第七話



 僕が悪いんじゃない。



 川羽田さんが、あんなことを言うから。

 お爺ちゃんが、お父さんが、あんなことをするから。

 お母さんが、黙って見てるから。


 あの子だって、川羽田さんみたいに。


 僕が悪いんじゃない。

 だって、仕方ないじゃないか。



 ステラ、帰ってきてよ。

 大丈夫だって言ってよ。



 僕は悪くないって言ってよ。






   〈二日目、十三時二十分〉


 自室の机に突っ伏したまま、思い浮かべる。


「ステラ」


 脳裏にずっと焼き付いたままの、ブロンドに緑の目の人形の面影が、徐々に階下にいる少女に変わる。

 彼女は、謠子はきっと、何もかもをとまではいかないが、磨皓が想像している以上のことを知っている。それだから、磨皓に対して冷たく言い放ったのだ。「穢らわしい手で触るな」と。


 穢れた手。


 少しだけ顔を上げ、己の掌を見る。


 人を助けたいと思っていた力で、人を殺してしまった。何人も。


 認めたくなかったわけではない。事実、命を奪ったそのときの記憶は、今でも鮮明に残っている。


 生あたたかく真っ赤な飛沫しぶき

 肉片の落ちる音。

 骨の断面。

 一緒に引き裂かれた衣服の断片。

 断末魔の叫びすら聞こえる間もなかった、ほんの一瞬の出来事。


 忘れられるわけがない。


「たすけて、ステラ」


 彼女はステラではないし、ステラはもういない。そんなことはわかっている。あのときステラが焼き捨てられずに、今蔵の中にいてくれていたのだとしても、きっと何が変わったわけでもない。



 それでも、彼女なら。




   〈二日目、十四時〉


「…………聞こえてる? あっちゃん」

 戸谷誠の呆れた声に、平田は、

「だァ~いじょ~ぶですよォ~バッチリバッチリぃ~」

 気の抜けた声で返す。その片手にはドライヤー。

「俺が先行してお嬢の身柄確保して、合図したら部隊突入でしょ?」

 あまりにも軽い返答。電話の向こうから溜め息が聞こえた。

「多和本くんと顔見知りでディプライヴドの篤ちゃんなら手は出してはこないはずだってのが作戦本部の見解だ、一応な」

「一応、ね」

 首に掛けていたタオルをランドリーバスケットに放り込みながら、にや、と笑う。そんな顔をしているだろうことを察しているのか、また溜め息。

「部隊はイチキュウマルマルから待機、どんなに遅くても、えー…………フタイチマルマルに突入? だってよ。だからその前に謠子ちゃんを保護してほしいんだけど」

「そんだけありゃア充分ですよ、余裕余裕」

 数秒の沈黙の後、誠は声を潜めた。

「篤ちゃん。あんまり暴れんなよ。バレたらきよみんと叶恵ねえさんの努力が水の泡だ」

「わかってまーす☆ ……じゃ、また現地で」

 通話を終了すると、平田はドライヤーの電源を切って洗面台の引出しにしまい、自分の部屋に戻る。


 ベッドの上に並べられた襟ぐりの広く開いた冷感素材の肌着に、一度洗濯した新しい白いワイシャツ、黒のネクタイと靴下、ベストを含む黒スーツ一式。デスクの上には少し特別なときにのみ使用する香水と自動巻きの腕時計、砂目加工のものと爪のような突起がついた特徴的な指輪が二つに、使い捨てライターが一つ。


 腰に香水を一吹きしてから、それらを一つ一つ、儀式のように、丁寧に身に付けていく。

 手櫛で簡単に髪を整え、ライターと指輪をジャケットのポケットに入れてから、


「……さ、て」


 最後に腕時計を装着。


「行ってきます、旦那様、奥様」





   〈二日目、十四時十四分〉


 二階から下りてきた磨皓に目もくれず、

「落ち着いた?」

 謠子は静かに言い放った。ソファーに座り、再度膝に肘をついて手を組んだまま。二時間近く前からほとんど動いていないように見えた。

 掛けられた言葉に返すでもなく、磨皓は謠子の対面に腰を下ろす。

「貴女に聞いてほしい話がある」

 謠子は、目を細めて磨皓を見た。

「いいの? 僕に話したら、屋敷にしろ施設にしろ戻ったときに本部に逐一報告してしまうよ?」

 黙っている磨皓を見て、ひとつ、息をつくと、薄く笑みを浮かべながら上半身を起こし、今度はスカートを穿いているのも気にせず足を組み、ソファーの背もたれに寄り掛かった。そのさまはまるでごうがんそんである。

「僕を帰さないつもりか。……まぁ、いいけど」

 この状況にあってまだ帰れる気でいるのか。一体この娘はどこまで自信家なのだろう。


 少し、脅してやろう。


 人形のような顔の、その真横、すれすれのところに見えない刃をはしらせると、金茶の髪がぱらりと舞った。


「貴女は自分が死なないとでも思っているのか?」


 謠子は少し驚いたように目を見開いたが、それも一瞬のこと。


「きみがギフトを使えば僕なんか即死だろうね」


 すぐに元の不敵な表情に戻る。


「舐めないでほしいな。僕は何の覚悟もなくキャプターになったわけじゃない。危険は重々承知している」

「子どもが何を知ったふうに」

「僕は殉職したキャプターの孫だ。キャプターが何たるか、知らないとでも?」

 すっ、と謠子の顔から笑みが消える。


「キャプターであるがゆえに、浄円寺清海と叶恵は死んだ」


 それまでとは違う、温度の低い表情に、磨皓はされた――相手がまだ十歳の少女であるにも関わらず。


 その眼光は、色彩こそ違うものの、職務と向き合っているときのかつての上司・浄円寺清海を彷彿とさせた。彼は普段は温厚で妻の尻に敷かれているふうであったが、その気丈な妻の叶恵をして「清海は私より冷酷だ」と言わしめる人物であった。磨皓自身も、清海が自ら捕獲したというアビューザーに恐れられていた姿を見ている。

 確かに武術を習っていたという割に身体的に捕り物は向いていないようだったが、清海には他の戦闘能力の高いキャプターにも引けを取らない精神力と、ギフトという恵まれた力があった。謠子――こんな幼い彼女にも、その資質があるとでもいうのか。


 自分がキャプターになったときよりも、幾つも年下のこの子に?


 謠子は、続けた。

「そういえば、きみはお爺様とお婆様が死んですぐ、特戦部へ異動になったんだったね。……変な時期に辞令が出た、って不思議に思わなかった?」

「それは……清海さんと叶恵さんが亡くなったから……」

 同じ部署のたった二人の上司がいっぺんに、両方ともいなくなってしまったのである。元々磨皓は、平均よりやや高い戦闘能力を買われ、浄円寺清海の身を守りながらサポートもする叶恵の補佐として特例部に配置された。自分一人だけになってしまっては意味がない。


 しかし言われてみればそうだ。辞令が出たのは、非番の日に浄円寺夫妻が殺害されたとしらされたその直後。


 


 つまりそれは、浄円寺夫妻が死ぬとあらかじめ――


 磨皓の表情を読んだか、謠子はふっ、と息をついて、視線を外した。

「何だ。何も知らないのか」

「謠子さん……貴女は何を知って……」

「僕も知らないよ、何も。…………それで、聞いてほしい話って?」

 我に返る。浄円寺夫妻のことも気になるといえば気になるが、それはそれだ。

 磨皓は、改めて姿勢を正した。

「川羽田……沙苗さんについて」

 謠子の視線が、磨皓に戻った。

「いいよ。聞こうじゃないか」




 川羽田沙苗の殺害は、多和本磨皓が『鎌鼬』の力を得ていた件と同時にその日のうちに祖父と両親に知れた。

 日が暮れてから川羽田沙苗の両親が帰宅しない娘の行方を尋ねてきたのと、磨皓が夕食にほとんど手をつけなかったのを見た母親が気にしたのがきっかけになり、少し前にギフトに目覚めていたこと、その力が暴発し川羽田沙苗を切り刻んでしまったことを、正直に打ち明けたのだ。


 祖父と父が揉めた。折角ギフトに目覚めたのに、殺人者になってしまった。警察の身内から、この町の有力者の家から人殺しが出てしまった。多和本家の名に傷がつく。

 母は泣きながら、磨皓を抱き締めていた。

 磨皓は母の肩越しに、怒鳴り合う祖父と父を見ているしかなかった。口を挟む権利などない。それ以前に、取り返しのつかないことをしてしまったという罪悪感が強く磨皓の心をさいなみ、何をどうすればいいのか全くわからなくなっていた。齢十二の少年が、ほぼ毎日顔を合わせる同級生を殺めてしまったのだ。その上、祖父と両親にも迷惑をかけることになってしまった。わざとではなかったとはいえ、とても許されることではない。


 しばらく口論していた祖父と父だったが、そのうち祖父が険しい顔をしながら静かに言った。

「川羽田には悪いが、この家から犯罪者を出すわけにはいかん」

 全て隠すつもりなのだ――磨皓は察した。

「磨皓、川羽田の娘の遺体はどこだ?」



「遺体を隠しておいた? 人を殺して動転していた割に冷静なものだね」

 べつの眼差しが突き刺さる。そうなる予想はできていたが、やはり辛いものがある。

「まずいことをしたと思えば隠したくなる。子どもなんてそんなものだろう? 貴女がキャプターになったことを平田さんに言わなかったのと同じだ」

 磨皓の言葉に謠子は目を細めた。機嫌が悪くなったように見える。同列にされたくなかったらしい。

「それで隠してあった川羽田沙苗さんの遺体を、きみの祖父と父親が処理した……成程ね。で、その川羽田さんの遺体は今どこにあるの?」

「それを知ってどうする?」

「教えてくれれば見に行ける」

「悪趣味な野次馬根性だ」

「僕を帰すつもりがないのなら、教えてくれたっていいんじゃない?」

「帰れるつもりでいるんだろう?」

 謠子は、

「まさか、僕のような子どもの言うことを、真に受けているの?」

 にぃ、と口元だけで嗤うと、立ち上がる。

「多和本くん。きみは何故今になって僕に川羽田さんのことを話したの? ざんのつもりだったんじゃない? だったら、」


 深緑の瞳が、貫くように、真っ直ぐと。



「全部話して、見せてくれなきゃ」



 白い肌。細い肢体。レースのリボンのあしらわれた、目と同じ色のベルベットのワンピース。


 彼女が――ステラが、重なる。



「…………わかった」


 磨皓は抗えなかった。




 彼女なら、きっと自分をゆるしてくれる。




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