第二話
〈一日目、十一時五十九分〉
助手席に座ったままのシーゲンターラー謠子は、黙って窓の外の景色を見ていた。
笑うでもなく、怒るでもなく、泣くでもなく。ただ少し、呆れているようではあるが。
ラジオから、正午の時報が流れた。謠子は窓際に肘をかけて、頬杖をつく。
「とても屋敷に向かっているとは思えないのだけど……僕を一体どこへ連れていこうというのかな?」
ようやく放たれた言葉に、磨皓は返さなかった。
正直なところ、自分でも何故こんなことをしているのかわからない。「送っていく」と申し出たにも関わらず、目的地へと向かわずに連れ回している。
しかし、「この子を帰してはいけない」、と思った。
年端もいかない謠子がキャプターとして認められた理由の一つとして、〝家業〟がある。
謠子が生まれ育った浄円寺家は、古くは忍や
誰が相手であろうと「条件次第で何でも調査・開示する」という姿勢を貫く『浄円寺データバンク』。
今や屈指の情報屋として財を成しているが、同時にそのやり方から敵も少なくはないという噂だ。実際、磨皓は上司でもあった故浄円寺夫妻がそちらの仕事の関係で危険な目に遭っていたのを目の当たりにしたことがある。
謠子はキャプターになったと同時に、そんな家を継いだ。
謠子の祖父母である故浄円寺清海・叶恵夫妻には、娘である謠子の母だけではなくその兄にあたる息子が一人いるらしいが、生来体が弱く田舎で静養しているという。
病弱な伯父に代わり僅か十歳で浄円寺データバンクの総帥の座に就いた謠子は、平田という男が多少は手助けしているらしいものの、一年と経たぬうちにその流儀に慣れ、才能を見せ始めていた。
磨皓は、彼女がそんなことをしているのが気に入らなかった。
浄円寺夫妻が殉職するまでその下で何年も働いていた磨皓は、浄円寺邸に通っていた為謠子のことも平田のことも知っている。
平田は、磨皓が浄円寺夫妻の下につく前から浄円寺邸で共に暮らしている遠縁の者らしく、浄円寺データバンクの業務は
謠子は――随分と変わったように思う。
磨皓が初めて彼女に出会ったときには、既に彼女の両親は亡かった。
若くして高名であったウィリアム・シーゲンターラーという学者と浄円寺夫妻の娘が彼女の父母だったのだが、二人共アビューザーにより殺害されており、当時の報道でそれなりに大きく取り上げられていたのは磨皓の記憶にも残っている。
幼い頃の謠子は、いつも平田に付いて回っていた印象が強い。好奇心が旺盛と聞いてはいたが人見知りされていたのか、あまり話したことはなかった。それでも父似の明るい色彩と着せられている洋服のせいか、愛らしい人形が動き回っているようだった。
「浄円寺のお嬢様」。彼女は全身で、それを表していた。
その点は今でも全く変わらない。彼女は良家の子女の風格を持ち続けている。確かに試験を受けキャプターとなったが、受けた試験は筆記とギフトの実技だけだという。祖父母のように、最低限自分の身を守れる程度の力があるわけではない。彼女のように戦闘向きではないキャプターは他にもいることにはいるが、それでも施設外部に住まい、ときには荒くれ者を相手にしている。
女の子がやることではない。
そんなことをしなくても、ただでさえ彼女は裕福な家に生まれているのだし、しかもギフトを発現しているからエリュシオンの恩恵も受けられる。一生生活に困ることはない。両親や祖父母のことだって、わざわざ自ら首を突っ込まなくとも他のキャプターが何とかしてくれるはずなのだ。
謠子を屋敷に帰してしまえば、これからもそんなことを続けてしまう。もっと危ない目に遭うかもしれない。
磨皓には、それが許せなかった。
シーゲンターラー謠子は、安全な場所で、幸せに生きるべきである。
「謠子さん。頼みが、あるんだ」
ラジオの音にかき消されない程度のボリュームで言う。
「何?」
謠子は磨皓の方を向かず窓の外に目を向けたままだったが、磨皓は構わず続けた。
「キャプターを、辞めてほしい」
同僚に送ってもらうと謠子から連絡を受けていた平田はというと、屋敷で昼食を用意して待っていたのだが、一向に謠子が帰ってこないのを気にし始めていた。
「……渋滞してるんかな。多和本さんじゃ、迷うなんてことないはずなんだけどなぁ」
時計を見る。予想よりも一時間以上遅い。メッセージを三十分近く前に送ったが、既読表示にならない。
「緊急で仕事……いやまさかな」
それならそうだと
(念の為、一応)
冷めてしまった親子丼二つにラップをかけ吸い物を鍋に戻し、木椀を洗うと、自室へと向かう。デスクの上のノートパソコンは仕事の関係上、常時電源を入れたままになっている。
「何かあったら連絡しろっつってんだろォ謠ちゃんよぉ、とうとうグレたか~? ちっちゃな頃から結構な悪ガキだったけど十五で不良と呼ばれるようになっちゃうのか~それはおじさんちょっと困っちゃうぞォ~? …………ん」
ギフト能力者・ギフテッドを収容している〝エリュシオン〟は国の作った施設であるから、あまり深入りすることはできないが、ゲートの出入りの情報をごく短時間探る程度なら問題ない。寧ろこちらの回線の情報を出しておけば、謠子のことをちゃんと監督しているのだという姿勢を見せつけられる。
「……ちゃんとあの後すぐ多和本さんと出てんじゃん。何してんだよ」
今度は謠子の持つスマートフォンをGPS追跡。
すると、浄円寺邸とは全然違う方向に向かって動いていた。
「何だこれ。どこ行ってんの? やっぱり事件?」
同じ屋敷内にある謠子のパソコンにアクセスし、施設外にいるギフテッドの情報と謠子が移動している周辺の地図、そして防犯カメラの映像を表示。更に通報された記録がないかもチェックする。しかし何が起こっているわけでもなさそうだ。
「デート……なわけねえよな」
多和本磨皓とは知り合ってからそれなりに長いが、謠子が彼に好意的な態度を取っているのを見たことがないし、そもそも彼について言及したことはない。あまり、というより、ほとんど興味を示したことはなかったはずだ。
「…………まさか、多和本さん」
再度、移動の様子を見る。
一見同じようなところをぐるぐると移動しているようだが、時間をかけて徐々に遠ざかっていくのがわかる。
「帰さないつもりか」
彼が謠子を連れ去ったのか。
何故?
多和本磨皓が生真面目な男だということは平田も知っている。何の理由もなく
「……ああいう人間は、
いつ誰がどう変わってしまうかだなんて、わからない。
「さァて、」
そんなことは、この仕事を始めてから飽きる程に見てきた。
「化けの皮剥がさせてもらうぜ、多和本磨皓」
謠子は車に乗ってから初めて磨皓の方を見た。
「理由は?」
「さっきも言った。大人の仕事だ」
「僕のようなお嬢ちゃんがすることじゃないって?」
頬杖をついたまま、顔を歪めるような微笑を浮かべる。
「まぁ、そうだね。大人の方がやりやすいかもしれない」
「清海さんや叶恵さんだって、貴女がそんなことをするのは望んでいない」
「そうだね。お爺様はともかく、きっとお婆様には叱られる。……でもね、多和本くん。僕だって全く覚悟がなくこんな道に進んだわけじゃない。それはきみも……いや、キャプターになった者、なろうとしている者は全員同じはずだよ」
彼女の言い分も尤もだ。それはわかっている。
「僕がこうあるのを望んでいないのは、お爺様とお婆様というよりきみだろう、多和本くん」
再度謠子は、窓の外に目をやった。
「でもきみには関係のないことだ」
「そう考えているのは僕だけじゃない。貴女は本来ならまだキャプターになる資格がない。どうして年齢制限があると思う? 捕獲行動は危険を伴うことも多い。いくら優れた能力を持っていたとしても、身体的にも精神的にも未熟な人間には向かない仕事だ」
磨皓は浄円寺夫妻が殉職し特例部が一旦廃止された直後、凶悪なアビューザーを捕獲する際に対処する特殊戦闘部に転属させられた。先の未成年アビューザーによる逃走時のキャプター殺害事件でも、自身は現場に直面していなかったが同僚が何人か殺されている。普段は捕獲行動から外されているのだとしても、緊急時はそうも言っていられないのだし、戦闘を専門とする職員でさえ命を落とすこともある。
「頼むから、こんな危険なことは辞めてくれ。貴女の身に何かあったら、清海さんと叶恵さんに申し訳が立たない」
「ふっ」
謠子は、
「っくくくくっ…………あっははははっ」
笑った。
その笑いには、明らかに磨皓に対する
また、胸の奥に、重たい衝撃が走る。
違和感。
ひとしきり笑った後、謠子は横目で磨皓を見ながら、にやりとした。およそ十一歳にもならない少女がする表情ではない。
「きみのような人間が多いから、僕はやっていけるんだけどね」
「……それは、どういう」
「じゃあ、そうだな」
頬杖をつくのをやめ、磨皓の言葉を遮る。右手には取り出したスマートフォン。
「賭けをしようか、多和本くん」
「賭け?」
「これから僕は一切の情報を遮断する。勿論これも電源を切る。明日、日付が変わる前、二十三時五十九分まで僕を連れ出したままでいられたら、僕の負け。キャプターを辞めよう。それまでに僕の身柄が保護されたら、きみの負け。僕はキャプターを続ける。……どう? とても簡単なゲームだ」
「なっ」
謠子の提案に、磨皓は言葉を失った。
賭け。ゲーム。
そんな遊び半分で、重大な任を負う職務の進退を決めるだなんて。
しかし思ってみれば、今自分も妙なことをしている。このままあの屋敷に帰してしまえば、彼女は危険な目に遭い続ける、それは避けたいと、どうしても送り届けられないでいた。何とか運良く説得する方向へと運んだものの、謠子が何も言い出さなければどうしていたか――
と、そこまで考えて、磨皓は思考を停止させた。
自分は、この子をどうしようとしていた?
どこへ連れていこうとしていた?
連れて行って、そこで何を?
また、取り返しのつかないことをしようとしていたのか。
危ないところだった。彼女の提案は渡りに船だ。受ければ言い訳も立つ。結果がどちらに転んだとしても、恐らく軽い処分で済まされるだろう。
「…………わかった、乗ろう」
一日半も囚われの身となれば、嫌でもわかるだろう――自分がいかに無力で、小さな存在であるかを。
少し怖い目に遭ってみればいいのだ。そうすればきっと、彼女も気が変わる。
多和本磨皓は、本気でそう思っていた。
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