第六話
結局その後すぐ謠子は寝なかった。調べたいことがある、と自室に篭ってしまったのだ。
自身も目が冴えてしまったので、何か手伝えることがあれば、と秀平は申し出たが、
「いいからトダくんは寝て。昼間大変だったでしょ」
謠子はそう笑って答えるだけだった。
そして謠子が自室に入ってしばらく経った頃、今度は資料をまとめていた平田が、
「起きてるつもりなら三時くらいになったら何でもいいから飲む物持ってってやって、あったかいやつ。お菓子もちょっとつけてな。んじゃ俺寝るわ」
と、就寝してしまった。とはいっても、彼に責任感や仕事に対する熱意がないわけではない。謠子の補佐をする上で最良のコンディションでいられるように、休息も
そうして静かになった居間で、秀平は謠子の為の髪留め製作の続きをしていた。
ふと、パーツの入ったケースに目をやると、半貴石のビーズが視界に入る。
「人を、石にする力、ねぇ」
薄桃色の花型の石を一粒摘んで、
謠子の推理が正しければ、失踪した者たちは皆切り出され、研磨されたことになる。仮に元に戻る術があるのだとしても、元には戻れないだろう。死んだも同然だ。
『貴方は、狙われています』
『できるだけ、うちの周辺には近寄らない方がいいです。くれぐれも気を付けて下さい。一人で行動しないで。夜は特に危険です』
知香の言葉と共に、昨晩の真木原邸での状況を思い出す。
(本当に危なかったのか……)
キャプターである謠子が傍にいたから無事だったのだろう。秀平も謠子も、戦闘行為になった場合にはそれなりに使えるギフトを持っているから、かず美一人が相手なら対処も
「まだ死ねないもんなぁ」
「死なせないよ。絶対守るって言ったでしょ」
振り返るとすぐ背後に謠子がいた。目もぱっちりとして、先程までとても眠そうにしていたとは思えない。
「びっ……くりしたぁ~……脅かさないで下さいよ……」
「ごめんごめん」
謠子は回り込むでもなくソファーの背もたれを乗り越えてきた。平田が起きていれば叱られるところだ。
そうして隣に納まったところで、謠子の持っていたクリアファイルの角が秀平の手の甲に当たる。
「いて」
「あっ、ごめん大丈夫? 刺さった?」
「いや、だいじょぶですぶつかっただけで……何だか分厚いですね、それ」
「え? あぁ、これ」
調べたいことがあると言っていた。その成果だろうか。謠子はファイルの中から紙束を出した。
「明るいところで読みたくて」
謠子の私室兼仕事部屋は、物の密度のせいか照明を点けても薄暗い。
「ちょっと休憩を兼ねてね」
「そんなの読んでたら全然休まらないじゃないですか。何か飲むもの入れてきますよ、何にします?」
「トダくんと同じものでいいよ」
「戸谷ですって言ってるでしょ」
眠くはなさそうではあるが、やはり疲労が見られる。温かいものでも飲ませて、もう少ししたら寝かし付けよう、と秀平は決意した。
謠子が好んで飲むから、料理はほとんどやらない秀平でもロイヤルミルクティーは淹れられる。平田に教わったものだ。
自分用の砂糖入りのものと、謠子用の無糖のものをマグカップに入れて居間に戻ると、ソファーの上で
「やっぱり異様だ」
「何がですか?」
カップをそれぞれの前に置いて再びソファーに腰を下ろすと、謠子の手からテーブルの上へ、資料がひらりと舞った。
「優真くんの言っていたことも事実なんだろうし、戸籍も家族もちゃんと存在している。でも、何かが引っ掛かるというか……違和感がある」
黒宮のことか。
謠子が放った数枚の紙を集めて目を通す。黒宮の情報は本人の経歴は勿論、生活に関することも特に何も矛盾は見られない。
何がおかしいのだろう、見落としている点はないかと読み返していると、謠子はありがとういただくね、と礼を言ってマグカップを手に取った。
「妙だと思わないか。他の失踪者はそんなことは全くないのに、黒宮とその周辺だけが不自然なくらいに整っている」
黒宮が生活に必要な支払いを滞らせず、身内に「必ず戻る」と言い残している点は、確かに黒宮の存在が発覚したときから謠子が指摘していることではある。他の失踪者はある日突然姿を消してしまったが、黒宮だけは急ではあるもののちゃんと職を辞し、身内に無事を告げている。後始末と対応をちゃんとしているのだ。
「それは……身内とかを、心配させないようにっていう……」
「つまりさ、それって『自分は今からいなくなります』って表明してからいなくなったってことだよね。確かに彼が一番最初に消えた男だけど、真木原かず美や安河元宣に消されたわけではない。黒宮だけを生きているように見せかける必要性はどこにもないし、自分たちが楽しむ目的で折角得た金を黒宮一人の為に使うなんて考えるはずがない」
「この件とは関係がないってことですか?」
「いや、関係なくはない、寧ろ関係は深いと思う……もう少し前の方から考えてみよう」
そう言うと、足は半跏を組んだままでカップを見つめつつ、背もたれに寄り掛かった。
「警察だってバカじゃない、いくら届け出られていなかったからって、キャプター預かりになる前にちょっと調べれば黒宮のことだってすぐわかったはずなんだ。それが、僕が担当になってからわかりやすくポンと出てきた――まるで誰かが、警察にではなくキャプターである僕に対して何かしらの情報を提示しているように」
「誰かって……黒宮が……?」
「優真くんの話からして、恐らく黒宮っていうのはひどく頭の回る男だろう。何もかもが用意周到だ。……人質という線も、多分違うんだろうな」
「でも、それなら協力者として表に出てきたって」
「黒宮が人質でないとしたら、知香さんが人質なんじゃないかな。だから黒宮はこの件から離れられない。しかも出てこられない何らかの理由があるから、直接キャプターに訴え出ることもできない」
出てこられない理由、と復唱して、秀平はミルクティーを啜った。
「……追われている? とか?」
思い付きを口にすると、謠子はカップをテーブルに置いて、膝の上に肘をついた。
「誰に? 警察? キャプター? その
「真木原の奥さんにですよ。お嬢さんだけじゃなくて、黒宮も奥さんのギフトのことを知っちゃったとか」
「口封じされそうになったところを運よく逃げおおせて――か。成程ね。……黒宮に会いたいなぁ、どこにいるんだろう」
「謠子様でも探せませんか」
「予測される彼の行動範囲を割り出して通信可能な防犯カメラや記録されてるコンピュータをざっと覗いてみたけど、全然引っ掛からないんだ。……あぁ、そういえばね、」
言い掛けた謠子は静かに目を閉じた。
そのまま、数秒。
「謠子様?」
呼び掛けると、ゆっくり目を開く。しかし何も言わない。
眠いのだ。
「謠子様。寝ましょう」
「まだっ」
足を下ろして目を擦る。いつもの大人と対等にやり合う彼女とも思えぬ子どもらしい様子に、限界が近付いているのだと悟る。秀平は急いで自分と謠子のマグカップを取って台所のシンクに置きに行き戻ると、とろんとした目でまだソファーに座っている謠子を抱き上げるようにして立たせた。
「はい、歯磨きしに行きますよ」
「まだ、もうちょっと、ねぇ、聞いて、トダくん」
「戸谷ですよ謠子様」
それでも聞いてと言われれば話は聞く。謠子は得た情報を話しながら整理することがある。
「あのね、真木原かず美のギフト、まだ仮定だけどさ、似たような能力の事例があったんだ」
秀平に後ろから抱きかかえられた形で、謠子は洗面所に
「人間を石にしちゃうってやつですか?」
「日本じゃなくて海外でね。その力の持ち主はだいぶ前に亡くなっているんだけど、『メデューサ』って呼ばれていたらしい」
「メデューサ……ギリシャの神話でしたっけ」
見たものを石に変える力を持つ怪物。元は美しい女性だったとも言われている――ふと、かず美の派手な美貌を思い出し、背筋がぞわっとした。
洗面所に到着すると、観念したらしい謠子はコップに水を汲んだ。
「ただ……代償が何なのか、何回使えるのかが記録されていなくてわからないんだ。
「代償、ですか」
秀平と謠子は歯磨剤を歯ブラシに取り、並んで歯磨きをしながら考えた。
ギフト能力を行使するには、能力によってまちまちではあるが、代償や回数制限が発生することがある。
強く影響を及ぼす力であればある程一日に何度も使えないし、その後の行動に支障が出たりもする。異能の力は何もなしに自由に使えるわけではないのだ。
順番に口をゆすいで、口元を
「……代償か使える回数か、どっちかだけでもわかればいいんですけどね」
それだけでも対策が練りやすくなる。
「俺、一人で行ってみましょうか」
「ダメ」
部屋着の
「仮定とはいえ無策のまま近付くのは危険すぎる。まだどうすれば発動するのかもわからないんだよ? きみの力のように直接触れなければならないのか、一定時間視線を合わせるのか、そういう条件が全くなくてもできるのか……何にしろ、想像していたより厄介な案件だ。きみの身を守ると請け合っている以上、今後一人で行動させるわけにはいかない。僕の手に負えないということになれば、他のキャプターに協力を要請する可能性だってある」
謠子はキャプターだが、秀平をランナーだと知った上で
「確かにきみはきみが自覚している以上には強い。でも僕は大事な友人を失うのなんて御免だ。きみを確実に守れる
これまでとは打って変わって慎重だ。
シャツの裾を握る小さな手をそっと解して握り返す。
「謠子様がやりやすいようにして下さい、俺そんな頭よくないから任せます。でも俺、運がいいから多少荒く扱ってくれても多分大丈夫ですよ」
手を繋いだまま、連れ立って洗面所を後にする。
「メデューサ退治には盾が必要でしょ。ピカピカに磨いたやつ」
そう言うと、謠子の表情も
「きみがペルセウスじゃないんだ」
「それは謠子様ですよ。俺を一番上手に使える」
「そうか……そうだね」
しかし翌日、盾は小さな英雄の手元から離れてしまうことになる。
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