第四話


 多和本磨皓は、正義漢だった。


 祖父と父は警察官、母は華道の師範。どちらかといえば裕福な家庭の中、厳格・真面目な人間に囲まれて育った。そんな磨皓が、「幼き者を、か弱き女人を守らねば」という思考に至るのは、さほど難しいことではなかった。


 そんな彼がギフトに目覚めたのは、小学校を卒業する少し前のことである。


 能力は『かまいたち』。いろいろと制限や代償はあるが、あらゆるものを切り裂く力だった。

 使いようによっては凶悪な力ではあるものの、身内は勿論のこと周囲の者は皆、磨皓のギフト開花を喜んだ。当然である。ギフトを発現した者は全て国によって保護され、ギフトを持つ者だけが行くことができる施設・通称エリュシオンで一生恵まれた生活が約束されているのだ。


 しかし磨皓は、とても真っ直ぐに育った男だった。


 せっかく授かった己のこの力を活かしたい。

 ギフトを悪用する〝アビューザー〟を取り締まり、ギフトに目覚めていながらエリュシオンに入る義務を怠る〝ワンダラー〟を導き、エリュシオンから逃げ出した〝ランナー〟を連れ戻し、平穏で秩序ある社会を作る為に貢献したい――そう考え、キャプターになる決意をした。

 その考えを知った祖父・両親たちの喜びは増した。磨皓も身内の期待に応えるべく励んだ。これなら恩返しもできる。多和本家の誇れる存在となり得る。


 正義に生きる。


 磨皓自身もそうありたいと思っていた。



 そんな彼は希望通りに試験に合格しキャプターになったわけだが、パトロールや捕獲業務に慣れて数年経った頃、突然転属を命じられた。

 配属されたのは〝特例部〟というエリュシオン外に設けられた得体の知れない部署だった。




   〈一日目、十五時〉


 謠子がいつの間にかまとめていた調査資料のデータのファイルを、全て、目一杯展開したその画面を、平田は睨むように見ていた。

「採用時に身辺調査しなかったのかよ本部、ちょいとガバガバすぎやしねえか……あぁ、キャプターになったの十六……こいつ俺と同い年だっけか……時代だなー」

 多和本磨皓の周辺についての、「UNKNOWN」と記された情報。


 ギフト能力が出るまで共に暮らしていたはずの祖父や両親。

 エリュシオンに入るまで共に学んでいただろう級友数人。


 〝不明〟。

 所在・所属がわからなくなっている、ということだ。


 へんな場所の閉鎖的な集落。豊かな家。

 考えられることといえば──


(殺していんぺい、ってのが妥当な線か)

 キャプターになってからのデータも気になる。

 数年前の未成年ギフテッドによるエリュシオン脱走及びキャプター殺害事件のときの磨皓の行動記録にも、不自然な点がみられた。彼は特殊戦闘部隊に所属しており、当時は配属された同僚たちと共に、エリュシオンから逃げ出した上追ってきたキャプターを殺害しアビューザーとなったギフテッドを捕獲する任に就いていたはずなのだが、一人だけ別行動を取っていたらしい。

「おいおい何やってんだクソ真面目なキャプターさんよぉ」


 関連付けられたフォルダを開いてファイルを全部、一気に開いた平田は、言葉を失った。


 その同日に、女児の行方不明が発生していた。

 行方不明の女児が出た地域付近のものとみられる防犯カメラの静止画には、磨皓の姿が映っている。そしてその女児は、磨皓の同級生でただ一人、子どもの頃に不明になった女の子と似た容貌で、同じくらいの年齢だ。


 これが何をしているのかは、一目瞭然であった。


 普段の生真面目な素行を、キャプターという〝正義〟を隠れ蓑にして、多和本磨皓はそれらとは正反対の行いをしていたのだ。

 そして、密やかにこれだけの情報を集めていた謠子は――



 まさか、自らおとりになったのか。



 舌打ちすると、開いていたファイルを一斉に全部閉じ、新たにアプリケーションを立ち上げて尋常でない速度でタイピングする。

「ッざけんなよ、無茶振りにも程があンだろクソガキ!」

 毒づくが、不安としょうそうかんは消えない。頭の回る謠子のことであるから、下手なことはまずしないだろうと己に言い聞かせる。そう信じたい。


 早く見つけなければ。

 万が一のことがあったら。


ちゃん)


 祈るような気持ちで、彼女の母の名を心の中で唱える。


「……謠子、どこだ、返事しろ」




   〈一日目、十八時三十九分〉


 意味深な一言を放った後、謠子は言葉を発さなくなった。とはいえ、磨皓のことを無視しているわけではない。話しかければ頷くかかぶりを振るか、手振りをするか、何かしらの反応はある。


 そのようにあしらわれても、磨皓は謠子に危害を加えようという気は更々なかった。



 彼女は「特別」なのだから。




 蔵の中に、祖母のものか母のものかはわからないが、一体の西洋人形があった。

 ブロンドに緑の瞳、愛らしい顔立ちの、状態のとてもよいきれいなドール。余程大事にされていたのだろう。電気も通っていない、昼間でも薄暗い蔵の片隅、重ね積まれた本の上にちょこんと座らされていたそれを、不思議と怖いとは思わなかった。厳しい祖父や両親には少し言いにくいことを、ときどき〝彼女〟に零すようになったのは、一体いつ頃からだったか。


 しかしそれを知った祖父は、男らしくないことをするな、気味が悪いと〝彼女〟を焼き捨ててしまった。


 そのときの〝彼女〟の目が忘れられない。


 あれは確かに、自分を真っ直ぐ見ていた。




   〈一日目、午後二十二時三十八分〉


 謠子は居間のソファーで全身を任せるように背もたれに寄りかかってはいたが、寝てはいなかった。が、とても眠そうではある。何もしないから寝てもいいと磨皓が言うと、

「僕はきみを信用していない」

 ようやく口を開いた。わかっているつもりではあるものの、やはり面と向かって言われればそれなりにショックだ。

「きみは寝てもいいよ。こんな時間に山の中に逃げ出す程僕は愚かじゃない」

「スマホに電源入れたりするんじゃないか?」

「何なら預かっていてくれてもいい」

 立ち上がり、傍らに置いてあったバッグからスマートフォンを取り出した。磨皓は手振りで制止する。

「いや。そこまでする気はない」

 昼間に電源をオフにしてから一切触れていなかった。謠子がキャプターになった手段はどこから漏れ出たのか噂として広まっており、自身も否定はしていない(かといって肯定しているわけでもない)が、職務自体は決して適当にはしていない。そんな彼女が自ら持ちかけた賭け、ルールだ。まさかそれにそむくようなことはするまい。

 謠子はそう、と呟くと、再度バッグを探り、繊細なレースの縁取りのあるハンカチでスマートフォンを丁寧に包み、ローテーブルの上に置いた。

「じゃあ、ここに置いておくね」

 磨皓にも触らせないつもりなのだろう。先程の「信用していない」という言葉がじわりと刺さる。しかし、自分のことよりもこの子だ。とにかく安全な場所で平和に生きてくれればいい。その為には――この馬鹿げたゲームに勝たなければ。

「……お言葉に甘えて、休ませてもらうよ。謠子さんも少しでも休んだ方がいい。明日の七時まではここに入らない、約束する」

「お気遣い痛み入るよ」

 ぽすん、とソファーに座り直すと、謠子はリビングを出ていく磨皓を見送った。


 磨皓の気配が二階へと消えたのを確認すると、


「……さて、仕事だ」


 バッグから、テーブルに置いたものとはまた別のスマートフォンを取り出し、電源を入れる。


(『情報を一切遮断する』、か)


 昼間磨皓に言った自身の言葉を思い返して、

「ふ、ふふ、ふ」

 小さく嗤う。


「情報を武器とする浄円寺データバンクの総帥たる僕が、そんなことするわけないじゃないか」




 謠子の使うメインのパソコンが、何かを受信した。ウィンドウが勝手に開く。非常用にと独自にプログラムを組んであったメッセージ送受信アプリケーションだ。

「おっせェよバカ何時間待たせんだ!」

 声を荒らげた平田だったが、


 [ぶじdあよ]

 [いまたwあもtおと磨しろの実家にいr]


 謠子にしては珍しい誤字だらけのメッセージを目にした瞬間失笑、脱力する。

「落ち着けお嬢様、いや俺も落ち着け」

 同時に安堵する。今のところ何も危険な目には遭っていないらしい。

「……そっか、多和本が昔住んでた家……はいはい、成程ね」

 途中までは防犯用の監視カメラで追えていたものの、市街地を抜けてからは足取りがわからなくなっていた。進む先から予測はしていたので、一応ルート周辺やその他多和本磨皓に関係するだろうことについて可能な限りの調査はしていたが、どんな状況なのかわからず確証もないのに動くことはできない。


 [何がどうなってそうなってんの]


 [多和本磨皓と賭けをした]

 [明日いっぱいまでに僕の身柄が保護されなかったら]

 [僕はキャプターを辞める]


「は?」

 思わず声を上げる。謠子が大金を支払ってまで強引にキャプターの座をもぎ取ったのは、目的があるからだ。それなのに、何故そんな馬鹿げたことを──


 [なんで]


 [それとは別件で、彼には嫌疑がかかっている]

 [資料見たでしょ?]

 [でももう少し、確実な証拠がほしい]

 [日付が変わったら周囲を調べてみる]


 周囲――多和本家の調査か。苦笑いが漏れる。

「こんな夜中にガキがやるこっちゃねえだろよ」

 言ったところで聞かないのも、謠子の肝が据わっているのもわかってはいるが。それに、日中では多和本磨皓の目があるから仕方がないといえば仕方がない。


 [気をつけろよ]

 [一応こっちでもいろいろ調べておいた]


 [ありがとう]

 [何かわかったら後でまとめて送る]

 [誰かキャプターに連絡お願い]

 [題名本文なしでいいからファイル添付してメール送っておいて]


 [宛先は? だにのおじさんでいいの?]

 [本部に直接送るんじゃまずいよな]

 [お前のPC俺がいじってるのバレる]


 [誠くん今日日勤だからもう上がってる]

 [一回PCじゃなくてスマホに連絡した方がいいと思う]


 [職場呼び戻すんかよ]

 [鬼かお前は]


 [よろしく]


「あいよ、っと…………」


 無事を知らせてきたかと思えば、平気で人をこき使う。こんなふうに育てた覚えはないのに。大きな溜め息が出る。

「あぁ~っ、ほんッと、もぉ! 『無事だよ』じゃねえよ今夜徹夜確定じゃねえか帰ってきたら引っぱたいてやる! ………………あ~! でも女の子の顔にビンタはなぁ~! 虐待とか最近厳しいしなぁ~! バレたらヨリちゃんに怒られるよなぁ~! ってか、」

 謠子は恐らく無事だが、まだ敵の手の中にある。しかも肝心の謠子からのGOサインはまだ出ない。


「妹の大事なかたみを俺が守れなくてどーすんだよ」


 焦りといらちは、くすぶり続けていた。




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