第40話 変化を受け入れつつも遠い目をする(第三章 エピローグ)

 あれから数日が立ち、変化がいくつかあった。


 冴さんからの僕の評価がクズからどクズへと変化した。

 全てはいつも通り隠し撮りされていた二宮さんとのやり取りの一部始終が露見したからなのだけれど、


 「……私が見直したのと同じ分だけクズさが増しました。プラマイゼロですね」


 という無情な計算式が成立した結果、冴さんとの距離感は以前とほとんど変わっていない。


 一方で片桐は僕と打ち解けるようになった。

 意図せず腹筋を崩壊させたのが原因である。付き合いのある後輩から面白い弟へ、というような変化だったけれど、本当の意味での同性と素の口調で軽口や文句を叩きあえる関係は僕にとって貴重なものだった。


 そして最大の変化は生徒会室に一条さんが出入りするようになったことだった。



◆◇◆



 放課後の生徒会室。


 先輩方も含め真剣に業務に取り組んでいる最中に突然入ってくるなり姉様に漫画の単行本を手渡して一条さんは堂々とおやつを要求し、私あまり間食しないんだけど、と言いながらも姉様がプリンをふるまう。

 その様を他の生徒会メンバーが驚きの表情で二度見していた。


 「……私が後輩にお菓子をふるまうのがそんなにおかしいかしら」


 という姉様の問いに、


 「「「いいえ、ただうらやましいだけです!」」」


 と迫真の表情で断言する三人に僕が、


 「すみません先輩、今日は私で許してくださいね?」


 と言ってコーヒーを差し出す。僕はすかさず頭を撫で繰り回されたり餌付けされたりする。いつもの光景である。


 「……そういえば、あなた達にはしたことなかったわね。悪いことをしたわ」


 と少しだけ申し訳なさをにじませて姉様が言うと、先輩方三人はそろって姉様の顔を見つめる。


 「そんな、謝らないでください会長。眩しすぎますから……」


 「俺は会長直々の言葉責めアドバイスだけで充分だ。多くは望まねー」


 「私はいつか会長手作りのケーキをごちそうになりたいです!」


 「分かったわ、考えておく」


 平常運転を継続する姉様たちをまるで意に介さずプリンを口に運ぶ一条さんを見る限り、一条さんの存在が生徒会メンバーの秘めたる信仰心に負の影響をもたらすことはないだろうと僕は考えていた。


 きっと一条さんの方でもほどなく先輩方の熱狂とどう向き合うべきか答えを見つけてくれるだろう、とも僕は完全な他人事として思う。


 「……ところで一条さん」


 「何よ初。プリンならあげないわよ」


 「それは結構なのですが、どうして一条さんがここに?」


 「研究のためよ。キラキラしたいなら自分のそばにいて好きなだけ観察すればいい、その代わりおススメの漫画を教えろって、結が」


 「姉様が?」


 「私としては漫画より実物のほうが研究のし甲斐がありそうだったし、ここにいれば結だけじゃなくて初、あんたも観察できる。私がキラキラするための糧には事欠かないわね」


 「……つまり、姉様の誘いで私たちを観察するためにここにいて、キラキラするための好敵手が私、ということですか?」


 「そうよ。あと結は目標、といったところかしら」


 「なるほど……」


 一条さんの目先を変え、一緒に過ごす口実を作り、漫画を貸し借りする仲になる。僕が思い描いていた理想的な展開を寸分たがわず実現してしまっていた。


 ……姉様ってやるときはやるんだよなあ、本当に頑張ったんだなあ、と僕が感慨にふける間に一条さんはプリンをきれいに食べ切った。


 「そういえば初、私言いたいことあるんだけど」


 「何ですか?」


 「敬語はやめて、あと苗字も。身近な人に敬語使われるとホント痒くなるの、家だけで沢山だわ。あと苗字も好きじゃないの。理佐にだって無理言って直させたんだから」


 「……なるほど」


 「あんたと私はライバルなのよ、対等なの、敬語を使うのは少なくとも私たちの決着が付いてから。いいわね?」


 「……分かったわ、紗良さん。これでいい?」


 「分かればいいのよ」


 てらいもなくにこりと笑う一条さん……紗良さんはきっと、天性の女王気質なのだろうと思う。

 おおらかで、まっすぐで、才気に満ち溢れ、力強い。

 これ以上何を得ればキラキラするのか僕には分からない。


 そこに二宮さんと安川君が飛び込んでくる。

 二人の慌てぶりを見れば、今日ここに紗良さんがやって来たのもきっと彼女の独断専行なのだろうと容易に想像がついた。

 ちなみに二宮さんはこれまでの野暮ったい見た目が嘘のようにあか抜けていて、やはりこれまでの容姿は自覚的に作っていたんだろうな、と僕は想像した。


 「あ、本当にここにいた! 何やってるの紗良ちゃん!」


 「敵情視察よ。いえ、もうここはホームかしら」


 「紗良が無事で……というか問題起こしてなくてよかったよ……本当に」


 二宮さんが紗良さんの行動をたしなめ、安川君が彼女の周囲を慮る。

 共に苦労人気質がうかがえた。


 「何よ二人とも、人を猛獣みたいに扱って」


 「……自覚がないの……?」


 僕がボソッと呟いたことに二宮さんが気づいたようだった。


 「千条院さんもここにいたの? 紗良ちゃん何もしなかった?」


 「プリンを食べていただけですよ、今のところは」


 「良かった……ほら紗良ちゃん、今日は習い事って言ってたじゃない。一か月サボったんだから取り返すんでしょう?」


 「そういえばそんな事もあったわね。ま、顔見せは済ませたし。今日は帰ろうかしら……」


 と、そこで紗良さんは言葉を切った、違和感に気づいた、という風に。


 「ところで初と理佐、何でそんなに仲良さそうのかしら?」


 「それはね、紗良ちゃん。千条院さんは共……」


 「共通の趣味を通じて、少し、仲良くなったの! ね、二宮さん?」


 「趣味? まあいいわ、後で詳しく聞かせなさいよ理佐」


 一条さんの圧力を前に二宮さんがあっさりと陥落して秘密を自白する未来を想像した僕は焦る。


 「いいよ、ただ紗良ちゃんちょっと待ってて。千条院さん、こっち」


 人好きのする笑顔で二宮さんが手招きする方へと僕は近づく。紗良さんから見て二宮さんが僕の陰に隠れたタイミングで二宮さんがそっと耳打ちする。


 「……ちょっと悪戯しちゃいました。安心してください、私たちは共犯者、ですから」


 そう言ってお茶目に笑い可憐にウインクすると、二宮さんは紗良さんと安川君を連れ立って生徒会室を後にする。


 ……何それわざとなの、めっちゃ可愛い、完落ち待ったなしだろ、勉強になります、と僕は男の子らしくも男の娘らしい感想を二宮さんに抱いた。


 強かで賢い二宮さんが言うのだから、きっとうまいこと秘密は守るのだろう。その点についての不安は消えていた。


 それでも不安は残っていた。


 二宮さんが悪女への道を歩み始めたことの責任を問われる日がいつか来るのだろうかと暗い未来に思いをせながら、改造を施した主犯である僕は遠い目で窓の外の風景を眺めた。

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