シーゲンターラー謠子の遊戯 J-record.2

半井幸矢

本編

第一話


   〈二日目、二十時十三分〉



 破片がこぼれる天井、壁。カーテンやカーペットに燃え移った火が、風にあおられる。


 そんな中でも、シーゲンターラー謠子うたこは至極冷静だった。


 なびいて顔にかかる髪を細い指先で耳にかけるその姿は、状況にそぐわぬ優雅ささえ見てとれる。

「思っていたより早かったね、平田くん」

 炎を挟んだ正面に立つ黒いスーツの平田あつひさに笑いかけると、平田は呆れたような溜め息をついた。

じょうえんデータバンクの本気なめんなよお嬢様。にしてもまさか、」

 謠子から少し離れたところで膝をついている男に視線を移す。

「あんたがこんなことするたァねえ、多和本さん?」

 男――もとしろは、平田をにらむ。

「貴方が悪いんじゃないか……貴方が、謠子さんを、こんなふうに」

「確かに大体育てたのは俺だけど」

 視線を逸らし、炎を気にするふうもなく謠子の方へ向かってゆっくり歩く。


 磨皓は目を疑った。


 炎が――平田を避けるように揺らいだ?


 気のせいか。いや、しかし――


 謠子の前に立った平田は、謠子の額をぴしっ、と、指で弾いた。

「いった!」

「今こいつがこうあるのは、こいつ自身が選んだこと。俺なんぞが口出ししたところでそんなの聞くタマかよ」

「それでも、貴方は」

 立ち上がり、更に平田を睨み付ける。

「止めるべきだったはずだ! 謠子さんは、まだ子どもで、しかも女の」


「だから何だ」


 平田が睨み返した途端、周囲の炎が勢いを増した。


「てめェには関係ねえ」


 磨皓は続く言葉を紡げなくなった。

 その目は、つい先程謠子が自分に向けたものと――あの人に、よく似ている。


 得心した。

 彼が何者なのか。

 先程の、炎の変化の理由が。


 そのまま互いに睨視げいししていると、間に謠子が割って入った。

「平田くん、抑えて。きみは僕のこととなるとすぐ熱くなっていけない」

 腕にそっと添えられる小さな手は、その信頼を示すように優しい。その光景が、磨皓の心に刺さる。それは決して、自分に向けられることはない。

「はぁい」

 彼の感情に合わせるように、炎が少しずつ弱まる。彼の周囲だけではない。燃え移っている火が全て、徐々に勢いを失っていく。

「全く、無茶しやがるなァ謠子様よ。爆破はちょっとやりすぎだろ」

「場所特定しやすかったでしょ?」

「そーだけどさぁ。……あ、そうだキャプターの皆さん待たせてたんだった呼ばなきゃ」

 スマートフォンを取り出して電話をかけようとした平田だったが、異変に気付いて謠子の髪を確認するように掻き回す。

「おい。これ何だ。長さバラバラになってんじゃんかよ」

「あぁ……さっきちょっとやり合って」

「は⁉ 顔は⁉ してないよな⁉」

「ちょっと痛い痛い引っ張らないで」

「よォし顔は大丈夫だな他ンとこはまだしも顔だけはやめてくれよ傷残りやすいんだから……あー、もー! せーっかく髪きれいに揃ってきてたのにまーたヨリちゃんに頼まなきゃなんないじゃん俺超怒られるじゃん俺のせいじゃねえのに! お前戦闘向きじゃねえんだから俺いないとこでそういうことすんなよな!」

「ねぇ、さんより先に対策本部に連絡してよ一応まだ作戦中でしょ」

「もうちょっと待たせたってだいじょぶだろどうせ死人なんか出やしねえよそんなことより多和本さんよォ」

 再度磨皓をめ付ける。

「あんたよくもうちの大事な謠子の髪を」

「平田くんいいから早く本部に連絡して」

「だって」

「平田くん」

 舌打ちすると平田はそっぽを向いて仕方がなさそうに通話を始めた。ふっ、と溜め息をついた謠子は、磨皓の方を向いた。

「そういうわけでゲームオーバー。多和本くん、きみの負けだ」

「負け」


 頭の中でぐるぐる回る。

 負け。


 自分はこの子との賭けに負けた。

 まだ中学にも上がらぬ女の子に、負けた。


「少し時間があるから敗因を教えてあげよう。まず、きみは僕がどの程度『げん』のギフトを使いこなせるのかを把握していなかった。僕はね、この力は好きじゃないけど、持ったからには最大限に利用する権利も得たと考えている。その為の努力は惜しんでいないつもりだ。何でできているのか、構造はどうなっているのか。構成する物質、強度、温度、重量、大きさ、部位にかかる負荷、情報は多ければ多い程いい。それを覚えてしまえば作り出すなんて簡単なこと。ることは楽しいからね、努力という程のものでもないけど。それから、」

 電話をしている平田の背をちら、と見て。

「平田篤久という男を敵に回してしまった。彼は僕の師、情報収集力と分析力は僕なんか到底及ばない。そんな彼がきみの足取りをそくするなんてわけもないことだ。ここまで時間がかかったのは、キャプター側と連携するのにちょっと手間取っただけの話。……まぁ、きみは正規のキャプターだったうちのお爺様とお婆様としか仕事してないだろうし、これはわからなくても仕方なかったかな。……あとは、そうだね」


 にこり、わらう。


「きみが、女子どもは庇護すべきだと断じて侮っていたことだ」


 緑のそうぼうに宿る鋭利な光が深く深く貫く。

 磨皓は一瞬、呼吸を忘れた。

 もうすぐ十一歳の女児らしからぬ不敵な笑みは、キャプターという正義の立場とはおよそかけ離れたものだった。誰かに似ている。が、磨皓の知るかつての上司でも、すぐそこにいる口の悪い黒ずくめの男でもない。昔テレビで見たうら若き物理学者がほんの一瞬だけ見せた表情。


 そこであることを思い出す。

 キャプター本部にあった書類に記載されていた、ある人物の特徴データ――データ?



 アビューザー?



 自分が守ろうとしていたのは、可憐な女の子ではない。


 これはきっと、



「悪魔」


 ぽつり、言うと、少女は微笑んだ。


「よく言われるよ」




   〈一日目、十時十七分〉


 シーゲンターラー謠子が特殊能力・ギフトを持つギフテッド専門の警察ともいえる〝キャプター〟になってから、もうすぐ一年が経とうとしていた。

 一応試験を受けて合格してはいるが、年齢と体力という基準に満たない部分は直接上層に掛け合って家業と大金をもってカバーし、ほぼゴリ押しで手に入れた立場である。当然、それを快く思わない者も少なくはない。


 多和本磨皓もその一人である。


 しかし納得のいかないやり方ではあっても、立場は正式に認められたキャプター。しかも磨皓が以前配属されていた部署〝特例部〟の元上司・浄円寺きよとその妻かなの孫娘にあたる。二年近く前に浄円寺夫妻がアビューザーによって殺害されてから特例部は一旦なくなってしまったが、謠子がキャプターに就任し再度設けられたことにより、何か事情があってのことなのだろうと察しはつく。磨皓は面識がある謠子のことを気にかけていた。


「多少は警戒した方がいいと思うんだけどなぁ」

 定例会議終了後、受け取られなかった調査報告書を見返しながら謠子は嘆息した。たまたま隣の席に座っていた磨皓は退室しようと丁度立ち上がったところだったが、書類を覗き込む。

「A区か。確かにあの辺りは治安が悪い」

「数日前に噂を聞いて昨日急ぎでまとめたから、まだちゃんと調べきれてはいないんだけどね。施設から逃げた未成年のアビューザーがこの近辺で目撃されているとか」

「未成年の……アビューザー?」

「去年、いや一昨年だったかな。未成年のランナーが追っ手のキャプターを殺害したっていう派手な事件があっただろう? 当時のやり口や逃走経路から推測すると、現在この辺りに潜んでいる可能性が高いんだ」


 彼女が口を開く度に、胸の奥にずん、と重たいものがのし掛かってくるような感覚をおぼえる。


 こんな子どもが、女の子が、何故こんなことを言わなければならない?


「とはいえ、いつまでもこの辺りにいるとは限らない。捕まえるんなら早めに手を打たないとまた逃げられ……多和本くん、どうかした?」

「貴女は、何故」

 そんなことをしなくても、何不自由なく生きていけるはずなのに――そう言おうとして、口をつぐむ。

 磨皓が言わんとしたことを察したのか、謠子は書類をドキュメントケースにしまいながら微苦笑する。

「きみも僕がこんなことをしているのが気に入らないみたいだね」

「……大人の仕事だ」

「みんなそう言う」

 立ち上がり椅子の背に掛けてあったコートを手に取ると、きびすを返して会議室から出て行く。何となく、磨皓は後に続いた。

「多和本くん。そういうきみは何故、キャプターになったの?」

 足早に廊下を歩きながら謠子は言う。磨皓の方を見ることなく。

「僕は、この力を正義の為に使いたい」

「ふぅん」

 訊いた割には冷めた返しだ。


 彼女は、正義には――正しきことには、興味はないのか。


 聞くところによると、祖父母を殺したアビューザーを捕まえたいからだという話だったような。それならばそうだと言って堂々としていればいい。幼く私的な怨恨と言ってしまえばそうだが、それでも悪に立ち向かいたいという気持ちは正義といえるのではないか。


 神の贈り物といわれる力を持った選ばれし者。

 その中でも、悪たる〝アビューザー〟や法に従わずエリュシオンに属さぬ〝ワンダラー”、逃げ出した〝ランナー〟を取り締まるキャプターは、正義の象徴たる存在であるはずだ。子どもが憧れるのも当然な話である。


 しかし謠子からは、そんなじゅんぽうせいしんふんを感じられなかった。仕事上の都合とはいえ、外に住んでいるからか。いや、彼女の祖父母である浄円寺夫妻も彼女と同じようなことをしていたが、記憶の限りでは職務に対してここまで淡泊ではなかった。

 とはいえ、謠子も決して怠惰なわけではなく、寧ろ与えられた任務はきっちりこなすし、外部のギフテッドについての調査も進んで行っているようではある。


 何ともいえない違和感があった。


「……予定よりだいぶ早く終わっちゃったな、お昼までかかると思ってたのに」

 アクセサリーのようにきゃしゃなバングル型の腕時計を見る。

「平田くんお昼まで出かけるって言ってたんだよなぁ。駅までバス……時刻表って事務で見せてもらえたかな、多和本くん知ってる?」

「そんなに長い時間でもない、待っていればいいのに」

「ここに長くいるときみよりうるさいのが突っかかってくるから面倒なんだよ」

 さらっと失礼なことを言うが、それは自覚がないのか敢えてなのか。恐らくは後者なのだろう。謠子は同じキャプターの面々にも愛想よく話しかけたりはせず、冷淡に接している――それは、必要以上の接触を避けるようにも見えた。己がキャプターになる為に取った手段が真っ当なものではないと理解はしているらしい。


 ――守られるべき小さな者が。


「……送ろうか」

 口をついた言葉に、謠子は少し驚いたように磨皓を見る。

「多和本くん、車持ってるの?」

「一応は。運転できるに越したことはないからね。特例部にいたときは何度か車でお屋敷まで通ったことがある」

「今日は」

「非番だよ」

「成程」

 少し、考えて、謠子はスマートフォンを取り出しメッセージを送る。

「じゃあ、そうだな。折角だしお言葉に甘えようか」




 しかし、謠子を乗せ磨皓が運転する車は、謠子が住まいとする浄円寺邸へ向かうことはなかったのである。




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