10. じわり、じわりと

 アーロン司教が、バンと音を立て、資料室へとやって来た。

 資料の整理をしていた手が止まる。

 明らかにご機嫌斜めなアーロン司教の様子に驚き、肩が震えた。


『あの男に、子どもが出来たという話は本当か』


 持っていた資料が一気に腕から滑り落ちた。慌てて拾い上げようと身を屈めたが、アーロン司教はそれを許さなかった。


『本当かと聞いている』


 資料を踏み付け、アーロン司教はギリギリと睨みつけてきた。


『ええ、本当です。昨日、私も初めて聞かされました』

『破壊竜の血が引き継がれることになるのだぞ。これがどういうことなのか、お前には分かっているのか』

『……だとしても、私にはどうにも出来ません。それに、幾ら白い竜の血を引いていたからと言って、それが悪しき力を持つのかどうかも、定かではないわけですし』

『何故止めなかった』

『私が止められることではありません』

『お前が止められず、誰が止められたというのだ』

『責任を勝手に押しつけられても、私には何も出来ませんよ』




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




「教会の上層部は大混乱でした。かねてから、“あの方”を“神を冒涜する存在”だとする声明を出していたこともあり、その血が引き継がれることに対しても、教会は強い懸念を示しました。一方で塔は、『次代の救世主が生まれようとしている』と、楽観的な見方をしているようでした。……いや、もしかしたら、そういう風に見せていただけかも知れませんが」


 決して、祝福されていたわけじゃない。

 改めて突きつけられて、胸が痛くなった。

 だけど、話の本質はそこじゃない。もう少し、先。


「そして……、僕が生まれた」

「そうです。リアレイトの病院で生まれたと、“あの方”は嬉しそうに話してくれました。本当に、心からあなたのことを愛していた。“あの方”との会話の中心は、次第にあなたの成長について、あなたの愛らしさについてに変わっていきました。――幸せそうな会話に惑わされ、私は“あの方”の心の嘆きを、見過ごしました。その結果、あの狡猾な白い竜が次第に牙を剥き始めたことに、気付くのが遅れてしまったのです」




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




『教会上層部の主張に扇動されて、私を排除しようとする人間達が徒党を組んで塔や周辺施設を襲撃しようとしていたと、そういう話を耳にした』


 リョウゼンは変わらず美しい横顔で、大聖堂の会衆席の長椅子に座っていた。


『私の力では、どうすることも』


 申し訳なく思い首を振ると、リョウゼンはフッと小さく笑った。


『白い竜は嫌いか』

『いえ、決してそんなことは』

『お前ではなく、市井の人間達は白い竜を認めないのだなと、改めて思ったまで』


 リョウゼンは息子のタイガをリアレイトで育てていた。教会や、教会の考えに賛同する者達から守るために。

 教皇が代替わりしアーロン司教が大司教に出世すると、ますます教会はリョウゼンや塔に対し強硬姿勢を取るようになった。


『私を直接攻撃しようとしないところが、実に浅ましいな。どうせ勝てないと知っているから、外堀から埋めようとしている。偽神だと揶揄し、危険な存在だと吹聴すれば、無知な人間共は勝手に納得し、賛同する。この愚かな人間共のために、リョウは全てを失ったのか』

『人間は、いつでも愚かですよ。私も、その愚かな人間の一人です』

『お前のことを愚かだと思ったことは一度も無い。お前がいなければ、リョウも私も、孤独に呑まれていた』

『あまり、おだてないでください。私は好きで、あなたの話し相手になっているだけなのですから』




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




「思い返せばおかしな話ですよ。“あの方”は混乱を嫌っていたはずだった。結婚という選択をしたときだって、どこか迷っている様子だった。自分が幸せになることで、新たな不幸が生まれるのではないかと危惧していた。塔では一切そのような態度を見せなかったようでしたが、私の前ではとても思い悩んだ様子を見せていました。――それが、突然、『子どもが出来た』などと。どこかで心変わりをしたのかも知れないと、そう、思いたかった。だから私は、違和感に気づかない振りをしていたのかも知れません」




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




 人間は、毎日会う者の変化を、どれほど敏感に感じ取れているのか。

 自分の子どもの成長に、親はなかなか気付きにくいそうだ。いつもそばにいて、いつも同じように接していると、多少の変化は見過ごされてしまう。偶に出会う親戚や知り合いの方がその違いに驚くのは、記憶の中での姿と見比べることが出来るからだ。

 そういう意味でウォルターさんは、リョウゼンの変化に気付かなかったのではないかと、後で思い知らされることになる。


『驚きましたね。七年近く毎日のように大聖堂に通っておいて、それを塔の誰にも話したことがないなんて。よく見つかりませんでしたね』


 彼が呆れ顔でいうと、会衆席の長椅子に座ったリョウゼンはフンと目をそらした。


『話す必要も無い』

『だから、不穏な動きをしているなんて言われるんですよ。どうせその調子で、あっちこっち出歩いてるんでしょう。冒険していた頃の血が疼きますか』

『そうだな、じっとしているのは嫌いだ。森の奥深く、真っ暗な洞窟の中、広い砂漠の真ん中、そして、湖。そういうところの方が、性には合っている』

『ミオは怒っていたでしょう。まだタイガも小さくて、殆どレグルノーラには戻っていないと聞きました。リアレイトで必死に子育てしている一方で、あなたがレグルノーラじゅうを気ままに飛び回っているのでは、やきもきしてしまうのも分かります』


 妙な噂を耳にしていた。

 教会上層部が本格的に、リョウゼンをどうにかすべきだと議論し始めていると。

 “次代の救世主”になると期待される彼の子共々、この世界を混沌に陥れるような危険因子は早々に排除すべきではないかと。

 そのために、神教騎士団を用いる。

 かつて、かの竜と魔物の脅威から善良なる市民を救うために結成された騎士団を、偽神と、その子どもの討伐に使おうという決定が為された。

 長い間黙認されてきたリョウゼンの存在を教会は何故突然危険視し始めたのか、全く覚えがなかった。


『ミオには、教えているものだと思っていました。私や、大聖堂のこと。もしよかったら、ミオも一度連れてきたらどうです。あなたの大切な場所だって』


 リョウゼンの隣に座り、ふと顔を見上げると、彼はいきなりグイッと顔を近付けて覆い被さった。


『ミオに教える……? 何故』


 いつもと様子が違う。

 リョウゼンは長椅子の上に、彼を完全に押し倒していた。


『お前と私の蜜月を、何故あの女に教える必要がある』


 長く白い髪の間から、赤く光る瞳が見えた。


『……あなたは、誰です』


 にんまりと口角を上げた唇の間から、ペロリと長い舌が覗いていた。











『止めた方が良い?』

『ええ。出来るならば、早急に』


 シスターのイザベラさんは、ウォルターさんと共に長い間リョウゼンと関わってきた一人だった。

 リョウゼンの元に足繁く通い、様々な話を聞き、彼の考えや行動に共感を得ていた。


『あなたまで、糾弾されかねない』


 ひと気の無い中庭で、イザベラさんは彼を呼び止め、コソコソと耳打ちするように話しかけてきた。

 普段は見せない、とても険しい表情をしている。


『私はずっと、“あの方”の話し相手をしているだけですよ。それが咎められるなんて、おかしな話です』

『……やはり、知らないのですね』

『何が?』

『アーロン大司教とリチャード教皇の元に“あの方”が直接現れて、何かを話したようなのです。その後、上層部の様子がおかしくなった。ウォルターならば知っているのではないかと思ったのですが……。何か、とても悪い予感がします。“あの方”のお相手は、早急にお止めになった方が良い』


 イザベラさんは、冗談でそんなことを言うような人物ではなかった。

 だからもっと真剣に、彼女の忠告を聞くべきだった。


『ありがとう。しかし、“あの方”には話し相手が必要だ。余計な話には巻き込まれぬよう、あくまで聞く側に徹するよ』


 彼はニッコリと、イザベラさんに微笑んだ。











『――こんなの、納得できませんよ!』


 彼は声を荒げ、アーロン大司教を睨み付けていた。

 自室に彼を招き入れた大司教は、その想定通りの反応に、フンと鼻を鳴らしていた。


『他に誰がいる。あの偽神とまともに会話できる人間は、教会には……、いや、この世界にはお前の他おらんのだ。世界の平和を考えるならば、これも当然のことだと思って協力するのだ』

『しかし……!』

『塔が野放しにしている間に、あの胡散臭い偽神は凶悪さを取り戻しつつある。塔が何もしないのであれば、我々がどうにかするしかない。教会にも、彼奴の大聖堂への出入りを黙認してきたという、重大な責任がある。いいか、ウォルター。このままでは、世界が再び混乱に陥ってしまうのだぞ』


『何を……、言っているのですか、アーロン大司教。私にはさっぱり……』

『現実から目を背けるな。彼奴は世界を破滅に導く破壊竜。我らが崇高なる創造神レグルとの類似性ばかりに気を取られ、肝心なところに目が行かなかった。直ぐにでも行動に移さねばならない。そのために、ウォルター、お前の力が必要なのだ』

『だ、だからって、こんな……』


 資料を、渡されていた。

 数十ページにもわたる紙の資料には、沢山の写真。

 森の奥深く、位置を示す数字。

 巨大な黒い穴と、その内部を写しだした写真には、何百年も前の遺跡の跡が写っていた。


『廃墟……、ですよね。まさかここに“あの方”を』

『聖遺構と言いたまえ。古代神信仰の聖地。遙か昔、我らが神が降り立ったとされる場所だ。洞穴の奥は竜石で覆われている。竜の力を吸い取るという、竜の化石から出来た石だ。入り口を強力な結界魔法で閉じてしまえば、あの恐ろしい化け物も外には出てこられまい。先代の救世主は破壊竜を湖に封じたというが、砂漠の果てまで辿り着くのは困難だ。我々が思い付く限り、最善の方法だ』

『まだ、“あの方”を化け物扱いなさるのですか』


 首を傾げた彼を、アーロン大司教は鼻で笑った。


『アレが化け物でなければ、何だと言うのだ。目を覚ませ、ウォルター。お前はいつも、何を見ているのだ』




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




「物事は、私の知らないところで大きく動いていました。あんなに毎日親しげに話してくれていた“あの方”の何を、私は見ていたのか。……分からなくなっていきました。もし、私が気付いていたなら、悲劇を止められたかも知れないと、何度も自問自答しました。しかし……、どうにも出来なかった」


 凌の意識がどんどん薄れて、リアレイトへの干渉が難しくなっていった頃、レグルノーラではリョウゼンの様子に変化が起きていた。


「アーロン枢機卿に“あの方”の幽閉を進言されたとき、私はとうとう、教会上層部が狂ったのかとさえ思っていました。しかし、……違った。狂っていたのは教会ではなかった。気付いたときにはもう、取り返しの付かないことになっていたのです」

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