第43話 護衛の男子力を目撃した後、僕は感覚を失う

 ひとしきりの質問に答えた後、僕と片桐は黙ったまま冬姉の様子を観察している。冬姉は口元に指をあてながら何かを検討している。


 さんざん期待外れの答えを聞かされた冬姉には悪いけれど、この状況は人選ミスに起因する当然の帰結である。それでもなお冬姉はあきらめていなかったようで、目に宿った興味の光を絶やすことなく僕に言った。


 「……この調子だと幼馴染という軸から離れてしまいそうだから、少し踏み込んだ質問をするね」


 「どうぞ」


 「……幼馴染と付き合いたいとか、考えることはあるかな?」


 それ僕に聞くの!? と一日に二回も叫びたくなるとは思わなかった。むしろ冬姉が何もかもを知った上で僕をもてあそんでいるんじゃないかとすら思える。


 今回は舌を噛むことなく堪えることに成功したが、そんな僕の視界の端では片桐がわずかに上体を前に傾げさせて震えていた。鉄のような片桐の腹筋にダメージが入ったことは明白だった。


 僕は少し迷っていた。千条院初が片桐に抱く感情と、春日初が冬姉に抱く感情と、どちらに従って答えるべきか。


 千条院初として答えるとき、春日初の胸が痛むことは分かっている。ただ、春日初として答えるのは、うまく表現できないけれど、卑怯な気がした。


 冬姉の質問の意図は分からない、けれど僕は春日初として、何かしらの期待をその質問に対して抱いてしまっている。

 僕が春日初の感情に従って回答することで、冬姉の思考を春日初とは別人のふりをしながら僕の都合のいい方向へ誘導してしまうのは、冬姉に対して誠実でない気がする。


 別にいいじゃないか、どうせお前はクズだろう、と片桐ならば言うだろう。そんな誘惑に後ろ髪惹かれている時点で自分がクズであることは否定しようもない。


 それでも冬姉の前では、僕は誠実でいたかった。たとえ今、冬姉の目に春日初の姿が映っていなくとも。


 「……ないですね。考えられません」


 「そう……片桐先輩もそうなんですか?」


 片桐は顔色を変えずにうなずいた、けれど続けて口を開く。


 「俺も無理だな……コイツと、って話なら」


 「初ちゃんじゃ、ダメなんですか?」


 「……あくまで俺の印象だが、こいつが妹分なのか弟分なのか分からなくなることがある。二人してすることが戦闘訓練だぞ? そんな奴と恋愛するってのは、俺には想像もできない」


 「まあ、それはそうかもですけど……」


 「だが、この世の幼馴染がみんな俺とこいつみたいな関係じゃないだろ。普通に恋愛する幼馴染がいたって何の不思議もないと俺は思う」


 だからお前は他の誰かとチェンジしろ、とこちらを指さして宣う片桐の脇腹に僕は手刀を突き入れる。大げさに脇を抑える片桐に、言わないといけない言葉がある。


 ああ、何で僕はこんなに照れ臭く感じているんだろう、と自分自身に辟易しながらも、片桐にしか届かない程度の小声で言う。


 「……ありがと」


 片桐は、何かしたっけ俺、と言わんばかりに無言で肩をすくめるだけだった。女子力ならぬ男子力とでも呼ぶべきものが、今の片桐には宿っていた。


 とても口には出せないが、片桐は頼りになるヤツなのだと僕は思う。いつか僕が春日初に戻るときのためにせいぜい勉強させてもらおうとすら、実は思っている。


 冬姉はそんな僕らの様子を見て、メモに何かを書き込んでいく。付け加えると部長のようにニマニマとした笑みをこぼしてもいた。


 ……何か変な勘違いしてない? と僕は薄ら寒い不安に襲われる。


 「……さてと、私が聞きたいのは以上かな。とても参考になりました、二人ともありがとう。何ていうか……あなた達みたいな幼馴染って、いいね!」


 僕はさくさくと残り少なくなっていたクッキーを堪能しつつ、んぐんぐ、と首肯する。片桐は肩の荷が下りたかのように首や肩をぐるぐると動かし始めた。


 明るく言ってぐぐっ、と背伸びする冬姉を見ながら、僕は微かな違和感を覚えていた。冬姉の笑顔がぎこちないように見えたのだ。


 僕の知る冬姉の笑顔は、一点の曇りもなくて、そこにはもっと女性らしい柔らかな雰囲気が備わっていたはずなのだけれど。それに……、と思考を深めようとしたところで冬姉がちらりと時計を見て言った。


 「……もう七時半だね。二人はこれからどうやって帰るの?」


 「私たちは迎えが来ます。すでに向かっているそうなので、あと五分くらいでしょうか」


 「そっか、それじゃ私は少しテーブルの上片付けるからゆっくりしててね」


 冬姉はそう言って、テーブルの上の皿やグラス、コースターを手早くトレイに載せると部屋を出ていく。そのしぐさを見て僕の女子力がうなりを上げ始め、脳裏に今後の手順を描き出す。


 物がなくなったテーブルの上を鞄から取り出したウェットティッシュで拭き上げ、ティッシュで乾拭きする。僕たちが部屋に来てから冬姉が折り畳みテーブルを出したのを見ていたので、元あった場所へとテーブルを戻す。併せて僕たちが使っていたクッションもあるべき場所へと置いて、一息つく。

 来た時よりも美しく、というどこかで見たような標語を脳裏に浮かべつつ、僕は実際に行動に移した。


 こうして僕がうちたぎる女子力を発散している間、僕の動きに合わせて片桐はしばしばその立ち位置を動かしていた。


 それはただ片桐に落ち着きがなかったというわけではなく、僕を暗殺するための射線を切るためのものだということを僕は知っている。片桐は普段から呼吸するように適切な位置取りを行っていた。


 そういう意味では見慣れた光景ではあるけれど、見る角度を変えれば若干の不審さを感じさせる動きでもあった。


 と、そこではたと気づく。


 僕を外部から殺しうる射線は春日初の自室と面する窓を経由する。その窓のカーテンは既に周囲が暗くなった今もなお、何故か開かれたままだった。


 ……カーテンさえ閉じれば片桐も不思議な踊りを踊らずに済むのでは?


 そう考えて僕が何の気もなくカーテンへと手を伸ばすと、ぱたぱたと軽やかに階段を上ってくる冬姉の足音が響いて、ドアが開いて、僕の姿を見て――


 「やめて!」


 ――と、今まで一度も聞いたことのない強さを帯びた冬姉の声がカーテンの端を掴む僕の動きを制した。


 まるで夢から覚めたかのように、悪質ないたずらがばれた子供のように、茫然としつつ僕は冬姉に目を向ける。そこにはまるで自分が大声を発したことそれ自体に驚いているかのような冬姉の姿があった。


 ……何だろう、今一つ状況がうまく呑み込めない。


 「……ごめんなさい、大声出して。でもそのカーテンは閉めなくて大丈夫だから……」


 「……いえ、私こそ申し訳ありません。人の部屋だというのに……勝手なことを、してしまいました……」


 とりあえず謝っておけの精神で僕は反射的に謝罪の言葉を絞り出す。何故か言葉がすらすらと出てこない。


 この空気は姉様に友達がいないのかと聞いて大泣きされた時と同じ空気だ、と僕はうすぼんやりと感じる。どういう背景があるのかは分からないけれど、僕はきっと冬姉の逆鱗に触れてしまった。


 「……いや、おねーちゃんこそごめんね。何だか大人げなかったね。修業が足りないっていうか、もっとおねーちゃん道を邁進しないと」


 場を和ませるために発せられた冗談めかした冬姉の言葉に、どう反応したらいいのか僕は分からなくなっている。


 頭がうまく回らないけれど、これだけは分かっていた。僕は自分でも思いもしなかった程に、冬姉の繊細な部分に触れてしまったという事実に深く動揺している。


 「わりぃ、俺の監督不行き届きだわ。こいつも悪気があったわけじゃないみたいだし、勘弁してやってくれ」


 冬姉に頭を下げる片桐がいて、ぶんぶんと首を横に振る冬姉がいた。

 冬姉は何かを言っていたのだけれど、うまく聞き取れなかった。

 僕は何か言おうとして、口を開いて、言葉が出なかった、僕の口が今どんな形を象っているか分からない。


 カーテンのひかれていない窓から不意に光が差し込み、部屋の中をゆっくりと舐めるように移動していた。

 それが僕と片桐を迎えに来た車のヘッドライトなのだと気付いたのは片桐だけだった。


 「……お、迎えが来たみたいだ。じゃあそろそろ俺たちはおいとまするわ。ジュースごっそさん」


 そう言って片桐は僕の腕をつかみ冬姉の家の外まで引っ張り出すと、自動で開いた送迎車両の後部座席へと僕を座らせる。


 見送る冬姉が僕の身を案じるような視線をこちらへと寄こしていた。

 何かを言っているような気がするけれど、耳に届かない。


 そんな冬姉の視線も、ぱふん、という車のドアが閉まる音とともに遮られて、僕は世界から隔絶されたような車内空間に囚われた。


 片桐が乗り込み、車が動き出す。僕の体が震えている。ダサいな、と直観的に僕は思う。そして同時に自覚した。


 冬姉に拒絶されたあの日と同じ状態に自分が陥っているという事実に、僕は今、絶望している。

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