第2話 鈴音先生がやってきた!

早苗実業学校高等部、今年創立160年を迎える男女共学の名門私立高校。

日本でも有数の高い入学難易度を誇る名門私立、

早苗実業大学の附属高校でもある。

長い歴史の中でこの学校は、幾度となく大きな試練に打ちのめされて来た。

その大きな試練のひとつが先の大戦である。

空襲によって校舎は炎上し全壊。戦後、教師や生徒、保護者やOBも含めた

大勢の人々の必死の募金活動と復旧作業より、辛うじて学校法人として

継続されるも、その運営は苦難を極めた。


その苦しい時期を乗り越え、見事に復興させたのが、第36代校長、

大熊野宗茂。2022年の今年、かくしゃくとして105歳を迎える彼は、

早苗実業学校名誉永世総長として、3月の創立160周年の記念式典に臨んでいた。

そのきらびやかな式典の中で少し長い祝辞を述べると、

席に戻った彼は、ふとある女性の事を思い出していた。


あれは終戦から数年、未だ混乱の続く中、ようやく授業を再開しようと

したものの、戦争によりかつての教師達の多くは離散し、新たに集めようにも、

学校として碌に収入もない中、薄給の上に激務では応募してくる教師など

殆どいない。多くの日本人が食うや食わずの日々を送る厳しい時代である。

大熊野宗茂自らも、空腹を抱えながら複数の科目を教え、

それでも人手がまるで足りない状況。

そんな中、ある日ひとりのうら若い女性が教師として応募して来た。

名前を如月(きさらぎ)鈴音という。

身長150㎝に満たない小さくで華奢な体、雪の様に白く、透き通った肌に

長くまっすぐとした美しい艶やかな黒髪。黒く大きく優しそうな瞳を持つ

絶世の美少女である。年齢は26歳というが、どう見ても10代後半にしか見えない。

高校生と言っても誰も疑わないだろう。

それでも年齢にはそぐわない落ち着いた話し方と、

優雅な所作は、外観からは伺えない、深い知性をどことなく醸し出していた。


「如月さん、京都帝国大学博士課程修了見込とありますが、

何を専門とされているのでしょう?」

如月鈴音は、宗茂の質問にゆっくりと優しい口調で答えた。

「専門は日本史と西洋史です」宗茂は彼女の提出してきた履歴書、

卒業証明書、成績証明書に目を通し、さらに質問を続けた。

「京都帝国大学卒業後、同大学修士課程を修了、博士課程修了見込、

成績は…全て甲ですか…」入学難易度も授業難易度も高く、

ひと癖もふた癖もある教授の多いあの京都帝国大学で、これほどの

成績を収めるのは至難の業、いや絶無と言って良いのではないか?

特技 英語/フランス語/ドイツ語/ロシア語/中国語他…。

 ピアノ、三絃、琴、バイオリン、ギター、あと、薩摩東郷示現流…免許皆伝。

まさに文武両道である。大熊野宗茂は彼女をまっすぐ見据えて言った。


「如月鈴音さん、あなたが非常に優秀な方である事は十分わかりました。

わが校では現在、教師が不足しており、こう言っては何ですが、猫の手も

借りたい状況…。しかし、残念ながら戦争のおかげで学校もこのあり様、

碌な収入がない中、非常に少ないお給料しかお支払い出来ません。

それでも宜しいでしょうか?」


宗茂の問いに、鈴音はゆっくりとした落ち着いた口調で答える。

「存じております。それで構いません」

鈴音の答えに宗茂は喜色を見せて答えた。

「そうですか!ありがとうございます。では明日からでも是非お願いします。

何かお困りのこ事があれば、この宗茂が出来るだけの事は

させて頂きますので、遠慮なくお申し出ください」

宗茂の答えに鈴音は答える。

「承知致しました。それでは明日からお伺い致しますゆえ、

こちらこそよしなに…」


鈴音はそう言うと、夕日の元、落ち着いた足取りでゆっくり学校を

後にして行った。「不思議な娘だ、なんというか、口では表現できない

気高さと優美さを兼ね備えている」

如月鈴音の後ろ姿を見ながら、大熊田宗茂はそう呟いた。

そしてこれが大熊野宗茂と如月鈴音の最初の出会いであった。

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