第六話


   〈二日目、七時六分〉


 二階から下りてきて居間に入った磨皓は、昨夜とさして様子の変わらない謠子を見て少し驚いたように目を見張った。

「寝なかったのか」

「寝ないのには慣れてる。それに敵地で寝る程僕はのんきじゃないよ」

 敵地。繰り返すと、胃の少し上のあたりがしくり、と、ほのかにきしむ。

「その歳で寝ないのは、」

「それね、聞き飽きてる」

 磨皓の言葉を封じる。

「遊びで寝てないわけじゃない。これでもちゃんと平田くんが管理してくれてるから生活リズムは安定しているし、昨日も言ったけど栄養も摂取できてる。きみに心配されるいわれはない」

「……平田さんは貴女に甘すぎるな」

「そんなことないよ。彼は躾に結構厳しい。出来たしつだ」

 執事、再度口にした謠子は、数秒黙った後吹き出した。冷蔵庫を開けていた磨皓は気付いて怪訝な顔を向ける。

「……何か?」

「何でもない。……ふふ、そうか、そうだね。彼は執事なのか」

 何やら愉快そうだ。というより――まるでそうではないような言い様。


 そういえば、謠子がキャプターになってからも幾度か平田の姿を見かけたことはあるが、浄円寺夫妻が健在だった頃も今の謠子同様に夫妻の生活や施設外での職務のサポートをしていたとはいえ、黒スーツなど着ていなかったような――?


 疑問は湧いたものの、しかしだからといって何だということはない、と思い直す。平田という男は遠縁の人間なのだと聞いている。現在浄円寺家の人間は謠子を含めればたった二人。本来家を継ぐはずだった謠子の伯父は、姪の面倒も満足に見られない程の虚弱体質で傍にはいない。その代わりとでもいうように長年一緒にいるのだから身内同然なのだろうが、屋敷に残されたお嬢様のお世話をするからには、それなりの「形」をとった、ということなのだろう。


 前日に買ってあった惣菜パンと紙パックの野菜ジュースを差し出すが、謠子はやはり手で拒否を示す。

「結構」

「昨日の昼から何も食べていないだろう」

「言ったじゃないか、一日ぐらい食べなくても死なないって」

「でも」

「帰ったらいっぱい食べさせてもらうから」

 帰ったら――屋敷に戻れると、賭けに勝てると思っているのか。

「本当に自信があるんだな」

 少し呆れたように溜め息をつくと、謠子はまた、不敵な笑みを浮かべる。

「きみについては大体把握できているんだよ、多和本くん」


 把握。


 何を、一体、どこまで? 磨皓は背筋が寒くなった。


 そうだ、昨日あの名前を――川羽田なえの名を出した。しかし、川羽田沙苗と自分の間に何があったのか、謠子は知らないはずだ。何せあのことがあったのは謠子が生まれるよりもずっと前。事件として表沙汰になったわけではないし、後始末だって――


「浄円寺データバンクの力をなめないでほしいね。あれは僕の力だけで動いているわけじゃない」

「……子どもには過ぎた玩具おもちゃだ」

 思わず煽るような言葉を発するが、謠子は意に介さなかった。

「違うよ、あれは武器だ。……ところで多和本くん。退屈なんだけど、少し庭に出てみても?」

「え」


 深い緑の目に射られる。

 真っ直ぐで、強い。


「安心してくれていいよ、僕はこの辺りの地理はわからない。逃げたところですぐきみに捕まる」

「…………あ、あぁ、どうぞ」

「ありがとう」

 立ち上がり、居間を出ようとする謠子に、

「あ、えぇと、」

 声を掛ける。

「何?」

「その、裏の、蔵、は…………古くて、危ないから。近付かないように。蛇なんかも、出るし」

「わかった」


 謠子を見送った磨皓は、深く、息を吐いた。冷や汗が吹き出ているのを感じる。


(大丈夫、大丈夫だ……)


 あんな見るからに気味が悪い空間ところに近付くことはまずないだろう、普通の女の子なら。いくら気丈なあのお嬢様でも。


 一方、すぐに外へ出て行かずに廊下でこっそり磨皓の様子を窺っていた謠子であったが、つまらなそうな顔で嘆息した。

「もう調べちゃったよそんなところ。もっと〝近付いたらダメな場所〟を教えてくれないと」

 まぁいいか、と小さく独白すると、謠子は玄関へ向かった。




 日が出てからだと、やはり丑三つ時とは印象ががらりと変わる。馴染みの庭師が出入りし定期的に手入れをしている浄円寺邸とは違い、雑草が青々と茂り、本来ならちゃんと敷かれていたであろう砂利もまばらに散り、こけが見られる。


 荒れた庭だ。


 蔵が見える位置まで移動して見上げてみる。案の定、明るい中にあってもどこか不気味だ。元は真っ白だっただろうしっくいの壁はいろせて所々に穴が開き、つるが這い、蜘蛛くもの巣まで張っている。

 他にこの家の人間以外の者が近付けなさそうな場所はないか、謠子は見回しながらゆっくり歩く。あくまで「散策」のていで。虫がいるのか、草の先がぴょん、とねたのが見えた。

(埋められている、もしくは敷地内ここでない場所にある可能性も考えられる、か。そうなったら今一人で調べるのは無理だな)

 立ち止まり、自分の手を見る。


 謠子の持つギフト能力は、ほぼ何でも無から作り上げることができる。

 が、ちゃんと構造や素材の性質を知っておかなければ正確に形作ることができないし、作動しない。その上、作り上げたものの存在を持続させるにはその間ずっとそれのことを思い浮かべていなければならないが、思考力が削がれてくるというデメリットがある。つまり、複雑なものである程、具現する時間が短くなるということだ。


(警察犬の具現化とか、できればいいんだけど)


 流石に生物は難易度が高い――というより、試したことがない。一応いろいろな動物の体の作りは勉強したし覚えているものも多いが、成功する自信がない。それ以前に、生命体を作り出すなど、後のことを考えるとできたとしてもやってはいけないような気がする。しかし別の手段といっても、現在の自分ではできることに限りがある。


(もっと、知識が欲しいな)


 この状況を、早く、スムーズに解決する為の。

 もっと沢山のものを具現する為の。


 まだまだ足りない。そう思うと、急に帰りたくなってきた。早く勉強がしたい。

「……早く、来てよ、おじさま」




   〈二日目、八時十七分〉


「全く、お宅のお姫様は顔に似合わずアグレッシブだな」

 電話の向こうの苦笑に、平田も苦笑いした。通話の相手は戸谷まこと──浄円寺夫妻と古くから付き合いがあるキャプターだ。

「本部には話通ってるかと思ってました。俺はキャプターじゃないからしょうがないにしろ、まさかそっちにまでだんまりだったなんて」

「いや、謠子ちゃんは前から多和本は警戒すべきだって何度も上に言ってたんだけどさ、あの子、ほら……」

 言葉をにごす。若い頃からキャプターの職に就いている誠は、キャプターの内情に通じている。謠子がキャプターになったやり方も、組織内で煙たがられていることも勿論知っている。

 平田は、笑った。

「ガキんちょの言うことなんて相手にされなくても仕方ないですよ」

「あのシーゲンターラー博士の娘なんだから頭の出来は折り紙付きなのにな」

「直接教育されたわけじゃない、育てたのほとんど俺ですよ。お陰であんなに捻くれちゃって」

「自虐しなさんな、いい子に育った。不良親父の俺が言えたこっちゃねぇけどさ。……でも、ま、……これだけ証拠揃ってりゃ上も黙ってらんねぇさなぁ…………しーっかし、これは……内部告発からの捕獲ってなると、あんまし大っぴらにしたくねぇ案件だろなぁ、どーすんだこりゃ。会議が踊るぞ~」

 言われて少しまずったな、と思う――正義たるべきキャプターが犯罪に手を染めている。世間の目が厳しくなることは必至だ。キャプターの組織自体がどうなろうと平田にとっては正直どうでもいいが、謠子が動けなくなるのは本意ではない。

「面倒かけちゃってすみません、帰ったら叱っときます」

「なぁに、どうせいつかは手ぇ付けなきゃならんかったことだろ、片付けるんなら早い方がいいさ。……とりあえず、そうだなー。これから会議して作戦とチーム立てることになるだろうから、いろいろ決まったらまた連絡するわ。んじゃ、ご協力お願いしますよ、浄円寺データバンクさん」

「はーい」

 電話を切った後、まとめて送った調査資料のメールを見返して確認していた平田だったが、差出人の名前を見て一瞬、固まった。

「……げーっ、うっそォ⁉ 俺、本名で資料送っちゃった⁉ うわあぁマジかよいつもちゃんと平田で送ってるじゃん半分寝てたなもー!」

 デスクに両肘をついて、頭を抱える。

「あーやっちまったー……さん上手く処理してくれるかなぁ……」

 既に送信したメールはプリントアウトされているかもしれない。今更やっても意味がないとわかってはいるが、送信したメールの差出人の欄の名前を書き換える。

「しっかりしろあっちゃーん、お前は平田家の息子だぞー」

 謠子の為に、そうあろうと決めたのだから――謠子は、無事だろうか。居場所はある程度特定できている。早く迎えに行きたいところだが、下手に一人で動いてかえって謠子を危険に晒すわけにはいかない。

「お前がいなくなったら、俺生きていけねえからなァ」


 名前を、再度、書き換える。


  浄円寺 篤久


「……まだ、戻れねえ、か」


 溜め息をつきながら呟くと、差出人の欄だけを、全消去した。




   〈二日目、午後十二時二十分〉


「水を一杯いただけるかな」

 謠子がようやく何かを口にしたいと言ったので、磨皓は安堵した。磨皓の知る限りでは――彼女のことだから、磨皓が寝ている間も何も手を付けなかっただろう――丸一日以上、謠子は飲食していない。

 怪しまれるのもしゃくなので、見えるところで新品のミネラルウォーターのペットボトルを開封し、ガラスのコップに注いで謠子の前に置く。謠子の表情は変わらない。

「ありがとう」

 一口だけ飲んでテーブルに置くと、膝の上に肘を付き、両手を指の腹だけで合わせながら視線を遠くへやった。

「シャーロック・ホームズ・ハンド」

 磨皓がその仕草の名前を口にすると、謠子は目線だけを磨皓に向ける。

「清海さんがよくやっていた」

「よく覚えているね。思考を整理するときの癖だったそうだよ」

「……貴女も何か、考え事を?」

 昨日から謠子は含みのある言葉を度々口に出している。それが気になって仕方がない。

「そうだね、」

 謠子は磨皓を見るのをやめた。

「どこから攻めるべきかな、ってね」


 「攻める」とは――いやまさか、そんな。


 彼女はまだ子どもだ。

 優れた頭脳を持つ肉親がいるのだとしたって、まだ十歳だ。


「……何故、昨日、きみの『屋敷まで送る』という申し出に乗ったんだと思う?」

「え」


 昨日のことを思い出してみる。


 確か、会議が終わった後、彼女は時計を見ていて。

 同居人がまだ帰宅していないとか言っていて。


 自分もそれまで特に何も考えてはいなかった。思い付きで送っていくと言ったのだ。


「……貴女は、僕がそう言うことを予測していたと?」

「そういうわけじゃない。多分きみと同じで、僕も最初は他意はなかった」


 他意。


 そう――最初は純粋に、屋敷まで送ろうとしていた。

 しかしいつの間にか、何となく帰してはならないと、しかしどうしたものかと、行く宛も定まらないまま車を走らせていた。


 自分は、この子をどうするつもりだったのか。


 現在はこの少女が持ち掛けた賭けという口実があるが、それがなければどうしていたのだろう?


 あの蔵の中にいた〝彼女〟がちらつく。


 明るい色の髪。

 緑の目。


「でも、きみが屋敷に帰してくれないとわかったら、そろそろいいかと思ってね。あまり長引かせると、きっとまた被害者が出てしまう。見切り発車ではあったけど仕方ない」

「被害者」

「多和本くん。きみ、一昨年の未成年ギフテッド逃走事件のときに、どこで何をしていたの?」

「僕、は、」


 答えればいい。「ちゃんと任務を遂行していた」と。

 同僚のキャプターたちを何人も殺して逃げた少年を追っていたのだと。


 『どこで何をしていた?』


「ちがう、ぼくは、わるくない」

 ふらふらと謠子に近付き、足元にひざまずいてすがる。

「ちがうんだ、ステラ、ゆるして、ぼくは、」

「僕はそんな名前じゃない」

 スカートの裾を握っていた磨皓の手を払い、謠子は磨皓に嫌悪に満ちた目を向けた。



「人を殺したけがらわしい手で僕に触るな、多和本磨皓」



 吐かれるはずの息を飲み込むと、磨皓は居間を飛び出した。




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