第五話


「ねぇねぇ、あのね、あのね」


 丁度仕事が一段落し、居間のソファーで休憩しているときだった。駆け寄ってきてぴったりと引っ付くように隣に座ったその子は、平田の手を取り、その上に自分の両手をてのひらを上にして乗せる。

「なーに謠ちゃん」

「みてて!」


 差し出された両掌を見ていると、何か――そこには何もないはずなのだが、確かに〝何か〟が歪んだ気がした。


 かと思うと、普段彼女が食事をとる際に使っている、子ども用の短いはしが現れる。


 平田は思わず息を飲み、そのまま止めた。同時に箸がふっと消える。

 目の前の少女は、ふぅ、と息をついた後自慢げに笑顔を輝かせた。

「すごいでしょ!」


 その喉元には、消えかかった紋章。

 〝力〟を持つことを示す証。


 まさか。何故、この子が。


「謠子」

 呼び掛ける顔は怖くなっていないだろうか。気にしながら、そっと小さな手を包む。

「今のは、すごい。すごいけど、誰にも見せちゃダメ。いいな」

「なんで?」

「わるーいこわーい人に、連れていかれちゃうから。一生帰ってこれなくなっちゃうぞ。お爺様とお婆様に会えなくなっちゃうぞ」

 年齢の割に頭は回るが、まだまだ幼い。首を傾げて彼女なりに、一生懸命考える。

「……おじさまにも?」

「おぅ、秀平にもにもよしあきにも会えなくなっちゃうんだぞ」

「いやだ!」

「うん、だから、内緒。な?」

 ないしょ、と繰り返し、少女は平田を見つめた。

「おじいさまとおばあさまにもいっちゃダメ?」

 彼女の祖父母はキャプターだ――が、まだまだ幼く甘えたい盛りの可愛い孫を、たった一人でエリュシオンに放り込んだりはしないだろう。それに、この子が授かった力について不安を抱えたとき、理解してくれている人間が少しくらいはいた方がいい。

「…………そうだな、お爺様とお婆様には、帰ってきたら教えてあげようか。でも他の人にはぜーったい内緒。約束、できる?」

「ぜったいないしょ」

「よし。はい指切り」

「ん」


 絶対内緒。


 この子はこのまま、こちら側で生きていく、はずだった。




   〈二日目、〇時五十七分〉


 いつどこで何があるかわからない。曲がりなりにもキャプターである謠子が持ち歩くバッグの中には、ごく簡単な捜査ができる程度の小道具が幾つか入っている。勿論小型のライトも常備している。

 月も見えない暗闇の中、謠子は多和本家の庭へ出ていた。肌を撫でる風は、この時期には珍しくほんのりと湿度を帯びている。


(……草と、土の匂い)


 ゆっくりと目を閉じる。

 深夜の山中、周囲の家もまばらで、隣家ですらも距離がある。人の気配は感じられない。

 聞こえてくるのは、葉の落ちた枝を掠める風の声、草葉のざわめきのみ。


 怖くはない。恐れる必要などない。


 自分の恐れるものは、こんなところには何一つとしてない。


「さぁ、行くよ」


 大きく息をして、目を開き、踏み出す。



 立ち止まるわけにはいかない。




 謠子が思い浮かべたものを形作れるようになったのは、五歳のときだった。

 とはいっても、何でもすぐに、完璧に、というわけではなかった。


 最初はごく簡単な形状、構造のもの。


 どういうふうにできているのか、何でできているのか。知っていけばいくほど、より正確に、精密に、作り上げることができるようになっていった。謠子はそれが楽しくて、嬉しくて、祖父母や伯父に本をねだった。沢山勉強して知っていけば、作れるものが増えていけば、きっと大好きな祖父母と伯父の手伝いだってできる。手伝いができれば、ずっと一緒にいられる。


 そう思っていたのだが、謠子はエリュシオンに入らざるを得なくなった。たまたま仕事の関係で来ていた祖父母の部下に、内緒だと言われていた力を見られてしまったのである。

 祖父母の部下は、謠子の力を見るや祖父母を責めた。祖父は、謠子がまだ幼く両親をうしなっていることから、せめてもう少し成長し精神的に安定するまでは、と訴えたのだが、部下は規則だからと強引に事を進め、謠子をエリュシオンへ入れてしまった。


 謠子の祖父母の部下。


 名は、多和本磨皓という。




   〈二日目、二時八分〉


 庭先の岩をALS――専用のライトで順々に照らしていく。ALSは科学捜査に使われる器具で、ライトの色(波長)を変えれば、通常ではにくいものが見付けられるようになる。

「……何年も前だとすれば、血痕なんて残ってないか。屋外だしなぁ」

 日中、磨皓は祖父と両親は海外に行っていると誤魔化していたが、出国記録も転居記録もないことはとっくに調査済みだった。死亡届も出されていない。しかし、金銭で雇いこの周辺を何日かかけて調べさせた者の話によると、それらしい人影は見なかったという。どこか他の場所で生きているのならそれでいいが、その形跡も見当たらなかった。

 磨皓は自分が正しいと思ったことを押し通そうとする性格だ。上司にも臆せずものを言い、謠子をキャプターの職から引き離そうと強硬手段に出た彼ならば、揉めた末に衝動的に身内を手にかけることも想像にかたくない。特に彼の場合、殺傷力が極めて高いギフトを持っている。感情に任せて力を使えば――


 ALSを消灯。フィルターを外しコートのポケットにしまうとストラップで手首に掛け、通常のライトに持ち替えて、点けずにそのまま考える。


(殺しているのなら、遺体は近くに隠しておく方が安心なはずだ……こんな狭い集落じゃ、誰か一人にでも知られればすぐに広まってしまう……)


 家の裏手に回る。


 古い蔵。


 ときどき帰って手入れをしているようなことは言っていたものの、実際のところ外回りはなかなかそうもいかないらしい。生い茂った雑草に囲まれたそこは、深夜の闇の中にあることもあいってか、おどろおどろしい雰囲気を醸し出していた。日が出ている時間帯だったとしても、近付き難い空間だろう。

 しかしこの程度で怯える謠子ではなかった。何か非科学的なものが出そう、というよりも、周辺の雑草に肌がかぶれるようなものが生えていないか、今時分ではないかもしれないが毒を持った虫や蛇が出てこないかの方が気になる。自分に何かあれば――それがたとえ単なる虫刺されだとしても、平田がうるさい。

 近付いて、入り口を調べる。錆びた大きな錠前が扉にぶら下がってはいるが、壊れているのか開いていた。触れると、ざらりとした錆が指に付着する。そっと外して下に置き、ゆっくり、扉を開ける。


 かすかにほこりかびの匂いがした。


 まず安全の為に足元を確認。それから奥を照らす。明らかに元号が違う頃に発行されただろう山積みの書物は、現代にみられる糊で綴じられたものだけではなく、紐で綴じられたものもあるようだ。ALSのフィルターを入れているのとは逆のポケットから白い布手袋を出してはめ、冊子を一冊手に取る。

「比較的新しい。代々伝わるお宝というより父親か祖父の趣味のものかな……ん?」

 冊子の天から小口にかけて、大きくはないが赤黒い染みがある。ライトを消して脇に抱え、再度ALSを取り出しフィルターを取り付けて照射すると、染みが光った。

「……成程」

 そのまま床に向ける。足跡とおびただしい染みの跡、そして――白い小さな欠片。

 冊子を元の場所に戻し、白い欠片を拾い上げてまじまじと見る。

「陶器……じゃ、ない」

 更に奥を照らす。


 書物の山と木製の農具の隙間から、もっと大きな白い塊が積み重なっているのが見える。


「……まぁ、確かにの人間は入らないだろうけど。こうも雑な保管をしているとはなぁ」

 謠子は呆れた溜め息をつくとALSを消し、普通のライトと交換して点灯してから予備のスマートフォンのカメラを起動した。




   〈二日目、二時五十三分〉


「ねっっっみぃ!」

 謠子に言われたことを全てこなした平田は、缶に三分の一程残っていたエナジードリンクを飲み干すと、天を仰ぎまぶたの上から目をマッサージした。炭酸の抜けたドリンクの妙な甘さが口の中に残って気持ちが悪い。普段好んで飲んでいるのは緑茶や紅茶の類だし、急ぎの仕事や非常時でもない限り徹夜をすることはほとんどないから、こういう飲料はなかなか飲み慣れない。

「口直しぃ~……ヤハタからもらったお茶開けちゃおっかなぁ~あれ桐箱入ってたから絶っ対グラム数千円するやつじゃんな~いやつじゃんな~、でも三原屋のくりなかポチったし謠子帰ってきてからの方がいいよなぁ~……ぉん」

 謠子のメインパソコンがまたメッセージを受信した。

「休ませてよお嬢様ァ」

 画面に向かう。


 [証拠追加]


 添付された画像ファイルを開いてみる。


 暗闇に浮かぶれきのような白い物体。

 古い本を染める赤黒いもの。

 床に広がる染み。


 見た瞬間、思わず苦笑いしてしまった。

「こりゃまた、何ちゅー……」

 勿論、おかしくて出た笑いではない。謠子はこれらを、画像ではなく直接目にしているのだ。

 キーボードで打ち込む。


 [怖くなかった?]


 [全然]


 即座に返ってきた言葉に溜め息が漏れる。


 [そうか]

 [もう充分だろ 無理しないでそろそろ休め]


 [もう少し]

 [多分この骨は量からみて身内のものだけだと思う]

 [あと同級生と、行方不明の女の子の証拠になるもの]

 [できれば遺体がある場所を見つけたい]


 [そんなの後から掘り出せるだろ]


 [僕がやりたいんだよ]

 [じゃあまた後でね]


 [気をつけろよ]


 [わかってる]


 ウィンドウを閉じて、チェアの背もたれに寄り掛かりながら足を組む。

「……ほんとはこんなの慣れてほしくねえんだけどなァ」

 目を覆いたくなるようなものは、平田自身も浄円寺データバンク――『情報屋』という仕事の関係上何度か見たことはあるし、謠子もあんな子である。しかし正直なところ、そういう方面のものは謠子にはできるだけ触れてほしくはない。謠子がさまざまな能力者を相手取るキャプターである以上、そう願ったところで無理な話なのかもしれないが。


 ぼやいている間にも、きっと謠子は動いている。平田は姿勢を正して、再びパソコンと向き合った。




「シロくん、ギフト持ってるでしょ」


 同級生の女子に呼び出されたかと思うと、突然そんなことを言われた。驚き返す言葉を失っていると、彼女はにやにやと笑いながら続けた。


「ギフト出たら、楽園に行かなきゃなんだよね? 何でシロくんここにいるの?」

「…………さんには、関係ないだろ」

「ふぅん、そういうこと言うんだぁ」


 磨皓のギフト能力が発現したのは、一ヶ月と少し前。最初は特別な力を持てたことが嬉しくて、何でも切り裂けることが楽しくて、うきうきしながら力の使い方を練習していた。上手く使えるようになれば、何かの役に立つかもしれない、いや、きっと役に立てられるはず。そうなれば、祖父も両親も喜んでくれる――そう思っていた。


 しかし、使っていくうちに、少しだけ怖いと思うようになった。


 磨皓の力は、イメージして対象を見つめて念じれば、空気の刃が文字通り何でも切り裂く。家の裏の崖の上にあった磨皓の体よりも大きな岩。磨皓の胴回りより太い木。真っ二つにも細切れにもできた。集中すれば小さな傷を作る程度に加減することもできた。

 しかし、ずっと使い続けられるわけではなかった。使えば使うほど、頭痛がする。意識がブツブツと途切れがちになる――だんだん、狙いが定まらなくなってくる。これでは、長時間この力が必要だということになったとき、対象を間違えて切り裂いてしまうのではないか。


 もし、人間を切ってしまったら?


 岩や大木をも簡単に切断する程の力だ。人間が切れないわけがない。


 そうならないように、もっとちゃんと力を使いこなせなければ――そう考えて、身内にすらもまだ打ち明けていなかったのに。


「シロくんいっつもみんなに規則守れって偉そうに言うくせにさぁ。シロくんが守ってないんじゃん」

「ち、ちがう、僕は、そんな」

「そういうの狡いよねー。隠してないで早く楽園行きなよ、欲しいものも食べるものも何でもタダで、死ぬまでずっと何もしなくても生きていけるっていうじゃん。何でさっさと行かないの?」



 『何もそこまで言わなくても』

 『うるさい』



 そう思っただけだった。本当に、それ以外のことは何も考えていなかった。


 そのはずだったのに。



 気が付いたら、目の前にいた同級生の女子の姿は消えていた。

 その代わり、彼女がいたはずの場所には、切り刻まれ赤く染まったが積み重なっていた。


 それが何かを理解するのに、そう時間はかからなかった。



 磨皓は、声なき悲鳴を上げた。




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