炎妃竜と討伐士Ⅲ
朱色の立派な布地の服は、竜の鱗の代わりだそうだ。材質や仕立て等の問題点が幾つも頭に浮かんだが、少女にそれを尋ねてみたところで確かな解を得られるとは思えない。
フラットの街まで出るのには、まだしばし掛かる。木漏れ日が降り注ぐ道を並んで歩いていると、ぎこちない会話の途切れた間でさえこの長閑さが埋めてくれる。
少女に関することで分かった事が幾つかある。
竜の姿も今の人間の姿も、どちらも本当の姿と呼ぶに値するらしい。つまり、彼女の本来の種族が何に該当するのかは分からない、ということ。人間である可能性も、魔物である可能性も、今のこの小さな身体に等しく同居していることになる。
つくづくを以って魔物とは不可思議な存在であることを思い知らされる。傭兵として出向いた街のいずこかに魔物の研究者を自称する者が居たと記憶しているが、当時は好き者も居る、程度にしか捉えていなかったが、こうして魔物の奇異性を目の当たりにした今では、その者の好奇心にも頷ける。
「な、なぁニンゲン」
沈黙を破ったのは、おずおずとぎこちのない少女の声だった。
「マチ、とやらに着いたらわたしは、その……どうなるんだ?」
しばし返事を保留して歩き進め、少女の問いの意味を考えた。
さすがに未だ猜疑心を持たれている自覚はある。つまり少女は、フラットの街で私が人手を揃えて自分を討伐する算段を目論んでいる、と疑っているのだろう。もしくは、それに等しい疑念。
この状況で安心を与えられる言葉を私は持ち合わせていない。正直な考えを口にしたとしても、それが真意であると証明のしようもない。手詰まりだ。が、無言を返事としてしまうのもこの場に於いては悪手。気休めにもならない言葉だけれど、告げずにいるよりはマシだろう。
「大丈夫。誰もあなたを傷付けたりはしないよ」
少女の首に巻かれる包帯が目に入り込み、咄嗟に視線を逸らしてしまう。
不可抗力、というよりも正当防衛と称した方が正しいが、私が少女に傷を負わせてしまった事に違いはない。そんな人間に「大丈夫」などと言われたところで、いったい誰が心を安らがせるというのだろうか。
「……ニンゲン、お前は良い奴だな」
予想もしなかった言葉に面を喰らい、踏み出そうとした足から力が抜ける。
歩みを止めた私の方へ振り返り、少女は怪訝な表情を浮かべる。
「ん、どうかしたのか」
どうかは、していた。
心の内側がざわざわと忙しなく鳴動してるような感覚に襲われる。妙なむず痒さが頬を緩ませる。下腹部の奥の方に鈍い熱を感じる。
「いや、なんでもない」
顔を隠すため俯きながら歩き出す。
嗚呼、ダメだ――生きていたくなってしまう。
フラットの街は連合国領の最東部に位置するほぼ国境に隣接していると言っても良い位置にある。国境から街の入口まで広がる森林地帯そのものが防壁の代わりとして成り立っているらしく、帝国との大戦時にも一役を買ったらしい。
そんな由緒ある森を抜けると、すぐにフラットの一風変わった街並みが姿を見せる。
森の側面に位置する壁はうず高く、登って入る気概すらも起きない程。しかし、その他の三方向には壁は愚か、柵の一切も設けられてはいない。森のおかげで侵入経路が一方向に定められるが故の造りなのだろう。もっと言えば、連合国にとってフラットの位置は首都からも程遠い為そこまで守りに注力はせず、攻め入って来た相手の戦力を如何に削げるかを重視したのだろう。
隣を行く少女は眼前にそびえる高い壁を前に、痛めた首を気遣いながら頂上を見上げるのに悪戦苦闘していた。首を伸ばそうとすると傷口が開くのだろう。一定の角度まで行くと慌てて顎を下げる、という動作を先から繰り返している。
「特に何があるって訳じゃないよ」
「間近でこの高さを味わいたいのだ」
なるほど。見聞は経験に劣る、という言葉の通りである。
「失礼、そこの二人」
声の掛かった方へ視線を移ろわせると、番兵によく見られる軽鎧に身を包んだ男の姿が飛び込んでくる。一瞬少女への懸念が脳裏を過ったが、今の姿を見て彼女が竜であると判断を下すような人間など居るはずもない。形式上、声を掛けて来たに過ぎない。
「どうも。ここの討伐ギルドに用があってね、問題はないでしょ」
形式に乗っ取った対応であれば、こちらも形式通りに返すまで。
「ああ。こっちも規則でね、武器を携帯してる人間には声を掛けなくちゃいけないんだ。一応これでも休戦中って事になってるからな、分かるだろ?」
ええ――いつぶりだろうか、愛想笑いを浮かべている。
自分が思っている以上に横にいる存在を意識してしまっているようだ。
とは言え、別段に問題もなく私たちはフラットの街へと入ることができた。
仰々しい外壁とは裏腹に、フラットの街並みは他と似たような物。人通りのある場所には土壌の上に石畳のタイルを敷いて補装してあり、建物も多くがレンガ調の外観をしている。ここらには露出した巨大な地層が散見しており、粘土が良く取れる。その関係なのだろう。
「ニンゲン。おなか、空いた」
唐突だ。服の裾を引っ張ってきた少女は——そうだ。
「そういえば。あなた、名前は?」
「エンキリュウ」
そう――想定内だが最悪な回答が返ってきた。
種族名を聞いた訳ではないのだが、もしかしたら彼女の生きて来た世界では固体別に名前を持つ文化が存在しなかったのかもしれない。そこまで考慮してから尋ねれば良かった。
「私はクラリス、クラリッサ、クリス……色々な名前で呼ばれてきたけど、比較的にクラリスが多かったからそう名乗ってるのだけれど、あなたにはそう言った呼称名はないの?」
「……ヒメ、って呼ばれてたことがあった」
ヒメ、ひめ、姫。なるほど、それで炎妃竜。
ふと嫌な予感がこれでもか、と警鐘を打ち鳴らして頭の中を駆け巡ったものの、気付かないフリを決め込んで別の思考へとすり替える。
「エンキっていうのはどうかしら、呼び易くて良いと思うのだけれど」
「エンキ……うん、いい!」
適当に区切っただけだが、喜んでくれたようで何より。
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