全国の内28都道府県、89区市町村の121か所で確認出来るそうです。

平安時代に生まれた不老不死の女性で、福井県小浜市の空印寺の洞穴に住み、

その容貌は美しく、15歳か16歳のように見えたと言われています。

その肌が透き通る様に白く美しかった事から、白比丘尼(しらびくに)と

呼ぶ事もあるとか。若さを保っているのは、禁断の霊肉である人魚の肉あるいは

九穴の貝(アワビ)を食べたためと伝えられており、多くの場合、

異人饗応譚が伴っています。新潟の佐渡島に伝わる話では,

八百比丘尼はここで生まれ、人魚の肉を食べて1000年の寿命を得たが、

200歳を国主に譲り、自らは800歳になった時若狭に渡って、

そこで死んだと伝えられているそうです」


教室がシ~ンと静まり返る。

鈴音先生の容姿が、まさにその人物像にぴったりと当てはまるからである。


「今の話以外にも、沢山の伝説がありますが、これらには正しいものと

正しくないものが混在しています。私が知る限りのお話をしましょう。

まず、八百比丘尼が不老であるというのは当たっています。

この一族は人によりますが、生まれると大体18~20歳くらいまでは、

普通の女性と同じ様に成長します。ただ、それ以降は歳を取らない…

いくら齢を重ねても老いるという事がなくなります。


しかし、不死というのは当たっていません。人が死ぬ様な傷を負ったり、

人が急死する様な病にかかった場合は、人と同じように死ぬからです。

遺伝的な変化が少ない為、体格は総じて小さい…昔の女性の体からあまり

変っていないので、身長で150㎝を越える事は稀です。

肌が白く、美しい娘の姿をしているのも特徴のひとつと言えます。

理由は定かではありませんが、男性の比丘尼は存在しません。


八百比丘尼は普通の男性と交わる事で、ごくまれにですが、

子供を宿す事があります。しかし生まれて来る子供は全て娘になります。

身籠る確率は非常に低く、これも人によりますが、数十年~数百年に一度

あるかないかと言った所でしょうか?

生まれて来た娘も母親の血を色濃く受け継ぎ、八百比丘尼となります。

日本の長い歴史の中で八百比丘尼の一族は、ひっそりと暮らして来ました。

日本各地に残る伝承はそのなごりと言えるでしょう。

その性質は総じて穏やかで優しく、賢く、知見に優れている事から、

過去から現在に至るまで、時の政権は八百比丘尼の一族を秘密裏に

保護して来ました。現在の日本に生きる八百比丘尼の一族は、

全部合わせても400人くらいでしょう。


最後に述べておきますが、八百比丘尼は特殊な進化をたどった人類です。

人魚の肉あるいは九穴の貝(アワビ)食べたから、

そうなったというわけではないのです。

かく言う私もその様な物は食べた事がありません。

妖怪変化とか宇宙人とか、そういう類のものではない事を念押ししておきます。


多くのDNAは寿命よりも交配による世代交代の速さを重視し、進化や多様性に

よる生き残りを選択していますが、八百比丘尼のDNAはそうでない選択をしたと

いう事なのかも知れませんね…」


先生の話が終わっても、教室は相変わらずシ~ンと静まり返っている。

あっけに取られていると言うべきか…


「ではこの後はいつもの通り、質疑応答の時間とします。

授業の内容から逸脱する様な質問は避けて下さい。では宜しくお願いします」


「はい!先生!」

大勢の手が一斉に上がった。

「はい、では浅井さん」

「女子出席番号1番 浅井茶々です。端的にお聞きします。

先生は八百比丘尼なのですか?」

それを聞いた鈴音先生は、優しく微笑んで答えた。

「それは皆さんのご想像にお任せします」

「え~~~~~~~~!」

教室は残念そうな声で振るえた。


「はい!先生!」

「はい、では芥川君」

「男子出席番号1番、芥川龍之介です。時の政権は八百比丘尼を

保護したと言われましたが、それは現在の日本政府もそうなのでしょうか?」

「現在の日本政府も保護しています。陸上自衛隊の中の特殊任務のひとつに、

八百比丘尼の村の警護があるのですよ」

「八百比丘尼の集まった村があるのですか?」

「場所をお教えする事は出来ませんが、存在しています。

戸籍等に関しても、この村を通じて申請し、必要に応じて取得出来るので、

この村には定住せず、普通に一般の人々に交じり、生活する比丘尼もいます」

「そうなのですか…」

「そうなのです。ですから皆さんも知らず知らずの内に、八百比丘尼と

知り合っているかもしれません。不老であるという一点を除けば、

八百比丘尼は色白のただの小さな…可愛い女の子です。

長命の比丘尼の中には、護身の為に武芸をたしなんでいる者もいますが、

基本的には弱く、儚い存在です。ですからもし知り合ったら、

みなさんにも優しくして欲しいなぁと思います」


ここで授業終了のチャイムが鳴った。

「それでは今日の授業はこれまでと致しましょう」

「起立、礼!」

鈴音先生が号令をかけ、礼が終わると、

先生は、春風の様に静かに教室を出て行った。

そのあとも教室は暫くの間静かだった。

みんな毒気を抜かれ、茫然としている感じだった…。

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